そして春は訪れる



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 それからというもの、定期試験の前一週間になると、放課後の図書室で美奈と和也、二人で勉強会をするこ とが恒例となった。
「ねえ、この問題なんだけど」
 指し開かれた教科書の問題を見て、和也が眉をつり上げる。
「そこは昨日も教えただろ? まだ理解してないのか?!」
「だって、難しいんだもん!」
「おまえ、昨日家に帰ってから復習しなかったんだろ!」
「えへへ〜、どうしても見たいドラマがあったから、それ見て寝ちゃった」
「ったく、もお! これで最後だからな。ほら、この問題はこの公式を使うんだよ。そしたら、こうなってこ うなって……」
「ふんふん」
 そんな具合に、二人の仲もすっかり打ち解けて、仲むつまじく……かどうかは分からないが、ギャーギャー 言いながらも、とにかくその勉強会はずっと続いていた。
 おかげで、それまで大嫌いだった試験が近づいてくると、美奈は小躍りしたくなるほどウキウキするように なったのである。
 教えてもらう教科も、最初は数学だけだったのが、いつの間にか全教科になっていた。
「いいか、俺に質問した問題をテストで間違えたら、絶対に承知しないからな」
「えー? そんなの無理だよぉ」
「無理じゃない! おまえなぁ、俺がこんなに親身になって教えてやってるのに、その努力を無駄にするつも りか?!」
「まさか、めっそうもない!」
 ブンブン首を振ってから、ちょっと悲しそうな顔で美奈は言う。
「だってさ、和也と違って頭悪いんだもん。仕方ないじゃない」
「頭の悪い人間なんて、この世にいない」
 美奈をにらみつけながら和也は言う。
「頭が悪いんじゃなくて、努力が足りないだけだ!」
「そんなことないって。和也は自分が頭いいから、頭悪い人間の気持ちが分からないのよ!」
「違う、努力の問題だ!」
「なによっ、このガンコ者!!」
「なんだとー!!」
 なんて、あわばケンカになりそうになりながらも、美奈にしろ和也にしろ、このじゃれ合いのようなやり取 りを、なかり楽しんでいたりするのだ。それに、美奈も美奈なりにがんばって、少しずつではあるが成績を上 げてきている。
「全部俺のおかげだな」
 えらそうに胸を張る和也に、べーと美奈は舌を出す。
「なに言ってんのよ。これがあたしの実力よ」
「まったくよ、おまえは謙虚って言葉を知らんのか?!」
「それを言うなら和也だって同じでしょ!」
 そして、二人で火花を散らしてにらみ合う。こんな時、先に折れるのはいつも決まって和也の方だ。ふーっ と大きく息を吐くと、仕方ないなぁといった顔をして、その後クシャッと美奈の頭をなでた。
「でも、ホント、よくがんばったな。エライぞ」
 そして、優しく笑ってくれるのだ。
 その、たまにしか見せてくれない特上の笑顔を前に、美奈はこれ以上ないほどの幸せを感じてしまう。和也 のことが好きだなあと、あらためて実感させられる。
 そんな関係を、二人はもう一年も続けていたのである。
 その一年の間に、二人の関係はもう校内でも有名な「性別を超えた親友」として定着してしまっていた。あ の、いつも仏頂面で愛想のない和也と平気でケンカできる女なんて美奈しかいない。それに、かわいくて男子 生徒から大人気の美奈を、あんな風に頭ごなしに怒鳴りつけることができるのは和也ぐらいなもんだ、ってな 感じで。
「そういうつもりで紹介したんじゃなかったんだけど、ま、いっか。仲良くなったことには変わりないんだし 」
 敏子と章もそう言って、嬉しそうに二人の肩を叩いた。
 初めて会ったその日に、美奈は和也に恋をした。
 そして和也も、美奈と過ごす日々の中で、いつの間にか美奈を好きな自分を自覚するようになっていた。
 お互いに、好きだなんて言葉を言ったことはない。
 美奈も和也も自分の気持ちははっきり分かっていたが、相手の気持ちは分からなかった。だからずっと、あ くまでも親友のフリをし続けていたのである。

 そんな二人の関係が、一転してしまう事件があった。
 後になって思い返すと、それはもう本当に、頭を抱えてじたばたしたくなるほど悔やんでも悔やみきれない 事件となった。
「あの時、邪魔が入りさえしなければ………」
と、美奈も和也も、悶々思い悩むことになる。


 その事件というのは、こういうことだった。

 美奈の通う高校では、昼休みの終わりを告げる予鈴がまず鳴り、その五分後に授業開始の本鈴がなる。午後 の授業を担当する教師によっては、授業で使用する資料や教材やなんかを、その五分の間に教室に運ぶように 日直に命じたりもする。
 その日の日直だった美奈は、次の社会科の教師に呼び出され、両手いっぱいに抱えるほどのプリントを運ば されることになったのである。
 本来、日直は男女一人ずつのペアで行動するのが普通なのだ。しかしこの日、美奈と一緒に日直をするはず の内田という男子生徒は、予鈴が鳴ってもなかなか教室に戻ってこなかった。
 仕方なく、美奈は一人で教員室に行くことなり、たくさんの重いプリントを運ばなければならなくなってし まったというわけだった。
「あー、重たい。こんなことなら敏子について来てもらえばよかった」
 ブツブツ文句を言いながら歩き、今から昇らなければならない階段の前に立った美奈は、大きな溜息をつい た。
 教員室は一階にあり、美奈たちの教室は三階にある。重い荷物を持ってこの階段を昇るなんて、考えただけ でテンションダウンしてしまう。
 そうは言っても、もたもたしていると本鈴が鳴ってしまう。遅れたら、社会科の教師に嫌味を言われること は間違いない。しょぼくれた顔をしながらも、美奈は階段を昇り始めた。
 一階から二階への階段を昇り終わり、今度は三階へ続く階段を昇り始めた時である。
「あれ、美奈?」
 後ろから声をかけられて、美奈は振り返った。
 和也がいた。
「すごいプリントの山だな。今日、日直か?」
「そうなの。もう一人の日直がどっか行っちゃってて、それで一人で運ばされてるの。和也こそ、どうしたの ? もうすぐ本鈴鳴るよ?」
「担任に呼ばれて、ちょっと進路指導室に行ってた」
 美奈にこんな大変なことさせて、そのもう一人の日直ってのは誰なんだ、なんて思いながら、和也は言った 。
「大変そうだな。手伝うか?」
「いい、これくらい一人で持てるから」
 そうは言っても、階段を昇る美奈の足運びは、どう見てもふらふらである。
「半分よこせ。持ってやるから」
「いいよ、平気だってば」
 持ち前の負けん気の強さが、美奈にこのセリフを言わせてしまったのだが、それを美奈は後悔することにな る。
「まったく、強情だな。かわい気のない」
「うるさいわねぇ、ほっといてちょうだ―――――きゃあ!!!」
 ずるっと足を滑らせ、美奈は直立の状態のまま、階段から倒れ落ちそうになってしまったのである。慌てた 美奈は、持っていたプリントを思いっきり放り投げた。そして、後ろにいた和也に抱きとめられたのである。 勢いで自分まで落ちないように、すぐに和也が美奈を抱えたまま、その場にしゃがみ込んだ。
「だ、大丈夫か?」
 心配そうに和也は美奈をのぞきこんだ。
「う、うん、なんとか平気そう」
 恐怖とショックに心臓をバクバクさせながら、美奈は言った。
「和也こそ、大丈夫だっ――――」
 見上げたすぐ前に、和也の顔があった。その距離があまりにも近すぎて、美奈の心臓は違った意味でばくば く言い始める。自分を抱きかかえる和也の腕が、とても熱いのに美奈は気付いた。
 本鈴が鳴る寸前の廊下や階段に、生徒の姿はひとつもない。遠くから、どこかの教室から聞こえるガヤガヤ した声が聞こえるだけだ。そして、美奈が放り投げたプリントが、二人の上からひらひらと舞い落ちる。
 思いつめたような、苦しそうな和也の顔から、美奈は目が放せなかった。
 少しずつ、和也の顔が近づいてくる。
 だから、美奈は目を閉じた。なにが起ころうとしているのか分かったから、そっと目を閉じた。
 自分の唇に、冷たいなにかが触れたのが感じられた。美奈を抱く和也の力が強まった。
 時が止まったかのように、美奈には思えた。
 そして、二人の唇が離れても、二人はその場から動けずにいた。お互いの目を見つめ合い、息をすることさ え忘れてしまっていた。
「あのな、美奈。俺、おまえのこと………」
 和也の口から告げられる、苦しそうとも思えるその言葉の続きがどういうものなのか、美奈には分かった。 だから、喜びで胸いっぱいにして、その続きを待ったのである。
 その時。
 ドタドタと、誰かが階段から降りてくる足音が聞こえた。二人は慌てて相手の体から飛びのいた。
「あれ〜、どうしたんだ、坂下?」
 それは、もう一人の日直である内田だった。
 顔を真っ赤にした二人の、呆然と自分を見る姿に内田は首を傾げながらも言った。
「プリント落としちゃったのか?」
「う、うん。階段で足滑らせちゃって」
「えー、ケガとかしなかった?」
「へ、平気。大丈夫」
「遅くなってごめんな。さ、急いで拾って教室に戻ろう。もうすぐ本鈴なっちゃうし」
「お、俺も手伝うよ。ホント、美奈はドジで仕方がない」
 和也の口から出た、いつもと変わらない口調にホッとしながら、美奈もそれに調子を合わせた。
「なによ、うるさいわね。そんなこと言うんだったら、手伝ってくれなくていいわよ!」
「だって、本当のことだろ? 階段から落ちそうになるなんて、ドジ以外のなにものでもない」
「なんですってー!」
 まるでさっきのキスなんてなかったかのように、二人は口ゲンカをしながら落ちたプリントを集めまくる。 内田の手前、そうせずにはいられない。ただ、顔はまだ赤いままだ。
 そんな二人を見て、内田はにっこり言った。
「噂には聞いてたけど、おまえら、本当に仲がいいんだな」
 その言葉を聞いて、美奈と和也は一瞬動きをとめる。
「な………なに言ってんのよ、内田くん」
 あせった美奈は、顔を真っ赤にして慌てて言った。
「和也と仲がいいなんで、冗談じゃないわ」
 普段はあまり動じない和也も、少し顔をひきつらせて怒ったように言う。
「そ、そうだよ。こんなヤツと仲がいいなんて言われたら、俺の評判に傷がつく」
「なによ、それ!」
「なんだよ!」
 そしてまた、ぎゃーぎゃー言い始めた二人を見てに内田が笑った。
「あはははは、そんなに仲がいいなら、付き合っちゃえばいいのに」
 その言葉が、赤い二人の顔を更に赤くしたのだけれど、鈍感な内田はなにも気付かなかったようである。
 結局その後、三人は急いでプリントを集めると、次の授業のためにそれぞれの教室に戻ったのである。


 そんな事件のあった後、美奈と和也の関係がどうなったかと言うと、まったく変わらず親友としての付き合 いを続けていた。二人の関係が甘いものに変わる最大のチャンスを、二人は見事に逃してしまったのだ。
 ただ、ひとつ変わったことと言えば、以前は相手が自分のことをどう思っているのか分からなかったけど、 今ではそれが分かってしまっていた。
 そうは言っても、今更あの時のキスについて、話を蒸し返す勇気が二人にはない。なんと言ってもテレくさ いし、自分から言い出すのが恥ずかしかった。お互いが相手から言ってきてくれるのを待っているうちに、な んとなくうやむやのままに、月日だけがどんどん流れていった。
 時間が経てば経つほど、ますます話はしづらくなる。そうこうしているうちに、あの時のことは、まるで言 ってはならないこと、といった雰囲気まで漂いだしてしまった。
 お互いの気持ちは、もうとっくに分かっていた。分かっていたのに、気付かないフリをし続けた。し続けな ければならなくなった。
 もうなにがなんだか、二人には分からなかった。
 ギクシャクした気まずい雰囲気が、二人の間に流れるようになった。
 そして。
 いつの間にか二人の仲は疎遠になっていってしまったのである。
 一緒にいると、逆に辛さが増すのはどうしてだろう。近くにいるほうが、遠く離れているより悲しくなる。
 恒例だった勉強会もしなくなった。廊下で相手を見かけても、意識して目を合わせないようにする。
「あんなに仲良かったのに、どうしたのよ?」
 不思議顔で敏子にきかれた美奈は、苦笑してそれにはなにも答えなかった。
 いったいどういうことなのか、美奈にだって分からないのだ。
 ただ分かっているのは、今でも自分が和也のことを好きだということ。あの時のキスを思い出すだけで、今 でも体が熱くなる。
 話しができなくてもいい、目を合わせられなくてもいい。ただ和也の姿が見たくて、廊下で和也とすれ違う ことができるように、毎日神様に祈った。
 そして、どうしてこんなことになってしまったんだろうと、時々泣いた。


 そんな中でのことだった。
 美奈の机の上に、誕生日の花束が置かれていたのは。

『誕生日おめでとう』
『四時、学校の前の公園で待つ    K』

 素っ気ないメッセージ。
 Kと言えば和也のK。
 メッセージに書いてある待ち合わせの時間は、とうの昔に過ぎている。
 なんのために和也が自分を呼び出したのか、期待せずにはいられない。今度こそ、あの言葉の続きを聞かせ てもらいたい。

 寒さも体の疲れも忘れて、美奈は冬の冷たい空気の中を、ただひたすら公園に向かって走り続けた。まだ和 也が公園で待っていてくれていることを、ひたすら祈り続けながら。





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