そして春は訪れる



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 約一年前のことである。

「ねえ、美奈? あんた好きな人とか、いないでしょう?」
 冬休みを終えたばかりの寒空の下、学校からの下校途中に美奈は突然敏子からそんなことを言われ、いや〜な顔をした。
「それがどうしたって言うのよ」
「よかったら、男の子紹介してあげようか?」
「えー? いいよ、そんなの。遠慮するわ」
「どうして? とってもいい子らしいわよ。章くんの友達なんだけどさぁ」
 章というのは、一ヵ月前から付き合いだした敏子の彼氏である。
 現在ラブラブモードの敏子は、自分ばっかり幸せで美奈に悪いとでも思っているのか、やたらと美奈に彼氏作りを奨めようとする。親切心のつもりかもしれないが、はっきり言って迷惑なことこの上ない。
「いいわよ、あたし。彼氏なんて欲しいと思わないし」
「えぇー、どうしてぇ? そんなこと言わないでよ。むこうには、もう話は通してあるんだからぁ」
「そんなこと、あたし知らないわよ!」
「ねえ、会ってみるだけでもいからさぁ。今日の放課後ダブルデートするって、もう約束してあるんだから」
「そ、そんなの勝手に決めないでよ!」
 そんなワケで、その日の放課後、敏子に引きずられるようにして、美奈はデートの集合場所へと連れていかれたのである。
 場所は学生のよく集まるファーストフード店。
 全室禁煙になっている二階の窓際、四人の男女は向かい合わせに席についた。
「というわけで」
 敏子の彼氏である章は、隣に座る自分の友人の肩をにこやかに抱いた。
「こいつ、西村和也。俺と同じ一組だ。校舎が離れているから、顔を合わせたことないかもしれないね。どうだい、なかなかの男だろ?」
「ほーんと! さすが章くんの友達。すっごくカッコイイね」
 敏子がわざとらしくはしゃぐ。
「それだけじゃないんだぜ。こいつ頭良くってさ。二学期の学年末、学年で三番だったんだ」
「えー、すごーい!」
「だろー?」
 やたら盛り上がるラブラブな二人である。
 そんな敏子と章に横目であきれた視線を向けた後、美奈は紹介された仏頂面の男の子をチラリと見た。
 まあ確かに、章が自信を持って言ったように、顔はそれなりに整っているかもしれない。涼やかな顔立ちに銀縁眼鏡がよく似合い、とても賢そうに見える。
 章にひじでつつかれて、和也はしかたなさそうに短く言った。
「よろしく」
 ぶっきら棒なその言い方に、その場が一瞬シーンとなった。
「え、えーと、それじゃあこっちの番ね」
 場を取り繕うように敏子が明るく言った。
「この子は坂下美奈。どお、カワイイでしょう? クラスでは一番、下手すると学年でも一番カワイイかも」
「ち、ちょっとやめてよ、敏子ったら。そんな大げさな……」
「ホントよぉ。美奈は知らないかもしれないけど、ウチのクラスの男子、みんな美奈のこと狙ってんだから」
「俺の知ってるやつにも、美奈ちゃんのことカワイイって言ってるやつ、たくさんいるよ」
 ニコニコ顔で章も言う。
「でも、俺には敏ちゃんが一番だけどな」
「えー? もう、ヤダァ、章くんったら」
「だって、本当のことだもん」
 隣でイチャイチャし始めた二人を無視し、美奈はペコリと頭を下げた。
「坂下美奈です。よろしく」
「こちらこそ」
 素っ気ない和也の返事。しかも、相変わらずの仏頂面。
 嫌な感じ、と顔には出さずに美奈は思った。
 もしかすると、和也も美奈と同じで、章に無理矢理この場に連れてこられたのかもしれない。だとすると、あの不機嫌そうな顔も理解できる。
 しかし、そうだとしても、来てしまった以上、もう少しみんなに気を使うべきではないだろうか。美奈自身、好きでここに来たわけではないけれど、敏子や章の話しに相槌を打ったり、おもしろくもないのに笑ってみたりと、それなりに気を使っているのだから。
 そんなこんなで、たいして盛り上がりもせず小一時間ほど話をした時、ふいに立ち上がった章が、とんでもないことを言い出した。
「それじゃ、そろそろ別行動にしようか。そちらのお二人さん、後はうまく打ち解けてくれよな」
「え! ち、ちょっと?!」
 愕然とする美奈に、敏子が小声でささやいた。
「彼、なかなかの拾いモンじゃない。がんばってネ!」
 そして、二人は仲むつまじく腕を組むと、さっさと店を出て行ってしまったのである。
(ウ、ウソでしょう?)
 冷や汗をかきながら、美奈はチラリと和也を見た。あちらは相変わらずの仏頂面だ。
 どうすればいいのか、さっぱり分からない。
 二人の間に、気まずい時間が流れる。
 しばらくすると、和也がこれ見よがしに大きく溜息をついた。かと思うと、立ち上がって言った。
「俺たちも店を出よう。ここはもう飽きたし」
「う、うん」
 コートをはおり、カバンを持ってさっさと歩いていく和也の後を、美奈は慌てて追いかけた。この後どうなってしまうのか、不安すぎて胃が痛くなる。
 そして、やはり思った通り、二人は特に会話することもなく、ただブラブラと通りを歩くだけのデートをすることになった。あまりの気まずさに、自分をここに連れてきた敏子を恨みたくなる。
 だいたい、この和也という男、いったいどういうつもりなんだろう。
 最初に会った時から仏頂面。今だって不機嫌そうに、ただ黙々と歩くだけ。こっちをチラリとも見ようとしない。
 嫌なら嫌で、さっさとそう言ってくれればいいのだ。そうすれば、美奈だってこんな気まずい思いをすることなく、家に帰れるのだから。
 そんなことを思っていると、美奈の携帯電話がチャラリラリーンと鳴った。メールの着信を告げるベルである。
 ちらりと見上げると、着信音に気付いてこっちを見ていた和也と目が合った。
「どうぞ。急ぎの用件もあるだろうし」
 素っ気なく和也が言う。
「あ、ありがとう、ごめんね」
 了解を得たことにホッとしながら、美奈は急いで新着メールを開いた。

『美奈ちゃんへ
 駅前の喫茶店「聖林」にハンカチを忘れちゃった。去年の誕生日に
 お父さんにもらった大切な物だから、帰りに寄って、持って帰って
 きてくれない? よろしくね。
                         お母さんより』

「ええー?」
 思わず美奈は叫んだ。そして、ハッと口を押さえる。
 そんな美奈を見て、和也が首を傾げて言った。
「どうしたの?」
「う、うん、それが……」
 相手の様子を伺うように、美奈は上目使いに和也を見た。
「お母さんからのメールなんだけど、駅前の喫茶店に忘れ物したから、取ってきてくれって」
 駅前と言えば、さっき美奈たちが出てきたファーストフード店付近である。まるっきり、逆方向なわけで、今来た道を戻らなければならない。
 美奈一人なら、それくらいたいしたことでもなんでもない。しかし、今は連れがいる。
 戻ってくれ、なんて言えない。和也とは今日初めて会ったばかりだし、そう言わせない雰囲気を和也は持っている。仮に言ってみて、嫌な顔をされるのを想像するだけで、ゲンナリしてしまう。
 さて、どうしたものかと美奈が考えていると、和也がアッサリと言った。
「取りに戻ろうか?」
「え、いいの?!」
 思いもよらない親切な言葉に、美奈は目をぱちぱちさせる。
「たいしたことじゃないし、別にかまわないよ」
「でも、なんだか悪いわ」
 そういう優しい態度にでられると、なんだか申しわけなく思ってしまう美奈である。嫌なヤツ、なんて思っていただけに、余計にその思いは強い。
「やっぱりいい。家に帰る前に寄ることにするから」
「それじゃ遅くなるだろう?」
「でも………」
 煮え切らない態度の美奈を前に、和也は空を見上げて溜息を一つついた。そして、言う。
「俺のことを気にしてんの? だったらこうしよう。俺、そこの本屋にでも入って待ってるから、その間に行ってこいよ。それだったら寒くもないし」
「う、うん。でも、本当にいいの?」
「俺も読みたい本があったからちょうどいい」
「じゃあ、ごめんね。ちょっと行ってくる。すぐに戻ってくるから」
 言うが早いか、美奈は一目散に駆け出した。待ってると言ってくれてるのだから、少しでも早く帰ってこようと思う。そして、走りながら考えた。
 あの和也って子、思ったよりも良い人みたい。
 いつも仏頂面で無愛想なのは、きっと性格なのだろう。嫌なヤツだなんて思って、悪いことをした。
 息を切らせて走ったおかげで、美奈はあっと言う間に駅前に戻ってくることができた。はぁはぁ言いながら、辺りを見回して「聖林」という喫茶店を探す。
 ―――――が、ない。
 いくら探しても見つからない。母親の携帯に電話してみると、圏外かバッテリー切れの時に流れるメッセージ音が聞こえるばかり。家に電話しても誰も出ない。
「ち、ちょっとー、どうすんのよぉ!」
 あせってみても、目的の場所は一向に見つからない。
「あ、もしかして………」
 駅の向こう側にあるのでは?
 美奈の頭の中にその疑問が生まれたのは、駅前をうろうろし始めて、もう三十分くらい経った時だった。
 それほど大きな駅ではなく、特に駅の反対側はロータリーがあるだけで、店もほとんどない。美奈自身、ほとんどあちら側に行ったことがなかった。だから、なかなか思いつかなかったのだ。
 美奈は急いで階段を昇って駅を通り抜けると、ロータリーの前に出た。そして、すぐに喫茶店「聖林」を見つけたのである。すぐに店に入り、店のマスターに事情を話して、母親の忘れ物ハンカチを手に入れることができた。
 そして、猛ダッシュで本屋まで戻ったのである。
 和也が待っているはずの本屋は地上三階まである、この町では一番大きな書店である。一階から順に、美奈は和也の姿を探して三階まで上っていった。そして、脱力感にガックリと肩を落としたのである。
 和也の姿は見つからなかった。
「怒って帰っちゃったのかなぁ?」
 二人が別れてから、すでに一時間近くたっている。すぐに戻ると約束したのに、これでは和也が怒って帰ってしまっても無理はない。二人は恋人同士でもなんでもなく、単に友達に紹介されただけの、言わば顔見知り程度の関係でしかないのだから。
 明日学校で謝ろう、と、美奈がそんなことを考えながら書店を出た時である。
 前方から見覚えのある姿が、一直線にこっちに走ってくるのが見えた。そして、美奈の目の前に来た瞬間、突然怒鳴りつけてきたのである。
「なにやってたんだよっ!!」
 和也だった。
 そのあまりの形相と、いきなり怒鳴られたこととのショックで、美奈はなにも言えず縮こまる。
「あ、あの…」
「あんまり遅いから、俺、わざわざ駅前に行ったんだぞ!」
「え?」
「すぐに戻って来るって言ってたのに、なかなか戻ってこないからさ。なにかあったんじゃないかって心配して!」
「……………」
「連絡とろうにも、携帯のナンバー聞いてなかったし。もう、何度ここと駅とを往復したことか! いったい、なにやってたんだよ?!」
 怒鳴る和也の額には、うっすらと汗が光っている。多分、ずっと走りっぱなしで、美奈のことを探していたのだろう。そんな和也の怒る顔を見ながら、美奈はなんだかドキドキした。怒っている和也の口から出てくる怒りの言葉が、なぜか美奈を嬉しくさせる。
「なに笑ってるんだよ! 人がこんなに怒っているのに!」
「ごめんなさい」
 美奈はぺこりと頭を下げた。
「それから、ありがとう、心配してくれて」
 心からの感謝を告げる。
 そんな風に、美奈に素直に謝られて、和也は顔を赤くした。
「べ、別にいいんだけどさ」
 そして、ボソリと呟くように言った。
「よかった、なにもなかってみたいで」
「うん、本当にありがとう」
 にっこり笑った美奈から慌てたように目をそらし、和也は言った。
「行こうか」
「うん」
 二人でとぼとぼ歩きながら、美奈は遅くなった理由を和也に話した。そして、何度も謝った。謝るたび、もういいよ、と和也は言い、そして微かに頬を赤くした。ぶっきら棒なその言い方と、その赤くなった頬がアンバランスで、なんだかとてもかわいく見えた。
 この人いい人だ、と思った。美奈が恋に落ちた瞬間だった。

 そして、和也はと言うと、見るからにかわいらしくてフワフワで、初めて会ったその日に自分をおろおろ心配させた隣を歩く少女に対し、なんだか興味を持ち始めていた。ごめんなさい、と素直に言える美奈には好感が持てた。
「さっき章くんが言ってたけど、和也くんて頭いいのね」
 尊敬のまなざしで自分を見つめる美奈の視線から、わざと目をそらして何気なさを装う。
「べ、別にすごくないよ。俺が勉強するのは、趣味みたいなもんだから」
「勉強が趣味なの? すごーい」
「趣味っていうか、今まで知らなかったことを知ることが嬉しいんだ。だから苦にならないっていうか。数学はパズル解くみたいで楽しいし」
「数学が楽しい?!」
 素っとん狂な声を上げた美奈をチラリと和也が見ると、そこにはくりくりした大きな目を、更に大きく見開いた美奈の顔があった。その顔があまりにもかわいかったのもだから、ガラにもなく和也はときめいてしまったのだ。
 そんな和也の気持ちに気付いた様子もなく、美奈はさっきとはうって変わり、口をへの字にまげてしかめっ面をする。
「あたしは数学が一番苦手。数学の問題を解いていると、なんだか頭が痛くなっちゃう」
「よかったら、教えようか?」
 自分の口から出た言葉に、和也が一番驚いた。
「え?」
 見ると、美奈も驚いた顔していた。そして次の瞬間には、その顔が明るく輝いた。
「わー、すごく嬉しい! でも、本当にいいの? 和也くんの勉強の邪魔になったりしない?」
 迷惑がられなかったことにホッとしながら、和也は言った。
「大丈夫だ。試験前とか、学校の図書館使って教えるよ。うまく教えられるかどうかは保障できないけど」
「そんなの全然平気。あたしこそ、和也くんに呆れられないか、かなり不安。だってホント、すっごく頭悪いから」
 そう言って、美奈は大きく溜息をついた。かと思うと、次にはキッと表情を引きしめる。
「でも、がんばるね! せっかく和也くんが教えてくれるんだもん。気合いれてガンバルから!」
 決意をあらわにギュッと右手を握りしめた美奈の顔を見て、和也は小さく笑った。ころころ変わる表情がかわいかった。
 冬の最中、もう時間も六時を過ぎていて、辺りはすっかり真っ暗になっていた。二人はその後、特にどこの店に寄ることもなく、手を振ってそれぞれの帰路についたのである。
 家に帰り着いた美奈を、母親がにこにこ顔で出迎えた。
「おかえりなさーい。すいぶん遅かったけど、寒かったでしょう? ハンカチ取ってきてくれた?」
「うん、取ってきた。はい」
 母親にハンカチを手渡しながら、そう言えば、と美奈は思う。
 寒さなんて、少しも感じなかった。今にも雪が降り出しそうな寒さなのに、ちっとも寒いだなんて思わなかった。
「和也くんと一緒にいたからかなぁ」
 そんなことを呟いて、ちょっぴり顔を赤くする。
 和也と会わせてくれた敏子と章に感謝しながら、スキップなんてしてみたりした。





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