そして春は訪れる



 どうしてああいうことになってしまったのか、美奈にも分からない。後から思い出してみると、すべては自分のドジのせいと、その負けん気の強さが災いしたということが分かるのだけれど、その時の美奈には、そういうことを考える余裕はまったくなかった。
 気がつくと、和也の強い腕に抱きしめられていた。頭の上から、たくさんのプリントが舞い落ちてくる。ふと見上げると、自分を抱く和也が、なんだかとても思いつめたような顔をしているのが見えた。
 その顔を見た途端、美奈の心臓はドキドキと早鐘のように高鳴った。なにが起ころうとしているのか、和也がなにをしようとしているのか、美奈には分かった。だから、そっと目を閉じた。
 自分の唇に、冷たいなにかが触れたのが感じられた。美奈を抱く和也の力が強まる。
 時が止まったかのように、美奈には思えた。



               1


 誕生日の朝のことである。
 いつものように登校した坂下美奈は、教室の自分の机上に、大きな花束あるのを見てビックリした。
「な、なによ、これ?!」
「うわー、すごいね、この花束。こんな大きな花束、見たことない!」
 一緒に登校したクラスメートの敏子が、大きな声で叫んだ。先に教室に来ていたクラスメートのほとんどが、美奈の机の周りに集まっていて、興味深々にその花束を見ている。
「誕生日のプレゼントじゃない? 美奈、今日が十七歳の誕生日だもんね」
「誰から誰からー?」
「男じゃねーの? 女が女にこんな花束なんて、普通プレゼントしないだろ?」
「それにしても、すごいねー。きっと二万円近くするはするよ、この花束」
「あたしもこんなの、もらってみたーい」
「男だとすると、かなりキザな野郎だな」
「ねえ、誰からよ? カードとかついてないの?」
 困惑した顔で、美奈は花束の中からカードを探り出した。みんなの好奇心の目が集中する中、美奈はカードを開けた。

『誕生日おめでとう』

 カードにはそう書かれているだけである。
「なによ、これだけぇ?」
 不満そうに敏子が声を上げた。
「これじゃ、誰からだか分からないじゃない。美奈、心当たりある?」
 美奈はブンブン首を振った。
「わ、わかるわけないでしょう!」
「ねえ、誰がこれを置いていったか、見た人いないのー?」
 教室中のすべての生徒が、首を横に振った。
「なんだ、ガッカリね。ねえ美奈、本当に誰からだか分からないの?」
 敏子やみんなから疑惑の目を向けられて、美奈は飛び上がる。
「ホントに知らないんだってば!」
 そして、両手でやっと持てるくらいの大きな大きな花束を持って、怒ったように眉をひそめた。
 いったい誰がこんなものを自分の机の上に置いたのか。現場を誰にも見られていない以上、ずいぶん朝早くの行動に違いない。
 それにしても、大きな花束である。こんなの入れる花瓶が学校にあるはずがない。っていうか、美奈の家にだってない。
 仕方なく、掃除道具入れからバケツを持ってきて、水を入れてその中に花束をさした。それを教室の隅に置いておく。
 始業のチャイムが鳴ってホームルームが始まった時、その花束を見つけた担任が、不思議そうに言った。
「なんだ、この花束は?」
「美奈が誕生日のプレゼントにもらったんでーす」
「誰がくれたのか、分からないんだぜ、先生」
「ほほう、ずいぶんと深く愛されてんだなぁ、坂下」
 笑いながら言う担任に、美奈は顔を真っ赤にして怒ったように言った。
「やめてよ、先生! そんなこと言うの!!」
「でも、こんなに大きいの、先生も初めて見たぞ?」
「もしかしたら、なにかの間違いかも。あたし宛じゃないのかもしれないし」
 美奈がそう言うと、クラスの誰かが言った。
「それはありえないよ。だって、お前は今日、誕生日なんだろ?」
「そうよ。カードには誕生日おめでとうって、書いてあったじゃない」
「それはそうだけど………」
 隣の席に座る敏子が、思い出したように小声でささやいた。
「ねえ、もしかして和也くんってことはない?」
 言われた途端、美奈は耳の先まで真っ赤になった。
「ま、まさか、そんなことないわよ」
「そうよねー、あんたたち、最近は話しすることもないもんね」
「そ、そうよ! 和也だなんてありえないよ!」
「となると、誰なんだろうね? う〜ん」
 腕を組んで推理をめぐらせる敏子の横で、こっそり美奈は激しく動悸のする心臓を押さえていた。
(まさか、和也が花束くれたなんて、そんなこと………)
 顔からほてりが取れず、真冬にもかかわらず美奈は下敷きで顔に風を送った。

 結局その日、美奈は花束の話題でみんなからからかわれ続け、一日中をムッとした顔で過ごすことになったのである。
 送り主の分からない大きな花束。
 いつの間にか美奈が大きな花束をもらったという話は、あっと言う間に学校中に知れ渡ってしまったのである。


 その日、家に帰りついた美奈は不愉快な気分でいっぱいだった。
 散々、みんなから花束のことでからかわれ、おもちゃにされ、楽しい誕生日気分なんてどこかに吹っ飛んでしまったのだ。通りすがりに、よく知らない生徒から「ヒューヒュー」言われるし、美奈を見かけた教師という教師から、好奇心に満ち溢れた顔で話しかけられたりした。
 玄関で靴を脱ぎ、花束を置くためにリビングに行くと、夕食の仕度をしていた母親が花束に目をとめ、顔を輝かせて飛んできた。
「まあまあ、なあに、その花束。誕生日のプレゼント?!」
「まあね、そうらしい」
「すごいわねぇ、この大きさ! 誰にもらったの?」
「それが分からないのよ。送り主の名前、カードに書いてないんだもん」
「なんだ、そうなの?」
 ちょっとガッカリしたような顔をした後、母親はにやりと笑った。
「誰かに恋されてるのね、美奈ちゃん」
 そして、ひじで美奈の腕をつっつく。
「モテるわねぇ、さすが、お母さんの子!」
「もう、やめてよね、お母さんまで。学校で散々、そういうこと言われてきたんだから」
「そうなの? まあ、いいわ。このお花、早く水切りして花瓶にさしてあげないとねー」
 美奈は母親に花束をまかせると、二階にある自分の部屋へと向かった。
 部屋で制服を着替えると、美奈はバフンとベッドに腰を下ろした。そして、今日一日のことを考える。
 あの花束。
 あれのせいで、今日は本当にロクでもない一日になってしまった。嬉し楽しい誕生日気分なんて、完璧にぶち壊されてしまった。
 一生に一度の十七歳の誕生日が、メチャクチャだ。恨んでも恨みきれない!
 本当に誰が送ってくれた物なのか?
「とにかく、犯人が分かったら、そいつにこれ以上ないってくらい、文句言ってやらなくちゃ!」
 そんなことを美奈がブツブツ言っていると、母親が階下から大声で呼んでいる声が聞こえた。
「もう晩ご飯の時間?」
 時計を見てみると、まだ夕方の五時半である。いくらなんでも早すぎる。
「あたしのことかわいそうに思って、プレゼントを先に渡してくれようとでもしてんのかしら?」
 学校では花束のせいで最悪だった。せめて、家族でする誕生祝いでくらい、心からの幸せ気分に浸りたいもんである。
 嫌なことは忘れようと心に決め、階段を下りてリビングに入った美奈を、母親がにやにやした笑みとともに待っていた。
「なによ、そのいやらしい笑いは?」
 警戒した美奈が眉をしかめてそう言うと、母親がヒラリと一枚の小さな紙を、美奈の目の前に突きつけてきた。
「なに、これ?」
「うっふっふ。さっきね、見つけたのよ。花束の奥のほうに小さく丸めて入ってた。欲しいでしょう? 欲しくなあい? メッセージつきよぉ」
 慌てて母親の手から、美奈はその紙を奪い取った。

『四時、学校の前の公園で待つ    K』

 そのしわくちゃの紙には、あきらかに男の文字でそう書かれてある。
「ねえねえ、Kって誰なのよぉ。ねえ、美奈ちゃ〜ん」
 ウキウキした顔の母親を無視して部屋に戻ると、バッグを持ってコートをはおり、美奈は家を飛び出した。
 指定された時間は四時。すでに一時間半も過ぎている。
 美奈の家から学校まで、ゆっくり歩いて三十分かかる。いつもはバスを使っているけれど、待ち時間を考えると、走ったほうが確実である。
「Kっていったら……Kっていったら………」
 季節は冬。夕方とはいえ、すでに太陽はドップリ沈み、あたりは夜の帳を完全に下ろしている。白い息を吐き、全力で学校までの道のりを走りながら、美奈は怒り狂った。
「Kっていったら、和也しかいないじゃない。まったく、もうアイツったら、こんな手の込んだことをして、どういうつもりなのよ! あのバカッ!!」
 毒づきながらも、美奈は走る速度を落とそうとはしない。

 体の芯から冷えそうな寒い夜。厚い雲に覆われた空には、星一つとして見ることはできない。今にも雪が降り出しそうな空の下、美奈は無我夢中で走り続けた。





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