先生と付き合い始めたということを、あたしは次の日、親友の佐紀にこっそり話した。場所は学校の非常階段にある、狭い踊り場である
「えー?! 宮本先生とぉ?」
あたしの話しを聞いた佐紀が、驚いたような顔をした。
「宮本先生って、確かあの、特にかっこ良くも悪くもない、ちょっと優しそうな顔した先生でしょう?」
「そうそう」
「なんでまた、宮本先生なの? どうせ先生と付き合うんだったら、物理の小田先生の方がいいんじゃない?」
物理の小田先生と言うと、女子から圧倒的人気を誇っている、二十代後半のイケメン先生だ。確かに顔はかっこよく整っているけど、ちょっとキザっぽい気がして、あまりはあたし好きじゃない。
「いいの、いいの。あたし、男は顔で選ぶタイプじゃないから。とにかく、そういうことだから。なにかあったら隠蔽工作手伝ってね」
うきうき気分であたしが言うと、佐紀が肩をすくめて笑った。
「ま、いいかもね。知佳は美人だしスタイルもよくて男にモテるけど、ちょっと性格変なところあるから。それに、なんか面白そうだし。でも、一体いつの間にそんなことになったワケ? 全然気づかなかったけど」
「うふふ、実はね………」
昨日の音楽室、宮本先生との間になにがあったかを、あたしは事細かく佐紀に話した。それを聞いていた佐紀は、話しが進むにつれて、どんどん目を見開いていく。
「えーっ?! それって、完全に脅迫じゃないの! あんたもよくやるわね。ちょっと信じられないわ」
全部訊き終わった後、顔をしかめてそう言った佐紀に、あたしはお気楽笑顔で答えた。
「だってさ、仕方ないじゃないの。相手は教師よ? 正攻法で告白したって、断られるのは目に見えてるし。だから、ちょっと強硬手段に出ただけよ」
「ふぅーん、なるほどねぇ………。でもさ、どうなのよ。今の話を聞く限り、付き合うことになったって言っても、完全に知佳の片想いでしょう? そういうのってさ、逆に辛くない?」
セミロングの髪をハニーブラウンに染め、顔はいつだってバッチリメイク。パッと見、すれた感じに見える佐紀だけど、考え方は意外にまともで大人だったりする。
そんな佐紀の真面目な問いかけに、さすがのあたしも少し考えてから答えた。
「そりゃあね、できればあたしだって、ちゃんと両想いになってから付き合いたいわよ。でもさ、教師と生徒って立場から考えると、やっぱりそれって難しくない?」
「まあね。一人の女の子として見てもらうことが、まず不可能に近いもんね。どんなに知佳が自分のいいところをアピールしたとしても、ああ、あの子はいい生徒だな、ぐらいにしか先生には思ってもらえないだろうし」
「でっしょー? だから、まず最初に教師と生徒っていう枠をとっぱらっちゃったワケよ。んで、今から生徒ではない一人の女の子としてのあたしを、もうガンガン先生にアピールしまくろうって思ってるワケ。どう、ちゃんと筋道が通ってるでしょ?」
自慢気に言ったあたしを、佐紀が疑うような目で見ながらにやりと笑った。
「そんなこと言って、本当はその場の勢いだったんじゃないの? 知佳の性格考えたら、絶対にそうとしか思えないんだけど? こうと決めたら一直線の人だもんね」
あはは、とあたしは笑った。
「やっぱりバレちゃった? でも、気持ちは真剣なのよ? だからご協力、よろしくお願いします」
そう言って、あたしはペコリと頭を下げる。
佐紀はにっこり笑いながら言った。
「いいわよ。さっきも言ったけど、なんだか面白そうだし。教師と生徒の交際なんて、ハタから見ててもスリリングで楽しそう。うん、親友として、できることはなんでも協力させていただきます」
それを聞いて、あたしは顔を輝かせた。
「ホントに?! わーい、よかった。さすが佐紀、話しが分かる」
あたしと佐紀は、顔を見合わせてニヤニヤ笑った。
そんなこんなで始まったあたしと宮本先生の交際だけど、特になんの事件も起こらないままに、あっと言う間に一ヶ月が過ぎた。
学校でのあたしたちは、あくまでも普通の教師と生徒。
そもそも、あたしのクラスは宮本先生の授業がないのだから、滅多に顔を合わせることもない。
でも、たまに廊下ですれ違ったりすることもある。
そんな時、あたしは素知らぬ顔してペコリと頭を下げるだけ。そして、下げた頭の下から、こっそり上目使いに先生の顔を盗み見る。
そういう時の先生の顔ったら。
もう、すごく緊張しているのが丸見えで、カチンコチンになってるのが一目で分かる。今にも、右手と右足を同時に動かして歩いてしまいそうな、そんな感じ。
ウソがつけないタイプっていうのか、不器用っていうのか。
あたしはそんな先生がおかしくて、つい頭を下げたままクスクス笑ってしまう。どうしようもなく、先生をかわいと思ってしまう。そして、心がふわっと温かくなって、先生のことが好きだなぁって、心の底から思うのだ。
すれ違った後、しばらく間をあけてから、必ずあたしは振り返って先生の背中を見る。そして、誰にも聞こえないような小さな声で、そっと呟く。
「先生、大好き」
とても幸せを感じる瞬間だ。
あたしと先生の関係は、絶対に秘密だ。特に学校関係者には、どんなことがあっても知られるわけにはいかない。
だから、あたしと先生がプライベートで会えるのは週末の土日だけ。
学校から電車とバスを使って約一時間半、1LDkの小さなアパートに先生は住んでる。あたしがここに来るのは、今日で八回目。
「おっじゃましまーす」
玄関のチャイムを押したあたしを、先生はドアを開けて迎え入れてくれるけど、その時の先生の顔は、珍しく温和な顔をしていた。
それだけで、あたしの心は明るく満たされる。
だって、これまでの七回、いつだってドアを開けてくれた先生は、戸惑ったような、困ったような、そんな顔ばかりしてたから。
先生も、あたしがここに遊びに来ることに、少しは慣れてきたのかな。
「ねえ、どうしてこんな遠くにアパート借りてるの? もっと学校の近くに借りればいいのに。通勤、大変じゃない?」
初めて先生の家におしかけた時、そう訊いたあたしに先生は言った。
「この近くにある大学に通ってたんだ。だから、そのまま住み続けてるだけ」
もちろん、ここの住所は、例の脅迫で、先生から無理矢理聞きだした。だって、そうでもしなきゃ、教えてくれなかったから。
「ふーん、そっか。でも、まあ、あたしは好都合だけど。こんなに離れてると、誰かに見られたって平気だモンね。あたしのこと、知ってる人なんでいないだろうし」
あたしが笑顔でそう言うと、先生は少しきまずそうに言った。
「………なあ、やっぱりこんなのおかしいよ。それにマズすぎる。俺たちは同じ学校の教師と生徒だぞ? それが、こんな家にまで上がりこんできたりして………」
そんなこと言われても、あたしには引くつもりは毛頭ない。
「いいじゃない。だって、好きなんだから」
平然とそう言ってやったら、先生はもっと困った顔をした。
「だ、だけど、俺たちは恋人同士でもなんでもないのに、付き合うなんておかしいよ」
「だったら、本物の恋人同士になったいいだけよ。先生、あたしのこと好きになって」
「そ、そんな簡単にいくかよ。こんな、脅迫まがいに交際を突きつけられたりして」
ちょっとムッとしたように先生は言ったけど、あたしは気にしたりはしない。
だって、それを言われることは予想してたし、第一、こんなことを気にするくらいなら、最初から付き合ったりはしないのだ。
「まあまあ、今はそんなこと言ってるけど、でも大丈夫。絶対に先生はあたしのことを好きになるから。それよりさ、買い物に行こう? お昼ごはん、あたしが作ってあげるから。こう見えても、料理は得意なんだよね」
あたしは強引に先生の腕を取ると、食材の買い物をするために、先生を近所のスーパーまで連れ出した。もちろん、腕なんか組んじゃったりなんかして。
その時の先生ったら、もう、やたらとビクビクしながら周囲を気にしまくって、なんだか見ていてこっちが気の毒に思えるくらい。ま、その原因作ったあたしが言うことじゃないんだけどね。
そんな風に、あたしが先生の家を訪問するようになって一ヶ月。
最初は態度の硬かった先生も、少しずつ慣れてきたのか、あたしと冗談を言い合ったり、一緒にテレビ観て笑ったりするようになってきてくれた。
小さな進歩かもしれないけど、でも、ないよりはマシだ。そもそもあたしは、先生と一緒にいられるだけで、それだけで大満足なんだから。………いや、大満足と言ったらウソになるかもしれない。
できれば好きになってもらいたい。
ぎゅって抱きしめてもらいたいし、キスだってしてもらいたい。
あたしたちがキスしたのは、あの最初の出会い、音楽室であたしが強引にしたあのキスだけ。
あの後、あたしが先生に強引にキスしたことはない。
あの時は先生と付き合うためについやっちゃったけど、本当はあたしだって、ちゃんと二人の気持ちが通じ合ってから、お互いの合意のもとにキスしたいと思ってる。
そんなことを思いながら、何気なく先生の唇を見つめてみる。
キスしたいなぁ………。してくれないかな、先生。
「コラ」
いきなり、ぽんっと先生があたしの頭を叩いた。
「なにボーッとしてるんだ? 問題、まだ解けてないぞ」
「はーい、ごめんなさーい」
えへへ、と笑って、あたしは目の前にある数学の教科書に目を移した。
そう、今あたしたちは、お勉強の真っ最中。
あたしがここに来初めの頃、いつも先生は気まずそうに、そして途惑ったように、まるで腫れ物に触るかのような感じであたしと接してた。
ま、そりゃそうよね。
あたしたちはお互いのことをなにも知らなかったし、先生にしてみればあたしなんて、とんでもないことで自分を脅迫する、大迷惑な性悪生徒でしかないんだから。
あたしは、まあ、それでも先生と一緒にいられるだけで幸せ気分満載だったんだけど、そうは言っても、こんな状態がいつまでも続くのは、やっっぱり面白くない。
それで、どうしたもんかと考えて、この方法を思いついたのだ。
「先生、あたしに勉強教えてくれない?」
「え、勉強?」
先生の家に来始めてから三度目のこと、突然そう言ったあたしに、先生は驚いたような顔を向けた。
それを無視してにっこり笑うと、あたしは持ってきた数学の教科書やら参考書やら問題集やらを、部屋の真ん中にあるローテーブルの上にごそっと出した。
「実を言うとあたし、数学って苦手なのよね。数学だけじゃなくて、理系は全部苦手なんだけど。ねえ先生、ダメ? 教えてよ〜」
両手の指先だけを合わせ、上目使いに先生を見ながら媚びるような顔でそう言うと、先生はしばらく考えてから、おもむろに教科書を開いて目を通し始めた。
「で、どこが分からないんだ」
「うん、この公式の解き方なんだけど………」
そう、これがあたしと先生の、楽しいお勉強タイムの始まりだった。
そして、まあ、これが見事に当たっちゃったのよ。
二人で肩を寄せ合って、あーだこーだ言いながら問題を解いていく。そういうことを遊びに来るたび続けていく内に、あたしと先生の関係は、かなり打ち解けてたものになってきた。
「バッカだなぁ。それと似たような問題、先週も教えただろ?」
「だってー、難しいんだもん。一回教えてもらったくらいじゃ分からないよ!」
「ったく、しょうがないなぁ。これはな………」
なんて、先生があたしに持っていた変な警戒心も薄れてきて、恋人同士とは言えないけれど、仲良し兄妹、あるいは年の離れた友達同士、ってなくらいにまで、あたしたちの距離は縮まってきている。
新米とは言え教師なだけあって、先生の教え方は上手い。それに、好きな人に教えてもらっているワケだから、あたしだってそれなりに真面目な態度で勉強する。
おかげで、大嫌いだった数学が、なんとなくだけどここ数週間で好きにもなってきた。
ああ、愛の力って偉大だなぁ。
なんてことを、あたしがまたニヤニヤしながら考えていると、先生が丸めたノートでツンと頭を小突いてきた。
「ほら、また白昼夢の世界に飛んでる」
仕方がないなぁ、といった感じの柔らかい笑顔。
そんな何気ない先生の笑顔が、どれだけあたしを幸せにしてくれるかってこと、先生には分からないんだろうな。
「ごめんなさーい」
へへ、とあたしが舌を出すと、先生がちょっと真面目な顔をして言った。
「中原はなぁ、数学的センスがないわけじゃないんだけど、集中力が欠けていることが問題なんだよなぁ」
「中原じゃなくって知佳。名前で呼んでって、いつも言ってるでしょう!」
あたしが頬を膨らませてそう言うと、先生は困った顔をする。
「そ、そんなこと言われても」
「いいじゃない。他に誰がいるってワケでもないし。それに、こういうのは慣れの問題だから、何回か言ってる内に、すぐになんとも思わなくなるわよ。ね、先生、お願い。名前で呼んで」
「……………」
「ねえ、お願いったらお願い!」
「……………」
「一度だけでもいいから。ねっ? そしたらあたし、元気いっぱい、もっと勉強がんばれるから。ねえ、先生ったらぁ」
大きな溜息を一つつくと、先生はちらりとあたしを見た。
「………知佳」
そして、ボソリとそう言ったかと思うと、途端にカーッと真っ赤になる。
「うわーん、すっごく嬉しい。先生、ありがとー!」
喜びのあまり、あたしは先生に抱きついた。
慌てふためいた先生が、ジタバタしながらさらに顔を赤くする。
「こ、こら、離れろ!!」
「いやだよーん。だってあたし、先生のことが大好きなんだからー」
両想いの熱々カップルになるまでには、まだずい分かかりそう。
でも、少しずつではあるけれど、あたしたちの心の距離は近くなっていってる。
いいんだ、それでも。
長期戦になることは、最初から分かっていたことだから。
楽しみは先の延ばした方が、それを得られる時の喜びも大きいって決まっているもんね。
時間は、まだたーっぷりある。
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