さて、翌日の放課後。
デザインのよいオシャレなローテーブルを間に挟んで、水樹、百合子、宗太郎の三人は、それぞれが向かい合うように腰を下ろしていた。場所はもちろん、水樹の部屋である。
「長い付き合いになるけど、水樹の部屋に入れてもらったのって初めてだ。うわー、なんか感激だなぁ」
緊張感の漂うその場の雰囲気にそぐわないことを言いながら、キョロキョロと嬉しそうに部屋中を見回している宗太郎を、水樹はキッとにらみながら言った。
「バカなこと言ってないで。ほら、なにか百合子に言いたいことがあるんでしょう? 言いわけでもなんでもいいから、さっさと言っちゃいなさいよ!」
「う、うん、ごめん」
水樹に促され、宗太郎はうかがうような目をして百合子を見た。宗太郎の目に映った百合子の顔は、もうわざとらしいくらいに不機嫌である。
「あ、あのさ、百合ちゃん?」
「なにっ!」
かみつくような百合子の返事に、ビクッと宗太郎が体を震わせる。
「そ、そんなに怒らないでよ。僕だって、ちゃんと反省してるんだから」
「そんなこと言って、許してあげたら、またすぐに浮気するつもりなんでしょう?!」
宗太郎は慌ててブンブン首を振る。
「そ、そんなことしないよ! それに、今回のだって、あれは浮気じゃないよ。慈善事業だよ。僕は人の命を救うためにやったんだから」
「なにが慈善事業よ。よくそんなことが言えるわね! 呆れて開いた口がふさがらないわ!」
「本当だって! 僕が愛してるのは、いつだって百合ちゃんただ一人なんだから! 本当だよ、信じてよ!」
必死で宗太郎は手を合わせる。
「百合ちゃんだけが好きなんだ。ホント、信じて!」
しばらく探るような目で宗太郎を見た後、百合子が言った。
「………本当に?」
「もちろん! 僕がこの世で、いや、この全宇宙で愛しているのはただ一人、百合ちゃんだけさ!」
「それじゃ、もう浮気は二度としない?」
「未来永劫、神様に誓ってしないよ!」
それを聞いた途端、百合子の顔がとろけたような表情になった。そして、色っぽい目をして宗太郎にすり寄る。
「んもう、宗くんたら、あんまりハラハラさせないでぇ。あたし、本当に辛かったんだからぁ」
宗太郎の胸に指でのの字を書きながら、百合子はすねたような顔をする。
そんな百合子の手を宗太郎は握り、反対の手でその肩を引き寄せた。
「ごめんよ。でも、もう二度と百合ちゃんを悲しませるようなことはしないから。約束するから。愛してるよ、百合ちゃん」
「ああん、宗くん、あたしもよ。あたしも宗くんを愛してるわ」
じ分たちだけの世界に入り、見つめ合う二人。そして、キスしようとして互いの顔をゆっくりと寄せた。
それまで二人のバカなやりとりを、青筋立てながらもガマンして傍観していた水樹は、さすがに血管をブチ切らして叫んだ。
「人の部屋でなにやってんのよ! いい加減にしてっ!」
そして、二人を力任せに引き裂く。
そんな水樹に、百合子が不満そうな目を向けた。
「もう、なによ水樹ったら。せっかくいいところなのにぃ」
「なによ、じゃないでしょう! わたしの部屋で、わたしの目の前で、あなたたちなにをするつもり?!」
「なにって………キスだけど。それがなにか?」
不思議でたまならい、といった表情の宗太郎を見て、更に怒りを増した水樹は、背中に回した後ろ手で拳を握った。そこに力を込めて、なんとか冷静になろうと試みる。
「そういうことは、二人だけの時にして。それに、百合子、あなたそれどころじゃないでしょう?! これで問題がすべて解決したわけじゃないんだから! ほら、これ!」
水樹はある物を百合子に手渡した。それを見て、百合子が髪の毛を逆立てる。
「こ、これって妊娠検査薬じゃないっ?! ど、どど、ど、どうしたの、これ? まさか、水樹が買ってきたの?!」
「ええ――――っ! 水樹、妊娠してるのかい?!」
素っとん狂な声をあげる宗太郎の足を、水樹は思いっきり踏んづけた。
「いたい!」
「きゃあ、宗くん、大丈夫?!」
足を押さえてうずくまる宗太郎に、百合子が心配そうに駆けつけた。そして、キッと水樹をにらみつける。
「ちょっと、水樹、あたしの大切な宗くんに、なんてことするのよ! 許さないわよ?!」
「それはこっちのセリフよ!」
ギン、と水樹は百合子をにらみ返した。
「言うにことかいて、わたしが妊娠ですって? 冗談じゃないわ! そんなことになるわけないでしょう!」
「そんなこと、分からないじゃないのー」
アゴと下唇を突き出して百合子が言う。
「避妊に1〇〇パーセントはないんだから。安全日だろうが、避妊具つけようが、それで絶対に妊娠しないって保証はないのよ。そんなことも知らないの?」
「バカも休み休み言って。妊娠するようなこともしていないのに、わたしが妊娠するわけないでしょう!」
水樹がそう言った途端、え、と百合子と宗太郎が目を大きく見開いた。そして、唖然とした顔で水樹を見つめる。
「………な、なによ」
急におとなしくなった二人の態度をいぶかしく思いながらも、水樹は強気に二人をにらみ続けた。そんな水樹に、百合子が言う。
「ね、ねえ、水樹? もしかして、あんたたちって………まだヤってない、の?」
「やってないって、なにを?!」
「だから……その、つまり、セックス」
「!」
さすがの水樹も顔を赤くした。
「あ、当たり前でしょ! な、なに言ってるのよ。そんなこと、するわけないでしょう?!」
「するわけないでしょ、って、普通はするでしょう。あんたたち、付き合って何ヶ月になるの?」
「四ヵ月くらいだけど……。って、そんなこと関係ないでしょう?! わたしたちはまだ高校生なのよ? そんなの……」
「普通はするって。ねえ、宗くんもそう思うでしょう?」
百合子に問いかけられて、宗太郎も大きくうなずいた。
「今時、普通だと思うけど。っていうか、正直、僕も驚いたよ。水樹たちって、まだだったんだ。ふうーん」
そう言って、水樹の頭からつま先までを意味深な目つきでなめまわす。
「なにか理由があるの? 例えば、室井が不能だとか」
「な、なな、なに言ってるのよ! 知らないわよ、そんなこと!」
水樹にしては珍しく取り乱した。
「自分たちの尺度で勝手にものをはからないでよ! 普通の高校生がそんなことするわけないでしょう! ちょっとおかしいわよ、あなたたち!!」
そんな水樹を見た百合子と宗太郎は、目を合わせ、肩をすくめてからまた水樹に視線を戻した。そして、シゲシゲと水樹の顔を見つめる。
「冗談抜きでさぁ、今時の高校生、彼氏とか彼女ができたら大抵はヤッちゃうわよ。ねえ、どうして? どうして水樹は亨くんとヤッちゃわないの? なにか理由があるの?」
そこまで言って、百合子はなにかを思いついたようにニヤリと笑った。
「あ、分かったぁ。もうしかして水樹ったら、もったいぶってるんでしょう? 出し惜しみしてさ、亨くんのことモンモンとさせて楽しんでるんだー?」
それを聞いていた宗太郎が悲壮な顔をする。
「それ本当かい? だとすると、かわいそうになぁ。室井、きっと毎日そのことばかり考えて、身もだえするような日々を送ってんだろうね。僕、初めて室井に同情するよ。はぁ〜」
「かわいそうねぇ」
百合子も同情に満ちた顔をして言った。
そして、水樹はというと。
そんな二人の会話を、なかば硬直しながら聞いていた。
な、なにを言っているんだ、コイツらは!
普通なら誰だってヤる? そんなバカなことがあるはずがない。だって、亨だって、今までそんなことを求める素振りさえも見せたことがないのだ。
この二人、やっぱりちょっと頭がイカレてるに違いない。
でも、もし彼らの言っていることが本当だったら………?
本当は亨もそういうコトをしたがっていて、それを世間知らずな自分が気付かずにいるだけだったら………?
見た目冷静、しかし、そんなことを頭の中でグルグルと考え込んでいた水樹の耳に、百合子の言葉が入ってきた。
「ねえ、水樹ぃ。いい加減にヤらせてあげなさいよ。出し惜しみもいいけど、それも度をすぎると嫌われちゃうわよ?」
き、嫌われるっ?!
そ、そんなことくらいでっ?!
指先で額を押さえて瞳を閉じ、眉間にシワを寄せて水樹は小さくうなった。
もう、なにがなんだか分からない。
水樹は不機嫌そうに軽く頭を振ると、鋭く百合子をにらんだ。
「と、とにかく、あなたは人の心配なんてしてる暇ないでしょう! ほら、さっきの検査薬、早く使ってきなさいよっ!」
「やだぁ、水樹ったら。せっかく忘れてたのに、嫌なこと思い出させないでよ〜」
百合子は口をへの字に曲げると、恨みがましい目で水樹を見た。かと思うと、急にウキウキしたような顔をして水樹をうかがい見る。
「ねえねえ。さっきの質問の続きだけど、これ、あんたが買ってきたの? 薬局で? 恥ずかしくなかった?」
「バカなこと言わないで。そんなもの、わたしが自分で買うわけないでしょう! お手伝いのサキさんに頼んで買ってきてもらったのよ。ほら、そんなことはどうでもいいから、早くトイレに行ってきなさいよ!」
水樹にピシャリと言われて、百合子は情けない顔をして首をすくめた。
「や、やっぱり嫌だなぁ、それ使うの。だって、恐いんだもの………」
「そんなことを言っている場合じゃないでしょう! ほら、早く行って!」
「だ、だってぇ〜」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
それまで、ポカンとした顔で水樹と百合子の会話を聞いていた宗太郎が、急に甲高い声を上げた。
「も、もしかして、妊娠してるかもしれないのは、百合ちゃんの方なの?! っていうか、話の流れから言うとそうなるよね。だって、水樹が妊娠するはずないんだから」
そして、宗太郎は正面から百合子の肩をガシッとつかんだ。
「百合ちゃん、本当にそうなのかい?!」
百合子は宗太郎の視線から目を反らした。そして、きまり悪そうに言った。
「………うん。もしかしたら、そうかもしれない……」
宗太郎が目を大きく見開いた。そして、そのまま硬直したように動かない。
「……………」
百合子が不安そうな顔をして、そんな宗太郎をチラリと見た。宗太郎は無言のまま固まっている。
そんな二人を、水樹も固唾を飲んで見守った。
しかし、しばらく待っても宗太郎はなにも言わない。
緊張感にたまりかねたように、百合子が上目づかいに宗太郎に声をかけた。
「………そ、宗くん?」
その声を聞いて、やっと宗太郎がパチパチと瞬きをした。
「百合ちゃんが……妊娠……」
そして、次に宗太郎がとった行動は、水樹をかなり驚かせるものだった。
「すごいよ、百合ちゃん! すごいじゃないか!! やったーっ!」
大喜びで頬を紅潮させ、大歓喜の声を上げたのである。
「素晴らしいよ! 百合ちゃんのおなかの中に、僕たちのベイビーがいるんだね?! やったー、百合ちゃん、ありがとう!! 愛してるよ、百合ちゃん!」
そして、満面の笑顔で両手を上げる。
「わあーい! よし、そうと分かったら、今度の日曜日は結納だね。パパに早く連絡して、予定を空けといてもらわなきゃ。うわー、すごいよ。信じられないよ! わーい!」
あわや、部屋の中で踊り出しそうなほどの喜びようである。
さすがにそれには、水樹のみならず、当の百合子も戸惑いを隠せないようだった。
「あ、あの……宗くん?」
バンザイしながら浮かれまくっている宗太郎に、恐る恐る百合子が声をかけた。それに気づいた宗太郎が、駆け寄ってきて百合子を抱きしめる。
「なんだい、百合ちゃん。今だったら僕、どんなお願いでもきいてあげるよ!」
「い、いや、そうじゃなくて………その、嫌じゃないの?」
百合子の質問に、宗太郎は軽く首をかしげた。
「嫌って、なにが?」
「だから、妊娠してるかもしれないこと。嫌じゃないの? 困らないの?」
宗太郎は驚いて飛び上がった。
「嫌だって? そんなことあるワケないよ! 僕はね、こう見えても子供が大好きなのさ。ああ、なんて素晴らしいんだ。僕と百合ちゃんの子供なら、きっと世界一かわいい赤ちゃんが生まれてくるに違いないね。ああ、楽しみだな。早く会いたいよ!!」
その言葉を聞いて、百合子は目を潤ませた。
「宗くん………あたし、あたし幸せだわ。世界中で一番愛してる」
「僕も百合ちゃんを愛してるよ」
そして、またキスしようとする二人を、水樹は額に青筋立てて無言で引き裂いた。
「なによー、水樹」
「そうだよ。せっかくいいトコロだったのに!」
不満たらしく文句を言う二人に、水樹はこめかみをピクピクさせながら言った。
「だから、そういうことはヨソでやってって言ってるでしょう! だいたい、まだ妊娠してるって決まったわけじゃないんだから、そこで勝手に盛り上がらないでくれる?!」
「どうしてそう水を差すようなこと言うかなあ? いいじゃないか、ちょっとぐら………」
水樹にギロリとにらまれて、言いかけていた口を宗太郎は慌てて閉じた。そして、震え上がってヒシッと百合子にしがみつく。
そんな宗太郎を百合子からひっぺがすと、水樹は百合子に言った。
「宗太郎がこんなに言ってくれてるんですもの。もう恐いなんてことはないでしょう? さっさと検査してきなさいよ」
「う、うん。でも、やっぱり………」
それでもやはり不安を隠せない百合子の言動を見て、宗太郎が明るく言った。
「そうだよ、水樹の言うとおりだよ。さあ、早く行って僕たちのベイビーの存在をあきらかにしておいで!」
百合子はそれを聞くと、決心したようにうつむいていた顔を上げた。
「わ、分かった。行ってくる」
「トイレは、ホラ、あそこだから」
部屋のドアを開けてトイレの場所を指差すと、水樹は百合子を送り出してドアをしめた。そして、自分のベッドに腰を下ろす。
「まだかなー? まだかなー?」
宗太郎は部屋の中を落ちつき無くウロウロしながらも、それでもやっぱり顔をニコニコさせて百合子の戻りを待っている。
そんな宗太郎を見ながら、水樹は心の中で思った。
驚いた。本当に驚いた。
百合子が妊娠の可能性を打ち明けた時に見せた、宗太郎のあの態度。あれには心底驚かされてしまった。
オロオロして狼狽しまくり、
「ええーっ! ウソだろぉ?! それって本当に僕の子供なのかい?!」
なんていう、最低最悪な態度をとるだろうと水樹は想像していたのだ。
それが………。
ウキウキしながら百合子の帰りを楽しみに待っている宗太郎を、水樹は生まれて初めて見直した。子供好きであることも今まで知らなかったし、宗太郎の意外な一面を見た気がした。
そう悪いヤツじゃないんだなぁ、と思ったりしてみる。
そうこうしている内に、百合子が戻ってきた。手に持っていた検査薬を、宗太郎が奪い取るように百合子から取り上げた。
「なに! どこを見れば分かるんだい?!」
「う…ん。そこの小さな小窓みたいなところ。妊娠してると、そこになにかマークが浮かび上がるんだって」
百合子が言うと、宗太郎は悲壮な叫び声を上げた。
「ないよ! なにも出てないよ―――っっ! ど、どうしよう、僕たちのベイビーが―――っ!!!!」
「もうっ、うるさいわね」
わめき立てる宗太郎の手から、水樹は検査薬を奪い取った。そして、それをローテーブルの上に置く。
「三分待たないと結果がでないのよ」
一応、水樹も検査薬の外箱に目を通している。
それを聞いてホッとした宗太郎は、即座にテーブルの側に正座した。そして、真剣な面持ちで検査薬をにらみつける。そんな宗太郎に寄り添うように百合子も座り、不安そうに検査薬を見つめた。
水樹は静かに二人の反対側に腰を下ろした。そして、複雑な心境でやっぱり検査薬を見守る。
チッチッチッチッチッ。
緊張の時間が流れる。
みんなが固唾を飲んで見守る中、百合子が急に「あっ!」と声を上げた。
「な、なに? どうしたの?! 結果が出たのかいっ?!」
毛を逆立てて絶叫する宗太郎に、百合子が首を振った。
「う、ううん。なんだか緊張して、またおトイレに行きたくなっちゃった」
そう言って立ち上がると、顔色悪く部屋から出て行った。脱力したように宗太郎は肩を落とす。
チッチッチッチッチッ。
そしてまた、時間が過ぎている。
水樹は部屋の掛け時計に目を向けた。検査を始めてから、そろそろ四分近い時間がたっている。
「もういい頃だと思うわよ?」
「う、うん」
水樹と宗太郎は、ゴクリと唾を飲み込むと、恐る恐る検査薬をのぞきこんだ。
「………あ」
「………ああっ!」
二人は同時に声を上げると、互いの顔を見合わせた。
その時、どたどたと騒がしい足音をたてて、百合子が走って戻ってきた。そして、部屋で待っていた二人に向かって言った。
「………きた」
そして、テレくさそうに笑う。
「生理、今見たらきてた。あたし、妊娠してないみたい」
そんな百合子に、水樹は検査薬を指さしながらシラけた顔で言った。
「でしょうね。こっちも陰性よ」
「うわーん、僕たちのベイビーが!」
その隣では、宗太郎が悲しみにくれた声を上げる。
なにはともあれ、これですべては一件落着である。水樹はホッと肩の力を抜いた。
そして、間をおかずにすぐさま言った。
「あなたたち、もう帰ってくれない」
百合子と宗太郎が驚いた顔をする。
「な、なによ〜、急に。もう少し三人でこの喜びを分かち合いましょうよ!」
「この悲しみをみんなで慰め合おうじゃないか!」
二人ともそれぞれに抗議の声を上げた。が、水樹がそれを受け入れるはずがない。
「すべての問題は解決したでしょう?! 仲直りはできたし、妊娠もしていなかった。これ以上、ここであたしたちが顔をつき合わせている理由なんてなにもない。さ、帰って。早く!」
そう言って、二人の背中を押して部屋から追い出そうとする水樹の手を、頬を膨らませた百合子が振り払った。
「分かったわよ、もう。そんなに押さなくても帰ればいいんでしょう、帰れば!」
百合子はそう言ったかと思うと、水樹を正面から真っ直ぐに見た。
「ありがとう、水樹」
そう言って、ペコリと頭を下げる。
「色々あったけど、あんたのお陰で助かったわ。どうもありがとう」
その隣で、長い前髪をかきあげながら宗太郎もにっこり笑う。
「百合ちゃんと仲直りできたのは、水樹のお陰だよ。僕からも礼を言うよ。ありがとう」
「……………」
水樹は一瞬言葉をつまらせると、怒った顔をしてプイとそっぽを向いた。
「ふん、もう二度とごめんですからね」
「うん、分かってる。あ、それから、もう一つ」
百合子がにやにや笑いながら言った。
「出し惜しみも、いい加減にしといた方がいいわよ。亨くん、かわいそうだし」
「そうそう。ヘタすると浮気されちゃうかもしれないからね」
宗太郎もウンウンうなずく。
その言葉に血の気の引くような思いをしながらも、水樹は必死で平静を保って怒った顔のまま言った。
「もういいから、早く帰って!」
そして、仲睦まじく腕を組んで帰っていく二人の姿を、水樹は複雑な心境で見送ったのである。
二人が帰った後、自分の部屋に戻った水樹は、両頬を押さえて放心したように呟いた。
「浮気?」
声に出してその言葉を言ってみると、背筋がゾクッとした。
百合子と宗太郎が言っていたことは、本当なのだろうか。考えずにはいられない。
本当に亨も、いわゆるソウイウコトをしたいと思っているのだろうか。そして、水樹がそれを許さないと、浮気してしまうのだろうか。
まさか亨に限ってそんなこと………とは思いながら、水樹には、自分の考えを信じきれないところもある。
水樹は世間知らずだ。最近では、水樹自身がそのことをよく自覚している。
これまで水樹は、自分と亨がセックスするなんてことを、考えてみたこともなかった。でも、もしかすると、亨はそれをよく考えているのかもしれない。考えていながら、世間知らずな水樹を気づかって、考えていないフリをしてくれているのかもしれない。
そして、いつか亨がガマンできなくなった時。
その時はどうなってしまうのだろう。
やっぱり、浮気されてしまうのだろうか。
「!」
考えただけで、息苦しくなってきた。思わず胸を押さえる。
嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ。そんなこと、許せるはずがない!
しかし、だからといって、アレをする気にもなれない。浮気をされるのが嫌だという理由で、そういうことをする気にはなれないのだ。
水樹はキッと表情を引き締めた。そして、キビキビという動作で勉強机につくと、おもむろに参考書やノートを広げて猛勉強をし始めた。
これ以上考えていると、頭がパニックを起こしてしまう。勉強に集中して忘れることにしよう。
そう思って、必死に問題集と格闘する。
一難去っては、また一難。
なかなか悩みの尽きない水樹なのであった。
前ページへ
|
「亨と水樹」目次へ
|
次ページへ