「宗くんたら、ひどいのよ〜っ!!」
泣いて騒いでいる百合子を目の前に、顔だけは冷静であったものの、田所水樹は内心すごく困っていた。
ここは田所邸の二階、南側の角にある水樹の部屋である。
「あたし、水樹の友達です。ちょっと相談事があって来ました。失礼しまーす」
なんてことを言い、オロオロするお手伝いのサキを押しのけて、放課後、百合子は水樹の家に上がり込んできた。そして、部屋に乗り込んできたかと思うと、ギャーギャー泣いて騒いでいるのである。
理由はこれ。
「宗太郎が浮気………?」
「そうなのよ、ひどいと思わない?! あたしという者がありながら、信じられないっ!」
叫ぶようにそう言ったかと思うと、キーッとくやしそうにハンカチを噛みしめながら、百合子はボロボロ泣いている。
そんな百合子に、なんと言ったらいいのか分からずに、水樹は困り果てていたのだ。
そもそも、水樹と百合子は友達でもなんでもない。どちらかと言うと、いや、ハッキリ言えば犬猿とも言える仲なのである。
容姿端麗、頭脳明瞭、さらには三代続く医者の家系に育った超金持ちお嬢様の水樹と、それにやたらと対抗意識を持って突っかかってくる勘違い女の百合子とは、二人が青桐学園中学部に入学して以来の、言わば天敵同士だった。
それがこの数ヶ月、百合子がやけに馴れ馴れしい。
朝会えば、にこやかに「おはよう」とか言ってくるし、忘れた英語の教科書を借りに来たりもする。更には今みたいに、相談事を持ちかけてきたりもする始末である。
百合子は水樹を嫌っていた。学園の女王として君臨する水樹のことを、妬み嫉み、顔を合わせれば嫌味を言い、できることなら呪い殺してやる、と言わんばかりの目でにらんでいた。
それが、一変してこの変わりよう。
最初のうちは警戒し、ずっと無視していた水樹である、しかし、それが数ヶ月も続くと、百合子に友達然としてまとわり着かれることに、いつの間にやら慣れてしまっていた。
そうは言っても、いきなり家を訪ね、許可なく部屋に上がり込んできた百合子を、水樹が許しておけるわけがない。
「帰って」
部屋に入って来た百合子を見た瞬間、微かに眉間にシワをよせ、水樹はピシャリと言った。そうしたら、百合子は崩れ落ちるように床に体をうつぶせて、いきなり泣き始めたのである。
さすがの水樹も唖然としてしまった。
しばらく無言で様子を見ていたが、一向に百合子が泣きやむ気配がない。
それで、仕方なく声をかけたのである。
「どうしたのよ?」
待ってましたと言わんばかりに、百合子がガバッと体を起こした。
「聞いてよ、水樹! 実はね、宗くんが浮気したの。浮気してるのを見ちゃったのよ〜っ!!」
涙のせいでマスカラが流れ、目の周りはもうグチャグチャ。ついでに鼻まで垂らしている百合子のその顔は、水樹の美醜感から考えると、とてもじゃないけど堪えられるものではなく、思わず水樹は目を反らした。
そんな水樹の態度にも気付かずに、百合子は泣き続ける。
(一体、なんなのよ)
どうしたらいいのか分からずに、水樹は小さく溜息をついた。
そもそも、水樹に友達はいない。これまで、そう呼べるほどの深い付き合いをしてきた相手がいないのだ。幼なじみの由紀がいると言えばいるが、彼女は水樹にとって妹のような存在で、友達同士、といった間柄ではない。
だから水樹は、今までこんなプライベートな相談をされたことなどなかったし、目の前で他人に泣き崩れられた経験もなかった。
正直言って、もうどうしたらいいのか分からない。だからと言って、このまま放っておくわけにはいかない。だって、ここは水樹の部屋なのだから。なんとかして、早く百合子を追い出したい。
「本当に浮気なの?」
取り合えず、そう訊いてみると、百合子が手に持ったハンカチで涙を拭きながら言った。
「浮気よ。だって、キスするところ見ちゃったんだもん」
「キス。………それは間違いなく浮気ね」
「でしょう?! ひどいわよね、あんまりだと思わない?!」
そしてまた、百合子はウワーンと泣き崩れるた。
水樹は少し同情を込めた目で、そんな百合子を見た。
もし、自分が百合子の立場だったら、亨が他の女の子とキスするところを見てしまったら。
そう考えるだけで、変な動悸がしてくる。胸が苦しくなってしまう。
(まったく、宗太郎ときたら、相変わらずのロクデナシね)
百合子の彼氏、山崎宗太郎のことを水樹はよく知っている。
県会議員をしている宗太郎の父親と水樹の父親が懇意にしているため、幼い頃からよく知った仲である。あわや、婚約させられそうになったくらいだ。その婚約騒動をなんとか未然に防ぎ、水樹は室井亨という、男前で、頼り甲斐があって、頭のいい、学園でも人気者の彼氏を手に入れた。
そして、そんな水樹の代わりに、宗太郎と彼氏彼女の関係になったのが百合子である。
百合子がいなければ、もうしかすると、水樹は宗太郎と婚約させられていたかもしれない。あの、ワガママで、甘ったれで、キザな鼻持ちならない女垂らしの男と。
文化祭が終わって、すでに四ヵ月が経っている。
考えてみれば、百合子が水樹に馴れ馴れしくし始めたのも、ちょうど、あの文化祭以降のことである。
百合子本人がどう思っているのかは知らないが、水樹の中ではあの時以来、ずっと百合子に借りがあるような、そんな思いがうずくまっていた。そうでなければ、高慢冷酷、学園でも氷の女王とあだ名されるこの水樹が、自分の部屋に百合子が入り込むことを許しておけるわけがない。警察呼んででも、即座に追い出しているところである。
それにしても、と水樹は思う。
よりによって、どうして自分のところに恋愛相談なんかにくるのか、と水樹は思う。人の相談に乗ってやるほど、水樹は経験豊かではない。なんといっても、生まれてこのかた恋愛なんて、一度しかしたことがないのだから。その相手が、青桐学園前生徒会長、室井亨なのである。
「取り合えず、一度ゆっくり宗太郎と話し合ってみたら?」
化粧が崩れて醜悪な顔になっている百合子に、嫌々ながら顔を向けて水樹は言った。
「話し合う?」
「そう。それで、もし宗太郎がもう百合子のことを好きじゃなのなら、もうスッパリ別れてしまえばいいじゃない」
そう固執する相手でもあるまいし、なんて水樹が思っていると、突然百合子が高笑いをし始めた。
「宗くんがあたしを好きじゃない? なにバカなこと言ってんのよ、水樹。そんなこと、あるわけないでしょう?! 彼はあたしにメロメロよ。それが証拠に、あの浮気現場を押さえた日以来、もう毎日嫌になるほど家にプレゼントが届くし、携帯電話だって鳴りっぱなしなんだから」
「そ、そうなの?」
「もちろん、あたしは無視してるけどね。もうちょっと反省させてやらなきゃ、あの浮気虫!」
さっきまで号泣がウソのように、百合子は高慢に言い放つ。
そんな百合子を見て、水樹は複雑な顔をした。
「そんなに浮気ばっかりされてるなら、どうして付き合っているのよ? さっさと別れてしまえばいいじゃない」
そう言った水樹を、百合子がすごい形相でにらみつける。
「そんなこと、できるわけないでしょう! あたしは宗くんのことが好きなんだから!」
「だったら、さっさと許してやって、仲直りすれば?」
「そんなことしたら、またすぐに浮気するのよ、あのバカ。今度という今度は、思いっきり反省させてやるんだから。しばらくは、絶対に口きいてやらない!」
無表情ながら、水樹はうーんと考え込んだ。そして、思いついた質問を百合子にしてみる。
「そんなことしたら………嫌われたり…とか、しないの? まあ、わたしはどうでもいいんだけど」
「嫌う? 宗くんがあたしを?」
百合子が片方の口端だけをつりあげて笑った。
「嫌うなら、嫌ってみろっていうの。無理無理、そんなの絶対無理だって」
自信満々な百合子の発言に、水樹は少なからず驚いた。が、それを顔に出さずに百合子をにらみつけた。
「あなた、一体なにしにきたの? 少しも悩んでなんかいないじゃない」
水樹の冷たい視線に気付いた百合子は、ピタリと笑うのをやめた。そして、少しビクついたような目で水樹見ながら言った。
「いや、その、ちょっとグチ聞いてもらいたいなぁ、なんて」
「グチ。……………このわたしが、どうしてあなたのグチを聞いてあげなくちゃならないのかしら?」
ふふふ、と微笑む水樹の顔は、口元はにこやかだが目は笑っていない。
百合子の背筋に悪寒が走る。
「ち、違うの、それだけじゃないの。実はお願いごともあって………」
「お願いごと?! ―――――なによ?」
水樹のきつい視線に萎縮して、小さくなりながら百合子は言った。
「え、ええ。今日でもう一週間くらい宗くんのこと無視してるんだけど、後一週間くらい無視したら、許してあげようと思っているわけ。その時に、二度と浮気しないって約束させたいの。その場に水樹、あんたにも同席してほしいのよ」
水樹の形の良い眉がピクリと動く。
「どうしてわたしが、そんな場に同席しなきゃならないのよ」
「宗くんってさ、水樹に一目置いてるっていうか、ビビッてるっていうか、そういうトコあるじゃない? だから、あんたの前で約束させたら、ちゃんと約束守ってくれるかなと思って」
「お断りだわ。どうしてあたしが……」
「ねえ、お願い!」
両手を合わせて百合子は頭を下げる。
「こう見えても、あたし本当に傷ついてるの。もう二度と、宗くんに浮気してほしくないの。だから、お願い!!」
水樹は天井を見上げ、大きく溜息をついた。
百合子には借りがある。
それに、浮気されて辛いというその気持ちは、なんとなくだが想像することができた。目の前で、床に頭をこすりつけている百合子を前に、水樹はもう一度、大きく溜息をついた。そして、渋々ながらも言った。
「これっきりよ」
「来てくれるの?!」
嬉しそうに百合子が顔を上げた。
「ありがとう、水樹。恩にきるわ」
借りを返すだけよ、と水樹は心の中で呟く。
そんなこと知らない百合子は、嬉しそうに笑った。
「あんたって、最近優しくなったわね。以前は考えられないくらい性格ブスだったけど。これって室井くんの影響なのかし……ら?」
と、そこまで言ったところで、百合子は水樹の顔を見た。水樹はにっこり微笑んでいる。冷たい冷たい、氷のような笑顔で。
ヤバイ、と百合子が思った時にはもう遅かった。
「用件が済んだなら帰って!」
ビシッとドアを指さし、厳しく言い放つ水樹に背を向けて、百合子は慌てて部屋を飛び出した。
「まったく、百合子のやつ」
百合子の出て行ったドアを、しばらく不機嫌そうに見ていた水樹は、邪魔者がいなくなったことにホッと安堵の息をついて、ベッドの縁に腰掛けた。
そして、なんとなく、たった今百合子が言っていたことを思い出してみる。
「浮気、ねぇ………」
あのキザで女好きの宗太郎ならば、やって当然、逆にやらない方が不自然だ、なんてことを思い、そんなことを思った自分自身に水樹は失笑した。
それにしても、と水樹は思う。
どうして百合子は、あんなにも自信満々なのだろうか。不思議に思わずにはいられない。
普通、浮気されたりしたら、もしかしたら捨てられるのでは、なんてことを考えて、不安になったり、やたらと相手に優しく媚を売ったりしてしまうものではないのだろうか。
勿論、水樹は浮気されたことがないので、あくまでも想像ではある。それにしても、百合子のあの態度は、水樹にはとても理解できないものであった。
もしも、もしも自分が亨に浮気されたら、百合子のように自信満々でいられるだろうか。
夏休みも終わり、二学期に入った頃から、水樹と亨はよく一緒に勉強するようになった。受験まで、あと数ヶ月。成績には自信があるが、しかし、そうは言っても気を抜くわけにはいかない。
「一緒の大学に行こう」
亨は笑顔でそう言ってくれた。勿論、水樹だってその気満々である。
大学に入ると同時に家を出る。それは、ずっと昔からの水樹の願いだった。その日がもうすぐ訪れようとしている。こんなに嬉しいことはない。
しかも、楽しいキャンパスライフを亨と過ごせるのならば、もう、これ以上に嬉しいことってあるだろうか。
あるはずがない。
あるはずがないのだけれど………。
水樹はホゥッと大きな溜息をついた。
実は最近、水樹にはちょっとした悩みがあった。
それは、つい先日のこと。
放課後、下校したその足で亨の家にお邪魔し、志望大学について二人で話し合った時のことである。
「水樹はどこの大学志望なんだ?」
亨にそう訊かれて、水樹はツンとすまして答えた。
「K大よ」
「へー、私立の名門だな」
感心したように亨は言うと、少し困ったような顔をした。
「俺とは違う大学だ。うーん、どうしよう」
そんな亨を、水樹はキッとにらみつける。
「言ったでしょう? あなたのために志望ランクは落とさないわよ?」
「う……ん、ま、それはいいんだけど………。そうか、K大かぁ。あの大学、確か俺の行きたい学部がないんだよなぁ」
これまで、どの学部志望なのかを話したことがない二人である。水樹はふと、問うような視線を亨に向けながら言った。
「行きたい学部って、どこなのよ」
「農学部」
それを聞いた水樹は、二・三度、驚いたように瞬きした。
「の、農学部?! どうして、また?」
「俺ん家ってさぁ、今は貸ビル業なんてやってるけど、ホラ、元は農家だろう? 兄貴二人も農家やってるし。で、昔からなんとなく思ってたんだ。農家の人たちの助けになる仕事がしたいって」
「手助けって、どういうこと?」
「農家の仕事って大変だろ? キツイし、汚いし。田舎の小さな農村なんかじゃ、跡継ぎがいなくて困ってる所がたくさんある。だからさ、俺はお年寄りでも楽に仕事ができるように、なんとかその仕組みを考えたいと思ってるんだ。バイオテクノロジーで新種の植物開発するのも一つの手だし。他にも、大学入って色々勉強したら、もっといい方法が分かるかもしれない」
真面目な顔をするでもなく、楽しそうに亨は言う。
「そういう、なんらかのいい方法が見つかれば、もしかしたら若者の農家離れも少なくなるかもしれない。とにかく、俺は将来、なにか農家のためになる仕事をしたいんだ。だから、農学部に行くつもり」
にこにこしながらそう言う亨の前で、水樹は少し顔を曇らせた。
確かに、亨の言う通りK大に農学部はない。
となると、二人は違う大学に行くことになってしまう。それだけは、水樹は嫌だった。なんとしても、亨と同じ大学に行きたい。
そのためならば、自分がランクを落とすことも仕方がないと、そう思う。
水樹は溜息をついた。そして、ちょっと怒ったような顔で亨を見る。
「あなたの行こうとしている大学、医学部はあるの?」
「医学部? もしかして水樹、医者になるつもりなのか?! へー、そうなんだ。きっと、世界一美人のお医者さんになるだろうなぁ」
楽しげに言う亨を、水樹はにらみつけた。
「そんなことは、どうでもいいのよ! 医学部はあるの、ないの?!」
イライラしたような水樹の声を気にした様子もなく、亨はちょっと考えてから言った。
「医学部かぁ、確かあったと思うけどな」
のんきに答えた亨に少しカチンときたものの、しかし、水樹はホッとした。それならば、同じ大学に行ける。
「まったく、仕方ないわね。だったら、わたしが亨に合わせるわ。それで、どこの大学に行くつもりなの? まさか、北海道とか言わないわよね。わたし、寒いのは苦手よ!」
「それなら大丈夫。場所は東京だから」
「だから、なんていう大学なの?!」
どなる水樹を前に、亨はニヤニヤしながら言ったのである。
「T大学」
それを聞いて、水樹は固まった。
「T……大学? って、あのT大?!」
「そう、あのT大」
「……………」
動揺しているのを悟られないように、水樹は平静を装って一つ咳払いをした。
「それで、受かる自信は……あるのかしら?」
「ま、それなりにはね」
そう言うと、亨は前回模試の判定表を水樹に見せた。志望大学はT大。そこには、ばっちりA判定に丸印が書かれてある。
さすがの水樹も、驚愕の目で亨を見た。
そんな水樹を見て、亨がにっこり笑う。
「さ、これで問題解決だな。二人でT大目指してがんばろう!」
「え、ええ、そうね………」
話し合いがすんだところで、二人は勉強を開始した。部屋の中央、それほど広くはないローテーブルの上に、スペースを二分して教科書やノートを広げる。
しかし、水樹としては、とても平静に勉強していられるような心境ではないかった。
T大。
T大と言えば、日本にある大学の最高峰。
亨の前では口に出せないが、現状を考えると、水樹にはT大に合格する自信は、ほとんどと言っていいほどない。
とはいえ、水樹も学校での成績はいつもトップクラスなのだ。それなりに自分の学力には自信を持っていたのである。
しかし、T大とは………。
チラリと斜め向かいに目を向けると、真剣な顔で英語の辞書をパラパラめくり、ノートに文法やなにかを書き込んでいる亨の姿が、水樹の視界に入ってきた。
つい、その姿に水樹は見とれてしまう。
今でも信じられない。自分と亨が付き合っていて、しかも、こうやって一つの部屋で仲良く勉強しているということが、水樹には夢のように思えてしまうのだ。
きりっと引き締まった精悍なその顔は、男らしくてかっこいい。大きくてがっしりとしたその体格は、程よく日焼けした肌によく合っていて、頼もしさを感じずにはいられない。前期生徒会長を務めていた統率力や指導力には目を見張るものがあるし、なにより、明るく屈託のない性格せいか、学校では超のつく人気者だ。女の子にモテることは、言うまでもない。
そんな最高の男を、自分が手に入れることができたことを喜ぶ反面、水樹はちょっと悩まずにはいられなかった。
自分は、本当に亨ふさわしいのか、と。
そういう水樹自身も、学校ではかなりの有名人である。おそらく水樹のことを知らない生徒は、青桐学園中どこを探したっていやしないだろう。
類まれなきその美貌、道を歩けば誰もが振り返らずにはいられない。金持ち学校である青桐学園においても、指折りの資産家の娘であり、更にはその性格の悪さ、冷淡で自分勝手、ワガママで根性悪なところまでが、一つの「水樹ブランド」としてみんなから受け入れられているのだ。
しかし、水樹の場合、その性格の悪さから敵もかなり多い。万人から好かれる亨と違って、水樹と他生徒との間には、いつも大きな壁が立ちふさがっている。
今日、たった今まで、水樹は亨の成績がどれくらいのものであるのかを知らなかった。噂やなにかで、かなり賢いということは知っていたけど、まさか、これほどのものとは。
かっこよくて、明るくて、頼りがいのある誰からも好かれる亨。
成績だけは、自分が勝っていると水樹は思っていた。それだけが、唯一水樹が亨に誇れるものだと、ついさっきまで思い込んでいた。
それが、大きな間違いであることが分かった。
自分には、亨に誇れるものはなにもない。いつか亨に、飽きられてしまうかもしれない。
亨は優しい。いつもありのままの水樹を受け入れてくれる。
でも、それはいつもで続く?
もしかすると、水樹の性格の悪さに嫌気がさした亨から、明日にでも別れの言葉を突きつけられるかもしれない。そうなっても、不思議はない。
今でさえ、亨が自分を選んでくれたことを、水樹は不思議に思ってしまうのだ。
自分の性格の悪さを、水樹はよく分かっている。どうして亨は、こんな自分を選んでくれたんだろう。好きになってくれたんだろう。
すべてのことで、自分を上回っている亨。
どうすればいい? どうすれば、ずっと好きでいてもらえる?
そんなことを考えている水樹の顔は、しかし、至って平静でいつもと変わりなく、悩んでいるというよりは、むしろ怒っているという表情になっている。
自分の考えていることを顔に出し、人からそれを悟られるのは嫌いだ。
だから、いつも水樹は怒っているか、無表情であることの方が多い。
そんな水樹の顔を覗き込み、亨が声をかけてきた。
「どうした、水樹? なにか考えごとか?」
「……………」
それなのに、どうしてだろう。亨はいつだって、そんな水樹の心を簡単に見透かしてしまうのだ。今みたいに、すぐに気付いて心配そうな顔を向けてくれる。
そして、水樹はというと、それを心から嬉しいと思いながら、素直に亨に甘えることもできないのだ。
「な、なんでもないわよ! あたしに悩みなんてあるワケないでしょう?!」
「………そっか、ならいいんだけど」
じっと水樹を見つめていた亨は、やがて小さく笑った。そんな亨の顔を見て、すべて見透かされているような気持ちに、水樹は心底させられてしまうのだ。
「ほ、ほら、なにやっているのよ。勉強しなさい! T大に合格するんでしょう!」
「うん。でも、まあ、パワー充電も必要だろう?」
そう言うと、亨は水樹の頬に手をあて、その唇に口付けた。水樹も目を閉じてそれに答える。
付き合い始めてから、幾度となく繰り返したきたその行為。
亨にキスされるのが、水樹は好きだった。
亨のことが、とても好きだった。
だから、絶対に捨てられたくなんてなかった。
でも、それじゃ、どうすればいい?
どうすれば、ずっと好きでいてもらえる?
T大合格に対する不安もさることながら、最近の水樹は、いつもこのことを考えて悩んでいた。
だから、とても不思議だった。
どうして百合子は、あんなに自信満々でいられるのだろう、と。
どうしたら、あんな風に自分に自信が持てるのだろう、と。
本当は、百合子なんかの相談に乗ってやっている場合ではないのだ。水樹自身が、大きな悩みを抱えているのだから。
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