優しい彼


          4


 いまだに肩で息をつく啓太を見て、かなり走り回ってあたしを探してくれたことが分かる。
 啓太は自分の前に立ちふさがった亮を見て、キョトンとした顔をしている。
 亮は背が高い。啓太もそう低いわけではないけれど、顔も雰囲気も年齢より大人っぽい亮と並ぶと、あたしには啓太のほうが年下に見えた。
「おまえ、真由さんのこと泣かしておきながら、よく俺の前に顔を出せたな!」
 そう言って亮にすごまれて、啓太は戸惑った顔をしている。
「あ、あの……?」
 そんな啓太のおどおどした態度を見て、亮はさらにイライラを増したみたい。
「だいたい、おまえは真由さんと別れるんだろう?! だったら、さっさとどっかに行っちまえ、目障りだ!」
 あたしはハラハラしながら、ことの展開を見守ることしかできなかった。
 啓太、どうするつもりだろう?
 きっと、啓太の性格だったら、このまま帰っちゃうよね………。
 陽はどんどん暮れてきて、辺りはもうずいぶん薄暗くなった。さっきまで公園で遊んでいた子供たちの姿も、もうほとんど見ることができない。
「おい、なんとか言ったらどうなんだよ!」
 かなりの怒り声でそう言った亮に、ボソリと呟くように啓太が言った。
「おまえには関係ない」
「は?!」
 殺気立った亮が、一歩啓太に近づいた。
 でも、啓太はキッと亮をにらみつけて、もう一度、今度はハッキリと言った。
「おまえには関係ない。俺は真由に話しがあるんだ」
 驚いた。
 正直、あたしは本当に驚いた。だって、啓太にこんな根性があるなんて、思ってもいなかったら。てっきり、すごすごと尻尾を巻いて逃げ出すのだろうと思ってたから。
 初めて見る啓太の凛とした顔。優しくておとなしくて、どちらかと言えば頼りなく見えるいつもの啓太からは、想像もできないほど男らしい顔。
 そんな啓太にあたしがビックリして目を奪われていると、亮が指をポキポキならしながら言った。
「俺は暴力は好きじゃないけど、口で言って分からないなら、仕方ないよな」
「り、亮……」
 あたしはゾクッとした。だって、どう見ても、啓太が亮にかなうわけがない。体格差がありすぎるし、きっと啓太は今まで人と殴りあったことなんてないに違いない。
 だけど啓太は、亮の言っていることを気にもとめずにまっすぐ歩いてくる。亮の後ろにいるあたしに向かって、まっすぐに歩いてくる。
 あたし、どうしたらいいの?
 ケンカなんて、してほしくない。ましてや、殴り合いなんて。そして、それは多分一方的なものになる。  やめて、って亮に言いたい。でも、できない。
 だって、亮が今しようとしていることは、全部あたしを思ってのことだから。あたしの話を聞いてくれて、だからこそ、あたしがこれ以上辛い思いをしなくていいように、啓太をあたしに近づけないようにしてくれている。
 それが分かっているから………。
 啓太のこと、殴ってほしくなんかない。さっき決定的に啓太にはフラれてしまったけど、でもやっぱりあたしは啓太のことが好きだから。
 でも、だからこそ、あたしは今、亮をとめないほうがいいのかもしれない。自分の気持ちに区切りをつけるために。
 あたしがそんなことをオロオロ考えていると、亮の腕が素早く動いた。と、ほとんど同時に、啓太の体が後ろに吹っ飛ぶ。
「ああ!」
 あたしは目を見開き、口を両手でおさえた。
「ほら、分かっただろう。俺は本気だ。さっさと帰れよ」
 嫌なものを見るような目で、亮は地面に転がっている啓太を見下ろしている。
 啓太はヨロヨロと体を起こすと、制服の袖で口元を拭った。そこについた赤いシミを見て、あたしは啓太が怪我をしたことが分かった。
 あたしの胸がズキンと痛む。
 啓太、もう帰って。
 あたしは心の中で祈るように思った。
 でも啓太は、立ち上がるとまた亮の前にやってきた。そして言う。
「どいてくれよ。俺だって本気だ」
「なんだと!」
 亮の拳が、また啓太の顔を打った。啓太の体が、また無残に転がる。
 そして、また立ち上がると、啓太は亮の前に立った。情け容赦なく、亮が啓太のおなかに蹴りをいれる。
 だんだん啓太の顔や体がボロボロになっていく。でも、どんなに殴られても、啓太は立ち上がってくる。そしてまた殴られる。
 どうして?
 どうして立ち上がってくるの? もういいよ、啓太。だって、啓太はあたしのことなんて好きじゃないんでしょう?
 もう、見ていられない。ふと見上げると、亮も苛立ちの中に、困ったような、でも今やめるわけにはいかない、というような複雑な気持ちを持っていることが、あたしには分かった。
 顔は殴られて、もう血だらけで見るも無残な啓太。歩くのだって辛そうなのに、それでも啓太はまた亮の前に立つ。
「ど……どいて…くれ。俺は真由に………話しがあるんだから」
「もう、いいかげんにしろよ!」
 そう言って、啓太の胸ぐらをつかんだ亮の、振り上げた右腕にあたしはしがみついた。
「も、もうやめて、亮。お願いっ!!」
「真由さん。だってコイツ……」
「お願い、だって、あたしはやっぱり啓太が好きなんだもの!」
「……………」
 亮は啓太をつかんでいた手を離した。その途端、啓太の体が地面へと崩れ落ちる。あたしは急いで啓太に駆け寄った。
「啓太、啓太、大丈夫?! ごめんね……ごめんね」
 あたしが啓太を抱きかかえると、啓太は切れた唇を痛そうに動かした。
「俺………情けないね…」
「そんなことない。そんなことないよ! 啓太、すごくがんばってた。すごくがんばってたよ!」
「違うよ…そうじゃなくて」
「え?」
「俺、真由のこと泣かせちゃったんだろ? ごめんな、俺あいつに言われるまで気づかなかったよ。ホント、俺って情けないよな……」
 思いもよらなかったことを言われて、あたしの胸は痛くなった。
「ちがうよ、啓太が悪かったんじゃない。あたしが全部いけなかったの」
 啓太はなんとか自分の力で体を起こし、地面におしりをつけて座った。そして、痛そうに顔をしかめる。
「それにしても、痛かったな」
 そう言って左頬をさする啓太を見て、あたしはまた申しわけない気持ちでいっぱいになった。
「ホントにごめんね。何度も殴られちゃったもんね。亮は体が大きいから力も強くて…」
「違うよ」
 啓太はくすりと笑った。
「また違う。痛かったって言ったのは、真由に殴られたことだよ」
「あ」
 そうだ、そうだった。さっきあたしは啓太のことを引っ叩いちゃったんだ。
 あたしが赤くなっていると、啓太が言った。
「どうして俺のこと殴ったの?」
「そ、それは………」
 どうしてあの時啓太を殴ったのか、あたしにもよく分からない。ただ、すごく辛かった。啓太に付き合うのやめたほうがいいって言われて、辛くて、悲しくて、それで………。
 そう、あたしは腹立たしかった。だから殴ったんだ。あたしがこんなに啓太が好きなのに、その気持ちを分かってくれない啓太に腹を立てたんだ。だから殴ったんだ。
 でも、今になって冷静になって考えると、それってかなりの自分勝手。自分の好きな人に、自分が思っているのと同じくらいに好きになってもらわなきゃ嫌だなんて、自己中心的にもほどがある。嫌われる女の代表みたいなもんだ。
 自己嫌悪に陥ったあたしがうつむいていると、啓太が言った。
「言ってくれよ。俺、真由のことならなんでも知りたいんだ」
 じっと見つめられて、真面目な顔でそんなことを言われると、あたしはますます辛くなる。
 啓太は優しい。誰にでも優しい。あたしが舞い上がるような嬉しいことを言ってくれても、それは啓太の優しさから出た言葉であって、あたしのことが好きだから言ってくれたわけじゃない。
 前はそれが分からなかった。でも、今はそれが分かる。
 あたしは啓太に似合わない。きっと、多分、別れたほうがいいんだ。
 あたしはぎゅっと手を握り締めた。そして、辛い気持ちを必死に隠して、笑顔で言った。
「もういいよ、啓太。ごめんね、色々と迷惑かけて。啓太が言ったとおり、やっぱりあたしたちは別れたほうがいいみたい」
 あたしは自分の声が震えているのが分かった。ガマンしようと思っているのに、どうしても涙が目からにじんでしまう。
 そんなあたしを見て、啓太が大きく息を吐いた。
「またガマンしてるね、真由」
「そんな、ガマンなんて」
「俺といると、真由はいつもガマンばかりしてる。だから俺、真由のことが好きだけど別れようと思ったんだ」
「え? それ、どういう…」
「言ったろ? 真由は俺といると楽しくなさそうだって。俺、真由にはいつも明るく元気で楽しそうにしていてほしいんだ。だって、そういう真由に、俺はずっと憧れてたんだから」
「憧れてた? あたしに?!」
 あたしはビックリして、目を大きく見開いた。驚きのあまり、涙もとまる。
 啓太は恥ずかしそうに、コクンとうなずいた。
「俺、自分がこんなだろう? だから、いつも元気で楽しそうな真由に、ずっと憧れてたんだ。だから、付き合ってって真由から言われた時は、もう本当に驚いたよ。嬉しいやら信じられないやら。でも、俺なんかと付き合って、真由を退屈させないかなって、かなり不安だった」
 啓太はそこで一息ついた。
 あたしは黙って啓太が話し出すのを待っていた。早く、早くその続きが聞きたくてたまらない。
「でさ、実際に付き合ってみると、やっぱり真由の様子がおかしい。退屈しているようには見えなかったよ。でも、なんだか自分を抑えているような、そんな気がして」
「そんなことない!」
 あたしは慌てて言った。
「あたし、そんな自分を抑えてなんか…」
「いや、抑えてたよ。無意識かもしれないけどね。きっと、地味な俺に合わせてくれようとしたんだろうなぁ」
 ちがう、そうじゃないと思いながら、あたしはこれまでの、啓太と付き合った2ヶ月間のことを思い出していた。
 確かにあたしは啓太といると無口になった。でも、それは無理していたわけじゃない。啓太といると、ただそれだけで幸せだった。話しなんかしなくても、ただ一緒にいるだけで………でも、だったらどうして、ここしばらくあたしはイライラしていたんだろう? 啓太と付き合って、幸せで、嬉しくて、でもあたしはイライラしてた。
 もしかすると、自分でも気づかずにあたしはガマンしていたの? 啓太に似合う彼女になるために、自分を抑えていたの? それでストレスがたまってイライラしてたの?
 啓太を殴ったのも、そのせい? あたしがこんなにガマンしているのに、なのに別れたほうがいいなんて言われたことに対する憤り?!
「俺、もうずっと長いこと真由のこと見てたから、だから分かるんだ」
「啓太………」
「俺のために真由がガマンなんかすることない。真由にはいつも、自分らしく自然体でいてほしいから。そんな真由を俺は好きになったんだから」
 あたしは制服の上から自分の胸をおさえた。胸がジーンとするって、こういうことなんだと思いながら。
 自分でも気づかなかったあたしのストレス。それに啓太は気づいてくれた。それほどまでに、あたしのことを見ていてくれた。
 それが分かったから、あたしはもう、嬉しくて嬉しくて、たまらなくて、ガマンできなくて……。
 気づいたら、あたしは啓太にキスしていた。
「まっ、真由っ?!」
 驚いて口をパクパクさせる啓太に、あたしは言った。
「だって、啓太言ったじゃない。ガマンしないで自然体でいてほしいって。あたしは啓太のことが大好き。だから、キスしたかったの」
「で、でも、だからって急に…。それに、キスって男からするもんだろ?」
「だって、啓太がキスしてくれるのを待ってたら、いつになるか分からないもん」
「そ、それはそうかもしれないけど」
 どうにも納得できないような顔した啓太を見て笑ってから、あたしは言った。
「さ、帰ろう。もうこんなに暗くなっちゃって」
 太陽はすっかり沈み、空には明るい星がチラチラ見え始めている。
「啓太、起き上がれる?」
「多分」
 ヨロヨロと、痛そうに顔をしかめながら、啓太はなんとか立ち上がった。
「もう少し、体を鍛えたほうがよさそうだ」
「いいんじゃない、無理しなくても」
「でも、なにかあった時に真由のことを守りたいから」
 またそんなこと言って、啓太はあたしを喜ばせる。
「ありがと。でもその前に、あたしは啓太に手をつないでもらいたい」
 そう言うと、啓太は赤くなりながらもおずおずと手を伸ばしてきた。そして、柔らかくあたしの手を握る。そこから伝わる啓太の体温。
「じゃ、帰ろうか。家まで送ってくよ」
「うん」
 あたしたちは歩き出した。
 付き合って2ヵ月。あたしたちは今日初めて手をつないだ。
 今日のことは、あたしにとって、きっと忘れられない思い出になる。何年先になっても、きっと心に残る大切な思い出になる。
 そんなことを思いながら、あたしはふと亮のことを思い出した。
 いつの間にか、亮は公園から姿を消していた。きっと、あたしたちのことを気づかってくれたんだと思う。
 本当にありがとう。ある意味、あたしたちが分かり合えたのは亮のおかげ。
 いつか亮にも素敵な彼女ができますように、と、つないだ右手に啓太の温もりを感じながらあたしは思った。


     おわり



前ページへ 現代小説目次へ