優しい彼


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 交際は、あたしが告白したことで始まった。
 自分で言うのもなんだけど、あたしは顔には自信がある。頭も悪くないし社交性もバツグンだから、友達も多いし、当然のことのように男の子にもモテる。
 それと比べると、啓太はクラスでも全然目立たないおとなしめの男の子で、顔もパッとしなければ、他にも人と比べて秀でているところなんて一つもない。クラス替えをした途端、元クラスメートたちに一番に忘れられてしまうような、そんなタイプだ。
「ねえ、真由? どうしてあんたが石川と付き合ってるのか、あたしには全く分からないんだけど」
 親友の直子はいつも不思議そうに首を傾げるし、他の友達だって同じように言う。
「いいじゃない。ほっといてよ」
 それに対し、あたしはいつもぶっきら棒にそう答えるのだ。
 啓太とは、中学三年生になった今年の春、初めて同じクラスになった。
 それまで啓太のことなんて知らなかったし、同じクラスになってからも、顔と名前が一致しない級友の内の一人、でも確かに同じクラスにはいたな、ってくらいの認識しかなかった。
 あたしにはクラス内外にたくさん友達がいたし、内気でおとなしく、話したこともない男の子のことを気にとめる必要なんて、まったくなかったからだ。
 そう、あの雨の日の放課後、家に帰る途中の道端であいつに会うまではーーー。



 その日は朝からずっと雨が降っていた。
 春といえば、一年の中であたしが一番好きな季節である。暗かった冬が終わり、少しずつ暖かくなってくる。色とりどりの花が咲き始め、なんだか世界が輝いて見える。
「でも、よく雨が降るのよね、強い風だって吹くし。お天気のいい日のほうが少ないんじゃないかしら」
 学校の授業が終わると、あたしはブツブツ言いながら家への道を急いだ。
 いつもなら一緒に帰るはず直子は、委員会があるせいで学校に居残っていて、今日は一人で帰らなければならない。
 春とは言っても、まだまだ寒い。雨が降ったりなんかすれば、なおさらだ。
 なんだか気分まで暗くなってきて、あたしは大きくため息をついた。
 その時、どこかからか小さい女の子の泣き声が聞こえてきて、あたしは歩いていた足をとめた。辺りを見回してみたけれど、女の子の姿は見えない。
 なんとなく放っておけなくて、泣き声を頼りにあたしは女の子を捜すことにした。
「どこにいるんだろう? こっちかな?」
 道の四つ角で立ち止まり、あたしはキョロキョロと四方を見回した。
「………あ、いた!」
 道の真ん中、幼稚園児くらいの小さな女の子が、傘もささずにズブヌレになりながら泣いている。
 あのままじゃ風邪をひいてしまう。
 あたしは慌てて女の子に駆け寄ろうとした。
 ところが、そんなあたしより一瞬早く女の子の元に駆けつけた人がいたのだ。
 制服を見るかぎり、あたしと同じ学校の男の子。その男の子が女の子を自分の傘に入れたのを見て、あたしは足をとめた。その男の子は、自分が濡れるのもかまわずに、地面に膝をついた。そして、同じ目線になって女の子に話しかけている。
 あたしはホッと安堵の息をついた。
「あの男の子に任せといて、大丈夫よね?」
 そう呟くと、向きを変えて来た道を戻ろうとして、やっぱり足をとめた。
 あいつがロリコン趣味の変態野郎だったらどうしよう? 最近はそういうアブナイ男が多いって聞くし。
 う〜ん、やっぱり放ってはおけない。
 あたしは二人の所に、様子を見ながらゆっくりと歩いていった。
 近づくにつれて、少しずつ二人の会話が耳に入ってくる。
「ふーん、それで転んじゃったの?」
「う、うん。それでね、傘を離しちゃって、ふ、えぐっ、えぐっ」
「それを走って来た車に傘をひかれちゃったんだ?」
「買ってもらったばっかりだったのに……ママに大切にしなさいって、言われたのに………うえ〜ん」
 女の子はまた大声で泣き始めた。
 それを困ったように、でも優しい目で見つめる男の子。
 二人から4メートルくらいの距離まで近づいたあたしは、その相手の男の子を見て、あっと驚いた。
 確かあれは、同じクラスの………えーっと、誰だっけ? 石川啓太? あれ、石本啓太だったかな?
 とにかく啓太であることだけはまちがいない。
 あたしは思い切って声をかけてみることにした。
「啓太くん?」
 あたしの声を聞いて、その石川だか石本だか分からない啓太くんが振り向いた。
「あれ? 笹山さん?」
 どうやら向こうはあたしの名前をちゃんと覚えているらしい。
 ふと見ると、女の子のほうに傘を傾けているせいで、啓太くんの肩は雨にさらされてビショヌレになっている。あたしは何気なく、そんな啓太くんの肩の上に自分の傘を傾けた。
「どうしたの?」
「うん、それが……」
 啓太くんはしどろもどろに、女の子から聞いた事情をあたしに話してくれた。
 買ってもらったばかりの傘が嬉しくて、母親がとめるのも聞かずに雨の日に散歩に出たこと。はしゃいでいるうちに転んでしまい、傘から手を離してしまったこと。その傘を走ってきた車がひいていき、しかもそのまま走り去ったこと。傘を壊したことが母親にバレたら怒られるから、だから家には帰れずにここで泣いていたこと。
「そういうことだったの」
 事情を聞いて、あたしは持て余すように女の子を見た。
 気持ちは分かる。母親に怒られるのは嫌にちがいない。
 でも、仕方ないじゃない。自分が悪いんだから。こうなったら早く家に帰って、素直に母親に叱られるしかないじゃないの。
 あたしは腰をかがめて女の子の顔をのぞきこんだ。
「ねえ、名前なんて言うの?」
「リカ」
 女の子はポロポロと涙をこぼしながら言う。
「ねえ、リカちゃん。もうオウチに帰ろう?」
「やだ」
「お母さんだって、きっと心配してるよ?」
「やだっ」
 泣きながらも、リカちゃんはガンコに言う。
 あたしは段々腹が立ってきた。
「でもさー、しかたないじゃない。お母さんだって、怒らないかもしれないよ? ね、帰ろう? 家まで送っていってあげるから」
「いやだーっ! うわ〜ん」
 耳をふさぎたくなるような大声で、リカちゃんはまた泣き始めた。
 なんてガンコなの!
 これだから小さい子供は好きじゃない。ワガママで自分勝手で、周りの迷惑なんて少しも考えられないんだから。
 正直、あたしはかなり腹を煮えたぎらせていた。
 もしかすると、もし自分一人だったら、さっさとリカちゃんを放り出して家に帰ってしまっていたかもしれない。
「そんなこと言ったって、それじゃどうするのよ?」
「ちょっと待って」
 それまであたしとリカちゃんのやり取りを黙って聞いていた啓太くんが、初めて口を開いた。
「ねえ、リカちゃん?」
 優しく思いやりにあふれた声で、啓太くんはリカちゃんに話しかけた。
 チラリとリカちゃんが上目使いに啓太くんを見る。
「その傘、どこで買ってもらったか覚えているかな?」
「駅前のデパート」
 リカちゃんは即答した。
 啓太くんはにっこり笑う。
「よし、それじゃ今から駅前のデパートに行って、リカちゃんのと同じ傘を捜そう。同じ物が見つかったら、俺が買ってあげるよ。そうしたら、もうママに怒られずにすむだろう?」
「ホント?」
 リカちゃんの顔がパアッと輝いた。あたしの顔は驚きで目が点になる。
「本当だよ。だってリカちゃんは、もうちゃんと反省したもんね。さあ、それじゃ遅くならない内に、早くデパートへ行こう」
「うん、お兄ちゃんありがとう!」
 さっきまで泣いていたのが嘘のように、リカちゃんは明るい笑顔を見せた。
 そんなリカちゃんと手をつなぐと、啓太くんは、いまだに目を点にしているあたしを振り返った。
「笹山さんはもういいよ。俺、責任を持ってリカちゃんを家に送っていくから、安心して」
 いかにも人の良さそうな顔で、啓太くんはあたしに言う。
 呆然としていたあたしは、ハッとして首を振った。
「あ、あたしも行く」
 乗りかかった船だ。啓太くんが変態ロリコン野郎だとは思わないけど、ここで二人を放り出して家に帰るなんて、できるわけがない。
「気を使ってくれなくてもいいのに」
 申しわけなさそうに言う啓太くんに、あたしは再度首をぶんぶん振ってみせた。
「ちがうの。気を使っているとか、そういうんじゃないの。こういうこと、途中で放りだせない性格なだけ。さ、行きましょう!」
 あたしはリカちゃんの空いているほうの手を取ると、駅前に向かって歩き出した。
 歩きながら、リカちゃんを見るフリをして、啓太くんを何度も盗み見た。
 珍しいくらいに親切な人だ、なんて心の中で思ったりする。そして、幼い子供相手に本気で腹を立て、見捨てて立ち去ってしまいたいと思った自分自身を恥ずかしいと思った。



 結局その後、リカちゃんが持っていた物と同じ傘がみつかり、啓太くんは約束とおりリカちゃんにそれを買ってあげた。
 あたしも半分お金を払うと言ったけど、自分が言い出したことだから、と言って啓太くんは受け取ってくれなかった。
 あの時の、リカちゃんの嬉しそうな顔を、あたしは忘れられない。そして、そんなリカちゃんを優しい笑顔で見つめる啓太くんの顔も………。
 その日以来、あたしは啓太くんのことが気になるようになった。
 啓太くんの苗字が石川であることも、翌日すぐに頭にインプットした。
 それまでは、いてもいなくても関係なかった彼。
 地味でおとなしくて、クラスの中ではまったく存在感のなかった彼。
 でも、よく見ていると、彼の行動の端々からその優しさが伝わってくる。
 重い荷物を持っている用務員のおじさんを、頼まれてもいないのに手伝う姿を見た。
 教室中に紛れ込んできたチョウチョを、傷つけないように捕まえて、外に逃がしてやるのも見た。
 気がつくと、あたしの目はいつも啓太くんを追うようになっていた。
 初恋なんて、幼稚園の頃にとっくにすませているあたしである。自分が啓太くんに恋していることに気づくのに、あまり時間はかからなかった。
 だから、告白したのである。
「好きなの。あたしと付き合ってくれない?」
 そう言った時、信じられないといった感じで、啓太くんは真っ赤になって飛び上がった。
 その素直で純粋な反応のすべてが、あたしにとって好ましい。
「なんで俺?! 俺なんかでいいのかな……」
 告白した時、最初は躊躇していたけれど、あたしの強引な押しによって、なんとか啓太くんに「うん」と言わせることができた。


 そうして、あたしたちの交際は始まったのである。
 あたしは彼を「啓太」と呼ぶようになり、啓太にもあたしのことを「真由」と呼んでもらうことにした。
 大好きな大好きな優しい啓太。
 でも、近頃あたしは、すっきりしない気分をかかえて、いらいらしてばかりいる。


     つづく


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