今日の俺は、朝からずっとソワソワしっぱなしだ。いや、正確に言うと、昨日の夕方頃からだ。
だって、今日はマドカが俺の家にやって来るからだ。こんな嬉しいことってあるだろうか?!
勿論、これは付き合いだしてから初めてのこと。
あと三日で夏休みも終わる。昨日の練習で野球部の練習は終了し、今日からはがんばって宿題と格闘しなければならない。
とは言っても、俺はすでに、宿題をほぼ全部終わらせている。マドカは俺の頭に脳みそが入ってないと思っているようだけど、こう見えて、俺はけっこう賢い方だ。それに、マメなタイプでもあるので、毎日欠かさず宿題に取り組んできた。
そして、俺の愛するマドカはと言うと、俺の予想通り、そのほとんどが手付かずになっているらしい。
昨日の夕方、俺はマドカの携帯に電話した。
「なあ、マドカ、夏休みの宿題、また一緒にしない?」
にこやかに言った俺に、電話の向こうからマドカが怒鳴りつけてきた。
「またそんなこと言って! あたしだって、まだ全然宿題終わってないんだから! ツヨシに写させてあげる余裕なんて、これっぽっちもないの、これっぽっちも!」
はいはい、分かってますよ、そんなこと。
「う、うん。だからさ、写させてくれなくてもいいから、一緒にやろう? 一人でやるより、二人でやる方が心強いだろ?」
「ツヨシと二人で勉強したところで、なんの得があるっていうのよ?! どうせ、あたしの邪魔するだけでしょう!」
愛する者から言われたこの言葉が、グサリと俺の胸に突き刺さる。
いいじゃないか、得なんてなくても。彼氏の俺と一緒にいられることを、幸せとは思えないのかよ、マドカ。
しかし、ここで引くつもりは俺にはない。
「俺、宿題ほとんど終わってるよ。よかったら、写させてあげようか?」
高慢な感じがしないように、できるだけソフトな口調で俺は言う。
すると、それを聞いたマドカが言った。
「ツヨシの宿題写させてもらっても、どうせ全部間違ってるんでしょう? 先生からバカだと思われるのは嫌よ! あーあ、こんなことなら矢田くんに写させてもらっておけばよかったぁ。矢田くん、二日前から放浪の旅に出かけちゃって、今いないんだよねー」
放浪の旅?
ついその話をつっこんで聞きたくなったが、かろうじて俺はガマンした。今は矢田のことなんて話している場合じゃない。
「なあ、一緒にやろうぜ? 俺の家、共働きだから昼間は誰もいないし、落ちついて勉強できると思うんだ」
「うーん、そうねぇ……でもぉ」
「チロルチョコたくさん用意しておくから」
「なら行く」
あれだけ渋っていたマドカの即答。ははは、俺ってやっぱりチロルチョコに負けているらしい。
その後、軽く一時間ほど俺は落ち込んだ。
しかし、まあ、そんなわけで、マドカがやって来ることになった。
俺は家中を掃除してピカピカにした。ジュースやお菓子も用意した。チロルチョコなんて、近所にあるコンビニやらスーパーやらの、棚に並んでいたものすべて買い占めた。
これで準備は万端だ!
時計を見ると、すでに午後の一時。マドカが来るのは一時半の予定。
わくわく、そわそわ。もう、じっとしてなんていられない。
顔をニヤケさせながら家の中をうろうろしている俺に、誰かが後ろから声をかけてきた。
「なーに、ツヨシ。誰かお客さんでも来るのぉ?」
一瞬にして俺はその場に凍りつく。
振り返るのが恐い。こ、この声は………。
嫌な汗を額からにじませながら、俺は恐る恐る振り返った。
「ねえ、なにをソワソワしてるのよぉ?」
「………あ、おはよう、姉貴。い、いたんだ?」
そこには、いかにも今起きました、という姿の姉貴が立っていた。上半身はノーブラのキャミソール、下半身はパンツだけという、相変わらすの破廉恥姿だ。
しかも、自慢にしているロングヘアは、寝癖がついてモシャモシャのグチャグチャ。みっともないこと極まりない。外国映画でよく見る寝起きの売春婦みたいだ。
「う、うん、実は、今から夏休みの宿題しに、友達が来る予定なんだ、はは」
「へー、そうなんだ」
オウマイガーッ! こいつの存在をすっかり忘れていた。
彼氏であるシュウちゃんが社会人だから、姉貴は金に困っていないらしい。それで、この夏休み中はバイトもせずに、ずっと家でゴロゴロと自堕落な生活を送っていたのだ。
俺は野球の練習で日中ずっといなかったから、姉貴と顔を合わせるのは朝か夕方以降くらい。マドカが家に来ることで浮かれまくっていた俺は、だから、すっかり姉貴のことを忘れてしまっていた。
ど、どうしよう………。
こんなヤツに家にいられては、俺とマドカの楽しいお勉強タイムは、台無しにされること間違いない! なんとかして追い出さなければ!
いや、せめてもうちょっとだけでも、マトモなカッコウをしてもらいたい。
そんなことを俺が考えていると、姉貴が言った。
「ツヨシの友達が家に来るなんて、珍しいわね。男の子?」
こんなことでウソをついても、すぐにバレるだけだ。だから、俺は素直に言った。
「いや、女の子だよ」
「それって、ツヨシがいつも自慢してる、美少女のマドカちゃん?」
ニヤニヤしながらそう言う姉貴。
自慢だと? 俺のことをつるし上げ、脅しながら洗いざらい白状させたくせに!
ま、確かに俺はマドカを自慢に思っているけどね。ああ、愛しのマドカ………なんて、今はノロケてる場合じゃない。
迷った末、俺は姉貴に言った。
「なあ、姉貴。ちょっと家を空けてくれないか。頼む、この通り!」
「あら、あたしを家から追い出して、かわいい彼女にナニするつもりぃ?」
いやらしい顔してそういう姉貴。ぶっ飛ばしたくなる。返り討ちに合うのがオチだから、そんなことはしないけど。
「勉強するだけだよ。ホラ、もう少しで夏休み終わるから、宿題を一緒にするだけ」
「またまた、そんなこと言っちゃって。このムッツリスケベ!」
そう言って、姉貴は俺の頬に張り手をかます。
姉貴、大学なんてやめて女子プロレスラーになれよ。
「いや、だから、本当に違うんだって。とにかく、なぁ、姉貴、頼むよ!」
俺が必死になって頭を下げると、そんな俺を見ながら姉貴が口をへの字に曲げた。ヤバイ、機嫌が悪くなってきたらしい。
「あのさ、ツヨシ?」
張り手の衝撃で床に転がる俺を、高い位置から見下ろしながら姉貴が言った。
「本当は彼女なんていないんじゃないの?」
突然そんなこと言われて、俺はキョトンとしてしまう。
「は? いや、いるよ。だから、もうすぐここに来るんだって……」
「見栄張ってるだけなんじゃない? でなきゃ、彼女が家に来るってのになにもする気がなになんて、そんなバカなこと言うわけないもの。あんた本当は彼女なんていないんでしょう?」
「ち、違うよ。本当にいるんだって」
「おかしいと思ってたのよねl。彼女ができて何ヶ月も経つのに、いまだに童貞なんて。ほら、今なら許してあげるから、本当のこと言ってごらん」
「そうじゃないって。マドカ、本当にもうすぐここに来るんだよ」
「童貞って悲しいわね、ツヨシ。そんな見栄まで張らなきゃならないなんて」
姉貴はそう言って、ゆっくり首を振ると、哀れむような目で俺を見た。
だから、人の話を聞けよ、姉貴!
ああ、そんなことをしている間に、もう一時二十五分だ。もう、マドカがいつ着いてもおかしくない。
あせった俺は、取りあえずこの破廉恥姿の姉をリビングから追い出し、自分の部屋に戻ってもらおうとした。で、姉貴の右手を引っ張ってリビングのドアを出た。
「ち、ちょっとぉ、なにすんのよぉ!」
「いいから、とにかく部屋に戻って着替えてくれよ。姉貴だって、そんな姿を他人に見られたくないだろ?!」
「まだそんなこと言ってんの? もうウソつくのはいい加減にしなさ………あたた、そんなに強く引っ張らないでよっ、痛い! ――――もう、頭にきた!」
「うがっ!」
突然、姉貴が俺につかみ掛かったかと思うと、足を払って俺を転倒させた。両腕を持ち、マタに俺の顔をはさむと、ふくらはぎで首を締め上げにかかる。
俺は野球部だ。それなりに体も鍛えている。しかし、柔道と空手で黒帯持ってる、この怪物姉貴にかなうわけがない。
意識を失いそうになりながらもジダバタする俺。
た、助けて、俺、死んじゃうかもしれない。
薄れゆく俺の意識の中に、愛するマドカの輝く笑顔が浮かんできた。だ、だめだ、ここで死ぬわけにはいかない。マドカが来るんだ。
それに、こんなパンツ一枚の女のマタに、顔を挟まれたような恥ずかしい姿でだけは死にたくない!
俺はこん身の力を込めて、姉貴の足を振りほどいた。その勢いで、俺の顔が姉貴のキャミソールの中にすべりこむ。俺の目の前にはふたつの柔らかい膨らみが!
その時、玄関のドアが開いた。
「すみません、わざわざ送ってもらって」
マドカの声。
「いや、初めて来る所なら迷っても仕方ないよ。ほら、ここがツヨシの家だよ。おーい、ツヨシ、お待ちかねのマドカちゃんが来た…………ぞ? あれ?」
んで、こっちがシュウちゃんの声だ。
「お、おまえらなにやってんだよ?!」
俺は慌てて姉貴のキャミソールの中から顔を出した。
「い、いや、違うんだよ、シュウちゃん。これにはワケがあるんだ?!」
「ツヨシ、おまえいつから俺の恋のライバルになったんだ? 童貞だからって、やっていいことと悪いことがあるだろう? アキコ、本当のことを言ってくれ!」
「嫌がるあたしにツヨシが無理矢理………」
涙を流し、女優ばりの演技をみせる姉貴。って、おい、違うだろ?!
シュウちゃんを見ると、口元が微かに笑っている。分かってるんだ。姉貴の遊び心に気付いていて、一緒になって俺を陥れようとしてるんだ!
ハッとして、俺はマドカを見た。
俺と視線が合った途端、マドカはニッコリと笑う。
「お取り込み中みたいだから、あたしはこれで」
そして、笑顔のままで玄関から出て行ってしまった。
「マ、マドカ――――――っ!!」
弁解もさせてくれず行ってしまったマドカの後を、俺も急いで追おうとする。
「まあ、まてよ、ツヨシ。俺のアキコに破廉恥行為を働いた落とし前、どうつけてくれるんだ?」
楽しくてたまらない、といったシュウちゃんの顔。その後ろでは、姉貴が腹を抱えてゲラゲラ笑っている。
悪魔だ。こいつら悪魔に違いない。
結局、俺はその後も姉貴とシュウちゃんから散々オモチャにされ続け、マドカを追いかけることはできなかった。
夜になってやっと二人から解放され、俺は何度もマドカに電話したけど、マドカは一向に出てくれようとしない。
ぐすん、俺はただ一緒に勉強したかっただけなのに。そんでもって、キスできればいいなぁと思っていただけなのに………。
新学期が始まって、マドカと顔を合わせるのがとても恐い。
つづく
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