コンプレックス


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 美紀と良美は二人とも電車での通学をしているが、住んでいる町が異なるため、降りる駅もずい分離れている。先に電車を降りる良美と手を振って別れた美紀は、空いている席に座り込むと、そこで脱力したように大きなため息をついた。
「本当にわたしがいただいちゃうわよ……かぁ」
 この際、そうなってくれた方がスッキリするような気が、美紀にはする。
 純也と良美であれば、それはもう絵に描いたような似合いのカップルになるだろう。そして、それで二人が幸せになってくれるのであれば、美紀としてもとても嬉しいし、自分の気持ちにも、きちんと整理をつけることができるような気もする。
 美紀は純也が好きだった。初めて会って、彼の姿を見たその瞬間に、一目惚れしてしまったのだ。
 そんな自分の気持ちに気づいていながらも、美紀はそれをずっと否定しようとしてきた。自分のこの大きな胸が気に入ったから、だから付き合ってくれと言った純也のことが、どうしても許せなかったからだ。
 本人が言うように、仮にそれが冗談だったとしても、そんな冗談を言う人間を美紀は許せなかった。純也を殴ったあの時、美紀は心から傷ついたのだ。
 それなのに。
 彼に会うたびごとに、想いはどんどん膨らんだ。
 その想いを否定しようとすればするほど、でもやっぱりそれはとても困難で、結果、自分がどれほど純也が好きなのかを思い知らされ、返って落ち込みが大きくなるだけだった。
 とても辛くて、悲しかった。
 だから、純也と良美が付き合って、それで自分の想いを断ち切れるなら、最初は苦しいほどに辛いだろうが、それでもいいと美紀は思った。
 乗っていた電車を降り、美紀は力なくトボトボと家に向かって歩く。
 既に太陽は地に沈み、西空は黒と紫とオレンジ色の入り混じった複雑な色をしていて、なんだかそれが自分の気持ちを表しているようで、美紀はますます陰鬱な気持ちになった。
 ブラジャーで固定しているとはいえ、歩くたびに胸は揺れる。肩はこるし、嫌な想いをしなければならないし、最低だと美紀は思った。
「ツーカップ、いや、ワンカップでもいいから胸が小さかったらなぁ…そしたら、こんなコンプレックス持たなくてすんだかもしれないのに……」
 そしたら純也とも、なんの障害なく付き合えたのに。
 と、そこまで考えて、美紀はあることに気がついた。
 そもそも胸が大きくなかったら、純也から好きだなんて告白をされなかったかもしれないのだ。美紀が思うに、男の子にとっての自分の価値と言えば、胸が大きいことくらいである。
 そう思うと、美紀は本当に悲しくなった。そして、これ以上ないほど落ち込んだ状態で歩いていると、やがて自分の家が見えてきた。
 家に帰りついたら、思いっきりなにかを食べよう。食べて食べて食べまくったら、少しはストレス発散になるかもしれない。
 よし、そうしよう。苦しくて動けなくなるくらい、とにかく色々食べてやろう。そして、この暗い嫌な気分を吹き飛ばすのだ!
 あ、でもそれだと太ってしまう。結果的にまた胸が大きくなってしまう。ダメだ、暴飲暴食をするわけにはいかない。
 なんてバカなことを考えていた美紀は、家の前にある人影に気づき、ふと足を止めた。
 ―――――――――純也だった。
 両手をズボンのポケットにつっこみ、背を壁に寄りかからせていた彼は、美紀に気づくと慌てて真っ直ぐに立ち上がった。そして、はにかんだように笑う。
「お、お帰り」
「純也……なんでこんなところにいるのよ?!」
 驚いたようにそう叫んだ美紀に、純也は頬を膨らませてみせた。
「だってぇ」
「な、なによ!」
「心配だったんだ。今日会ったヤツから、美紀が交際申し込まれたりしてたらどうしよう、って」
 しばしの間、美紀は唖然となった。
「そ、そんなことで?」
「だって、仕方ないだろう? 気になって気になって、おちおちしてられなかったんだから! ねえ、どうだった? 相手の男、かっこよかった? 美紀のこと、気に入ったみたいだった? 美紀、そいつのこと好きになったりしなかった?」
 問いつめてくる純也から、美紀はフンと顔を反らした。
「そ、そんなこと、あんたに関係ないでしょう!」
「あるさ! だって俺、美紀のことが好きなんだから!」
 その言葉にハッとして、美紀は手を強く握った。そして、くるりと純也に背中を向けた。
「美紀?」
「…なんで? どうしてあたしを好きだなんて言うの?」
 振り絞るように出した美紀の言葉に、純也は微かに眉根を寄せた。
「なんで、って……意味が分からないよ。俺が美紀を好きだって言うことは、そんなに悪いこと?」
「だって、おかしいじゃないの! なんであたし? あたしなんて、顔は十人並みだし、性格だった特別いいってワケじゃないし、唯一男の子に好かれるところと言えば、このバカみたいに大きな胸くらいよ。やっぱり胸なの? この胸が目当てであたしと付き合いたいの?! だったらあんたと付き合うなんて、真っ平御免だわ!!」
「美紀…」
 悲痛な表情の美紀を前に、純也は視線をゆっくりと上に向けた。そして、なにかに思いを巡らすようにしていたかと思うと、やがて小さく肩をすくめると、笑いながら言った。
「う〜ん、確かに俺、美紀の胸が大きくなかったら、好きになってなかったかもしれないなー」
 それを聞いた美紀の心臓が、キリリと縮こまった。誰かにわしづかみにされたかのように、ぐっと痛む。
「……やっぱりね。そうだろうと思った」
 すごくショックだった。
 しかし、そんな素振りは微塵も見せず、振り返って純也を見ると、相手をバカにするような薄ら笑いを浮かべてみせた。
「あんたはそんなヤツだと思ってたわよ。思ってた通り、やっぱり最低ね」
「あ、でも勘違いするなよ? 俺は別に、その胸が気に入って美紀を好きになったわけじゃないんだから」
 美紀は顔をしかめる。
「なによ、どういう意味?」
「ずい分前になるんだけど、俺、学校帰りの電車で、美紀と同じ車両に乗り合わせたことがあるんだ。良美ちゃんと一緒でさ、美紀、怒ったような悲しい顔で話してた。男なんてバカばっかり。みんなあたしの胸だけを目当てに近寄ってくるんだから、なんて言って」
「それで?」
「俺、すごく親近感持ってさぁ」
 純也はにこりと笑った。
「俺も同じでさ。昔から女の子にはよくモテたんだけど、みんな俺の顔狙いなんだよね。俺の内面なんて全く見てくれないんだ。挙句、男からもいけすかないヤツ、なんて言って嫌われるしさ。もう踏んだり蹴ったりだよ。俺、もっと普通の顔立ちに生まれたかったって、何度思ったことか」
 はぁ〜っ、と純也は重いため息をつく。
「高校生になった頃から、軽い人間不信におちいっててさ。特に女の子は苦手というか、信じられないというか。だから、美紀の話を聞いた時は、同じような悩みを持ってるってことで、仲間見つけたみたいで嬉しかったんだ。それからはもう、電車で美紀を見かけるたびに気になって気になって」
 恥ずかしそうに純也が頬を赤くする。
「気がついたら、好きになってた」
 さらに顔を赤くした純也が、テレくさそうに頭をかいた。
「俺、久しぶりだったんだ。自分の方から女の子を好きになったの。だから、あの時の告白、本当言うと、ものすごく勇気出してがんばったんだよ?」
 思いがけない話を聞かされた美紀は、目を大きく見開き、そのまま動くこともできずに純也の顔を凝視していた。
「ウ……ウソでしょう?」
 驚愕のあまりか、その声はかすかに震えている。
「だ、だって、だったらどうしてあんなふざけたこと言ったのよ?! 胸がデカいからあたしのことを好きになったみたいなこと、どうして言ったりしたのよ!」
 あれさえなければ、美紀だって素直に純也からの告白に応えることができたはずだった。それを考えると、つい怒りがこみ上げてくる。
「おかしいわよ。やっぱりあんたの言うことなんて信じられない!!」
 そう叫ぶように言った美紀に、純也は申し訳なさそうな顔をする。
「あれはさ……実はちょっと試させてもらったんだ。初めて会った時、美紀は俺の顔に見惚れてただろう? もしかすると、美紀も他の女の子たちと同じかもしれない。顔の良さだけで、俺と付き合おうとするかもしれない。そんな不安があったから、あんなこと言ったんだ」
「?」
「もしあれで、美紀が俺の言ったことを気にしないで告白にOKの返事をくれたら、俺、美紀と付き合うのよそうと思ってた。だって、おかしいだろう? 美紀は胸にコンプレックスを持っている。それなのにOKしてくれたってことは、俺の性格はどうでもよくって、顔しか気にしてないってことになるから」
「……………」
「でもその代わり、胸のことを言って美紀が怒って俺をフるような態度を取ったら、どんなことをしてでも美紀と付き合おうって、そう思ってた。だって、それは俺の外見じゃなく、性格をちゃんとみてくれたってことの証明だから」
 純也は嬉しそうに微笑んだ。
「美紀が俺の顔を殴りつけて、そのまま怒って電車に乗って去ってしまう後ろ姿見ながら、俺がどれだけ嬉しかったかわかる? やっぱりこの子は他の子とは違う。ちゃんと俺自身を見てくれる子だって。本当に……とても嬉しかったんだ。それまでよりも、更に美紀のことが好きになった」
 そう言った純也の表情はとても真剣で、その想いが美紀の心にしっかりと流れ込んできて。
 嬉しい反面、美紀は後ろめたさで胸が苦しくなった。
 だって、最初に会った時、確かに美紀は純也の綺麗な顔に見惚れて、多分、あの時に一目惚れしてしまったのだ。それは純也の言うところの「顔狙い」以外のなにものでもなく、それに気づいた時、美紀は後ろめたいのと同時に恥ずかしくなった。
 胸を目当てに男の子から声をかけられる。それを心から憎々しく思い、嫌悪していたはずの自分が、結局は同じことをしてしまっていたのだ。
 初めて会ったあの時、強い風のふくホームにたたずむ純也の姿は、それはもう本当に美しい一枚の絵画を見ているようで……。
「だめだよ、あたし…」
 美紀は小さく呟いた。
「あたし、純也にそんなこと言ってもらう資格、全然ないもの。あたし…あたし本当のこと言うと、初めて会った時に純也に一目惚れしたの。純也の顔があまりにも綺麗だったから、だから一目惚れしちゃったの。あたしも他の子と同じよ。最低だわ」
 自分の告白を聞いた純也がどんな顔をしているのか、美紀は恐くて見ることができなかった。うつむいたまま、両手をぎゅっと握りしめた。
 二人の間を、しばらく沈黙の時が流れる。
 その沈黙を破ったのは純也である。うつむいたままの美紀に、静かな声で話しかけた。
「それじゃ美紀は、俺のこと好きなの?」
 美紀は無言のままにうなずいた。
「それじゃ、どうして俺のこと嫌いなフリしてたの?」
「そ、それは…」
 声を振り絞るようにして、美紀は言う。
「胸が大きいから好きだなんて、冗談にしろ本気にしろ、そんなこと言う男の子のこと、あたしは好きでいたくないから。嫌いって態度を取っていれば、その内純也のことを好きな気持ちもなくなるかと思ったから…」
「ふ〜ん。それで、嫌いになれた?」
 美紀は首を振る。
「そっかぁ…」
 なにかに思いをめぐらしているのか、純也は小首を傾げた。そして、美紀に言う。
「ちょっと想像して欲しいんだけど、もし俺が事故かなにかにあって、この顔に一生消えないような大きな傷ができたとしたら、それで美紀は俺のこと嫌いになる? なれると思う?」
 突然妙なことを質問された美紀は、思わず顔を上げた。そして、純也を不思議そうに見つめる。
「なんでそんなこと訊くのよ?」
「いいから真面目に考えて。ホラ、目を閉じてイマジネーション働かせてさ」
 渋々ながら、美紀は言われるがままに目を閉じた。そして、純也から質問されたことの答えを、自分自身に問うてみる。
 もし純也の顔に大きな傷ができたら。
 そしたら、自分は純也を嫌いになるだろうか?
「……………」
 想像力をフルに働かせる。顔に大きな傷のある純也を、頭に思い描いてみる。
 時間をかけて、美紀はゆっくりと考えた。純也も、ただ黙って美紀の答えがでるのを待っている。
 やがて美紀は顔を上げた。
「どう?」
 純也が無表情に美紀の顔をのぞきこむ。目の前にある純也の顔を真っ直ぐに見つめながら、美紀は答えた。
「変わらない。嫌いになんてなれない」
「それはどうして? だって、俺の顔が気に入ったから好きになってくれたんだろう?」
「そりゃそうだけど…でも、今さら嫌いになんてなれないわよ。だって、好きなんだもの! そんな簡単に嫌いになんて、なれるわけがないじゃない!」
 それを聞いていた純也がニッコリと笑った。
「俺も同じ。今さら美紀が俺の顔に惚れたなんてこと聞かされたって、そりゃちょっとはショックだったけど、でも嫌いになんてなれないよ。それに、さっきの話を聞く限り、美紀は俺に一目惚れしていながらも、それでも俺の言ったことが気に入らなくて、思いっきりひっぱたいたんだろ? それって美紀がなによりも性格重視してるってことの証明じゃないか。違う?」
「それはそうかもしれないけど…」
「だったらさ、もうゴチャゴチャ難しいこと考えるのはやめて、俺たち付き合おう? だって、俺たちは両想いなんだから、それが一番いいんだよ」
 そう言った後、戸惑う美紀から一歩後ろに下がると、純也は腰の角度を九十度に曲げて頭を下げた。そして、右手を美紀に差し出す。
「お願いします。俺と付き合ってください!」
 その手を取ろうか取るまいか悩みながら、美紀は低い位置にある純也の後頭部をドキドキしながら見つめた。
 本当にいいのだろうか。
 純也と付き合っていいのだろうか?
 っていうか、こんな誰もが認める美少年と自分が両想いだなんて、そんな夢みたいなことがあっていいのだろうか。
「ほ、本当にあたしなんかでいいの?」
 頭を下げたまま純也が答える。
「美紀がいい。美紀でなきゃ嫌だ」
 思わず泣きそうになりながら、美紀はゆっくりと、そして少しためらいがちに純也の手を取った。
 ハッとしたように純也が顔を上げた。その顔はかすかに驚きの入り混じっていながらも、でもとても嬉しそうで、その顔を見た美紀はますます泣きたくなってしまった。胸が熱くなって、とても幸せで…。
「あたしも純也がいい。純也のことが好きだから」
 そう言った途端、純也が美紀を抱きしめた。
「ありがとう、美紀! 俺、美紀のこと大好きだ!」
「うん……うん…」
 堪えきれず、美紀はポロリと涙を流した。
 家の門の前、もしかすると家族の誰かがこの様子を見てるかもしれないってことなど、今の美紀の頭には全くなかった。
 ただひたすらに純也を好きな気持ちが胸がいっぱいで、自分を強く抱きしめる純也の腕がたまらなく心地よくて、ほんの少しだけ美紀は泣いた。


 胸が大きくて得をしたことなど、これまで一度だってなかった。だけど、生まれて初めて美紀は思った。
 胸が大きくてよかった。
 そのせいで色々嫌な思いをして、コンプレックスを持って、そのおかげで純也に好きになってもらえたのだから。
 だから今は、心からこの胸に感謝したい気持ちでいっぱいだった。



 コンプレックス。
 それを持つことも、そう悪いものじゃない――――――かもね?





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