コンプレックス


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 美紀が初めて彼の存在に気づいたのは、登下校で使っている電車の駅のホームだった。
 部活のない学生が下校する時間帯を少し過ぎているせいか、駅に人影は少ない。木枯らしの吹きすさむ中、閑散としたホームにたたずむ彼は、なぜか美紀の目をひいた。
 自分の学校のものとは違う制服。それは美紀が今いる駅から、確か二駅先にある男子高校のものである。
「どうしてこの駅から電車に乗るのかしら?」
 友達がこの近くに住んでいて、それで一度電車を降りたのだろうか?
 電車を待つ暇つぶしのつもりで、そんな憶測をしながら美紀は少年を見つめた。
 ひ弱とまではいかないが、ホッソリとした体型。すらりと伸びた長い足。染めているのかブリーチしているのか、薄茶色の髪が強く吹く冷たい風の中に揺れている。
「あ、もしかすると、ウチの高校の誰かと付き合っていて、その彼女と待ち合わせしているのかもしれない」
 思わず美紀がそんなことを呟いてしまうくらい、その少年は見栄えのいい容姿をしていた。遠目からでも、それがよく分かる。
 あんな子が自分の学校にいたら、女の子が大騒ぎして大変だろな。そんなことを思いながら、美紀がゆるんだマフラーをまき直そうとした時、急に突風が吹いた。それは美紀の手からマフラーをかすめ取ると、フワリと宙に浮かせた。
「あっ」
 まるで重力からの支配を逃たかのように、マフラーは風にさらわれていく。そのまま少し流され、ついにホームに落ちそうになったそれを、先ほどの少年の手が捕らえた。
 突然のことに体が動かず、ただマフラーの動きを目で追うことしかできなかった美紀は、そこでハッと我に返ったように走り出すと、慌てて少年の傍に駆け寄った。
「ごめんなさい。それ、あたしのなの」
 差し出された美紀の手に、少年はマフラーをのせた。
「落ちなくてよかったね」
 にこりと微笑んだ少年の顔は、それはもう優しげで温かくて。
 思わず見惚れてしまった美紀に、少年は言った。
「きみ、山内美紀ちゃんって言うんだよね。俺と付き合ってもらえないかな?」
「え?」
「俺、大崎純也。告白しようと思って、ここで美紀ちゃんのことをずっと待ってたんだ。よかった、会えて」
 思いもよらないことに、美紀の顔は真っ赤に染まりあがる。
「ど、どうしてあたしのこと…?」
「俺も、いつもこの電車使ってるんだけど、美紀ちゃんとも、よく同じ電車に乗り合わせてたんだ。それで、かわいいなぁと思って、いつも見てた。………ダメかなぁ」
 ダメかなぁ、とは、告白の返事のことである。
 ダメな理由なんてない。遠くからでも人目を惹くほどの容姿を、純也は持っている。それに、とても優しくて親切そうな人に美紀には思えた。
 しかし、告白の返事を即答するだなんて、そんな適当なことができる性格を美紀はしていない。
「でも…あたし、あなたのこと全然知らないし」
 戸惑いながら美紀がそう言うと、純也は気にした様子もなく笑顔を見せた。
「だったら、友達からでもいいんだ。だったらいい?」
「それだったら」
 美紀はコクリとうなずいた。
「それじゃ、携帯番号とメールアドレス教えてもらえる? 俺も教えるから」
 二人は携帯電話を取り出し、互いの電話番号とメールアドレスを交換し合った。
 信じられない思いで携帯のメモリー登録しながら、自分より頭一つ半ほど高い位置にある純也の顔を、美紀は上目遣いに見つめた。
 きれいな顔。きっと、女の子に人気があるに違いない。
「あ、あの、聞いてもいい?」
「なに?」
「あたしなんかの、どこがよかったの? あなたなら、他にいくらでもかわいい子を彼女にできるんじゃない?」
「さっきも言ったよね。美紀ちゃんがかわいいからだって。それと…」
 純也は爽やかな顔でにっこり笑いながら、美紀の胸元を指差した。
「やっぱ、ソレでしょう。そのEカップはあろうかというデカい胸! 俺、胸のデカい子、大好き!!」
 一瞬呆けたような顔をした後、美紀は右腕を大きくふりかぶった。そして、思いっきり純也の頬をひっぱたいたのである。
 パッシーン、という高い音が、静かなホーム内に響き渡った。


「いやぁ、あれはホント、マジで痛かった」
 その痛みを思い出したように頬をさすって笑う純也を、美紀は強くにらみつけた。
「あれは純也が悪いのよ。普通どこを好きになったのか告白した相手に質問されて、Eカップの胸だとか言う? 最低の返事だわ。殴られて当然よ」
「あんなの冗談に決まってるじゃないか。告白されて緊張してたみたいだったからさ、空気を和ませようと思ってやった、俺の心温まる配慮だよ、あれは」
「冗談に聞こえなかったのよ。ニヤニヤいやらしく笑っちゃってさ。まるで変質者みたいだったわよ」
 軽蔑するような目で美紀に見られた純也は、ムッとしたように口をとがらせた。
「こんなかっこいい変質者がいるわけないだろう?」
「うわー、自分で自分のことカッコイイとか言ってる! やっぱり純也って最低ね」
 美紀が白い目で見ながらそう言うと、純也はフフンと鼻で笑った。
「仕方ないよ、事実なんだから」
「でも、普通は言わないわよ。ちょっと自信過剰すぎじゃない?」
「美紀こそ人のこと言えないじゃないか、初めて会って、しかも自分に告白してきた男を、普通は平手打ちしたりはしないと思うよ。あーあ、もっとおとなしくて控えめな子だと思ってたのになぁ。あの時だって、恥ずかしそうにうつむいたりしちゃってさ。思いっきり猫ぶってただろー?」
「初対面の人に人見知りするのは、当然のことでしょう?!」
「はいはい、その辺でストップ!」
 それまで二人のやり取りと楽しそうに聞いていた女の子が、笑いながらパンパンと手をたたき、二人の間に割って入った。美紀と同じ学校、同じクラスの友達、良美である。
「いいじゃないの。そのおかげで二人は友達になれたんだし。それに、もう半年も前の話でしょう?」
「好きで友達になったんじゃないわよ!」
 テーブルをドンッと叩きながら美紀が叫ぶと、良美は眉根を寄せてキッとにらんだ。
「声が大きいわよ。いくらファーストフード店とはいっても、他のお客さんに迷惑じゃないの」
「ホントだよな。女らしさのかけらもないんだから。ちょっとは良美ちゃんを見習ったら?」
 小バカにするように純也からそう言われた美紀は、両手を握りしめると、悔しそうに唇を噛みしめた。
「なによっ。あんたこそ美少年の皮かぶった、ただのエロジジイのくせにっ」
「あれ、なんだかんだ言って、やっぱり俺のこと美少年だって認めてるんだ」
 嬉しそうに純也が笑うと、美紀はジュースを飲みながらフンとそっぽを向いた。
「仕方ないでしょ。あたしが認めなくても、世間が認めてるうんだから」
 今はちょうど学校が終わったばかりの時間帯で、美紀たち三人がいるお店には、他にもたくさんの高校生がテーブルを囲み、楽しそうに会話に花を咲かせている。そして、その大半が女の子で、彼女たちは話をしながらも、チラチラと純也を盗み見ては友達同士できゃあきゃあ騒いでいる。
 なにを騒いでいるのかなんて、話を聞かなくったって分かる。きっと、
「かっこいいーっ!」
 とか、
「芸能人の○○に似てるよねー!」
 とか言っているに違いないのだ。
 そして、それに気づいていながらも、そんなのいつものことさ、と言わんばかりに気にした素振りの一つも見せない純也に、美紀は腹が立ってしまう。
「フン。あたしは二度と会わないつもりだったのよ。それを、学校の前で待ち伏せしたり、嫌味かと思うくらいメール送ってきたりするから、だから仕方なく友達になってやったんだから。少しは有難いと思いなさいよね」
 腹立ちまぎれに、美紀は少し高飛車にそう言った。
 純也がムッとしたように口をとがらせる。
「なんだよー。最初に友達になってくれるって、約束したじゃないかー。それを、送っても送ってもメールの返信くれないから、だから仕方なく学校の前で待ち伏せしたんだろ?」
「友達になってもいいって言ったのは、純也がEカップのことを口にする前の話じゃない! あれ聞いた途端、友達になる気なんて消えうせたわよ!」
「だから、あれは冗談だったんだって」
「どうだか。案外、本音だったんじゃないのぉ?」
「まったく、疑り深いヤツだなぁ。美紀みたいなのを、かわいげがないって言うんだぞ」
「なんですってぇ?!」
「なんだよぉ!」
 また喧嘩を始めた二人を見て、良美は苦笑した。
「なんだかんだ言って、仲がいいのよねよぇ、あなたたち」
 それを聞いた美紀が眉をつり上げる。
「仲良くなんかないってば!」
「でも結局、今ではこんなに言いたいことを言い合える友達になったんじゃないの。しかも、相手は泣く子も黙る美少年よ」
「そうそう。俺みたいな美少年の友達持てたなんて、美紀こそ有難がるべきだよ」
 減らず口をたたく純也にまた腹を立て、美紀がなにかを言い返そうとした時、良美がすっと立ち上がった。そして、美紀を見下ろして言う。
「さあ、そろそろ時間よ。行きましょう」
「えっ、もうそんな時間?」
 慌てて立ち上がる美紀と、その隣の良美を意外そうに見ながら、純也が言った。
「なに? 今から予定入ってるの?」
「友達がね、素敵な男の子紹介してくれるんですって」
 良美がそう言うと、純也はあからさまに面白くなさそうな顔をした。
「ちぇーっ。素敵な男の子だったら、目の前にいるじゃないか。それを放ったらかして他の男に会いに行くなんて、二人ともちょっとおかしいんじゃない?」
「あら、心配しなくても、紹介してもらうのはわたしよ。美紀には付き添いで来てもらうだけ」
 にっこりと良美が笑った。
「どう、安心した?」
「安心なんてできないよ。もしそいつが良美ちゃんじゃなく、美紀を気に入っちゃったらどうするんだよ。ま、ありえないとは思うけど」
「ありえないとはなによ!」
 口をぎゅっと結んだ美紀が、恨めしそうに純也をにらむ。
「そんなの、会ってみないと分からないじゃないの! もしかしたら、あたしの方を気に入ってくれるかもしれないわよ?!」
「ないない。そんなの天地がひっくり返ってもありえない」
 手をヒラヒラさせながら純也は笑った。ムキーッと美紀は地団太を踏む。
「もういいわよっ。良美、行こう! 素敵な男の子があたしたちを待ってるわよ」
 頭から湯気をたてながら、美紀は苦笑する良美の背中をぐいぐい押す。そんな美紀に、後ろから純也が声をかえた。
「美紀!」
 面倒臭そうに美紀が振り向く。
「なによ!」
「俺以外の男に惚れないでね」
 その場にいる女の子すべてを魅了するような顔で、純也は微笑んだ。
 一瞬それに見惚れた後、美紀は顔を背けてから不機嫌そうに返事した。
「余計なお世話」
 そのまま振り返ることなく、美紀は良美と一緒に店を出た。
「あーあ、かわいそうに」
 ムッとしたように黙り込んでいる美紀の隣を歩きながら、良美がそう呟いた。チラリと美紀が視線を良美にうつす。
「なにが?」
「純也くんのことに決まってるでしょう? ホント、美紀っては素直じゃないんだから。彼のこと、好きなんでしょう?」
「バッ、バカなこと言わないで。どうしてあたしが、あんなスケベなヤツを!」
「別にスケベじゃないでしょう? Eカップ発言は冗談だって言ってるじゃない。もし冗談じゃないにしても、わたしたちの年頃の男の子の思考としては、とても健全だと思うけど?」
「あたしは嫌なの、あの手の冗談」
 実際、美紀の胸はEカップある。小学生の頃は「まないた」だなんてあだ名呼ばれていたのに、それが中学生になった途端に急激に成長を始めた。男の子たちの視線が、胸に集中するようになった。
 以来、胸は美紀にとって最大のコンプレックスとなっている。
 美紀の顔は不細工ではないが、特別にかわいいというわけでもない。それでも男の子たちは声をかけてくる。どう考えても胸目当てとしか思えない。学校の登下校で乗る電車の中で、痴漢にあったことも一度や二度のことじゃないのだ。
 すべてはこの胸が悪い。
 少しでも胸を小さく見せようにと背中を丸めるようになり、いつの間にか猫背になった。特別に仲のいい友達、良美やクラスの女の子の前では別だが、元々明るかった性格も、胸を気にするあまり、気がつけば引っ込み思案になってしまった。
 そんな経緯があるものだから、美紀にとって純也の言ったEカップ冗談は、とても冗談ではすまされないことだったのである。
 正直、とても傷ついた。二度と会いたくないと思った。
 それなのに。
 あれ以来、純也はことあるごとに美紀の前に現れる。
 今日のように、美紀と良美が放課後よく立ち寄るファーストフード店に、まるで待ち合わせているかのごとくに先に来て待っていることなど、すでに当たり前化しているくらいだった。
 図々しいこと極まりない!
 そんな風に憤慨している美紀ではあったが、なにが一番腹立たしいと言って、そんな憎たらしい純也に会うと自分の胸がドキッとすることにであった。
 初めて駅のホームで純也に出会った時、その端整な横顔に美紀は見惚れた。その時の胸の高鳴りを、美紀は純也に会うたびに今もって再現させてしまうのだ。
 いつも間にか、本気で純也を好きなっている自分がいる。
 純也に会うたびに、美紀はそのことを思い知らされる。そして、そんな自分自身を、なによりも憎らしく思っていた。
 だから美紀は、いつも自分にこう言い聞かせる。
 純也は胸の大きさで女の子を判断するような、そんな最低なヤツなのだ。自分の最も忌み嫌うタイプの典型だ。世界一の最低最悪男なのだ。
 何度も何度も、まるで呪文をとなえるかのごとくに、美紀はそう繰り返す。
 それなのに、あれから三ヶ月も経つ今でさえ、純也に会うたびに美紀の胸は高鳴り続ける。

 そんな自分が、美紀は泣きたいくらいに情けなかった。





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