Fain day or Rainy day?(第二章)


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 兄の車を降りた後、里奈がマンションの前で呆然と立ち尽くしていると、猛ダッシュの吉田が追いついてきて、その肩に息切れしながら手をかけた。
「だ、大丈夫か?!」
「あ、吉田さん! うん、あたしは大丈夫。で、でも、どうしよう?! あたし、どうしたらいいの?!」
 泣きそうな表情の里奈を見て、吉田は慌てた。
「どうしたんだ! あいつになにか変なことされたのか?! ま、まさか触られたとか?!」
 されるわけがない。血のつながりある兄妹である。
「いや、それはないんだけど…」
 戸惑いながらも、里奈は車中での会話を吉田に全て話した。
 吉田は腕を組んで少し考えた後、安心させるような笑顔を里奈に向けた。
「取り合えず、家に入ろう。ここで立っていてもどうしょうもない。水樹ちゃんに相談するしかないからね」
「……うん」
 促され、里奈は不安そうにうつむきながらも、吉田と一緒に歩き出す。しかし、すぐにその足を止めた。
「あたし、先生にすごい迷惑をかけちゃうかもしれない。そんなつもりじゃなかったのに…そんなつもりでこの家にお世話になりに来たわけじゃなかったのに……」
「大丈夫だよ。水樹ちゃんはちゃんと分かってるよ。それに室井や俺だって。な、そんなに心配するなよ。大丈夫だから」
 優しく守るように吉田から肩を抱かれて、里奈はうつむいたまま歩き出した。

 その頃の水樹はというと。
 久しぶりに数時間も一人の時間を楽しめたことで、なかなかご機嫌だったのである。
 途中で電話をもらったので、里奈と吉田が一緒にいることは分かっている。大丈夫かな、と一瞬思ったものの、これまでの様子をみる限り、吉田はロリコンではなさそうである。それに、亨が友人に選んだ相手ということで、水樹はほぼ無条件に吉田のことを信頼していた。
 亨は昼のアルバイトに出かけている。だから、家の中には水樹は一人っきり。
 こんなことは、近頃では本当に珍しいことだった。
 おかげで誰を気にすることなく、本を読んだり、勉強したりと、満ち足りた時間を過ごしていたのである。  しかし、そうは言っても時刻は夕方の六時である。
「みんな遅いわね」
 バイトの延長を頼まれたので帰りが少し遅くなると、亨からはついさっき電話があった。しかし、里奈と吉田からは、その後なんの連絡もない。
 二人が夕食を外ですませてくるのかこないのか、それを気にしながら水樹が時計見つめていた時、玄関の鍵が開く音がした。
「あら、よかった。帰ってきたみたい」
 立ち上がると、水樹はいそいそと玄関へと出迎えに歩いた。そこで、なんだか思いつめたような顔をした里奈と、付き添うように隣に立つ吉田を見たのである。
 てっきり元気に明るく帰ってくると思っていた水樹は、かすかに眉根を寄せた。
「どうしたの?」
 とそこまで言って、水樹はハッとして吉田を強くにらみつけた。
「ま、まさか吉田さん、あなた里奈ちゃんになにか変なことしたんじゃ…」
「違う違うっ! 俺じゃない、俺はなんにもしてないよ!」
 吉田は慌てて、首と両手を大きく振った。
「だったら、どうして里奈ちゃんこんなに元気がないの?! ずっとあなたと一緒だったんでしょう?!」
 すごい剣幕で吉田につめよる水樹の前に、里奈が慌てて割って入る。
「違うのよ、水樹先生! そうじゃないの! 実はついさっき、ここに帰ってくる途中でお兄様に会ったの!」
「―――柏木さんに?」
 即座に水樹の表情は冷静に、堅く引きしまった。
「なにがあったの? 全部話しなさい」
 ことの一部始終を、里奈は水樹に話して聞かせたのである。


 そして、所変わってこちらは亨。
 黒いベストに黒いスラックス、ついでに黒い蝶ネクタイまでつけたウェイター姿の亨は、手に持ったトレイに紅茶のティーポットとカップをのせて、フロアをゆったりと歩いていた。
「おまたせしました」
 そして、カウンター前に座る一人の客の前に、それら一式を丁寧に並べて置く。
「ありがとう……って、あら、どうしたの亨くん。今日はずい分遅くまで働いてるのね。もしかして、居酒屋のバイト辞めてこっち一本にしぼったの? だったらあたし、すっごく嬉しー♪」
 そそいだ紅茶に備え付けの角砂糖を二つ落とし、小指をたててスプーンをかきまわすその客に、亨はにっこり笑顔で言った。
「今日だけ臨時なんです。夜のバイトの人が急な用事で遅れるってんで、その人が来るまでの繋ぎなんっすよ」
「なんだー、そうなのぉ? ねえ、もう思い切って居酒屋でのバイト、辞めちゃいなさいよ。夜もここで働けばいいじゃない? このお店、自給は悪くないんでしょう?」
 ばっさばっさの付けまつ毛の下から、見上げるようにして自分を見つめるその客に、亨の笑顔はわずかながらも引きつった。
 ここでのバイトを始めて一週間ほどになる。かなり慣れてきているつもりだったが、まだまだだな、と亨は心の中で苦笑した。そして、優雅な手つきで紅茶をたしなむ目の前の客の姿を、こっそりと盗み見る。
 手入れの行きとど届いた栗毛色の長い髪、それはツインテールへと束ねられ、ゴムの部分はピンク色のリボンでかわいく彩られている。服装はフリルがたっぷりあしらわれた、ピンクと白がベースの少女趣味なものであり、そのくせメイクはアイラインからマスカラから、しっかり完璧に仕上げられていた。
 しかし、どれほど丁寧にメイクしたところで、かわいらしい服に身を包んだところで、がっちりとした肩幅やバリトンの声は隠せない。
 亨の昼のバイト先、実はそれは会員制の衣装レンタルショップだったのである。レンタルとは言っても、衣装の店外持ち出しは禁止となっている。客は別室のロッカールームで借りた衣装に着替え、完備されているメイク室でメイクアップをする。そして、お洒落な喫茶店風に装飾された広いフロアで、同じ趣味を持つ他の仲間たちと、お茶やお酒を飲みながらの会話を楽しむことができるのだ。
 会員になれるのは男性のみ。しかし、貸し出される衣装は、すべて女性用である。
 そう、ここは女装を趣味とする男性たちの、心安らぐ憩いの場だったのである。そんな一風変わった店で、亨は受付やウェイターとして働いていたのだった。
 変わった仕事だし自給もいい。まさに亨の希望通りの仕事と言える。
 なので、今亨の目の前にいる客も、もちろん男。ここでは通称キャンディと呼ばれている常連の男で、お気に入りの格好は、呼び名や着ている衣装を見て分かる通り、キャンディキャンディ系のちょっと時代錯誤な乙女服。メイクのせいでハッキリとしたことは言えないが、年齢は三十代の半ばと推測できる。
 スラリと背が高く、肩幅のあるこの男と亨とは、すでに、かなりの顔なじみとなっており、気軽に冗談を言い合いえる間柄となっていた。
 とはいっても、相手はいい年をして女装なんぞをしている変わった男。かなり見慣れてきているとはいえ、気を抜くと、少々生ぬるーい目で相手を見てしまうこともある。
 そんな自分を戒めながら、居酒屋のバイトを辞めるように勧められた亨は、にっこりと笑顔でキャンディに答えた
「そういう風に言ってもらえるのはありがたいんですけどね。でも、今は色々な仕事をしてみたいんですよ。こういうことができるのも、今のうちだけだから。ところで、キャンディさんは夜もここに来るんっすね。昼間だけかと思ってた。酒は飲まないんですか?」
 愛らしく微笑みながらキャンディは答えた。
「あら、うふふ。お酒は大好きよ。でもね、飲むのは男の格好の時だけ。今日は昼間仕事が忙しかったの。だから今来たってわけ。ねえ、亨くん、今日は何時にお仕事終わるの? よかったら、一緒に飲みにいかない?」
 笑顔の亨の額に、他人には分からない冷や汗が流れる。
 この店に来る客は、当然女装を趣味とする人間ばかりである。単に女装好きなだけの者もいれば、それに合わせて同性愛嗜好の者もいる。
「きみはかっこいいからね。絶対に誘われるよ。別に客と仲良くなるなとは言わないけど、でも、そのつもりがないんだったら気をつけることだね」
 初めて面接に来た時、店長からはそんな注意を受けている。もちろん、男と変な関係になるつもりは、亨には毛頭ないのだ。
「も、申し訳ないんっすけどね、俺こう見えて、まだ未成年ですから。残念ながら酒はちょっと…」
 当たり障りのないその返答に、キャンディは口元に手をあててコロコロと笑った。
「いやーねぇ、亨くんったら。今なにか変なことを勘ぐったでしょう?」
「え、いや…」
「大丈夫よぉ、あたしこう見えて、根っからの女好きだから。ここでのことは、あくまでも趣味よ、趣味。ねえ、どお? 本当はいける口なんでしょう? 飲みに行きましょうよぉ。あたしが奢ってあげるから♪」
 さて、どうしたもんか、と亨は考える。
 これまでに、亨はキャンディの私服姿を見たことがなかった。完璧に女装した姿でオネエ言葉を使うキャンディの、男としての本来の姿とはいかなるものか。
 正直、そこにはものすごく興味がある。
 それに亨の目から見て、キャンディはとてもいい人だった。気さくだし、冗談も通じるから、話をしても面白いし楽しい。飲みにいっても、それなりに楽しいに違いない。
 しかし、それはキャンディがホモでないならばの話である。
「本当にそっちの気はないんですよね?」
 念を押すようにそう訪ねると、キャンディは大きくうなずいた。
「本当よぉ。こう見えてちゃんと奥さんもいるし、娘だっているのよ。後で写真を見せてあげるわね」
「……………」
 キャンディは笑顔でそう言ったが、その言葉だけで疑いが完全に晴れるわけではない。しかし、その疑いよりも好奇心の方が上回った。
 よし、と亨は心に決めた。
「嘘だって分かったら、ぶん殴って逃げちゃいますよ?」
 冗談っぽく亨がそう言うと、キャンディは親指と人差し指で丸を作ってみせた。
「オッケー、全然問題なし。でも、顔を殴るのはカンベンね。あたしの命だから!」
 その返答に、亨はくすりと笑う。
 まあ、なんとかなるだろう。いざとなったら亨だって男である。若さで勝っている分、走って逃げることも可能だろうと、そう思った。
「それじゃ、お言葉に甘えて飲みに連れて行ってもらおうかな? 俺、あと一時間もすれば上がれると思います」
「きゃっぽー、やったね♪ それじゃあたし、亨くんの仕事が終わるまでの間、他のお仲間たちと倒錯した乙女の世界に浸ってることにするわん」
 キャンディは大喜びで亨に投げキッスとすると、ティーカップを手に持って他のテーブルへと移っていった。
「いやだ、みさピー、お久しぶりー。相変わらず元気そうじゃなーい? 今日もとっても美人よぉ。あたしには負けるけど」
 すぐにそこで、同じように女装した他の客たちと、楽しそうに会話に花を咲かせだす。それを目で追いながら、亨はため息交じりに苦笑した。
 誘いを受けて、本当によかったのか。
 ちょっぴり心配だが、しかし、楽しみなことでもある。一体キャンディの本性とはどんな人物なのか。
 終業まで残り一時間。ワクワクしながら亨は仕事に励んだのである。

 そして一時間後。
 先に店を出た亨は、キャンディとの待ち合わせ場所である本屋の前で、雑誌を立ち読みしながら時間を潰していた。
 すると、そんな亨の肩に誰かが手をポンと置いた。
 やっと来たか、と振り向いた途端、亨の目は信じられないものを見たように、これ以上は無理ってほどに大きく見開いてしまった。
「遅くなったね、ずい分待たせてしまったかな?」
 目の前の男は涼やかに笑う。―――が、亨はそれに答えるどころではない。
 身にぴったり合った高級そうなスーツに身を包み、品よく微笑みながら自分の前に立つ、この堂々としたやり手のIT社長みたいな男前は誰ですか?!
「も、もしかして、キャンディさん…?」
 しーっ、と男は自らの唇の前に指を立てた。そして、口元に手を添えると、いたずらっぽい顔をして小声で囁く。
「それはあの店の中だけでの名前だよ」
 そして、スーツの内ポケットから名刺入れを取り出すと、中身を一枚抜いて亨に手渡した。
「本名は高柳という。よろしくな、亨くん」
 胸を張り、貫禄さえ漂わせている高柳からもらった名刺には、彼の名前と、その上に肩書きとして「代表取締役社長」と記されてある。
 品よく微笑む高柳の前で、亨は思わず絶句してしまった。


「えっ、それじゃ高柳さんって、俺の先輩なんっすか?」
 二人が入ったのは、ビルの屋上で夏限定で開かれているビアガーデンである。大ジョッキを手に持ち、豪快に乾杯して乾いた喉を潤した後、高柳の話しを聞いた亨は、驚いたように瞬きをした。
「ってことは、もしかしてきみもT大?」
 少し驚いたようにしながら、高柳は嬉しそうに問う。
「はい、今年入学したばかりです」
「へえ、奇遇だな。なあ、教養学部の助教授で、頭の毛がバーコードみたいなヤツがいるだろう? すごく嫌なヤツでさ。暇さえあれば爪楊枝で歯をほじっていて汚らしいヤツ!」
 昔を懐かしむように高柳が言うと、笑いながら亨がうなずいた。
「あの人、今はもう教授ですよ。んで、やっぱり嫌なヤツです。重箱の隅をつつくようにネチネチと生徒苛めするから、大の嫌われ者。昔はバーコードだったんですか? 今はまるっきりのハゲっすよ。んで、鼻がやたらとデカイから、御茶ノ水博士なんてみんなから呼ばれてます」
「ははは、俺たちの頃もそう呼んでたよ。そっかー、あいつ教授になったのかぁ」
 それからしばらく、二人は大学の話に花を咲かせたのである。
 一時間ほどたち、ほどよく酔いもまわってきたところで、ライターでたばこに火をつけながら高柳が言った。
「きみは訊かないんだな。あの趣味のこととか、俺の仕事のこととか。興味ない?」
 つまみの枝豆をつまんでいた亨は、手を止めて少し考えると、やがて明るく笑った。
「興味はあるけど、でも、どんな仕事していようが、どんな趣味を持っていようが、それは人それぞれでしょう? 聞いたところで、どうなるもんでもないし。俺としては、高柳さんが大学の先輩であることが分かって、飲んで楽しい相手であることも分かって、それだけで充分ですから。ただ、教えてくれるっていうんだたら、それはもう大歓迎です」
 その答えが気に入ったのか、高柳はにっこりと笑った。
「そうか。きみはいい子だなぁ。顔もいいし、女にもさぞかしモテるだろう」
「いえいえ、高柳さんほどじゃないですよ」
 笑いながら亨が言うと、「そうはそうだろうけどね」と冗談っぽく言って高柳も笑った。そして、なにかを思い出したように、足元のカバンに手をのばした。
「そう言えば、娘の写真を見せると約束していたね」
 手帳を取り出すと、そこから一枚写真を抜いて亨に渡す。
「かわいいだろ。今年で五才だ」
「ホントだ。目元がお父さんそっくり」
「よく言われるよ」
 とても嬉しそうにそう言った高柳の顔から、彼が心から娘を愛していることが伝わってくる。
「将来美人になりそうで、お父さんとしては心配ですね」
 言いながら亨が写真を返すと、受け取ったそれを愛しげに高柳は見つめた。
「まあね。ただ、近頃は口調が妻に似てきてね、それだけは、ちょっといただけないけどな」
 たばこを口に含み、高柳はゆっくりと煙を吐き出した。それが空気に溶ける様を感慨深げ見つめていたかと思うと、ふいに高柳は亨に質問した。
「なあきみ、TAKAコンツェルンって知ってるか?」
 当然、といった感じで亨はうなずく。
「もちろん知ってますよ。日本屈指の大財閥じゃないですか」
「俺ね、実はあそこの御曹司なんだよね。親父はTAKAコンツェルンの総裁。数年後、すべてが俺の物になる予定」
 さらりと高柳は言ったが、亨は仰天してとびあがった。
「マ、マジですか?!」
「ああ、おかげで子供の頃から、勉強しろ、人に負けるな、人の上に立つことの何たるかを知れだの、そりゃもう色々なことを親から要求されてきてね」
「帝王学ってやつですか?」
 高柳はうなずく。
「兄弟はたくさんいるが、俺以外は皆愛人の子だ。母のプライドもあるから、俺が彼らに負けるわけにはいかないだろう? すべてにおいて一番を要求されてね。思い出してみても、子供らしい遊びをした記憶なんて一切ないくらいだ」
「はあ…それで大学もT大なんだ」
「そう。あの大学に入ったのだって俺の意思じゃない。ついでに言えば、結婚だってそう。親父から命令された通りの相手と結婚した。俺の人格なんてあったもんじゃないよ。そんなこんなで色々な重圧やらストレスやらで気が変になりそうになった時、やっと見つけた密かな趣味がアレってわけなのさ」
 突然のことになんと言っていいのか分からず、亨は複雑な顔をした。高柳はにっこりと笑う。
「女装して女言葉使ってバカやってる時だけは、自分自身に返れる気がする。というより、バカなことをやってること自体が嬉しいんだ」
「それって、子供が親に隠れて、こっそり火遊びするみたいな感じですか?」
「そうそう、まさにそんな感じ」
 高柳は笑いながら、何度かうなずいてみせた。
「意外と多いんだよ、俺みたいな人間。ああいう店で女装してる仲間たちには、どっかの会社の重役やら、学校の先生やら、医者やら、社会的に責任のある職業についている人間が多い。きみの勤めるあの店は会員制だろう? 信用できるから、特にその傾向が強い」
「そうだったんだ。俺、客の個人情報はまったく聞いてないから、全然知りませんでしたよ」
 確かに思い出してみると、あの店にくるお客たちは、それはもう楽しそうに生き生きとした顔で皆はしゃいでいる。
 これまで女装する人間の気持ちなんて、これっぱっちも分からなかった亨である。でも、高柳の話を聞いて、少しはそれが分かるようになった気がした。
 みんな、大変なんだ…。
「あの店以外のああいった趣向の店にも、行くことはあるんですか?」
「時々はね」
 短くなったタバコを、高柳は灰皿でねじ消した。
「会員制じゃない店に行くこともある。そっちはそっちで面白いよ。本当に色々な人が来るからね。会員制の店に来る客ってのは、それなりに地位や名誉のある人間ばかりだけど、そうじゃない店の客っていうのは、もう上から下まで多種多様だからね。そっちで仲良くなった客に、私立探偵ってのもいたなぁ。これがまた面白い男でね。他にもいかつい土木作業員の青年とか、定年後に清掃のアルバイトしているおじいちゃんとかもいたなぁ」
「へぇ、色々な人がいるんですねぇ。なんか面白そう」
「よかったら、きみもお仲間になるかい?」
 そう誘われたが、それには亨も苦笑しながら首を横に振った。
「俺、今のとこストレス溜まるようなこともないから」
 特に気分を害した様子もなく、「それは羨ましい」高柳は笑った。その後、少し顔をしかめて話し出す。
「俺の回りにいるのは、何十も年上の重役たちや取引先相手ばかりでね。同世代どころか、きみみたいに若い人と触れ合う機会なんて、皆無に等しい。学生の頃も勉強ばっかりで周囲はみなライバルだったから、俺には友人と呼べる相手がほとんどいない。それで余計にストレスが溜まるというワケさ」
「大学生の頃はどうだったんですか? その頃が一番自由に遊べたり、友達作ったりできたんじゃ…」
「大学に通うのと平行して、親父の秘書見習いをさせられていたからね。遊ぶ暇なんて全くなかった。十代から接待したりされたりの、酒三昧な日々だよ」
 苦虫を噛み潰すような顔をしていた高柳だったら、やがて伺うような目を亨に向けた。
「―――またこんな風に飲みに誘ってかまわないかな? 気兼ねなくバカな話をしたり、仕事とは関係ない話のできる相手が俺には必要なんだ。いや、迷惑なら正直にそう言ってもらってかまわないんだけど」
「迷惑だなんてとんでもない!」
 真面目な顔で亨は答えた。
「でも、俺なんかでいいんですか? もっと高柳さんと年の近い人の方がいいんじゃ…」
「同世代では難しいな。最初はそうでなくても、次第にゴマをすってくるようになる。ほら、これでも一応、俺は財界の大物になる予定の男だから」
 冗談めかして高柳は言ったが、しかし亨は笑えなかった。
 亨には友達を大切にする。その存在がどれだけ必要でかけがえのないものなのかを、よく知っているからだ。
 地位や立場のせいで友達が作れないという高柳を、亨は心からかわいそうに思う。だから、誠心誠意心をこめて言った。
「俺なんかでよかったら、ぜひ高柳さんの友達にしてやって下さい。こちらこそ、よろしくお願いします!」
 亨が台に手をついてペコリと頭を下げてみせると、高柳はとても嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう」
 そんな高柳に、少し考えてから亨は問いかける。
「家を飛び出してやろうとか、思ったことないんですか? 色んな重圧から解き放たれて、自由になろうって。俺だったら、そう考えるような気がするんだけど」
「確かにね、そういう考え方もある。でも…」
 高柳は肩をすくめた。
「人にはそれぞれ悩みがあるだろう? 他人にとってはちっぽけな悩みでも、本人にとっては重大だったりする。生きている限り、どこに行こうがなにをしようが、必ず悩みはついてまわるんだ。悩みには大小の差なんてない。どんな悩みでも、その人にとってはとても苦しいし、辛い。だったら、今自分の抱えている悩みから逃げることは無意味だ。逃げても悩みはなくならない。逆に増えていく一方だからね。だったら、立ち向かって一つ一つ解消していく方がいい」
 それまで独り言を語るように話していた高柳が、そこで不敵な笑みを亨に向けた。
「人間は一度逃げると、逃げグセがついてしまう。そうなると、もう負け犬だ。俺はね、亨くん。一度しかない自分の人生、ずっと自分を負け犬だと思って生きていきたくはないんだよ」
「それは…なんとなく分かる気がします」
 真剣な顔で亨が言うと、高柳は小さく笑った。
「きみも逃げ出さないタイプっぽいもんなぁ」
「そう見えます?」
「見えるさ。俺は負け犬が嫌いだからね。そういった人間を、こうして飲みには誘わないさ。亨くんが俺の立場だったら、きっときみも逃げ出さないさ。壁をぶち破ってでも進んで行くタイプだね」
 亨がテレくさそうに頭をかくと、「人を見る目を養うのも帝王学の勉強の一つさ」と高柳は笑った。
「俺はいつか父親を超える総裁になる。それが今の俺の目標だよ。将来オレの肩には数万人の社員と、その家族の人生がかかってくる。そう考えると、そのプレッシャーに耐えられずに逃げ出したくもなる。しかし、それをやり遂げた時の達成感といったら、きっとそれまでの苦労とは比べ物にならないくらいの満足感を、俺に与えてくれると思うんだ」
 言い終えた高柳は、やる気と自信に満ちた顔を亨に向けた。かと思うと、いたずらっぽく片目を閉じてみせる
「それを実現するためにも、例の趣味は俺に必要不可欠ってワケなのさ。きみみたいな友達もね」
「息抜きも必要っすもんね」
「そういうこと。店に寄った時は、またよろしく頼むよ」
「お任せください、キャンディさん」
「だから、その名前は外では禁句だってー」
 二人は顔を見合わせて笑い合うと、ジョッキを持って大きく乾杯しなおした。


 高柳と別れて家に帰る道すがら、亨は星の瞬く空をながめながら考えた。
 世の中には色々な人がいるもんだな、と。
 貧乏人には貧乏人の、金持ちには金持ちの、大金持ちには大金持ちの悩みがそれぞれあるらしい。その悩みにはどんな差もなく、逃げるくらいならは打ち勝つ方を選ぶと言い切る高柳を、亨はかっこいいと思った。
 そして、なんとなく自分の悩みのことを考えて、ちょっとばかり凹んでしまう。
 目下の亨の悩みというと、言うまでもなく水樹との関係に他ならない。生まれながらに高柳の背負わされてきた重圧に比べると、なんとショボイ悩みなのか。
 そもそも、自分のしたいこととはなんなのか。
 水樹と一緒にいて、いつも守ってあげて、大切にして……水樹の幸せにすることこそが、彼女に笑顔を作ることこそが自分のしたいことだったはずだ。そして、そうすることによって、自分も幸せに笑っていられる。
 果たして、今の自分にそれができているのか? それを考えると、「NO!」と言わざるをえない。
 一緒に暮らすようになってからずっと、亨はセックスのことで水樹にプレッシャーを与えてきた。気を使っていた時期もあるが、それができなかった時期もある。
 今は居候が二人いるから、そのプレッシャーから逃れられて水樹はホッとしているはずだ。
 でも。
「それじゃダメなんだよなー」
 反省しながら、亨は足元に転がっていた石ころを蹴飛ばした。
 自分といる時こそ、水樹が一番リラックスできるようにしてあげなくては。
 それでなくても、水樹はストレスと溜めやすい性格をしている。
 自分では強いつもりでいるが、いや、確かに水樹は強いが、でも亨の目から見ると、とても無理をしているように思ええてならない。そして、もっと悪いことには、水樹自身がその無理に気づいていないのだ。
 プライドが人並みはずれて高い水樹は、自分が弱いことを許さない。そのことが、彼女に無理を強いる。ストレスが溜まり、いつもピリピリすることになる。
 亨と出会って、水樹は少し変わってきた。鋭い角がとれ、ほんの少しだけれどやわらかくなった。そのことを、亨はとても嬉しく思っていたのである。
 それなのに。
 ここ二、三日、どうも水樹の様子がおかしい。
 無理矢理怒ったような顔をしているというか、機嫌が悪くなくても悪いフリをしているというか。
 とにかく、亨に甘えるような態度をいっさい取らないのだ。
 そりゃ、お邪魔虫が二人もいるのだから、それも仕方のない気もするけれど、でも、なにかがおかしい。
 役割分担で最初に決めていた亨の仕事、古新聞(リサイクル)のゴミ出しさえ、
「平気よ。これくらいわたしでも持っていけるわ」
 などと言って、亨の手から奪ってまでして、一ヶ月分の紐でしばった重い古新聞を、水樹は自分でゴミ収集所まで運んだのである。
 そんなに持って行きたいのならば、と亨は特に反対しなかったが、頭の中では?マークが飛び交っていたのだ。
 実はこれ、
「亨がいなくても、わたしはなんだって一人でできる。だから、もう亨には甘えない」
 という水樹の決意からきているものなのであるが、そんなこととは知らない亨にしてみれば、水樹の態度はワケの分からないものでしかなかった。
 なんか変だな、と思いながらも、水樹が自分から理由を言ってこない以上、それを問いつめるつもりは亨にはない。必要があれば、水樹が自分から話してきてくれるはずだから。
 そんなワケで、亨は不思議に思う気持ちを顔にも口にも出さず、少し様子を見てみることにしたのである。  ―――――が。
「もしかすると、ストレスからきてるものなのかもしれないな」
 歩きながら少し考えて、誰にともなく亨は呟いた。
 亨と二人で住むことにさえ、最初の内はかなりストレスを感じていた水樹である。それが、急に赤の他人二人と同居することを余技なくされたのだ。しかも、その内の一人は同世代の男だ。
 吉田を家に入れることを許したのは水樹である。しかし、だからと言って彼の存在に水樹がストレスを感じていないかというと、そうは言い切れない。
 いや、逆に、だからこそ文句も言えずに、ストレスを溜め込んでいる可能性も高いと亨は思った。
 それに、これは亨自身も同じことが言えるのであるが、やはり二人きりで過ごせる時間がかなり減ったことに、水樹もフラストレーションを溜め込んでいる状態にあるのかもしれない。
 うん、それはかなりありえる。
 歩く速度を速め、亨は家へと急いだ。
 近いうちに、水樹と二人だけで遊びに出かけよう。そして、水樹の思うまま、好きなように行動させ、少しストレスを発散してあげよう。
 高柳が女装して息抜きをしているように、水樹にも息抜きの場が必要なのだ。
「よし、帰ったら早速水樹に話そう」
 二人きりのデートとなると、それはもちろん亨にとっても嬉しいことである。
 水樹もきっと喜んでくれる。
 そう思いながら、亨は家へと続き道を急いだ。




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