いくら人付き合いと友達作りが苦手な水樹でも、毎日大学に通っていると、それなりに顔見知りの人間も増えてくる。
水樹が食堂で昼食をとっていると、三人の女たちがにこにこ顔で寄ってきて、許可も取らずに隣や向かいの席に腰を下ろした。しっかりメイクをほどこした、ちょっと派手なタイプの女たちである。
無視して食事を続けながらも、その内の一人は同じ学部の同期生で、確か名前を横田恵美といっただろうか、と水樹は頭の中で考えた。少しきつめのウェーブのかかった長い髪が下品に印象的で、なんとなく覚えている。確か、以前にコンパに誘われたことがあったような。勿論、断ったが。
雰囲気から、向こうは水樹の方から話しかけてくることを期待しているようであったが、そんなことをしてやる義理はないので無視し続けた。
彼女たちから香る香水が、不快に水樹の鼻を刺激する。
香水を使う女たちを、水樹はあまり好きにはなれない。
そもそも香水なんてものは、体臭のきつい白人のためのものである。それを日本人の、しかも不快な体臭なんてほとんどない若い女が使用する意味が分からない。
早くどっか行け、とか水樹が思っていると、ついに恵美がこらえきれずに話しかけてきた。
「ねえ、田所さん。この間の話だけど覚えてる?」
そこでやっと、水樹は恵美に視線を向けた。
「この間のこと?」
「いやだ、忘れちゃった? コンパよ、コンパ。ねえ、一緒に行きましょうよ」
「悪いけど、興味ないの」
水樹が即答すると、恵美は少し焦ったような顔をして食い下がってきた。
「そんなこと言わないで、ね、行きましょうよ? 楽しいわよ?」
他の二人の女たちも、異口同音に行こう行こうと騒ぎ立てる。
無表情だった顔を、微かにだが不機嫌そうに水樹はしかめた。友達でもないのに馴れ馴れしくされるのは大嫌いだ。無視してこの席を去ろうと水樹が立ち上がりかけた時、
「男が全部おごってくれるからお金はいらないし、気に入らなかったらすぐに帰ってもかまわないから。ねえ、お願い。あたしを助けると思ってさー」
恵美がそう言って両手を合わせた。笑いながらの仕草ではあったが、その言葉の内容に、水樹を興味を引いた。
「わたしが行くことがあなたの助けになるの? どういうこと?」
恵美はふふっと笑うと、友達二人に視線を回した。そして、言う。
「実はね、あたしの狙ってる男がいるんだけど、あ、ちなみに松島くんって言うのね。その松島くんが言ったの。田所さんが来るなら自分もコンパに行くって。あたし、絶対に松島くんに来てもらいたいのよ」
「松島くんだけじゃないよ。他にも、田所さんが来るなら自分も行くっていう男たち、いっぱいいるのよ。しかも、けっこうイケメン揃い! だから、ねえ、お願―い」
水樹の向かいに座るショートカットの女が、媚びるような目で体をくねらす。
「……………」
そんなくだらないことで自分をコンパに誘ったのか、と水樹は内心腹を立てる。
人を男寄せに使おうとするなんて、失礼にもほどがある。
が、ちょっと気になることがあったので、水樹はそれを恵美に質問してみた。
「その松島くんて子がわたしを目当てにしてるのなら、逆にわたしがいてはマズイんじゃないの? あなたの立場から考えると」
「あら、そんなの平気よぉ。取り合えず、来てくれさえすれば」
恵美は自信有りげに笑う。
「お酒いっぱい飲ませて、後は上手くホテルに引っ張り込むから。ま、ヤらせてしまえばこっちのものよ」
「ヤら……」
水樹はの目を点にして絶句した。
そんなことはおかまいないしに、恵美の奥に座る赤っぽい茶髪の女が、いたずらっぽく無邪気に笑いながら言った。
「男も女も、ヤって情がわくのは同じだもんね。やっぱ、裸の関係は強いわー」
「大丈夫、絶対にヤり逃げなんてさせないから。取りあえず、一度関係さえ持っちゃえば、後は上手くやれる自信があるの。だから、ねえお願い。どうしても田所さんには来て欲しいのよ。さっきも言った通り、顔を見せたらすぐに帰っていいから」
ていうか、できればすぐに帰って欲しい、と口に出さなくとも恵美の顔には書いてある。
そんなコンパに誰が行くか。っていうか、なにを言ってるのよ、この人たち?!
ホテルに引っ張り込む? ヤらせてしまえばこっちのもの?
聞いた話のあまりの内容に頭をクラクラさせながらも、なんとか冷静を保って水樹は言った。
「悪いけど、やっぱりコンパには行けない」
用事があろうとなからろうと、こんな頭のおかしいヤツラと共に、貴重な時間を過ごしたくはない。同じ空気を吸っているだけで、こちらの頭が悪くなりそうで気分が悪い。
正直、側にいるだけでかなり不快だ。
鼻につく強い香水の香りが、一秒ごとに水樹の不機嫌度をアップさせる。
そんなことにも気づかずに、恵美たち三人は
「えー、どうしてよぉ?」
とか、
「田所さんって付き合い悪いー」
など、不満の声をピーチクパーチクさえずっている。
「ねえ、いいじゃん。行こうよー?」
恵美が水樹の肩に手をかけた。
それまで努めて無表情でいた水樹の片眉が、ピクリと吊りあがる。
青桐学園在学中に比べてかなり人間が丸くなったとはいえ、そこは氷の女王とあだ名された田所水樹である。これ以上ガマンしてやる義理がどこにある?!
とはいえ、ここは大学の食堂である。周りには他の学生もたくさんいる。
コホンと咳払いをひとつして心を落ちつけると、水樹は何気に恵美の手を肩から払いつつ、
女でさえ見惚れるほどの美麗な笑顔をその顔に浮かべた。
「せっかくだけれど、やっぱりわたしコンパには行かないわ」
笑っているはずなのに、なぜか寒気を感じる水樹の笑顔である。
その冷たさと美しさに飲まれ、一瞬言葉を忘れていた恵美たちではあるが、ハッと我に返ってすぐ様文句を言い始めた。
「なんでぇ? 行けば楽しいわよぉ?」
「そうよそうよ。タダで飲み食いできるし、男はチヤホヤしてくれるしー」
「ねえ、行きましょうよー。一緒にいい男ゲットしましょうよ!」
「いえ、行かないわ」
相変わらずの笑顔で水樹は言う。
「だって、わざわざコンパになんて行く必要ないんですもの。なぜだか分かる?」
「なぜって………?」
と、そこまでにこやかな顔をしていた水樹が、一変して相手を見下すような表情を浮かべた。
「だって、嫌でも掃いて捨てるほど男は寄ってくるんですもの。ええ、もう
ウンザリするくらいにね。コンパにでも行かなきゃ男一人捕まえられない
憐れなあなたたちと、このわたしを一緒にしないでいただける?」
瞬時にその場がシーンとなった。
恵美たちは水樹の気迫に押され、口をあんぐり開けるだけで、言葉を発することができないでいる。
そんな彼女たちをしばらく鋭い視線でにらんだ後、またもや温かい笑顔をにっこり見せながら水樹は言った。
「わたしの言ったこと、回転の鈍いあなた方の頭でちゃんと理解できたのなら、もう二度と話しかけてこないでいただきたいわ。それじゃ失礼」
ストレートの艶やかな黒髪をフワリとひるがえして、水樹はその場から立ち去った。
そんな水樹の後ろ姿を、恵美たち三人は茫然と見つめる。
そして、しばらくして恵美がボソリと呟いた。
「…田所さんって、かっこいい……!」
その日は金曜日だったので、水樹は講義を受け終わると、家に戻ることなくその足で柏木家に向かった。
そんな水樹を、里奈が興奮気味に出迎える。そして、慌てたように手を引くと、急いで自分の部屋へと引き込んだ。
「先生、ちょっとこれ見て!」
部屋に入りドアを閉めた途端、里奈は開いた雑誌を水樹につきつけた。
「ホラ、ここ! 夏休みに入ってすぐ、大手のタレント事務所が新人発掘のためのスカウトオーディションを開催するの。部門は歌手、俳優、モデル、声優の四つ。あたし、この歌手部門でオーディションに出たい!」
水樹はその雑誌のオーディション関係部分に一通り目を通すと、少し怒ったような顔を里奈に向けた。
「今年は勉強に専念するよう、言っておいたはずだけど?」
美人のにらみにはかなり凄味がある。しかも水樹の場合、これまでの人生、散々人をにらっみまくってきたという経験があるだけに、その迫力もヒトシオである。
今日だって、バカ女三人をにらんでばかりだ。
そんな水樹のにらみに体をビクつかせつつ、それでも里奈は懇願するような目をして言った。
「わたし、どうしても受けてみたいの! 勉強はがんばる。絶対にサボらない。先生の言うこともよく訊く。だから、お願い! このオーディションを受けるのを許して!!」
祈るように手を合わせて自分を見つめる里奈を、水樹はしばらく無言でみつめていた。
これまでの里奈との付き合いで、彼女がどれほど歌手になるという夢に熱意を持っているか、水樹はよく分かっていた。そして、それを自分も応援するつもりでいる。
しかし、二人の間での約束で、今年中は派手な行動は起こさず、ひたすら真面目に勉学に励むことになっていた。
チラリとまた、水樹はオーディションの記事に目を落とす。
「……三次審査まであるのね。その後に最終審査。かなり厳しいけど、どうなの? いいとこまでいける自信はあるの?」
「それは、正直言ってまったくない。でも、自分の今の実力が一次にも受からないものなのか、それとももう少しは上にけるものなのか、それだけでも試してみたいの」
「わたしに黙って受けることもできたのに、正直に言ったのはどうして?」
「それは……」
里奈が真剣な顔をする。
「後でバレた時のことを考えると怖いもん。それで水樹先生に嫌われるくらいなら、最初から話しといた方がいいと思って」
なるほど、それは感心できる心構えである。
「でもこれ、十八才未満の子がオーディションを受ける場合、親の承諾は必要みたいよ。ほら、ここに書いてある」
「うん、それもあって、水樹先生に事前に報告したの。お母様の承諾を取るのに協力してもらいたくって。ねえ、ダメかなぁ? 先生はやっぱり反対?」
「……………」
しばし水樹は考える。
本音を言えば、こんなことにかまっていないで勉強に集中して欲しいところではある。
しかし、里奈の気持ちも分からないではない。
うーん、としばらく考えてから、水樹は里奈に言った。
「分かったわ。オーディション受けなさい」
「いいの?!」
里奈の顔が歓喜に赤らむ。
「ええ。お母様も説得してあげる。その代わり、勉強はちゃんとするのよ、分かった?」
「はい、分かりました!」
元気に返事をする里奈。しかし、次の瞬間に不安の色を浮かべた。
「先生、本当にお母様を説得できる?」
「大丈夫よ。任せておきなさい」
自信有りげに水樹は小さく笑った。
その日の授業が終わるとすぐに、水樹は階下に下りて里奈の母親の元に顔を出した。
「先生、どうですか、里奈の調子は?」
にこにこと愛想よく、母親は水樹を迎え入れた。初めて会った時から、水樹はこの母親にかなりの好意を持たれているらしい。もちろん、水樹もそれに気づいている。
水樹はにっこりと微笑んで、母親からの質問に答えた。
「ええ、がんばっています。ただ……」
そこまで言うと、少し困ったような顔をして口を閉じた。
それを見た母親が、すぐ様不安そうな顔をする。
「なにか問題でも?」
「少し集中力に欠けるところがありまして。それに夢見がちな部分も少々」
「夢見がち、と申しますと?」
「ええ、彼女が言うには、将来の希望職業は歌手なんだそうです。お母様、ご存知でいらっしゃいました?」
水樹が呆れ口調でそう言うと、母親は恥ずかしそうに顔を赤くした。
「まあっ、あの子ったらまだそんなことを?!」
「やはり知っていらっしゃったんですね」
冷ややかな顔で水樹は母親を見つめた。
「その夢があるから、勉強に身が入らないようです。これでは、いくらわたしががんばって勉強を教えても無意味なような気がします」
母親は申し訳なさそうに何度も頭を下げた。
「すみません。本当にどうしようもない娘で。わたしの口から、そんな夢は捨てるように厳しく言い渡しておきます」
少し考えるような素振りを水樹は見せた。
「それで上手くいくでしょうか? 反対すればするほど、返って意固地になって夢に対する熱意が高まらないでしょうか?」
「そ、それは……確かにそうかもしれません、あの子はかなりの意地っ張りですし、頑固なところもありますから……」
「そこでわたし、一ついい案を思いついたんです」
手に持つハンカチで額の汗を拭く母親に、水樹は里奈から借りた雑誌を開き、例のオーディション記事を彼女につきつけた。
「里奈ちゃんに、これを受けさせてみたらどうでしょうか?」
え、と母親が驚きの声を小さく上げる。
「そんなものに里奈を?! それはどうして?」
水樹はくすっと失笑してみせた。
「こう言ってはなんですが、受けたところで結果は目に見えてます。一次落ちするでしょう。そうしたらきっと、里奈ちゃんも自分の実力が分かり、もう二度と歌手になりたいだなんてバカなことは言わなくなるのではないでしょうか?」
「……まあ、そう言われてみればそうかもしれませんわね。でも……」
「くだらない夢は、早くあきらめさせるに限ります。ね、そうでしょう、お母様?」
自信満々の水樹の顔をみて、段々と母親もその気になってくる。
「先生のおっしゃる通りかもしれませんわね!」
ふふん、と水樹は心の中で笑う。
品と落ち着きがあって賢そうに見えるが、所詮この母親も元を正せばいいトコのお嬢様。単純だし思慮も浅ければ、人を疑うこともあまり知らない。
「と言うワケで、この書類に保護者の署名捺印していただけますか?」
水樹が手渡したオーディション申し込み用紙を、母親はためらうことなく受け取った。
「分かりました。すぐに判を押します」
部屋で待っていた里奈は、ものの十五分くらいで母親の署名捺印入り書類を持ってきた水樹を見て、目を丸くした。そして、飛び上がって大喜びする。
「きゃー、ありがとう、水樹先生! でも、どうやったの?! すごい! ホント言うと、絶対に無理だろうと思ってたんだ」
冷静になって考えるとかなり失礼なことを言われているのだが、水樹はそれを軽く聞き流した。幼馴染の由香に対してもそうだったが、一度気を許すと定めた相手には、水樹はけっこう甘いらしい。
「まあね、あの手のタイプの扱いには慣れているのよ。わたしの母が同じタイプだから。とは言え、わたしの母と比べたら、あなたのお母様に対して失礼かもしれないけど」
「………先生のお母様って、そんなにひどい人だったの?」
「ええ。直接手を下さなかったとはいえ、人一人殺した人間だから。もう本当に最悪の人よ。医者の父とではなくヤクザとかと結婚していたら、どんな手を使ってでも姐さんの立場まで上がっていったと思うわよ」
「……………」
顔は笑っていながらも、水樹の声には怒気が含まれている。
複雑な顔をした里奈は、これ以上つっこんで訊くのが怖くなったのか、明るい笑顔で話題を転じた。
「そ、それにしても、本当にありがとう。お母様の気が変わらない内に、明日にでも申込書を投函するね」
「ええ。でも、あまり浮かれてもらっては困るわよ。わたしの指示に従って、勉強はちゃんと行ってもらうから。けっこう大変よ。夏休み明けまでに、偏差値を十は上げる予定だから」
「えぇっ、十も?! そんなの無理よ!」
「無理じゃない!」
じろりと水樹は里奈をにらんだ。
「やる前から無理と決め付けるものではないわ。成せば成る! 嫌だとか言うのなら、その申込書は返してもらうわよ!」
申込書をぎゅっと抱きしめ、里奈は水樹から二・三歩後退去った。
「がんばります。死ぬ気でがんばります!!」
水樹は満足そうに微笑んだ。
そんなこんなでいつもより遅くなり、里奈に見送られながら玄関を出た水樹が柏木家のばかでっかい門を出ようとした時である。
「水樹ちゃん!」
後ろから声をかけられて水樹は振り返った。
「母に聞いてね。今から帰るところなんだろう? よかったら俺の車で送っていくよ」
にこやかな顔をしてそこにいたのは、柏木である。
水樹は即座に、しかし失礼のないようにやんわりと断りを入れた。
「いえ、大丈夫です。電車で帰りますから。慣れているので平気です」
しかし、柏木は引き下がらない。
「遠慮することないよ。母からも頼まれたしね。さ、こっちこっち」
強引に腕を取り、ガレージへと連れて行こうとする柏木の手を振り解こうとして、水樹は思いとどまった。柏木のことは気に食わない。馴れ馴れしいのも腹が立つし、妹で里奈を卑下する態度もカンに触る。しかし、そうは言っても亨のバイト先の先輩である。そう邪険にしてはマズイ気がする。
渋々ながらも柏木の後に続き、「さ、乗って」と薦められて水樹が座らされたその車は、いかにもって感じの高級そうなスポーツカーである。色は赤。ボンネットに飾られたマークは黄色地に黒の跳ね馬だった。
車に興味がない水樹でも、この自動車メーカーのことは知っている。それくらい有名な高級車だったし、実は水樹の兄が乗っているのもこのメーカーの車だったのだ。
そのことが、またもや水樹をイラつかせる。
「よし、それじゃ行こうか。場所は知ってるよ。室井くんを家に送ったこともあるからね」
小気味よいエンジン音をたてて、柏木は車を発進させた。
車が動き出すとすぐ、水樹は景色を眺めるふりをして柏木から顔を反らした。
できればこのまま、会話しないままで家に到着して欲しい。
そう思っていた矢先、それまでチラチラと視線を向けていた柏木が、ガマンしかねたように声をかけてきた。
「思ったよりおとなしいんだね。もしかして、緊張してるのかな?」
「はあ」
できれば会話してくないと思っている水樹は、軽く相槌を打つ程度の返事しかしない。無論、顔も窓の外に向けたままだ。
しかし、柏木はそんな水樹のかもし出す空気も読めず、べらべらと話しかけ続ける。緊張をとくつもりなのかもしれないが、正直、ウザったいことこの上ない。
あんなバカな妹の面倒を見てくれてありがとうだとか、自慢じゃないがこの車は2千万もしただとか、今日はバイトが休みだったので朝から彼女とデートしたけどつまらなかったとか、どこそこの高級イタリアン料理はとても美味いだとか、もう本当に水樹にとってはどうでもいい話ばかりである。
しかも、そのほとんどが自慢話なものだから、耳障りなことこの上ない。
だからもう、右耳から左耳にすっぽ抜け状態で水樹は話を聞いていたのだけれど、柏木のあるひと言が耳に入り、初めて顔を運転席に向けた。
「はい? 今なんて……?」
「いや、だから、室井くんと水樹ちゃんはお似合いのカップルだって話さ。水樹ちゃんも男にモテるだろうけど、室井くんもよくモテてね。ついこの前も、同じバイト仲間の女の子に告白されてたよ」
様子を伺うように、柏木はチラリと水樹に目を向けた。実に楽しげである。
そんな柏木にカチンときながらも、すぐに水樹は笑顔を浮かべた。
「まあ、そうなんですか? 知りませんでした」
にやにやと柏木が笑う。
「あれ、聞いてなかった? まずかったかなぁ、こんなこと話しちゃって」
その言い方と顔の表情から、その告白を水樹が知らないと踏んで、わざと話したことが分かる。
ムッとしながらも、水樹はにっこり笑って柏木の問いに答えた。
「いいえ、とんでもない。亨が女の子に人気があることは、高校の頃からよく知ってますから。別に気になんてしません」
「ふーん、そっか。余裕だね」
あっさりした水樹の反応がつまらなかったのか、面白くなさそうな顔を柏木はした。
水樹はふふんと楽しい気分になる。期待通りの反応をしてあげるほど、水樹はサービス精神旺盛ではない。
しかし、柏木の真意をつかめずに、怪訝そうな目を向けた。どうして柏木は、わざわざそんな話を自分にしたのか? 自分を嫌な気分にさせるため? こちらが相手を嫌っていることは当たり前だが、向こうも自分を嫌っているのだろうか?
そんなことを考えている間に、車は水樹の住むマンションの前に着いた。
エンジンをかけたまま車から降り、柏木は助手席側のドアを開ける。
「……ありがとうございます」
自分でドアくらい開けられる。そうすれば、こんなお礼の言葉など言わなくてすんだのに、と、水樹はまたもや気分を悪くする。
そもそも、キザな男は大嫌いだ。助手席のドアを開けるのもそうだが、レストランで椅子を引いてくれる男も言語道断。気色悪くて吐き気がする。所かまわず歯の浮くセリフを言うやつなんて、まさにこの世の害虫、生きている価値などないと思う。
だいたいアレだ。
キザな人間っていうのは、自分がなによりも一番好きなのだ。言わば、究極のナルシスト!
だから、自分以上に誰かを好きになることなんてないし、大好きな自分のためならどんなに横暴で自分勝手で人に迷惑なことでも平気でやる。
宗太郎がそうだった!
横でなにやらしゃべっている柏木を完全に無視し、そんなことを考えて必要以上に不機嫌になっていた水樹は、だから突然柏木が顔を寄せてきたことにまったく気づかなかったのだ。
柏木の唇が水樹の頬に触れる。
「!」
「車で送ったお駄賃ね」
にこやかにそう言うと、目を点にする水樹の前から柏木は逃げるように去っていった。軽快な音とたてて車が走り出す。
そんな車の後ろ姿を見送りながら、そこでやっと水樹は我に返った。地を埋め尽くすほどの怒りが体全身にみなぎる。
「あ、あ、あのクソ野郎っ!!!!」
普段の水樹からは考えられないほどの下品極まりない言葉が口をつく。
「なによ、アイツ。信じられないわ! 頭おかしいんじゃないの!? 死ね、事故に会って死ねばいいのよ!!」
急いでカバンからハンカチを取り出すと、それでゴシゴシと頬を拭いた。
もう最低だ。気持ち悪い。腹が立つ。彼女だっているくせに、なんなのだ、あの男は!
そんな風に、これ以上ないってくらい怒っていた水樹だったが、実は彼女以上に怒っていた人間がいた。
それは、バルコニーから一部始終を見ていた亨だったのである。
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