普通だったら絶対にやらないし、やろうとも思わなかっただろうが、この時の彩は内田を守ることで必死だった。だから、他のことなんて一切考えられず、職員室から放送室の鍵を盗み出すなんていう芸当を、なんのためらいもなくやってのけたのである。運も味方していたのか、教師の誰にも見つからずに鍵を手に入れることができた。
内田のために、一分でも一秒でも早くみんなの誤解を解いてあげたい。これ以上内田に嫌な想いさせたくない。
それ一心で、盗んだ鍵を使って放送室に忍び込むと、誰にも邪魔されないように内側から鍵をかけた。放送室のドアには、外からかけるものと内からかけるもの、二種類の鍵が設置されてあるのである。
そして彩は、すぐにマイクの前に立つと、その周辺の機材をざっと眺めた。
放送室に入ったのなんて、これが初めてのことである。だから、機材の使用法なんてまったく分からない。ふと自分の右側にある棚に目を向けると、そこに放送機材の簡易マニュアルがあった。急いでそれに目を通す。
「―――ふんふん、これが音量の調節で、こっちが放送範囲していボタンか。そして、これが開始ボタンね。よーし!」
彩は人差し指でポチッとスイッチを押すと、息を大きく吸い込んで肺に空気をためこんだ。そして、マイクに向かって大きな声で話し始めたのである。
「桜ヶ丘のみなさん、こんにちは! わたしは高等部一年の水谷彩といいます。今日新聞部から発行した新聞に名前が載った水田にです。あの新聞記事の内容について、みなさんに聞いて欲しいことがあります。あれに書かれてあったこと、あれは全部デタラメなんですっ!!」
そこまで言ったところで、彩はちょっとひと息ついた。そして、頭の中で次に言うべきことを瞬時にまとめると、またすぐに話し出す。
「確かにここ数週間、わたしと内田さんは放課後の行動を共にしていました。でも、それは付き合っているとかそういうことじゃなくて……えっと、その、つまり……そう、先輩後輩として色々と悩みを聞いてもらっていたりしただけなんです。なんでそんなことになったのかっていうと、それは話すと長くなるので省略………いや、ぶっちゃけ、あたしは内田さんが好きです。大好きなんです。でも、内田さんはあたしのことなんてなんとも思っていません。だから、あたしと内田さんは付き合ってなんかないんです。あんなの新聞部のデッチアゲです。ひどすぎます! どういうつもりですか?! なんのイヤガラセなんですか?! あたしはともかく、内田さんがかわいそうです! 謝って下さい。すぐに謝罪文と訂正文を載せた新聞の発行して下さい! あたしが言いたいことは以上です」
と、そこでマイクのスイッチを切ろうとした彩は、ふと考え直し、もう一度顔をマイクへと近づけた。そして、ためらいがちに口を開いた。
「……内田さん、この放送を聞いていますか? 本当にすみませんでした。今回のこと、すべての諸悪の根源はあたしです。ごめんなさい。あたし――――」
もちろん、内田は倉庫の中からその放送を聞いていた。内田だけではない。桜ヶ丘学園にいるすべての教師生徒が、口をポカーンと開けてその放送を聞いていたのだ。
『諸悪の根源はあたしです。ごめんなさい。あたし―――あたし、こんなに迷惑をかけちゃって、なんておわびしたらいいのか分かりません。本当にごめんなさい』
そして内田は、いてもたってもいられずに、倉庫を飛び出して放送室に向かって走りだした。
走りながら内田は心の中で叫ぶ。
違う、そうじゃない。悪いのは自分だ。彩じゃない。
自分がはっきりしないから、問題から逃げてばかりいたから、だからこんなことになったのだ。諸悪の根源は彩じゃない。むしろ自分の方だ、と、そう思いながら内田は走る。
そもそも、新聞に書かれてあることは、そのほとんどが真実である。確かに内田と彩は付き合っていた。勘違いからだろうとなんだろうと、付き合っていたことには間違いない。
だから新聞も悪くない。悪いのはとにかく自分一人だと内田は思う。無意識に、爪がくいこむほど強く手をぎゅっと握りしめた。。
走る内田の耳に彩の声が響いてくる。
『内田さん、ごめんなさい』
その切なく憂いを含んだ声を聞くだけで、内田の胸はズキズキ痛んだ。
中庭に面したドアの一つから校内に入り、内田は廊下をひた走った。途中ですれ違う生徒たちが、全力で走る内田を驚いたように振り返る。しかし、そんなことは気にもとめずに、内田は彩のいる放送室へと走ったのである。
そして、やっとのことで目的の場所にたどり着くと、そのドアの前には小林が立っていた。
「おう、内田」
「こ、小林……あ、彩ちゃんは?!」
荒く肩で息をつく内田に、小林は親指で放送室のドアを指した。
「この中。内側から鍵かけてるから中に入れないんだよ。まったくもー、とんでもない放送してくれちゃって。――――ま、気持ちは分からんでもないけど」
言ってから小林はチラリと内田を見た。内田は新聞のことで小林に文句を言う気配など微塵も見せず、ドアを心配そうに見つめている。
実際、内田の頭には新聞のことなど欠片もなく、ただただドアの向こうにいる彩のことを心配するばかりだった。
放送室の中でただ一人、彩は今なにを思っているのだろう。あんな放送をするためには、すごく大きな勇気が必要だったに違いない。しかも、彩はその勇気を自分のために振り絞ってくれたのだ。
いてもたってもいられずに、内田はドアをどんどんと叩いた。
「彩ちゃん、俺だよ! 内田だよ! ここを開けて!」
「無駄だ。ここは放送室だぞ? 室内は防音を施されてる。外でどんなに騒いでも中には聞こえない」
小林がそう言った時、坂本が「おーい」と片手をあげて小走りにやって来た。坂本の顔を見た瞬間、内田の心臓がギクリと跳ね上がった。
「なんだ。やっぱり中から鍵かけられてんの?」
坂本の問いに小林はうなずき、内田は苦痛にゆがんだ表情を見せた。
「さ、坂本、あの新聞……」
「その話は後だ、後。それより、ホラ、これ!」
坂本は持ち上げた鍵を内田の目の前につきつけた。
「こんなことだろうと思って、職員室からスペアキーを借りてきた。のんびりしていると、その内にギャラリーがいっぱい集まってくるぞ。他の先生はともかく、教頭はかなりのオカンムリだ。ことが大きくならない内に、早く彩ちゃんを連れ出してこい。俺たちはここで待っているから。ほら!」
「わ、分かった!」
坂本から鍵を受け取ると、内田はドアのロックをはずして放送室に入った。そして、マイクの前で背中を丸めている彩を見つけ、静かにドアを閉める。
「彩ちゃん――?」
内田が声をかけると、うつむいていた顔を彩は上げた。そして、振り返って内田の姿を確認すると、驚いたように立ち上がった。
「う、内田さん!」
「や、やあ、彩ちゃん」
その先なにをどう言ったらいいか分からずに、内田は困った顔をした。
一体自分はどうしてここに来たのか? 彩になにを言いたいのか。
色々なことに混乱している頭では、上手く物が考えられない。でも、ただ一つだけ確かなことは、久しぶりに彩に会えて嬉しいと自分が思っていることだった。その嬉しさは、昨日里美に会った時に感じた嬉しさとは、あきらかに種類が違う。
里美に会えた時に感じた嬉しさは、誕生日にプレゼントをもらった時に感じるような、明るく楽しく、体の表面で感じるような、そんな種類のものだった。
でも、今の嬉しさはそうではない。体の奥深くからゆっくりとにじみでてくるような、そんな嬉しさ。言葉では上手く説明できないが、でも、泉からこんこんと湧き出る清水が全身を満たしていくように、その喜びは内田の心をしっかりと捉え、早鐘が鳴り響くように心臓を高鳴らせた。そして、こんなに嬉しく思っているのに、そこにはやるせなく切ない苦しみが、ほんのわずかではあるが含まれている。
嬉しいのに胸が痛い。
この想いを、内田は以前に感じたことがあった。そう、それは里美に恋をし、切なく眠れない夜を過ごしたあの頃と同じ気持ち。
俺、やっぱり彩ちゃんが好きだ。
自分の目の前に立つ彩を見つめながら、内田はそう思った。
が、今はそんなことを考えている場合ではないことを思い出し、内田は急いで彩に言った。
「あ、彩ちゃん、早くここを出よう? さっきの放送を聞いて、学校中のみんながきっとビックリしてる。早くしないと、人がここにたくさん集まってくるかもしれない。だから……」
「ごめんなさい!」
言葉を途中でさえぎられた内田は、ハッとして彩を見つめた。
彩は泣いていた。大粒の涙をボロボロと流しながら、悲しみと苦痛の入り混じった顔で内田を見つめている。
「…内田さん、ごめんなさい。あたしっ…あたしったら、迷惑かけてばかりいて……っ」
そこまで言うと、彩はぐっと歯を食いしばった。涙だけがボロボロと流れ続ける。
放送を終了してから内田が部屋に入ってくるまでの間、彩は一人放送室の中で考えていた。自分はまたなんてバカなことをしてしまったんだろう、と。
怒りに任せて職員室から鍵を盗み出し、放送室を無断で使用した。しかも、その内容はまったくの個人的なものであり、普通だったら絶対に許されないことである。そして、それだけでもとんでもないことなのに、内田を好きだという自分の気持ちまで、勢いのままに公表してしまった。
もしかすると、自分は内田にかかる迷惑を増やしただけなのかもしれない。
そんなことを考えて、彩は落ち込んでいた。そこに内田がやってきて、なんとも言えない複雑な表情で彩を見つめたのである。彩にはそれが、とても困惑し、狼狽ている顔に見えた。
だから思った。あんな放送するんじゃなかった、と。やっぱりさっきの放送は内田にとって、ただ迷惑なだけでしかなかったのだ、と。
そう確信したのである。
頭から血の気が引き、涙はその量を増やし、胸はまるでナイフで刺されたかのように悲鳴をあげる。
「さ、彩ちゃん、外に出よう?」
遠慮がちに優しく自分の腕をつかんだ内田の手を、彩は振り払った。そして、そのまま床にしゃがみこむと、両手で顔を覆って号泣し始めた。
「あっ、あたしっ……ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 内田さんにいっぱい迷惑かけちゃって……今日もバカなことしちゃって……。なんでこんなにバカなんだろう? 内田さん、呆れたでしょう? ますますあたしのこと嫌いになっちゃいましたよね? ああっ、もう、いっそのこと死んでしまいたい! うわ〜ん!!」
泣き叫ぶ彩を前に、内田はどうしたらいいのか分からない。これまでの人生、女の子から目の前で泣かれたことなんて、今が初めてのことである。
「あ…あ、彩ちゃん。なっ、泣かないで。ね? 俺、彩ちゃんのこと呆れたりなんてしてないから。お願いだから泣き止んで」
「そんなの嘘に決まってます。本当は顔も見たくないって思ってるに決まってる! 仕方ないです。だって、そう思われても当然のことをしたんだもの! 内田さんを好きだってことを学園中に知らせたりして、本当になんてバカなの?! もうこうなったら、あたしにできることは学校を辞めることくらいしかありません。あたし、学校を辞めます。そうしたら、あたしを見て内田さんが不愉快な想いをすることもないし、変な噂もきっとすぐに消えるから!」
驚いて内田は跳びあがった。
「なっ、なに言ってるんだよ?! 俺、そんなこと全然思ってないよ! 頼むから、ちょっと落ち着いて……」
「いえ、いいんです! それに、ちゃんと分かってますから! 内田さんは優しいから、だからあたしを傷つけないようにそう言ってくれてる。でも、本当はあたしのことが大嫌いなんです! 顔も見たくないんです! 当然です! だから学校を辞めます。それが一番いいんです! もう引き止めないで下さい。あたし、決めましたから」
言い終わると、彩はまた嗚咽を漏らしつつ、まるで小さな子供のように泣きじゃくった。内田のあせりは大きくなるばかりである。
「そんなことないってば」
「いいえ、もう辞めます! いいんです! 内田さんに合わせる顔もないし、あたしなんてっ!」
「彩ちゃん、ちょっと話しを…」
「しばらく一人にして下さい! あたしのことなんて気にしないで、早く自分の教室に戻って下さい。 あたしなんて、あたしなんて……」
どんなに内田が慰めようとしても、彩はガンとしてそれを受け付けようとしない。
「もう本当に彩ちゃん、少しでいいから話しを聞いてよ、お願いだよ!」
「もう話すことなんてありません。あたしなんてどうなってもいいんです! あたしなんて…うわーん、死んじゃえばいいのよーっ!」
どんなにがんばっても、もはや鳥つく島のない様子の彩に、内田の焦りは最高潮に高まる。
内田は膝をつくと、心配そうに彩の顔をのぞきこんだ。とは言っても、顔を両手で覆っているため、その表情を見ることができない。仕方なく、戸惑いながらも彩の手をそっとつかんで顔の前からどかした。
「なっ、やめて下さい。こんな涙でぐしゃぐしゃの汚い顔、内田さんに見られたくない!」
内田の手を振り払おうと彩は暴れる。
「ちょっ、彩ちゃん、落ち着いて。ああ、もうっ!」
次に内田がとった行動は、もしそれを坂本や小林が見ていたならば、握った拳の親指だけを立て、「よくやった!」と褒めてくれるようなものだった。
内田は彩の震える唇に自らの唇を押し付けることにより、おしゃべりのとまらない口を塞いだのである。
「?!」
彩の目が大きく見開いた。と同時に、涙も止まる。
しばらくして内田は彩から唇を離した。彩は目を大きく見開いたまま、目前にある内田の顔を放心したように見つめた。
そんな彩に、少し怒ったような口調で内田は言う。
「……俺、彩ちゃんのこと、顔も見たくないなんて思ってないから! それに、嫌いになったりもしていない。それどころか……」
ぎゅっと口を閉じて内田は立ち上がると、マイクの方に目を向けた。そして、その下にあるスイッチを指差し、彩に問う。
「このスイッチをオンにしたら校内放送ができるの?」
彩は無言でコクンとうなずいた。それを確認すると、内田はマイクの前に立ち、目を閉じて大きく深呼吸をした。緊張しているのか、その表情は堅い。
「う、内田さん、なにを……?」
「しっ、黙って聞いてて!」
やがて内田は、微かに震える指で放送開始スイッチをオンにした。
「さ、桜ヶ丘の皆さん。おっ、俺は高等部三年の内田って言います。校内新聞で水谷彩さんとの関係を報道された、あの内田です」
そこまで言って、内田はいったん言葉をきった。ひっくり返りそうなほど心臓は波打ち、膝はガクガクと震えている。
そして、放送室の外では、学園中のありとあらゆる騒音がピタリとやんでいた。すべての生徒と教師がおしゃべりをやめ、驚いたようにスピーカーから流れる声に耳をそばだてる。廊下で待機していた坂本と小林も、目を合わせて互いの驚きを確認し合った。
「内田ってばなかなかやるぅ」
小林が楽しそうな顔で小さく口笛を吹いた時、スピーカーからまた内田の声が流れ出した。
『と…突然こんな放送をしてすみません。でも、どうしても伝えたいことがあって。さっきの放送で彩ちゃ…水谷さんはああ言っていたけど、でも、あの新聞に書いてあることは全部本当のことなんです。ただ、ちょっとした事情があって……。そもそもの始まりは、俺が友達から彩ちゃん宛てのラブレターを預かったことから始まりました』
たどたどしいながらも、内田は一生懸命に自分に起こったことを説明し始めた。
ラブレターを入れようと下駄箱に行ったこと。そこでばったりと出くわした彩が、そのラブレターの差出人が内田であると勘違いしたこと。誤りを修正することができす、二人が付き合うようになったこと。放課後の公園でデートを重ねたこと。二週間以上経っても本当にことが言えなかったこと。そうこうしている内に風邪をひき、見舞いに来た彩にやっと本当にことを告げたこと。
学園中の人間が、静かに黙って内田の言葉を聞いていた。坂本と小林も、自分たちの推理に間違いがなかったことを確かめながら、内田の声に耳を傾けている。
そして、話している内田はと言うと、今自分がしている大胆な行動に、自分自身が信じられないような気持ちでいた。
なんて大それたことを自分はしているのだろう。今すぐここから逃げ出したい。
そう思う気持ちをねじ伏せて、「嘘をつくのは一番いけないこと」というアドバイスをくれた父親と「内田くんは植物のような強さを持っている」という里美の言葉を胸に、内田はマイクに向かって話し続けた。
「―――――そ、そんなワケで、あの新聞に書いてあることと唯一違うのは、俺たちが今は付き合っていないってことだけです。でも、だけど……」
内田は後ろで座り込んでいる彩を振り返った。
彩の視線と内田の視線が空で交わる。その彩の目には、先ほどのキスの意味を問う色が浮かんでいた。
内田は強く拳を握りしめた。そしてまたマイクへと向かう。
「俺たち、だからもう今は付き合ってません。だけど……だけど俺……この約一ヶ月の間ずっと彩ちゃんと一緒にいる内に、彼女のことが好きになったんです! 友達の好きな子なのに…いけないことだって分かっているのに……でも、好きになっちゃったんだ。ゴメン、坂本! 本当にごめん! でも俺、彩ちゃんのことが好きなんだ。どうしようもないくらいに好きなんだ!」
後ろにいた彩がふらふらと立ち上がった。そして、ゆっくりと内田に近づいてくる。
「ホント、ですか?」
震える声で彩が問う。
「あたしのこと好きになったって、本当なんですか?」
内田はうなずいた。
「俺、ずっと自分の気持ちに気づかなかった。でも、そうだったんだ。だから彩ちゃんといると楽しかったし、会えない時は寂しかった。あのラブレターが坂本からのものだって言えなかったのだって、きっとそのせいだったんだ。別れた後は胸が苦しくて自分でもどうしたらいいか分からないくらいだった。………俺、彩ちゃんのことが好きなんだ」
「内田さん」
止まっていた彩の涙がまたあふれそうになったその時、放送室のドアが音をたてて勢いよく開いた。
驚いた内田と彩が振り向くと、そこに坂本が立っていた。
「さ、坂本!」
怯えたような表情の内田を坂本はキッとにらむ。
「ったくよぉ、さっきから聞いてりゃ、甘ったるいことばっかベラベラぬかしやがって。しかも、俺の名前まで発表しちゃってるし」
「あ、あの、俺……ゴメン!」
内田は頭を下げた。
「俺…俺…本当になんて言ったらいいのか。でも、俺、どうしょうもなくて…」
「もういい、黙れ」
坂本は冷たく言い放った。内田の顔が苦しそうにゆがむ。
「俺、こんなことになる前に、おまえに本当のことを話すつもりでいたんだ。本当なんだ、信じて…」
「もういいって言ってんだろ。何度も同じことを言わせるな。事情はさっきの放送で聞いたよ。他になにか付け加えたいことでもあるのか?」
「……………」
奥歯をかみしめ、内田は肩を落としてうつむいた。なにを言ってもいいわけにしかならない。それが分かっているから、内田は黙って息苦しさに耐えた。そんな内田の腕には、彩が不安そうな顔でしがみついている。
しばらくそんな二人を見ていた坂本が、大きなため息を一つついた。そして、内田に声をかける。
「なあ、内田よぉ」
すぐさま内田は顔を上げた。そして、怯えた様子で坂本を見る。
「な、なに?」
「おまえ、彩ちゃんのことが本当に好きなのか?」
「そ、それは……その…俺…」
「はっきり俺に答えてみろ。おまえにはその義務があるはずだろう? 俺に対しても、彩ちゃんに対しても」
ピシャリとそう言われて、内田は思わず目を強くつぶった。
自分の気持ちは分かっている。彩のことが好きだ。でも、それを坂本本人に言うのが恐かった。坂本は彩へのラブレターを自分に預けてくれた。それは、坂本から自分への信頼の現われだったと思う。
その信頼を自分は裏切ってしまった。彩を好きになってしまった。
もしかすると、坂本との友情もこれで終わってしまうのかもしれない。そう思うと、内田はなかなかその答えを口にすることができなかった。
さっきの放送により、すでに坂本には自分の気持ちを知られている。それは分かっているけれど、それでもやはり、本人を目の前に直接それを告げるのは、気の弱い内田には非常に難しいことだった。
と、その時。
内田の腕をつかんでいた彩が、ぎゅっとその力を強めた。ふと内田は目を開けると、そんな彩に視線を向けた。
不安に揺れる瞳。なにかを求めている視線。
いつも明るく元気な彼女とはまるで別人のように、今の彩はか細く儚げに見える。
勇気を出さなきゃ。
内田はそう思った。
自分のためにも、彩のためにも、そして、坂本のためにも。
里美が言っていた「植物のような強さ」。もしそれが本当に自分にあるのなら、その強さを最大限に発揮するべき時が今なのだ。
うつむいていた顔を上げると、内田はまっすぐに坂本を見た。
「坂本には本当に悪いと思ってる。でも俺、彩ちゃんが好きなんだ」
「……そうか」
呟くように言うと、坂本は視線を彩に移した。
「あんたは? 内田のことが好きなのか?」
それに対して彩は即答する。
「あたしは内田さんが好きです。ずっとずっと好きでした。これからもその気持ちは変わりません」
迷いのないその返事に、坂本は満足そうにうなずいた。そして、温かく優しい笑顔を見せると、内田と彩の肩をぽんと叩いた。
「だったら、もう俺がとやかく言うことなんて、なにもないんじゃないか? おめでとう、お二人さん。おまえらお似合いのカップルだよ。よかったな」
「さ、坂本?!」
驚きの表情を隠せないでいる内田に背中を向けると、坂本はそのまま放送室を出ていこうとした。そんな坂本の背中に、内田は慌てて声をかける。
「待って、坂本! よかったなって……俺たちのこと、許してくれるのか?」
「許すもなにも」
顔だけ振り返って坂本は苦笑してみせる。
「おまえら両想いなんだろう? だったらそれでいいんじゃねーか? 俺はおまえらの親でもなんでもないんだから、付き合っちゃいけません、なんてこと言う権利ねーもん」
「俺のこと、やっぱり怒ってだろう? 俺たち、もう友達じゃないのか?」
情けない顔をして、すがるように自分を見ている内田に、坂本は呆れ口調で言った。
「バーか、なにワケの分からないこと言ってんだ、おまえ」
そして、にかっと笑って見せた。
「俺はお前の親友だろ? 今までも、そして、これからもずっと。こんなことくらいで大切な友達失くすほど俺はバカじゃねーんだよ。そんなことも知らなかったのか?」
「さ、坂本……」
「放送室を無断で使用したこと、俺から先生に謝っといてやるから心配するな。それと、放送入りっぱなしだからな。もうしばらくここにいるんだったら、スイッチをオフにしとけ」
最後の台詞を小声で言うと、感動して今にも泣き出しそうな内田を後に、坂本は放送室を後にした。そして、ドアが閉まった途端に顔をニンマリとほころばせる。
「やったね! 万事オッケー、俺天才! これですべては解決だ!!」
ニヤケの止まらない坂本に、ドアの外で待っていた小林が鼻白んだ顔して言った。
「あーあ、やっぱりお前のいいとこ取りな結果に終わったか。いやだねぇ、中でのことがスピーカーで流れてること分かってて、それであんな臭い台詞吐いたんだろう?」
「へっへっへー、当たり前じゃん。どうだ、俺かっこよかったか? 今頃学園中の女子生徒たちが、坂本さんって素敵、なんつって胸をときめかせてたりなんかして。いやー、まいったなー。ついに俺にも彼女ができる日がくるか?!」
上機嫌で浮かれまくっている坂本ではあるが、その隣の小林は冷ややかな目をして小さく肩をすくめた。
「さーて、そう上手くいくもんかな。俺の予想としては……」
「なんだよ?」
「………いや、なんでもない」
そして、小林はにっこりと笑った。
「とにかく、お疲れさん。無事にハッピーエンドだな」
「おう、サンキュ! おまえも協力ありがとな」
二人はパンと手を打ち合わせた。互いに最高の笑顔を見せ合う。
「さーてと、職員室にでも行って頭下げてくるかー。ここにいても仕方ないし。小林、おまえも付き合えよ」
「へいへい」
歩き出した坂本の後を小林が追う。
「ところでさー、新聞なんだけど、謝罪文載せたヤツの発行はしないぜ? どうせみんな放送聞いて事情は全部分かってるだろうし」
「いいんじゃないの。放っとけ放っとけ。クレーム入れるやつもいないだろうしな。それに……」
坂本は足を止めて顔を上げると、廊下に設置されてあるスピーカーにゲンナリした顔を向けた。
「せっかく俺が忠告してやったのに、それを忘れてイチャついてるようなやつらのために、これ以上どんな働きをもする必要はない!」
「ま、それもそうか」
相槌を打つ小林の声に重なって、小さくではあるが、こんな声がスピーカーから聞こえてきた。
『あらためて、俺と…その…よかったら付き合ってもらえませんか?』
『ええ、もちろんです。喜んで!』
その弾むような声から、二人が今どんなに幸せな気持ちであるかがよく伝わってきて、思わず坂本と小林は微笑んだ。
大切な親友の幸せを心から祝福し、まるで自分のことのように喜びつつ、二人は足取りも軽く職員室で説教を受けるために廊下を歩いていったのである。
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