桜ヶ丘交響曲第三番「花園」


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「ふうーん、それじゃ彩、内田さんと別れちゃったの?」
「別れたもなにも……」
 放課後の教室の片隅、自分の机の上に体をうつぶせたまま、彩は力なく答えた。
「そもそも、付き合っているって思ってたのはあたしだけだったみたい。さっき話した通り、内田さんはあたしのこと好きでもなんでもなかったんだから」
 内田の家にお見舞いに行き、彩がそこで衝撃の事実を知らされてから三日目が過ぎている。
 顔のかわいらしさもさることながら、元気で明るいところが一番の魅力とされている彩も、さすがに今回のことによるショックは大きかったらしく、ここ数日ずっと暗く沈んでいたのである。小泉がその理由を聞きだそうと問いかけ続けても、彩はなにも答えなかった。いや、答える気力がなかったのである。
 しかし、まあ三日もたてば少しは気も落ち着いてくる。というか、心配してくれ続けている小泉に対し、申し訳ないという気くらいは使えるようになった。
 それで放課後、人気のなくなった教室で、彩は小泉に内田とのやりとりのすべてを話して聞かせたのである。
「本当言うとさ」
 話し終えた彩は、大きな溜息とともに呟くように言った。
「話が上手すぎるとは思ってたのよね。だって、あの内田さんがあたしを好きだったなんて、あまりにも都合がよすぎるもの」
「そんなことないよ。彩は誰に好かれてもおかしくないくらいかわいいし、それに性格だっていいんだから。まあ、ちょっとおしゃべりが過ぎるところもあるけどね」
 小泉の慰めを聞いて、彩は肩をすくめて苦笑した。
「ありがと。でもねー、結局はあたしの一人よがりだったワケだし、それに考えてみれば、内田さんから好きだって言葉、一度も言われたことなかったのよね。おかしいと思うべきだったんだわ。なんかもう、色々なことがすごくショック。内田さんにもすごく迷惑かけちゃったし。だって、三週間も無理やりつき合わせちゃったんだもの」
「そっか……まあ、そんな理由があるんだったら、元気がないのも仕方がないね」
「うん。そう簡単には復活できないと思う。辛気臭い顔してて申し訳ないけど、もうしばらくはこのまま落ち込んでいさせて。その内にまたちゃんと元気になるから。でも、まだ今は無理なの」
 今にも泣き出しそうな顔をした彩の肩を、小泉はぽんと叩いた。
「分かったよ。ごめんね、嫌なこと話させちゃって」
 いいのよ、と悲しい笑顔で首を横に振り、彩はまた机に顔をうつぶせてしまった。が、すぐに顔を上げで、自分を心配そうに見ている小泉を見上げた。
「ねえ、あんたってどうして高等部では生徒会に入らないの? 入る気ないの?」
 突然そんなことを聞かれて、小泉はキョトンとした顔をする。
「ん、それはその……もう生徒会での仕事は中学部でやりつくしたっていうか…わざわざ面倒な仕事をするのもいい加減に飽きたっていうか………」
「それに、高等部生徒会には嫌な思い出があるから?」
 一瞬嫌な顔をしたものの、小泉は笑ってうなずいた。
「ま、それもあるかな」
「もう入る気ないの?」
「まったくないってワケじゃないんだけどね。目下考え中ってとこ」
「ふ〜ん、そっかぁ」
 少し考えるようにしてから、彩は言った。
「また入ればいいじゃない、生徒会。だって、高等部に入ってからというもの、あんた退屈そうだもの。それに、せっかく人より秀でた統率力っていうか、カリスマ性っていうか、そういうの持ってるんだからさ、もったいないじゃない」
 怪訝そうな顔で小泉は彩を見る。
「どうしたってのさ? 急にそんなこと言い出したりして?」
「……別に。なんとなくそう思っただけ。深い意味なんてないわ」
 それだけ言うと、彩はまた顔を机にうつぶせてしまった。そんな彩を不思議そうにしばらく眺めた後、小泉は静かに教室を出た。その足で、さっき話題となった生徒会室へと向かうと、入り口のドアをノックした。
「お、小泉、どうした? もしかして、ついに生徒会に入ってくれる気になったのか?!」
 ドアから顔を出したのは笑顔の坂本である。そんな坂本を、かなり機嫌の悪い顔した小泉が、腕を引っ張って廊下に引きずり出した。
「なんだなんだ、どうしたってんだ?!」
「どうした、じゃありませんよ!」
 小泉はキリッと坂本をにらみつけた。
「彩、内田さんにフラれちゃいましたよ!」
「え!」
 坂本は目を大きく見開いた。
「マジかよ?!」
「マジですよ。どういうことなんです?! 坂本さん、言ってませんでしたっけ? 内田はきっと彩ちゃんのことが好きだから、きっと二人はうまくまとまる、って」
「言った言った。………別れたって? 本当かよ? 信じられんなー。マジで?」
 小泉が無言でうなずくと、坂本は首をひねった。
「う〜ん、おっかしいなぁ。内田の態度を見る限り、あいつが彩ちゃんを好きなのは間違いないと思ったんだけどなぁ」
 腕を組んで考え込んでいた坂本だったが、あることに気づいてにんまりと笑った。
「なあ、小泉?」
「なんですかっ! ったくもう、彩ったらここ数日ずっと元気ないんですよ?!」
「まあまあ、そこはまたちょっと調べておくから。それよりさ、ホラ、約束だっただろ? 内田が本気で彩ちゃんを好きになったって証明されるか、もしくは、彩ちゃんが完全に内田にフラれるかしたら生徒会に入るって」
 言われた小泉は、横目で坂本をにらみながら口をとがらせた。
 確かに、そんな約束を小泉は坂本としていたのである。
 というか、今回の彩と内田との間に起こったゴタゴタ。そのことの発端は、坂本から生徒会に入らないかと誘われた時、小泉の言ったこの台詞から始まったのである。
「だったら、一つお願いがあるんですけど。確か坂本さんって内田さんと仲良しでしたよね? 僕の友達に水谷彩って子がいるんですけど、その子と内田さん、なんとか二人を知り合いにしてあげられませんか?」
「してあげられたら生徒会に入ってくれる?」
「ま、考えてみないでもないです。どうです? やってくれますか?」
 少し考えてから、坂本はにやりと笑った。
「いやだねー、その曖昧な言い方。まるで政治家みたい。でも、おまえのそういう策略的なところが生徒会に必要なんだよな。ホラ、今の生徒会のメンバーときたら、みんないいヤツばっかだから」
 小泉が頬をふくらませる。
「それじゃ、まるでぼくが悪いヤツみたいじゃないですか」
「悪いヤツだろ、おまえ」
「そう言えばそうでした」
 坂本と小泉は、互いに目を合わせて含み笑いをした。二人の間で契約が結ばれた瞬間である。
 とまあ、小泉はこんな感じで、内田と彩、二人の恋のキューピット役を坂本に頼んだのだった。
 彩の片想いのことを、小泉は中学部の頃から知っていた。知っていたが、なんにもしてあげられなかった。小泉には内田との接点なんてこれっぽっちもなかったし、それに、これからも接点を持つ予定はなかったからだ。
 内田のように優しいだけが取り柄の男を、小泉はあまり快く思っていない。できれば係わり合いになりたくないタイプだったのである。
 そりゃいい人だとは思う。しかし、ただそれだけだ。
 小泉にとってあのタイプの人間とは、男らしさのかけらもなく、ただいい人であることを武器にして、周りの人間に優しく守ってもらうしか能のない貧弱なヤツでしかない。
 小泉の尊敬できるタイプの人間は、頭がきれるタイプのクールビューティーなのだ。そういう意味では、彩も小泉の好きになるタイプの女の子ではない。
 しかし、恋愛相手としてではなく、単なる友達としてであれば、彩はとてもとても付き合いやすく気持ちのいい女の子なのであった。かわいらしい見かけとは違い、さばさばしていて気風もいい。自分とは違って真っ直ぐで正直で、裏でなにかを企むようなタイプじゃない。
 だからこの数年間、異性でありながらもずっと彩とのいい関係を続けてこられたのである。今となっては、彩は小泉にとって、とても大切な友達だった。
 そんな彩の恋心を、小泉は是が非でもなんとかしてあげたかった。
 彩と内田が両想いになれるなら、もちろんそれが一番いい。でも、もしそれが無理でも、せめて彩に内田への想いをあきらめさせてやりたかった。すっぱりとフラれるならフラれて、また新しい恋へと気持ちを向かわせてあげたかった。
 普通なら、それも簡単なことなのである。告白させて、後は相手の出方をただ待つだけでいい。しかし、相手が内田だっただけに、その簡単なことができずにいた。
 なぜならば、桜ヶ丘の女子の間には「内田不可侵条約」が定められている。女の子の側から告白することは許されていないのだ。
 だから三年もの間、男子生徒にモテモテの彩が、心密かに片想いを続けなければならなかったのである。
 でも、もう十分だ。女の子が一番華やぐ十代を、三年もの間片想いだけで潰してしまったのである。小泉に言わせれば、それは無駄な時間の浪費でしかない。
 だから、どんな結果になってもいいから、とにかく彩の片想いを終わらせてあげたいと小泉は思ったのだ。
「やり方は任せます。とにかく、上手くやってもらえますか?」
「うーん、上手くやれるかどうかは分からないけど、まあ、なんとかやってみるよ」
 そして、坂本は例のラブレター事件を起し、それにより、彩と内田は付き合い始めることになった。
 嬉しそうに光り輝く彩の笑顔。
 上手くいったんだな、と小泉も喜んでいたのである。しかし、それも二人の交際がどのように始まったかの経緯を、彩本人の口から聞くまでのことでだった。
「内田さんがあたしの下駄箱にこっそりラブレターを入れようとしていたところに、偶然にもばったり出くわしちゃったのよ。もうビックリ! 内田さんったら、恥ずかしそうにオタオタしてたの。もうカワイイったら♪ だから、あたしもすぐにその場で告白返ししちゃったの。ずっと前から好きでした、って。それで二人は付き合うことになったってワケ。どう? すごいでしょ! まるで奇跡よ、奇跡!!」
「う、うん、そうだね」
 奇跡もなにも……。
 小泉は頭の回転が速い。それに、彩の性格をよく知っているし、内田の性格も、なんとなくだが想像できた。二人の裏で、坂本がこっそり動いていることも知っている。
 だから、彩からさっきの話を聞いて、ことの真相をつぶさに推理することができたのである。
 内田は坂本から頼まれたラブレターでもなんでもないただの手紙を、彩の下駄箱に入れようとした。そして、その現場を彩本人に見つかってしまった。彩はその手紙を内田から自分へのラブレターだと勝手に勘違いしてしまった。内田はそのまま、彩の弾丸のようなおしゃべりに圧倒され、本当のことが言えないままに彩と付き合うことになってしまった―――――とまあ、そんなところだろう。
 浮かれている彩に気づかれないように、小泉は小さくため息をついた。
 それじゃダメなのだ、と、彩の前ではあくまでも笑顔で、頭だけを働かせる。
 今の推理が正しかった場合、片想いだった今までよりもタチが悪く思える。だって、彩は勘違いしているのだから。内田は彩のことを好きでもなんでもないのだから(多分)。
 真実を知った時、普通にフラれる以上に彩が傷つくのは目に見えている。
 このままじゃダメだ。なんとかしなければならない。
 でも、場合によってはもしかすると……。
 内田の気持ちが変わる可能性もある、と小泉は思った。彩はかわいい子だ。性格だっていい。自分が友人に選んだくらいなのだから、それは折り紙つきである。そんな彩と行動をともにしているのだから、場合によっては内田が心変わりし、彩のことを好きになることも考えられなくはない。
 そうなればいい。いや、そうなって欲しいと期待しながら、小泉は二人の交際の行く末を、ハラハラしながら見守ってきたのである。
 同じように、二人のことが気になるあまり、放課後の公園デートを茂みの影から盗み見していた坂本も、こんなことを言っていた。
「内田のやつ、きっと彩ちゃんのこと好きだぜ。うん、ありゃ間違いない!」
 胸を張り、あまりにも自信満々にそう言うものだから、小泉もついそれを信じてしまったのである。
 が、そんな小泉の思いもむなしく、彩は真実を知り、内田と別れ、そして傷ついた。
 最悪の結果である。
 だから小泉は、話が違うと文句を言うため、坂本を訪ねて生徒会に足を運んだのである。
 しかし、そんな小泉に坂本はこう言った。
「まあ、仕方ないさ。確かに残念な結果に終わってしまったけど、でも、彩ちゃんは内田にはっきりフラれたんだから、これでこの一件は終息をみたわけだろう? つまり、おまえの望む通りになったワケだ。だからおまえ、約束通り生徒会に入れよ」
 にこにこしている坂本から、小泉はフンと顔を背けた。
「まだ終わってませんよ」
「は?」
 怒った顔をして小泉は言う。
「だって、彩は内田さんに嫌いだって言われたわけじゃないんですから。内田さんが言ったのは、渡そうとしていた手紙が自分からのラブレターではないってことだけ。これじゃ、内田さんの今の気持ちは分からないじゃないですか!」
「うーん、まあ、それは確かに……」
「坂本さんだって納得できないでしょう? だって、内田さんは彩のことを好きに違いないって、坂本さんはそう確信しているのに、それなのに二人は別れてしまった。これって一体どういうことなのか、坂本さんは気にならないんですか?!」
 頬をポリポリかきながら、坂本は憮然と言う。
「まあ、確かにな。気になると言えば気になるか」
「だったら、坂本さんが直接内田さんに訊いてくださいよ。彩のことを本当はどう思っているのか」
「えぇ〜?」
 思いっきり嫌そうな顔を坂本はする。そんな坂本を見て、小泉はにっこりと笑った。
「こう見えて、ぼくは坂本さんのことをとっても信用しているんです。だからこそ、あなたの言うことに信憑性を感じているんじゃないですか。内田さんは彩のことが好きだ。そうに違いないとぼくも思います。なぜなら、それが坂本さんの考えだからです」
「……………」
「だからね、坂本さん。その考えに間違いがないことを、ぜひ証明してみせてくださいよ。それに、友達想いの坂本さんだもの。乗りかかった船をこのままにして、友達を放ってはおけないんでしょ、どうせ?」
 満面の笑顔の小泉を前に、坂本は片方の眉をつり上げてみせた。そして、しばらくしてから大きなため息をつく。
「あーあ、もう、しゃーねーなぁ」
 そして、胸を張ってキッパリと言った。
「分かったよ。やればいいんだろう、やれば」
「ホントですか? うわー、さっすが坂本さん。頼りになるー!」
「そのわざとらしい尊敬の眼差しやめてくれ! 見てるとムカついてくる」
 坂本からにらまれて、小泉は心外そうに驚いてみせた。
「いやだな、坂本さんったら。本心からそう思っているんですよ?」
「ウソつけ! ―――まあ、いい。とにかく、内田にはちゃんと確認をとる。とは言ってもなぁ、俺が聞いてもかえって本当のことを言いずらいだろうし、う〜ん、ここはやっぱり、あの作戦を決行して……でも、あれで上手くいかなかったら……」
 しばらくうつむいてブツブツ呟いていた坂本であったが、やがて顔を上げると、真面目な顔をして小泉に言った。
「おまえ、事が終わったら絶対に生徒会に入れよ。アメとムチの使い方、マジで上手いもんな。きっとスゲーやり手の生徒会長になれる。おまえの人を操る手腕みてると、木本さんを思い出すよ。前々生徒会長だった、ウチの学園の伝説的生徒会長をな」
「それは……」
 一瞬言葉をつまらせた後、小泉は微かに頬を染め、輝くような笑顔を見せた。
「そう言ってもらえて、心から光栄です」
「おうっ、これ以上ないってくらいの最高の褒め言葉だ」
「でも、おだてられても、そう簡単には木に登りませんよ。生徒会に入るかどうかは、もうちょっと坂本さんのがんばりを見てから決めさせてもらいますからね」
 チェッと坂本は舌打ちをしたが、しかしすぐに持ち前の自信に満ちた笑顔を見せた。
「まあ、とにかく内田のことは任せろ。なんとかアイツの気持ちを聞きだすから。そんで、もし内田が彩ちゃんのことを好きなんだったら、なんとか二人を上手くまとめる方向で動いてみる。これも高等部生徒会のためだからな。あーあ、めんどくせー」
 そんなことを言った坂本を見て、小泉はくすりと笑う。
「とかなんとか言っちゃって、本当はぼくからなにも言われなくても、内田さんと彩のこと、このまま放っておく気じゃなかったんでしょ?」
 下から覗き込むように顔を見上げられて、坂本は口をへの字に曲げてジロリと小泉はねめつけた。
「すてべお見通し、てな感じのそういう態度も、ホント、木本さんそっくり。でも、木本さんにそういうことされても嫌な感じしないのに、おまえにやられると腹が立つんだよなー。ホンット、かわいくないというか、ムカつくというか」
「それが木本さんとぼくの人徳の差です!」
 おおいばりで胸を張った小泉に、坂本はつい苦笑してしまう。
「おまえよぉ、そういうこと自分で言うかよ。普通だったら悔しがったりするところだろうが」
「だってー、仕方ないじゃないですか。事実なんですから」
 こういう素直なところがあるから憎めないんだよな、なんてことを思いながら、小泉と別れた坂本は自宅へと自転車を走らせた。道々今後のことを、頭をフル回転させて考える。
 内田が彩に真実を告げてから今日で三日。その三日間、内田はずっと学校を休んでいる。気になってメールしてみたところ、一時期はよくなっていた風邪が、またブリ返したとの返事があった。
「しかし、風邪がブリ返した、ねぇ……」
 ラブレターから始まった今回の一件。内田には、精神的にかなり苦しいものだったに違いない。だから普段は健康優良児の内田が、珍しくも病気で学校を長期欠席したりする結果を生んだのだ。
 それにしても、と坂本は思う。
 こんなことなら、内田と彩を引き合わせる最初のきっかけに、ラブレターなんか使うんじゃなかった。今さらながらではあるが、そう後悔せずにはいられない。
 でも、もし仮に、
「おまえのこと好きだって後輩がいるんだけど、一度会ってやってくれないか?」
 なんて正直に言ったところで、内田は即座に首をぶんぶん振って断ってきたことだろう。だって、内田には好きな人がいるのだから。しかも、その相手をかなり一途に想い続けている。初恋の相手だから、それも仕方ない。
 だから正直言って、内田と彩が付き合うようになるなんてこと、絶対にありえないと坂本は思っていた。なので、とりあえず小泉に言われた通り、二人が顔見知りになるキッカケさえ作ってやれば、その方法は坂本にとってどんなモノでもかまわなかった。
 彩には悪いが、その想いがむくわれることはないと、そう思っていたからだ。
 だから深くは考えずに、自分じゃ渡せないから代わりに渡してくれと頼み込み、内田に偽ラブレターを押し付けた。内田がそのラブレターを彩に渡す時、二人は顔を合わせることになる。それで坂本の目的は達成だ。後は彩が自分でなんとかすればいい。
 そんな風な気楽な考えでいたものだから、だからその後の展開を小泉から聞いた時、坂本は誰よりも一番驚いた。
 あの内田が?! 彩と付き合いだした?! そんなバカな!! 
 と目を白黒させ、自分の頬をつねってみたい衝動にかられたほどだ。
 放課後、内田のライフワークである花壇の手入れが終わるのを待ち、そのまま後をつけ、二人が公園でデートしていることを探りあげた。興味本位からの行動ではない。内田のことが心配だったのである。
 二人のデートを観察してしばらく、案の定、内田はかなり困っている様子であった。相手の思い違いから、親友の好きな女の子(と内田は思い込んでいる)と付き合うことになったのだ。内田の狼狽ぶりも納得できる。さらには優しすぎる性格が災いして、彩に真実をなかなか告げられずにいた。
 内田は心底自分の置かれている状況に戸惑い、困惑し、狼狽していた。公園の隅、茂みから遠目で見ているだけではあるが、長い付き合いの坂本には、それがひと目で分かる。
「まいったなぁ」
 こんなつもりじゃなかった。内田を困らせるつもりなんて、坂本にはこれっぽっちもなかったのだ。ただちょっと、生徒会への小泉獲得に協力してもらおうと、そう思っただけなのだ。
 どうしたもんかと考えながら、坂本は二人のデートをハラハラしながらこっそり見守り続けた。
 希望としては、内田が彩に本当のことを言ってくれるのが一番いい。でも、もしそれが無理なようなら、自分がなんとかしてやるしかない。
 だって、このままでは内田が気の毒すぎる。
 それに、小泉のこともある。
 内田と彩が、顔見知りどころか付き合い始めたことを知った時、坂本は小泉に生徒会への入会を求めた。だって、二人を顔見知りにするという約束は、一応果たしたワケなのだから。
 しかし、その時に小泉から、今度はこんなことを言われてしまったのである。
「付き合っているとは言っても、二人の関係は曖昧なものなんでしょう? そんなんじゃぼく、心配で生徒会に入るなんてことできません。もう少しこのままで様子を見ないとね」
「じゃあ、どうなれば安心できるんだ?」
「そうですねぇ……」
 小泉は坂本の耳元に口を寄せ、小声でささやいた。
 内田が本気で彩を好きになったって証明されるか、もしくは、彩が完全に内田にフラれるのを確認できたら。
 その条件のどちらかが満たされない限り、小泉は生徒会に入会しないと言う。
 坂本としては、小泉獲得と内田救出の二重の意味で、この件を放っておけなくなってしまったのである。
 ああ、内田よ。嫌なら嫌だってハッキリ相手に言ってくれ。そうしてくれたら、すべての問題が一気に解決するんだから。おまえ、好きな人がいるんだろう?
 そんなことを思いながら、内田と彩のデートをデバガメし続けていた坂本である。が、日が経つにつれ、内田の様子が変わってきていることに気づいた。
 彩と話しをする時の表情、態度、それが最初の頃とは違ってかなり軟化してきている。というよりも、あれはどう見たって彩に恋しているようにしか見えない。本人に自覚はないかもしれないが、間違いなくあれは恋する男の顔である。
 こうなってくると、ますます話が変わってくる。
 これまでは、なんとか二人を穏便に別れさせる方法を思案してきた。しかし、内田が彩に恋愛感情を持っているのであれば、友達として、なんとかその恋を成就させてやりたいとそう思う。
 しかし、そうなってくると、あのラブレターの存在が、内田の新しい恋を邪魔する一番の障害ということになってしまった。あれがある限り、彩が坂本の好きな子だと思っている限り、内田は自分が身を引こうとするだろう。
「もう彩のことなんて好きじゃなくなったから、だからあの件は忘れてくれ」
 そう言えれば楽なのだが、どう考えてもそれは限りなく不自然である。
 どうしたらいい? どうしたら上手くすべてを解決に導ける?
 坂本は色々考えた挙句、あることを思いついた。小林にも協力してもらい、ちょっとした計画を実行することにしたのである。
 その計画の実行の直前になって、内田が風邪を引いて寝込んでしまったというワケだ。そこに彩が見舞いに行き、内田が信じているところの真実を彼女に告げてしまった。まったく、物事はなかなか上手く運ばないものである。
 学校からすぐ近く、桜ヶ丘商店街の中ほどにある自宅に着いた坂本は、いつも通り自営しているクリーニング店の表ドアから家の中に入った。客を受付するカウンターの奥にある作業場から、父親がひょこっと顔を出す。
「おうっ、お帰り!」
「ただいま。………なあ親父、悪いんだけど、今日は店の手伝いサボらせてもらってもいいかな?」
「そりゃ、かまわんが…」
 軽く首を傾げた後、父親はにやりと笑った。
「どうした。珍しくデートの予定でも入ってんのか?」
 イヤ〜な顔を坂本はする。
「珍しいは余計だよ。それにデートとかじゃないっつーの。友達のことで、ちょっと考えなきゃならないことがあるんだよ」
 父親はあからさまにがっかりした顔をして見せた。
「なんだ。おまえも本当につまらんヤツだな。志乃ちゃんほどとまでは言わないから、そこそこ見栄えのする彼女でも作って、俺に紹介するくらいのことしてみろ。まったく、情けない。俺がおまえくらいの年の頃にゃ……」
 このまま放っておくと、真偽のほどの定かではない自慢話が延々と続くことをよく知っている坂本は、「はいはい」と適当に相槌を打ちながら家の中にあがり込み、すぐに自室へと直行した。荷物を置いて畳の上に座り込むと、ポケットから携帯電話を取り出し、アドレス帳を開いて目的の相手の番号を探し出した。
 とにかく今一番の問題は、内田がずっと学校に来ていないことにある。本人がいない以上、どんな手を打つこともできやしない。
 耳に当てた受話器から、相手を呼び出すコールが三度なったところで、プチッという小さな音が鳴った。そして、聞きなれた内田の声が聞こえてくる。
『もしもし、坂本?』
「おうっ、内田か?」
『どうしたんだ?』
「いや、体の調子はどうかなって思ってな。気になったんで、ちょっと電話してみた」
『心配かけてごめんな。でも、もうすっかりよくなった。明日には学校に行くよ』
「そうか。よかった、安心したよ。―――って」
 そこまで話したところで、坂本は怪訝そうに眉根を寄せた。内田の声とともに、雑踏のようなざわめきが受話器から聞こえているのに気づいたからだ。
「おまえ、ひょっとして外にいるのか?」
『ああ、うん。実は今、桜ヶ丘大学部に来てるんだ』
「大学部?!」
 思いがけないことを聞いて、前のめりになりながら坂本は叫んだ。
「なんで?! どうしてそんなところにいるんだよ!!」
『ちょっと人に合う約束してて。―――あっ、相手の人がきたみたい。悪いけど、これで電話きるな。じゃあ』
「あ、ちょっと待てよ! 内田?! 内田?!」
 どんなに叫んでも、聞こえてくるのはツーツーという通話の切れた音ばかり。
「なんだ、一体どうなってんだ。人と会う? それって―――」
 まるで受話器が内田本人であるかのように、食い入るように見つめながら話しかけていた坂本が、そこでふと言葉をとめた。

 内田が会う約束をするほど親しく、現在桜ヶ丘大学に在籍している人間。坂本が知る限り、そんな相手は一人しかいない。

 そう、一人しかいないのだ。






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