桜ヶ丘交響曲第三番「花園」


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「なあなあ、もういいだろう? 生徒会に入ってくれよ」
 後ろから金魚のフンよろしくついてくる坂本を見もせずに、小泉はスタスタと廊下を歩き続けた。
「おい、こら小泉、無視すんなよ! なーあー、小泉ぃー!!」
 しかし坂本も負けじと追いすがってくる。
「なあ、頼むよー。俺は約束守っただろう? 小泉ぃー、生徒会に入ってくれよー」
 周囲の視線を無視した坂本の大声に、うんざりしたような顔で小泉は渋々振り向いた。
「ちょっと坂本さん。もっと声のトーンを落としてもらえませんか? 皆が見てるじゃないですか、恥ずかしい!」
 文句を言われた坂本は、ムッとして口をとがらせる。
「おまえが無視すっからいけねーんだろう?」
 しかしすぐに人好きのする明るい笑顔をその顔に浮かべた。
「それより、な? 俺は約束を守ったんだ。今度はおまえが約束を守る番だぜ? 高等部生徒会に入ってくれるだろ?」
 期待に満ちた顔の坂本から、ツンと小泉はその女の子のようにかわいらしい顔を背けた。
「まだダメです」
「ええー? なんで?!」
「だって、まだどうなるか分からないじゃないですか? こんなんじゃ僕、安心して生徒会に入れませんよ。入っちゃうと仕事で忙しくなるし。だから、もう少しこのままで様子を見ないとね」
 坂本は大きく肩で息をつく。
「じゃあ、どうなれば安心できるんだ?」
「そうですねぇ……」
 坂本の耳元に口を持っていくと、小泉は小声でなにかをささやいた。それを聞いた坂本が、げんなりした表情で溜息をつく。
「ったくよぉ、おまえワガママが過ぎるぞ?」
「でも、それでも僕を生徒会に欲しいんでしょう?」
 にっこり笑顔の小泉を見て、やれやれ、と坂本は肩をすくめた。
「ちくしょう、仕方がねーなぁ。分かったよ。もう少しだけ待ってやるよ」
「わーい、さすがは坂本さん。やーさしーい♪ なんで女の子にモテないんでしょうね? 不思議だなぁ」
「うるせー、余計なお世話だ! 用は済んだ、さっさと帰れ」
「はーい、それじゃ失礼しまーす」
 笑顔で手を振る小泉に、坂本はすぐさま背中を向けた。
 これもすべては生徒会の人材不足のせいである。来期のことを考えると、小泉はどうしても生徒会に必要な人材だった。
 彼を確保するためならなんだってやる。それが、前生徒会副会長を務めた坂本の責任なのだ。現生徒会を安定させるために、小泉は生徒会に必要不可欠な人材なのだ。性格にちょっとばかり難があるとしても、彼の作業処理能力やカリスマ性は捨てがたい。なにがなんでも手に入れる必要がある。

 そう、例えそのために友達をすこーし困らせることになったとしても。


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「――――で、数学の田中先生ったら教壇の前で転んじゃって。皆で大爆笑しちゃったの。内田さんは田中先生の授業って受けたことある?」
「ああ、うん。俺も一年の時に授業受けたよ」
「いい先生だよね? 雑談なんかもよくしてくれるし、それがまたトークが上手だから面白くって!」
「そうだね。俺たちの時にもすごく人気があったよ、あの先生」
 時は放課後のそう早くはない時間帯。場所は学校から少し離れた小さな公園である。
 春半ばのこの季節、まだ陽はそう長くなく、辺りは夕日の橙から夜の紫へと少しずつその色を変えてきていた。薄暗くなりつつあるせいか、辺りにはもう子供の姿は一人も見えない。
 そんな中、公園のベンチに座った内田は、隣で一生懸命に今日の出来事を話す彩に対し、必死になって作り笑顔を向けて相槌を打っていた。
 ラブレター勘違い事件(内田命名)の翌日、緊張してガチガチになりながらも真実を告げようとしていた内田に、出会い頭の彩はいきなり明るい笑顔でこう言ったのだ。
「内田さん、あたしたち付き合うことになったんだから、もう敬語使うのっておかしいですよね? なんだか他人行儀な気がするし。だから今から敬語やめていいですか?」
「あ? ああ、うん、別にかまわないよ」
「わーい、よかったぁ! それじゃあ今度からあたしのことも彩って名前で呼んでもらっていい? その方が……」
 ポッと彩は顔を赤らめ、その赤くなった頬を両手で包み込んでそっと目を伏せた。
「その方が彼女になれたって実感できてすごく…嬉しいから……」
「……………(汗)」
 バカバカバカバカバカ! オレのバカ!
 内田は想像の中で何度もポカポカ自分の頭を両手で殴った。
 かまわないよ、じゃないだろう俺!! 本当にまったくなにを言ってるんだよ俺はホントに?!
 その会話のせいで、出鼻をくじかれた内田の決意はあっさりと崩れ去ってしまったのである。
 言えない。
 付き合っているんだからタメ語オッケー、なんて返事をしておいて、今さら「でも本当はきみのこと好きじゃないんだ」なんて、そんなこと言えるわけがない。
 結局その日、内田は彩に真実を告げることができず、背中を丸めてスゴスゴと家路につくことになった。
 あれから早二週間。
 そして内田は、やっぱり今でも彩に真実を伝えることができずにいるのだ。苦悩に満ちた日々が続いていたのである。
 ああ、自分のこの情けない性格が恨めしい。
 簡単なことなのに。あれは勘違いだったと、ただそれだけ言えばいいだけなのに。
 それなのに、言った時の彩の反応を想像すると、どうしても内田には真実を告げる勇気が出ないのだった。
 そして、二人は毎日欠かさず放課後デートをしていたりなんかするのである。場所はいつも決まってこの小さな公園の中だった。
「俺と付き合っているってこと、皆には内緒にしてもらっていいかな?」
 なんとかそれだけは彩に言った。当然である。だって、皆に知られるイコール坂本にも知られるってことになるのだから。それだけは本当に非常に困るのだから。
 そんな内田からの要望を聞いた彩は、少し首を傾げて考えながらも、すぐに笑顔で頷いてくれた。
「うん、分かった。誰にも言わない」
 彩としては、内気な内田の性格を考慮してそう返事をしたのである。
 内田は桜ヶ丘学園でも指折りの有名人だ。そして、学年でも一、二位を誇るかわいい容姿をした彩もかなりの有名人であり人気者だ。そんな二人の交際発覚は、学園内においてかなりのスキャンダルとなるだろう。大騒ぎになることは簡単に想像できる。
 きっと内田は皆から騒がれるのが嫌なんだろう。内気でおとなしい内田ならばそれも当然である、と彩はそう思った。
 本当言うと、彩としては自分たちの交際を世界中に知らせたいくらいの気持ちだった。でも、我慢することにした。大好きな内田がそう望むのなら、それは仕方がないことである。内田を困らせたくはないし、それに、みんなに内緒で交際するっていうのも、なんだかちょっとスリルがあって楽しいような気がする。
 そんなワケで、二人の交際は今のところ学園にまったく知られていない状態で、ひっそりと、しかし確実に進行中だった。
 放課後、内田はいつものように一人黙々と花壇の手入れをする。そして、作業が終わるとこの公園にやって来るのだ。そのように彩から約束させられた。
 そして彩と言えば、内田が来るまでの時間、友達をお茶したりショッピングしたり、あるいは一度家に帰って着替えをすませたりしてから、また頃合を見計らってこの公園にやって来る。
 そして合流した二人は、仲良く並んでベンチに座り、そこで時間が許す限りおしゃべりに花を咲かすのだ。
 おしゃべりに花を咲かすと言っても、しゃべるのはたいていが彩である。
 明るくて元気のいい彩は、とにかくよくしゃべった。自分のこととか友達のこととか、親のこと近所のおばちゃんのこと、好きなファッションやお気に入りの芸能人について等々。その話題は豊富で尽きる事がない。
 最初の頃はその怒涛のごとき言葉の洪水に圧倒されまくっていた内田だが、それも二週間もすれば慣れてくる。そして、今度は逆にそれをあり難いとさえ思うようになっていた。
 相手が話すということは、自分が話さなくてもいいということである。元来あまりおしゃべりが得意ではない内田にとって、聞き役に徹することができるというのは、非常にありがたいことだった。
 それに。
 おしゃべりに夢中になっている彩というのは、それはもう本当にウキウキしていて楽しそうで、一緒にいるだけで内田は楽しい気分になれるのだった。
 表情をくるくると動かし、手振り身振りなどのゼスチャーを混ぜ、自分が見聞きした状況を一生懸命内田に伝えようとする彩。それはとても健気でかわいくて、つい内田もそんな彩の話に惹き込まれつつ、また視線が彼女に釘付けになってしまうのだった。
 気を使ってくれているのだろうと思う。
 口下手な自分になり代わり、必死に場の雰囲気を明るく楽しいものにしてくれているのだろうと、内田はそう思った。だからこんなにいつもおしゃべりをしているのだろう。
 そう思うと、すごくいい子だなぁと、内田はつくづく感心してしまう。それと同時に、こう思ってしまうのだ。  自分の好きな人とこの彩は、なんて違うタイプの人間なのだろう、と。
 内田の好きな人は、今はもう桜ヶ丘高等部にはいない。つい先月卒業してしまったばかりである。彼女は今、高等部からいくつかの駅をまたいだ所にある、桜ヶ丘学園大学部に通っている。
 人生で初めて好きになった人。そして、今でも好きな人でもあった。
 名前を栗原里美と言う。
 里美は大人しくて控え目で、言ってみれば内田とは同じ種類の人間だった。そのせいか、一緒にいるととても落ちつき、心がとても和んだ。とても優しい人で、内田の花壇作業の手伝いをしてくれた初めて人でもある。
 短い間ではあったが、彼女と共に花壇の手入れをした日々は、内田にとってそれまで想像したことのないほど満ち足りた気分を味あわせてくれた。側にいられるだけで幸せだった。ちょっと話しをしただけで、心が躍るように舞い上がった。
 好きで好きでたまらなくて、でも内田には告白なんてできるわけなくて、そうこうしている内に里美は別の誰かの者になってしまった。今でも彼女は、その別の誰かと幸せに大学生活を送っているはずだ。
 それを考えると、彼女の幸せを嬉しく思う反面、ほんの少しだけ内田の胸はチクリと痛む。
 ああ、でも、だけど。
 里美が幸せになれて、好きな人と想いを通じ合わせることができて本当によかった。どうか彼女がいつまでも幸せでありますように。
 普段の内田は、教室でも必要最低限以外の会話を女の子とすることはない。だから、今自分の側にいる彩と、自分の好きな人である里美以外の女の子を、親しいという意味では全く知らない。そのせいか、ついその知っている二人を比べてみてしまう。
 そして、そうするたびにいつも思うのだ。二人には全然似たところがない、と。
 容姿さえもが全く異なる。二人とも世間一般的にはものすごくかわいいと称される部類の容姿の持ち主なのに、その種類は全然違う。
 慎ましげではかなくて、春の野に咲く小さな花のようだった里美。それに対し、元気で明るく輝いていて、そう、内田がこれから花壇に種を蒔こうとしている向日葵のようにエネルギッシュな彩。
 全然違う二人。
 だから内田は安心する。
 自分が彩を好きになることはない。
 毎日そう長くない時間ではあるが共に過ごし、側にいて、いっぱい話をし、笑顔がとてもかわいいなとか時々思ったり、なんて性格の優しい子なんだろうと感心してみたり、話が面白くてつい一緒になって笑ってみたりもするけれど、でもきっと、自分は彩を好きにならない。
 だって、自分が好きなのは里美なのだから。
 一緒にいて心が和み、ホッと心が温かくなるような里美みたいなタイプが好きなのだから。だから自分は彩を好きにならない。
 本当のことがなかなか言えず、気がつくと彩と付き合うことになってしまったけれど、そんな日々が二週間も続いているけれど、でもこれは坂本に対する裏切りじゃない。
 大好きな坂本を自分が裏切るなんて有り得ない。それだけは、なにがあってもやってはいけないことだ。
 だから内田はホッとしていた。
 彩と里美が全く似たところのないタイプだったことに、心からホッとしていた。
 自分が彩を好きになることはない。
 一緒にいて楽しくて、ベンチで肩が触れ合ったりするとドキドキしたりして、彩の顔につい見惚れてみたり、近頃ちょっとこの放課後デートが楽しみになってきたりするけれど、でもこれは違うんだ。
 彩を好きになっていってるわけじゃない。いや、好きは好きだけど、それは二才年下の後輩をかわいいと思う意味での好きなのだ。
 近頃の内田は、まるで自分に言い聞かせるようにそのことをよく考える。
「……………」
 そして今、またそのことを考えて、なんだか内田は暗い気持ちになってきた。つい大きな溜息をついてしまう。  とにかく早く彩に本当のことを言わないとな、とそう思い、そう思った途端に内田はますます鬱な気持ちになってしまった。
 そして、また一つ大きな溜息をつく。

 そんな内田の様子を隣で見ていた彩は、他人には分からない程度にほんの少し、顔を悲しげに曇らせた。
 ああまただ、と彩は思う。
 内田は時々、今みたいに悲しい顔をすることがある。遠い目をしていて、彩の方を向いていながらその瞳に別のなにかを映している。
 もう随分前から彩はそのことに気づいていたが、しかし、なにも気づいてないフリをしていた。
 なにを考えているのだろう?
 すごく知りたい。でも、知らないことの方がいいような気が彩にはした。根拠はないが、そんな気がしていた。
 内田と付き合い始めて二週間。
 緊張のためか、最初の頃は会うたびに顔色の悪かった内田も、最近では彩の話を聞いて笑ったりするし、コチコチだった態度も随分軟化してきている。
 それだけで十分じゃないか、と彩は思う。
 あんまり欲張るもんじゃない。
 こうやって毎日会えるだけで幸せじゃないか。内田のすべてを知りたいだなんて、そんなずうずうしいことを思ってはいけない。そう自分に言い聞かせる。
 ただ欲を言えば。
 ちらりと彩は内田の唇を盗み見た。そして、微かに顔を赤らめた。
 そろそろキスくらいしてくれてもいいんじゃないか、と彩は思う。いや、キスだなんて贅沢は言わない。でも、せめて手くらいは握ってくれてもいいと思う。
 こうやってベンチに座って至近距離で話をしていると、たまに偶然互いの手が触れ合うことがある。
 そんな時、
「あっ、ご、ごめん!」
 内田は謝ると、慌ててその手を彩から遠ざける。
 そんなことしなくてもいいのに。謝る必要なんて全然ないのに。むしろ抱きしめて欲しいくらいなのに。
 そんな風に彩は思う。
 でも、内田は引っ込み思案な性格だから、とても優しい人だから、そんな内田を自分は好きになったのだから、と、ちょっぴり寂しく思いながらも、ずっと彩は自分にそう言い聞かせてきた。
 だけど、やっぱり!
「ねえ、内田さん?」
「……ん?」
 暗い顔をして考え込んでいた内田が、顔を上げていつもの温和な笑顔を見せた。
「なんだい?」
「手をつないでもいい?」
「えぇっ!!」
 あからさまに驚いた様子を見せる内田。
「て……手を?!」
「はい」
 顔を真っ赤にした内田の、狼狽し、動揺した姿に彩は心の中でクスリと笑う。
 手をつなぐくらい、どうということないのに。
 でも、こういうところがかわいいんだよな。
 これが他の男だったら「グズ」だとか「煮え切らないやつ」とか思うところだけれど、こと内田に関してだけは、それを微笑ましいと感じてしまう。
 やっぱりあたし、内田さんのことが大好きなんだなぁ。
 そんなことを思いながら、彩は笑顔で内田に右手を差し出した。
 それを前に困り果てた表情をしていた内田だったが、やがてそっと左手を動かすと、優しく包み込むように彩の手をふわりと握った。
 その途端、それまでも赤かった内田の顔が、更に輪をかけた真っ赤に染まりあがる。首筋までもが茹ダコのように真っ赤っ赤である。
 それにつられてしまったのと、初めて内田と手をつないでもらえた嬉しさに、彩の頬もぽっとピンク色に染まった。
 手を握り合い、二人揃って顔を赤く火照らせるその姿は、まさに青春真っ盛りな感じそのものである。
 辺りはかなり暗くなってきていて、たまに風が吹くと少し肌寒く感じる。でも、繋いだ手から伝わってくる相手の体温は、その寒さを忘れさせてくれるくらい温かなものだった。


 翌日の早朝。
 いつも通りに一人せっせと花壇の草むしりやら水やりやらに励んでいた内田は、ふと作業の手をとめ、それからじっと自分の左手を見た。
 その手には、昨日公園で彩と手をつないだ時の感触が、まだ鮮明に残っている。その時のことを思い出しただけで、内田の頬は赤くなった。
「だ、だって、あの場合はああするしかないじゃないか。俺たち、一応付き合っていることになっているんだから。あそこで拒否したりしたら不自然だもんな。だから、あれは仕方がなかったんだ!」
 誰にともなく、声に出してそんなことを言ってみる。あきらかに言い訳である。
「早く……早く本当のことを言わないとな」
 言いながら大きな溜息をついた時、誰かが後ろから内田の肩をポンと叩いた。
「うわぁっ!!」
 驚いた内田は大きく飛び上がる。
 そして、振り返ったその先にいた二人の男子学生の顔を見て、さっきまで赤かった内田の顔色が、サーッと音をたてて一気に蒼白になった。
「よっ、内田。今日も朝からがんばってんなー」

 そこにあったのは、大親友だけど今は一番会いたくない相手である坂本と、同じく親友である小林の二人組みの姿だったのである。





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