季節は流れ、春休みを終えたばかりの日曜日の午後。
木本と里美は連れ立って、墓参りに出かけていた。ほんの数週間前まで咲き誇っていた桜は、もう見る影もなく散ってしまっている。
今日は木本の母親の、六度目になる命日だった。
降りたバス停の、すぐ目の前にあった花屋でお供え用の花束を買い、霊園の中を木本家の墓を目指してのんびり歩く。
「ちょうど学校がお休みの日でよかったね」
「そうだな」
聖夜祭の頃は二年生だった木本と里美も、今や高等部の最上級生である。志乃や尾崎など、三月上旬に高等部を卒業してしまった生徒たちは、一部は桜ヶ丘学園を出て他の大学へ、残りはそのまま桜ヶ丘大学部へと進学を果たしている。
「志乃さんがいなくなってから、なんだか学校が寂しくなっちゃったね。なんていうのかな、花がなくなったというか……そんな感じ」
ションボリしたように里美が言うと、木本は肩をすくめた。
「まあな。中学部と高等部は隣り合わせに敷地があるけど、大学部だけは駅二つ離れた向こうにあるからな。滅多に会えなくなったし。でも、大学部の先輩たちは、志乃さんが入学してきて大喜びしていると思うぞ」
「そうだね」
里美はにこっと笑う。
「でも、来年になったらまた会えるから、それまでの辛抱かな。あたしも桜ヶ丘の大学部に行くつもりだし」
「そうだな。俺も大学部希望だし」
何気なく言った木本の言葉に、里美はえっと目をパチクリする。
「ええーっ、どうしてぇ?! 真ちゃんは絶対に外の大学を受験すると思ってた。頭いいのにもったいないよ。ねえ、どうして?!」
「どうして、って……」
苦笑しながら木本は答える。
「俺は里美と同じ大学に行く。ただそれだけだ。なんだよ、里美は俺と同じ大学に行きたくないのか?」
「そ、そりゃあ、真ちゃんと同じ大学に行けたら嬉しいけど」
困ったような顔で、里美は木本を見た。
「でも、もったいないよ。だって、東大だって合格できるかもしれないんでしょう? それなのに……」
「心配するな。俺は賢いからな。どこの大学に行ったって、ちゃんとそれなりの結果を出せる自信があるから」
そんな、たあいもない会話をしながら歩く内に、木本家の墓が見えてきた。
そこで、ふと木本は足を止めた。墓の前に人影が見えるのだ。
「?」
もうしばらく歩き、その人影が誰であるかが分かった時、木本の顔が微かに険しいものになった。
墓の前でしゃがんでいた人物は、木本たちに気づくと、ゆっくり立ち上がった。
「真二、それに里美ちゃんも。おまえたちも墓参りか?」
四十代前半と思える長身の男性が、にこりと笑顔を見せた。
「お、おじさん、お久しぶりです。こんにちは!」
慌てたように、里美がぺこりと頭を下げた。しかし、隣の木本は仏頂面のまま、その男性をにらみつける。
「今日帰ってくるなんて、聞いてなかったけど?」
「ああ、急に予定が変わってな。ついさっき港に着いたところだ。その足で、すぐにここに直行してきた。ほら、今日は母さんの命日だろ?」
その男性―――木本の父親―――は、少し悲しげな目を墓に向けた。
すでに墓はきれいに掃除されていて、花も美しく供えられている。
里美はオロオロと木本と父親を交互に見ながらも、持っていた花を墓の前に供えた。それを見て、父親は「ありがとう」と優しく笑う。
木本と里美は、取り合えず線香に火をつけると、それを墓前に供えて手を合わせた。
心の中で、木本は亡き母に里美との関係を報告する。そして、これからも里美を守り続けると、強く心の中で誓った。
かわいそうな母親。仕事とは言え、滅多に帰ってこない父親の代わりに、一人で子育てをしてきた母親。笑っていながらも、どこか寂しそうだった母親。
自分は絶対に里美をそんな風に悲しませたりしない、と、自分自身に強く誓う。
そして、拝み終わると木本は里美に言った。
「さ、帰ろう」
父親を無視して立ち去ろうとする木本に、一瞬ついて行きかけた里美は、そこで足を止めて、もう一度父親の方に振り返った。
「あの………おじさんはよくお墓参りに来るんですか?」
「ああ、こっちに戻ってきたときには必ずね」
ふと、木本の足が止まる。そして、振り返ると、驚いたように父親の顔を見た。
父親は無表情で方をすくめる。
「今となっては、それくらいしか俺にはしてあげられないからな」
そして、遠くを見るような目で墓を見つめた。
「あいつは結婚前から体が弱くてね。そのことを、すごく引け目に感じていたんだ。俺は何度も職を変えて普通のサラリーマンになるって言ったんだけど、その度に断固として反対されたよ。そんなことされたら、弱い自分をますます嫌いになる、許せなくなる。だからやめてくれって。ちゃんとやれるから、子供のことは自分に任せてくれって、そう言ってね」
父親は大きく息を吐いた。
「でも、どんなに反対されてでも、やっぱり転職しておくべきだったのかもしれないね。今さら後悔しても遅いけどな」
その話を、木本は信じられない気持ちで聞きながら、父親の目の前に並び立った。
「………それじゃ、母さんは幸せだったのか? 父さんのこと、憎んだりしていなかったのか?」
父親はゆっくりと首を振る。
「分からない。今となっては、もう、誰にも分からない。ただ、死ぬ前に、アイツは俺に伝言を残してくれてね」
「その伝言はなんて?」
「ありがとう。わがままを聞いてくれてありがとう。信じてくれて、広く温かい心で見守ってくれてありがとう、と」
「……………」
知らなかった。なにも知らなかった。
父親が、仕事の都合の許す限り頻繁に墓参りしていることも知らなかったし、母親が、自分の体の弱さをそれほど卑下していたことも知らなかった。
そして、亡くなる寸前、母親が父親に残した伝言のことも。
母親は、きっと幸せだったに違いない。
信じてもらえて…………遠く離れていても、いつも深い愛情で父親から見守られて、きっと幸せだったに違いない。
だから、言ったのだ。
「真ちゃん、女の子はとっても弱いものだから、いつも男の子が守ってあげないといけないのよ」
あれは、自分がそうして欲しかったから言ったんじゃない。
自分がそうされて幸せだったから、だから、木本にもそうすることのできる男に育って欲しくて言った言葉だったのだ。
そのことが、今初めて木本には分かった。
自分はなんて子供だったんだろう、と木本は心の中で情けなく思う。
本当のことが、なにも分かっていなかった。母親が自分に求めていたことが、ほんの少しも理解できていなかった。
立ち尽くす木本の手に、里美はそっと自分の手を重ね合わせた。母親の葬式の時、泣けずにいた木本の手に自分の手を重ね合わせ、一緒に泣いてくれたあの時と同じように、里美は優しく木本の手に触れた。
あの時と同じように、里美の優しさが手を通して自分の中に流れ込んでくる。
木本はくすりと小さく自嘲気味に笑うと、父親に向かって気持ちの良い笑顔を見せた。
「父さん、俺、かなり料理上手になったんだ。よかったら、俺が今晩の夕食作ってごちそうしてやるよ」
その笑顔は、ずっと背負っていた重い荷物を肩から下ろし、心から晴れ晴れとした時に見せる爽やかな笑顔と同じものだった。
父親も同じように笑う。
「お、それは楽しみだな」
その時、誰かが後ろから声をかけてきた。
「あれ、珍しくみんなそろってるじゃないか」
両手いっぱいに大きな花束を抱えた木本の兄である。
「なんだよ、親父まで。いつこっちに戻ってきたんだ? そろって墓参りするなら、俺も誘ってくれればいいのに」
「兄貴こそ、よく命日覚えてたなー。驚きだよ」
木本の兄は口をとがらせる。
「勝手に人を親不孝者にするな。母親の命日覚えてるのなんて常識だろ?!」
霊園では少し不謹慎と思われる、明るい笑い声がそこから聞こえだす。そして、心和ませる温かい空気も、そこから広がっていくようだった。
季節は春。
堅く閉ざされた人の心の扉も、いつかは開く時がくる。
扉を開くための鍵は必ずどこかに存在し、自分が使われる時を待っている。
きっと母親も笑っている。
家族の心が一つになったことを喜び、閉ざされていたわが子の扉が開いたことを喜んで、きっと――――――――。
おわり
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