桜ヶ丘交響曲第2番「聖夜祭」


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 学期末試験も無事終わり、ついに今日は十二月二十四日。
 そう、みんなの待ち望む聖夜祭当日である。
 すでに時刻は三時三十分をまわり、開始時刻まで残りわずかとなっていた。
 参加する大勢の生徒たちのほとんどが、すでに体育館に集合している。そして、前もって知らされていた自分の席に座り、隣近所の友人たちと会話しながら、胸をときめかせて聖夜祭の開始を待っていた。
 そして、生徒会の面々はと言うと。
 進行の手順の最終確認に余念がなく、ドタバタと慌しく動き回っていた。ステージそでの二階、放送機材やらライト調節設備やらの機械類が完備された狭い部屋の中で、イベント進行手順を片手にした木本の指示に、その他役員たちが必死の形相で駆けずり回っている。
「いいか、四時になるのと同時にライトダウン。ステージの小ライト以外のライトは総てオフだ。同じく四時、パイプオルガンの演奏テープを流し始める。音の設定はちゃんとできてるな?」
「はい、設定済みです。聞こえるか聞こえないかくらいの小さい音でいいんですよね?」
「よし。コーラス隊は?」
「舞台裏でスタンバイしてます!」
「体育館に入る生徒には、ちゃんと入り口でキャンドルと賛美歌の歌詞を配ってるか?」
「OKです。ちなみに、参加予定者でまだ会場入りしていない生徒が二十八人です」
「四時になったら、体育館の入り口は内側から鍵を掛けろ。最初からの約束だ、時間に遅れたヤツの参加は認めるな」
「分かりました」
 てな感じで、作業に励む生徒会役員たちの表情は、緊張しながらもイキイキと喜びに輝いている。
 だって、聖夜祭が始まるのだ。
 準備期間は約一ヵ月半。大変な思いをして作業に励んできたこれまでの苦労が、今やっと報われようとしている。これで張り切らないでいられるワケがない。
 そして、そんな彼らの中心にいる木本はと言うと、いつもと変わらぬ落ちついた余裕の顔で、キビキビと的確な指示を役員たちに出していた。その表情には、里美との関係に悩む様子は全く見られない。
 一通りの最終チェックを終わらせた木本は、体育館内を見渡せる小さな小窓から、階下の様子を嬉しそうに見ている野坂に歩み寄った。そして、自分も一緒になって窓をのぞきこむ。
「分かってはいたけど、ずい分集まったな」
 木本が言うと、野坂はご機嫌な笑顔でうなずいた。
「なんとかここまで漕ぎ付けたな。後は予定通りにちゃっちゃと聖夜祭を終わらせれば、その後は愛しの順子との甘いクリスマス・イブ。そして、明日からは楽しい冬休みだ」
「おいおい、あまり先のことばかり考えてると、今をすくわれるぞ」
「でもさー、志乃さんを聖母に担ぎ出せた時点で、もう90%成功してるようなもんじゃないか。残り10%、少しくらい手落ちがあったとしても、そんなの誰も気にしないって」
 楽天的な野坂の言葉に、木本は肩をすくめて答える。
「ま、それはそうなんだけど。でも、俺は完璧主義者だからな。会長の俺の命令に従って、最後まで気を抜かずにやっていただきますよ、副会長さん」
 にやりと笑う木本を横目に、野坂は面白くなさそうな顔をして天井を見上げた。そして、疲れたような息を吐く。
「まったく、おまえってばそういうところが真面目すぎていかんよなぁ。へいへい、分かってますよ。ちゃんとやればいいんだろ、ちゃんとやれば」
「よろしい」
 にっこり笑顔でそう言うと、木本はまた小窓から下をのぞきこみ、今か今かと聖夜祭の始まりを楽しみにしている生徒たちの方へと目を向けた。そして、キュッと表情をひきしめる。
 里美から、自分がホモだと思われていることを知ったあの日から、木本はずっと考えていた。これまでの自分と里美の関係。今の自分の気持ち。そして、これからどうすればいいのかを。
 そして、決めた。
 聖夜祭を完璧に成功させる。そして、里美に自分の本当の気持ちを告白するのだ。
 今さらそんなことをしたって、どうにもならないことは木本にも分かっている。
 もしかしたら、すでに里美は内田と付き合っているのかもしれないし、そうでなかったとしても、自分は単なる幼なじみのホモ野郎としか思われていないのだ。
 それでも、告白すると木本は決めた。そう、聖夜祭を成功させ、胸を張って里美に気持ちを告白するのだ。
 あれから本当に色々と木本は考えた。そして、分かったことが一つ。
 なぜ、自分はこうなのか? 頭脳明晰、冷静沈着、誰からも一目置かれる頼りになる男。そんな男に自分がなったのはどうしてなのか?
 きっと、里美のためだ。
 里美を守るために、木本は頭が良くなくてはならなかった。いつも冷静でいて、里美が困った時には、すぐに助けてあげられるようにしていなければならなかった。里美を守る騎士として、みんなから一目置かれる存在になる必要があった。
 今の自分があるのは、すべて里美のために努力をしてきた結果なのだということに、木本は気づいたのだ。
 木本が恋愛面に関してだけは不器用であることも、それで説明がつく。だって、里美を守ることに、恋愛上手になる必要なんてなかったから。だから木本は、こと恋愛に関してだけは、恐ろしいほどに免疫がなく、いつもオロオロしてしまうのである。
 聖夜祭を無事に終わらせて里美に告白する。
 これは、木本にとってのケジメだった。
 自分の里見に対する想いのケジメ。そして、亡き母親の遺言に対するケジメ。
 里美に告白しても、いいことなんてなにもない。逆に、単なる幼なじみだと思っていた男から告白されて、里美を悲しませるだけだろう。物心ついた頃より始まった二人の長い関係も、これで終わりを迎えることになるかもしれない。
 それでもかまわない、と木本は思う。
 だって、里美にはもう俺は必要ないから。
 俺の代わりに、これから里美を守ってくれる人間が、ちゃんといるのだから。
 邪魔者はさっさと消える。その方が里美のためになる。
 だから、なにがなんでも聖夜祭は成功させる。
 里美を守るために身につけた実力のすべて出し切り、その力で聖夜祭を成功させ、そして胸を張って里美に告白する。すべてのことに終止符を打つ。
 これが木本の出した結論、自分自身に対するケジメだった。
 だから、もし聖夜祭が納得のいくものにならなければ、木本は里美に告白することをあきらめる気でいた。それはつまり、自分には里美に告白する資格がなかった、ということになるのだから。
 聖夜祭の開始を心待ちにするたくさんの生徒たち。あの中のどこかに、里美もいるはずである。それらを静かに見下ろす木本の心に、あせりや悲しみは少しもない。それどころか、いつもにも増して木本は落ちついていて、心はとても穏やかであり、みなぎる自信に満ちていた。
「必ず成功させる」
 様々な想いを胸に、木本が小さくそう呟いた時、下のステージそでで志乃に付き添っているはずの順子が、首をかしげながら階段を上がってきた。
「あれぇ、順子、どうしたんだ? 志乃さんに付き添ってなくていいのか?」
 不思議そうな顔でそう言う野坂に、順子が答える。
「うん、なんだか志乃さん、すっごく緊張してるみたいなの。落ちつきたいから、しばらく一人にして欲しいって言われちゃった」
「大丈夫かな。逆にそういう時、一人でいた方がどんどん緊張が高まる気がしないでもないけど」
 木本がそう言うと、順子も困ったような顔をする。
「あたしも同じことを志乃さんに言ったの。そしたら志乃さん、自分は一人の方が落ちつくタイプだからって。だから、ここに上がってくる前に、下にいる役員たちにも言ってきた。しばらくは志乃さんに近づかないようにって」
「………そうか。でも、ちょっと気になるな。なんと言っても、彼女は今日の主役だし」
「大丈夫じゃねーの? なんてったって、志乃さんはバスケットやってたんだぞ? 緊張した時、どうしたら一番落ちつくかってことくらい、自分でちゃんと分かってるよ」
 明るく言った野坂の言葉に、木本と順子は「それもそうか」と納得したのである。
 そして、このことが、後で三人をものすごく後悔させることになるとは、夢にも思っていなかったのである。

 さて、その頃、志乃はと言うと………。
 ルネッサンス時代などに画家たちが競うように描いた宗教絵画。その中に出てくる聖母そのものといった衣装を身にまとい、用意されたパイプ椅子に静かに腰を下ろしていた。
 舞台映えするように少し派手目、とは言え、センスよくカラーコーディネイトされた聖母衣装に身を包んだ志乃は、前に木本が「女神」と言い表していたように、この世のものとは思えないほど美しく光り輝いている。
 しかし、それはあくまでも衣装だけのこと。
 当の本人は、なぜだか困ったような顔をして、さっきからずっと手を握ったり開いたりしていて落ち着きがない。
「やっぱり、あんなこと承諾したのは間違ってたかしら? でも、今さら嫌とは言えないし………。それに、やっぱりちょっと楽しそうなのよね」
 そして、なんだかワケの分からないことを、溜息交じりにブツブツ呟いている。
 ふと志乃は、壁にかけられた時計に目を向けた。後十分ほどで聖夜祭の開始時刻である。
「もうこうなったら、なるようになれ、だわ」
 自分に言い聞かすように、志乃がそう呟いた時である。
 コンコン、と裏口のドアをノックする音が聞こえた。
 はっとして志乃は立ち上がった。キョロキョロと周りを確認して、静かにドアの鍵をはずす。そして、そこから現れた人物を確認して、驚いたように目を見開いた。
「こっ、小林くん?!」
 それはみんなには内緒にしている志乃の秘密の恋人、小林だったのである。
「へへ、来ちゃった」
 笑いながら小林はそう言うと、スルリと体をドアの内側へと滑りこませた。かなりのあせり顔で、志乃は小林をみつめる。
「来ちゃった、って………今ここは生徒会役員以外は立ち入り禁止なのよ。見つかったらどうするの?! 怒られちゃうわよ!」
 その生徒会役員たちでさえ、とある理由から志乃にここをしめ出され、今やこのステージそでは完璧な立入禁止になっているのだ。
 しかし小林は、そんな志乃の言葉を無視し、顔を輝かせて志乃の姿に魅入っている。
「うわぁ、志乃さん、もう信じられないくらいキレイだ! 世界一、いや、宇宙一だ!」
 小声ながらも、惜しげもない賞賛の言葉を小林から聞かされ、ついさっきまで怒ったような顔をしていた志乃も、ぽっと嬉しそうに顔を赤らめた。
「いやだ、小林くんたら、大げさよ」
「いいや、そんなことない。志乃さんは宇宙一キレイだ。さすがは俺の天使、っていうか、今はマリアだけどな」
 小林は志乃を抱きしめた。
 そんな小林を、志乃は困った顔で見上げる。
「もうすぐ開始時刻よ。早く出ていかないと、本当にマズイわ」
「うん、分かってる。分かってるけど、でも、どうしても志乃さんに会っておきたかったんだ。みんなが舞台に立つ志乃さんを見る前に、どうしても先に志乃さんを一目見ておきたかったんだ。だって、俺は志乃さんの彼氏だろう? 他のヤツラと同時にしか晴れ姿の志乃さんを見られないなんて、そんなの絶対に嫌だったんだ」
 そんな小林のささやきを耳元に聞きながら、志乃は抱きしめられたまま、幸せそうに目を閉じた。
「………バカね。そんなことしなくても、いつだって小林くんはあたしの特別よ」
「うん。でも、どうしてもみんなより先に志乃さんに会って、こうやって抱きしめたかったんだ。だって、志乃さんは俺のものなんだから。な、そうだろ?」
 小林の腕の中で、志乃がコクリとうなずく。
「そうよ。あたしは小林くんのものだわ」
 満足そうに微笑みながら、小林は静かに志乃の体から手を離した。そして、もう一度、志乃の姿をうっとりと見つめる。
「でも、本当にキレイだ。想像してたのよりずっと………。ああっ、もうっ、このまま志乃さんのこと、どこかに連れ去っちゃおうかな。俺、もう、ガマンできないよ! みんなに見せるのも、もったいないし!」
 駄々っ子のように小林が言うと、くすくすと志乃は笑った。
「聖夜祭が終わったら二人きりになれるから。だから、それまではいい子にしててね? いい?」
「ちぇっ」
 つまらなさそうに頬を膨らませていた小林が、うかがうように志乃を見ながらにこりと笑った。
「いい子にしてるから、そのかわりお駄賃くれる?」
 その意味を理解した志乃が、赤くなりながらもうなずいた。
 そして、そっと長いまつ毛を伏せる。
 小林は、大切な宝物にそうするように、優しく志乃の唇に自分のそれを重ね合わせた。
 二人の唇が離れた途端、志乃は平静を装いながらも、内心かなりあせりながら、小林の背中を裏口ドアに向かって押した。
「さ、もう行って。早く入り口から体育館に入らないと、聖夜祭に参加できなくなるわよ」
 キスしてすっかりご機嫌の小林は、そんな志乃のあせりに気づかない。
「うわっ、それは困る! じゃあ、俺行くね。志乃さんもがんばってな」
 名残惜しそうにしながらも、軽く手を振り、小林は慌てて裏口から出て行った。
 それを確認した志乃は、ヘナヘナとそのドアにもたれかかった。そして、はぁ〜と大きく息を吐きながら、額の冷汗を手の甲で拭く。
「あー、ビックリした。まさか小林くんが来るなんて、思ってもみなかったわ」
 時計の針は、もう三時五十五分をさしている。
 再度パイプ椅子に腰を下ろすと、志乃は緊張の面持ちで時計を見続けた。刻一刻と、開始時間が迫ってくる。
 その時、さっき小林が出て行った裏口ドアを、誰かがまたノックする音が聞こえた。音もなく志乃は立ち上がると、素早くそのドアを開けた。
 と同時に、一人の少年が顔を現す。
「志乃さん、準備いいですか? っていうか、うわー、すごーい、美しーい!」
 志乃を見た途端、少年は賞賛の声を上げた。そして、その後方にさっと視線を走らせてから、ドアを俊敏にくぐり抜け、後ろ手にそのドアを静かに閉める。
「大丈夫よ。ここには誰も近寄らないようにお願いしてあるから」
 そう志乃が言うと、その少年――――小泉は、安心したようににっこりと笑った。
「だったら安全ですね。この学園に志乃さんのお願いを聞かない人間なんて、一人もいませんから」
 言いながら、小泉はポケットから封筒を取り出し、それをさっきまで志乃が座っていたパイプ椅子の上に置いた。
「これでよし、と。さあ、志乃さん。いよいよ戦闘開始ですよ!」
「ああ、もう、心臓が口から飛び出しそうだわ。本当にうまくいくのかしら? それに、これって本当に木本くんのためになるの? 単に迷惑かけるだけにならない?」
 不安そうな志乃を安心させるように、小泉は無邪気なかわいらしい笑顔を向けた。
「大丈夫ですって。このぼくが、木本さんに迷惑だけかかるようなこと、するわけないでしょう? きっと木本さんは喜んでくれますよ。だって、間違いなく聖夜祭は、大いに盛り上がることになるんですから!」
 自信満々に小泉はそう答えた。


 こちらはまた、二階にいる木本たち生徒会。
 そんな不可思議な会話が、自分の足の下で交わされたとは露知らず、もはやひと言も話をすることなく、生徒会役員たちは静かに時が満ちるのを待っていた。
 腕時計を見ていた木本が、ゆっくりと左手を高く上げる。そして、四時ちょうどを時計の秒針が知らせた途端、さっとその左手を振り下ろした。
 それを合図に、アナウンス担当の女子役員が、マイクのスイッチをオンにする。
「全員、着席して下さい。ただ今より、桜ヶ丘学園高等部生徒会主催、聖夜祭を始めます」
 アナウンス終了と同時に、パイプオルガン曲が静かに流れ、体育館のライトはほとんどすべて消灯された。残ったライトと言えば、ステージに設置された小ライトだけの薄暗い光だけである。
 消灯した途端、一瞬だけ起こった小さなざわめきが静まったのを見計らい、新約聖書のルカ福音書より抜粋された、御子イエスの誕生について簡潔、かつ理解しやすい言葉に編集されてある原稿の朗読が始まった。
 この原稿、代々の生徒会が聖夜祭のたびに使用してきたものである。御子誕生当時の歴史的背景から始まり、イエスがヨセフとマリアの子として誕生する瞬間までが盛り込まれているため、読み終えるのに、約十五分から二十分程の時間を必要とする。
 それでも、かなり短くまとめてある方なのだ。
「ちょっと長すぎるんじゃねーの? 薄暗い中だし、みんな眠くなるかもしれねーぜ?」
 以前に野坂からそういう意見も出たが、木本はそれを却下した。
 日本は仏教国家。だから、桜ヶ丘の生徒たちのほとんどが仏教徒のはずである。しかも、これまで最低人気だったこの聖夜祭、たいていの生徒は今年が初参加であり、この朗読を聴くのも初めてのはず。
 つまり、新約聖書の内容なんて、ほとんど知らない生徒ばかりなのだ。
 こんなこと言うと敬虔な信者には怒られるかもしれないけど、聖書に書かれてあることというのは、ある一つの物語として読むと、それなりに面白いものである。だから、さほどみんなを退屈させることはない、と木本は判断したのだ。
 それに聖書の朗読は、聴く者を神秘的な気持ちにさせるのに多大なる効果を発揮する。それが長ければ長いほど、次に待ち構えている聖母の登場を、より一層惹き立ててくれるに違いない。
 そして、そんな木本の予想は的中したらしい。
 暗がりの中の生徒たちは、おとなしく静かに朗読の声に耳を傾けている。
 朗読の最中、二階の窓に沿った左右の細い通路に、あらかじめ用意してある計四十本ほどのキャンドルに、担当の生徒会役員たちが三十秒ごとに火を灯していく。
 そのキャンドルライトの効果もあって、聖書の朗読が終わる頃には、もうすっかり幻想的で神聖なるムードが体育館中に満ち広がっていた。
 そんな会場内の様子を、木本は腕を組み、二階から冷静に観察していた。これまでのところ、すべてが順調、上手くいっている。
 朗読が終わると、次は舞台裏に待機している合唱部が、賛美歌を小さな声で歌い始める。その歌の最中に、いよいよ最大のお目当て、志乃の登場だ。
 それまで唯一消されず、会場内にわずかばかりの灯りを供給していたステージの小ライトが、予告もなくふと消えた。ステージ下の生徒たちの位置からは、ステージはほぼ暗闇に包まれてしまい、一切が見えなくなる。
 段取りから言うと、今まさに、その暗闇の中で志乃がステージ中央に移動中のはずである。
 そして、志乃が定位置に着いた頃を見計らって、ステージ上の数本のキャンドルに、黒子役員たちが一つ一つゆっくりと火を灯し始めた。
 それを黙って見守っていた木本の片方の眉が、ぴくりと動いた。
「ん?」
 キャンドルの淡い光の中、薄っすらと浮かび上がってくるはずの志乃の姿が、一向に見えてこない。
 木本は小窓からわずかに身を乗り出した。そして、ステージ上に目をこらす。
 二階通路からステージの様子を見ていた野坂と順子が、慌てたように戻って来た。
「木本くん、志乃さん本当にステージ上にいるの? その小窓からは見えてる?」
「通路からは全然見えないんだよ。あれって見る角度のせいか?」
 ステージ中央に厳しい目を向けたまま、木本は答えた。
「いや、ここからも見えない」
「あたし、下に行って見てくる」
 あせった顔の順子が、慌てて部屋を飛び出した。そして、ステージそでへと続く階段を駆け下りる。
 そうこうしている内に、ステージ上の十本のキャンドルすべてに火が灯った。相変わらず志乃の姿が全く見えない中、天井に設置された左右二機のライトが、志乃がいるはずの場所にスポットを当てた。
 そこには、聖母衣装にその身を包んだ、美しく光輝く志乃の姿が!
 ―――――いや、見えない。
 やはりそこに志乃の姿はない。
 会場中がざわめいた。前もって渡されてある進行表により、みんなもそこに志乃がいるはずだということを、ちゃんと知っているのだ。
 会場から不満の声が上がる。
「どうしたんだ?! やっぱり志乃さん、大勢の人前に出ることにビビッてんのか?!」
 頭を両手で押さえた野坂が、悲惨な顔でそう叫ぶ。その時、青い顔をした順子が走って戻って来た。開口一番に順子は言う。
「大変、志乃さんがどこにもいない!」
「ええっ?!」
 木本と野坂は同時に声を上げた。
「いないって、どういうことだ?!」
 さすがに驚きとあせりを隠しきれない様子の木本に、順子は白い封筒を差し出した。
「分からない。でも、どこにもいないの! その代わり、志乃さんが座っていた椅子の上にこれがあった。木本くん宛てよ」
 木本はその封筒を受け取ると、急いで中から手紙を取り出した。すぐに広げて中身に目を通す。
 それを読んでいる木本の顔が、段々と怒りの形相に変わっていった。
「なんだっ、どうしたんだ?!」
「なにが書いてあるの?!」
 野坂と順子に左右からつめ寄られて、木本は低い声で呟くように答えた。
「志乃さんが………志乃さんが連れ去られた!」
「ええ――――――っっ!!」
 口を大きく開けて、野坂と順子が叫ぶ。
 怒りに震えるその手に持っていた手紙を、木本は野坂に突きつけた。
 すぐに野坂がその手紙を声に出して読み始める。
「なになに、愛する木本さんへ。志乃さんは中学部でいただいていきます。高等部は中学部の聖夜祭参加を認めてくれませんでしたが、でもやっぱりぼくたち中学部の生徒も、志乃さんと共に過ごすクリスマス・イブをあきらめ切れませんでした。だから、中学部生徒とクリスマス会をしてもらうため、志乃さんは連れて行きます。そうは言っても、このままでは高等部生徒会の面目は丸潰れでしょうし、その他の志乃さんを愛する多くの高等部先輩方だってかわいそうです。なので、高等部生徒にチャンスをあげます。志乃さんは高等部敷地内のどこかに隠してあります。それを五時半までに見つけることができたら、志乃さんはお返しします。あるいは、高等部敷地内に隠れている、腕に黄色のワッペンをつけた中学部生徒九十九人すべてを捕まえることができれば、その時は志乃さんの隠し場所をお教えします。さあ木本さん、時間はあまりありませんよ。がんばって志乃さんを見つけて下さい。もしくは、中学部生徒九十九人を捕まえて下さい。ちなみに、この手紙を書いているぼく、中学部生徒会長小泉は、志乃さんと行動を共にしています。木本さんがぼくを探し出してくれるのを、とても楽しみにしていますね。ああ、それから、五時半を過ぎてもぼくたちの出した問題をクリアできなかった時は、志乃さんを学園から外に連れ出しやいますよー。別場所に用意してある中学部クリスマスパーティー会場に、すぐさまお連れしちゃいます。ではでは、ぼくはこれから志乃さんと二人で隠れ場所に向かいます。木本さん、がんばって下さいね。心から大好きでーす!! 中学部生徒会長、小泉望………って、なんだ、こりゃ!」
 目を白黒させながら、野坂は木本を見た。
「これは挑戦状だ!」
 吐き捨てるように木本は言う。
「中学部から高等部に対する挑戦状だよ、くそっ!」
 木本は側にある机の端を、苛立たしげにガンッと殴った。
「小泉、アイツめ………聖夜祭をぶち壊しにするつもりか?!」
「ど、どうするの、木本くん?」
「どうするもこうするも………」
 眉をつり上げた木本がなにか言いかけた時、坂本がアタフタしながら階段を駆け上がってきた。
「会長、どうしたんですか? 志乃さんはどこなんです?! 会場からはもう、すごいブーイングの嵐ですよ!」
 そんな坂本に、野坂は無言で小泉からの手紙を差し出した。それを受け取り、中を読んだ坂本は、目を大きく見開いて驚愕の表情で木本を見る。
「会長、これって――――!」
「体育館のライトをすべてつけろ!」
 それだけ言い残すと、木本はコードレスマイクと小泉からの手紙を手に取り、眉間にシワを寄せたまま部屋を飛び出した。そして、階段を足早に下りていくと、そのままステージ中央に進み出た。
 木本の姿を見た途端、それまでの野次がさらに大きくなる。
「おいおい、どうなってんだよー!」
「早く志乃さん出せー!」
「いつまで待たせる気だ!」
 自分を責め立てるたくさんの声の中、木本はあくまでも冷静に、しかし、挑むような目でステージ下の生徒たちを見すえた。しばらくして、マイクのスイッチを入れる。
「静かに!」
 いつも余裕の表情で、涼やかに微笑んでいるのが定番の木本の発した厳しい声に、驚いたように会場内は、一瞬にして静まり返った。
 無表情ではあるが、怒りのこもった高圧的な目で、木本はぐるりと会場内をみまわす。そして、意を決したように話し始めた。
「皆さんに重大なお知らせがあります。つい先ほど、桜ヶ丘中学部生徒の手により、志乃さんが拉致されました!」
 ええ――――っ、という声と共に、座っていた生徒たちの半数以上が、驚きのあまり立ち上がった。
「志乃さんが中学部に?」
「一体どういうことなのよ?!」
「もっと詳しく説明しろよーっ!」
 怒気を含む生徒たちの声に動じた風もなく、木本は言った。
「みんなの驚く気持ちは理解できる。でも、冷静に聞くように」
 静かではあるが、反抗は絶対に許さない、といった色をおびた木本の声に、会場内はまた静かになった。  それを確認した木本は、マイクを持つ手とは反対の手で、小泉からの手紙を高くかかげた。
「犯行の首謀者は中学部の生徒会。ヤツラは志乃さんの代わりに、この手紙を置いていった。この手紙の内容によると、犯行動機は聖夜祭に参加できないことからきた逆恨み。そして、ここにはこんなことがも書かれてある。五時半までだったら自分たちは高等部敷地内のどこかに潜んでいると。探し出せるものなら、自分たちを探してみろ、と。探し出せたなら、志乃さんを返してやってもいい、と」
 そこで木本は、いったん言葉をとめた。
「えー、ウソでしょう?!」
「なにを考えてやがるんだ、中学部のヤツラ!」
 あちらこちらから、驚愕と怒りの声が上がっている。
 ここで、木本は声を大きく荒げた。
「これは明らかに、中学部から高等部に対する挑戦だ! わが高等部生徒会は、この挑戦に真っ向から立ち向かうつもりでいる。あんなクソガキどもに、これ以上なめられてたまるか! なにがなんでも志乃さんを取り返す! そして、聖夜祭を再開する! みんな、協力してくれるか?!」
 木本の熱のこもった問いかけに、高等部生徒たちは空気を振るわせるほどの大声を上げて答えた。
「お――――――っっ!!!」
「やってやろうぜ!」
「志乃さんを誘拐するなんて、なにを考えてやがるんだ!」
「中学部のやつら、目に物見せてくれる!」
「高等部をナメるな!!」
 その場にいたほとんど全員が総立ちになり、熱く激しい闘志を燃やし始めた。自分たちの愛する聖母を奪い、高学年であるプライドをも傷つけた共通の敵に対し、気分はすでに戦闘モードである。
 そんな彼らを、厳しい顔で頼もしそうに見ていた木本は、切っていたマイクのスイッチを再びオンにした。
「タイムリミットまで約一時間。すぐに詳しい説明と作戦会議に入る! 作戦指令本部はここ、体育館のステージ上。各クラス、出席番号の一番若い生徒は、すぐにここに集まるように! 時間がないぞ、急げ!」
 その声を受けて、ぞくぞくと生徒たちがステージの上に集まり始めた。



 こうして、中学部対高等部、百人を八百人でとっ捕まえるという壮大なオニごっこの火蓋は、切って落とされたのである。


     つづく





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