桜ヶ丘交響曲第2番「聖夜祭」


          7


 聖夜祭まで後数週間を残すところとなり、これまでに増して生徒会室は慌しい。
 そんな中、木本はいたって涼しげな表情を崩すことなく、しかし、仕事振りだけは今まで以上に無駄もソツもない完璧な敏腕指導者振りを発揮しまくっていた。
「ああ、それなら心配ない。先週俺が手配しといたから。それよりも、あっちの方はどうなった? うん、うん、よし、それなら大丈夫だな。ああ、そう言えば、コーラス隊の合唱部、仕上がりはどうだ? 誰か後で様子を見に行ってくれないか?」
 すごい量の仕事をテキパキとこなし、しかし、まったくあせった様子のない木本の落ちついた態度と余裕の笑みに、生徒会役員たちは聖夜祭の順調な仕上がりを疑うことなく、その指導の元に安心して作業を進めることができる。
 それでなくても生徒会役員一同、言ってみれば全員が木本の崇拝者、自分たちの敬愛する会長のためなら例え火の中水の中、といった感じの熱狂的シンパたちの集団なのだ。
 木本のやることを疑うなんて、とんでもない。みんな心から木本を信じているし、実際、これまで木本が失敗したことなんて一度もないのだ。
 しかし。
 そんな木本の敏腕振りを横目にしながら、顔を合わせてヒソヒソと、なにやら密談めいたことをしている役員が約数名。
「どう見ても」
「あれは絶対に」
「変ですよね!」
 野坂、順子、そして、坂本の三人である。
「そりゃ確かに木本はすごいと思うよ。いつでも冷静に仕事をこなすし、指導力だって抜群だ。でも、どう考えても、今のあの様子はおかしいよ」
 野坂の言葉を聞いて、順子と坂本が大きくうなずく。
「見てよ、あれ。この忙しい最中、普通以上に愛想がいいの。生まれてこのかた、悩んだことなんて一度もありませんって顔よ、あれは」
「あの笑顔、見ていてなんだか怖いものがありますよね。妙な冷たさがあるというか、目が笑ってないというか。背筋がゾクッとしますよ」
 坂本が自分の肩を抱きしめて、体をブルッと震わせる。
「ああいう時の木本ってのは、絶対になにか悩みか問題を抱えてんだ。でもなぁ、今の木本に悩みなんてあるかなぁ。順子、なにか思い当たることあるか?」
「聖夜祭の参加人数もすごいことになってるし、このままいけば成功間違いなしでしょう? その分忙しいけど、でも、それは最初から分かってたことだし………。うーん、分からないなぁ」
「分かりませんねぇ」
 坂本も首をひねりながらそう呟く。
 木本の様子がおかしい理由。それはもちろん、里美から隠し事をされていたというショックと、自分が里美を好きなのかどうか、それがハッキリしないもどかしさからくるものなのであるが、そんなこと、この三人が知るはずもない。
「お母さんの命日が近いとか。それで、ちょっとナイーブになってるとか?」
 自分自身も早くに母親を亡くしている坂本が、こんな意見を言ってみる。
 その案を、即座に野坂が否定した。
「いや、確かオフクロさんの命日は春だったと思うぞ」
「だったら、志乃さんのファンクラブに文句言われてるってことはないですか? ホラ、会長の野崎さん、志乃さん至上主義でちょっと怖いし。志乃に聖母役を押し付けるなんてどういうことじゃー、なんて」
「そこは抜け目ないわよ。ちゃんと野崎さんには了承済みだって、木本くんが前に言ってたもの」
 坂本の問いにl、順子が答える。
 とすると、一体なんだろう?
 三人は腕を組み、うーんと首を傾げた。
「それにしても、寂しいですよねー。なにも言ってもらえないのも」
 おそらく、生徒会一の木本崇拝者である坂本が、悲しそうな顔で言う。
「プライドの塊みたいなヤツだからなぁ。人に弱みを見せるくらいだったら、死んだ方がマシって感じなんじゃない?」
 笑いながら言う野坂を、順子が不満そうに見る。
「そりゃ、あたしや坂本くんには仕方ないけど、洋介は親友でしょ? もう、このままだとイライラするから、ちょっと行って聞いてきなさいよ。なにを悩んでるんだ、って!」
「バ、バカなこと言うなよ!」
 野坂は飛び上がる。
「あいつはなぁ、俺に話してもかまわないと判断した内容のことなら、ちゃんと自分から相談してきてくれるんだよ。それをしないということは、絶対に人に知られたくないような、そんな問題を抱えているに違いないんだ。しかも、そんな問題を抱えてるってことすら、人に知られたくないと思ってんだ。それを俺が、なに悩んでんだ? なんて迂闊に訊いてみろ」
 野坂は体をブルブル震わせた。
「考えただけでも寒気がする。生徒会室内が一瞬にして凍りつくような、そんな雰囲気かもし出すぞ、アイツ! ああ、怖い! 絶対に俺は嫌だかんな!」
 順子と坂本は顔を見合わせた。
 確かに、野坂の言うことには一理ある。無理矢理聞き出そうとしても、きっと木本はなにも言ってはくれないだろう。
「となると、このまま黙って様子を見てるしかないってことですか?」
 ションボリとそう言った坂本の横で、片方の頬を手で押さえた思案顔の順子が、小さな溜息をついた。
「そうことになるわねぇ。でも、ま、木本くんがあの調子でガンガン仕事を片付けてくれてるのは、助かると言えば助かるし。しばらくはこのまま放っときましょう」
「そうだな。特に問題があるワケじゃないし」
「はぁーい、分かりましたぁ」
 なんて、坂本があまり覇気のない返事をした時、三人の後ろからぬっと木本が顔を出した。
「なにやってんの?」
 ぎゃぁ、と三人は飛び上がる。
「どうした? なにか邪魔したか?」
 木本はキョトンとした顔をする。
「い、い、いや、なな、な、なんでもないよ、ハハハハハ。な、順子?」
「そ、そうよ。ちょっとサボって雑談してたもんだから、それで慌てちゃっただけ。ね、坂本くん?」
「は? は、はい、その通りですっ!」
 狼狽しまくり、思いっきり不自然な笑顔を浮かべる三人を見て、木本は肩をすくめる。
「ふーん? 別に俺は鬼じゃないんだから、ちょっとサボッてたくらいで怒ったりはしないけど」
「そ、そうよねっ。もうっ、なに言ってんのよ、洋介!」
 順子に肘でつつかれて、野坂が慌てる。
「俺が言ったんじゃねーだろう?」
「そ、それより、どうしたんですか? 俺たちの誰かに用ですか?」
 話を反らすように坂本が言うと、不信な顔をしていた木本が思い出したように順子を見た。
「志乃さんの衣装の手配、ちゃんとできてるか確認したかっただけなんだけど……」
「それなら大丈夫」
 話題が変わったことで、順子は落ち着きを取り戻す。
「週明けの月曜日、志乃さんには手芸部に来てもらうことになってるの。そうたいした手直しがあるワケじゃないから、一日か二日あれば出来上がるだろうって、手芸部の部長が言ってたわ」
「そうか。じゃあそれ、後でそこの予定ボードに書いといてもらえるかな。月曜日、志乃さんの衣装仮縫いって」
「はーい」
 返事をしながらも、もう順子は予定ボードに書き込みを始めている。
「他になにか確認しときたいことってある?」
「そうだなぁ………あ、予算の管理の方はどう? 金が足りないとか、そういうことはない?」
「それも大丈夫よ。今回はちょっと多めに参加者から徴収したし、それに、坂本くんががんばってくれたお陰で、桜ヶ丘商店街からかなりの物が安く手に入るから」
 そう言う順子の隣で、坂本が自慢そうに胸を張った。
「商店街のことなら任せて下さいよ」
 その胸をどんと叩き、なにかを思い出したようににやにや笑う。
「まいりましたよ、おっさん連中がうるさくて。志乃さんの聖母姿見たいから、自分たちも聖夜祭に参加させろ、なんつって。まったく、いい年こいてなに考えてんだか。俺のオヤジまでギャーギャー言うんだから、ホント、嫌になっちゃいますよ」
「へー、そうなんだ?」
「あ、でも安心して下さい。きっぱり断っときましたから」
 褒めて褒めて、と目を期待で輝かせる坂本に笑顔でありがとうと言うと、木本はちょっと考え込んだ。
 高等部の人間以外からの、聖夜祭参加希望。
 志乃の聖母役決定の噂を聞きつけた桜ヶ丘大学部、それに、その他近隣の学校からも、実はそういう声がいくつか上がっていた。もちろん、それらはすべて丁重にお断りしてある。聖夜祭の会場となる体育館に収容できる人数には限りがあるし、やはりこれは高等部のイベントなのだ。志乃の聖母姿を見る特権は、今年、高等部に在籍した生徒たちだけのものにしたい。
 それ以外の人たちには、後で写真を見て満足してもらえばいいだろう。当然、その写真も生徒会管理の元で販売し、そこでも収益を上げるつもりである。
 だから、一般生徒の写真撮影は一切禁止。写真を撮ることが許されるのは、生徒会から依頼を受けた写真部の人間だけである。
 その辺の手配もちゃんとやっておかなければならないな、なんて木本が考え込んでいた時、元気よく生徒会室のドアが開いた。
「ちわーっ、新聞部でーす。失礼しまーす!」
 いつものように、首からカメラをぶらさげた小林が、明るい笑顔をのぞかせた。そして、坂本を見つけると、すれ違う生徒会役員たちに、元気な笑顔を振りまきながら、その側までやってきた。
 右手を上げ、ハイタッチを交わしながら、二人は「ようっ」挨拶を交わす。
「相変わらず、いつ来ても活気があって、いい雰囲気ですね、生徒会は」
 小林は木本にまず目を向け、その後で生徒会室をぐるりと見回しながらそう言った。そして、野坂、順子にも笑顔を向けると、最後にもう一度視線を木本に戻す。
「ちょっとお邪魔させていただきまーす」
「また菓子でもせびりに来たのか? 残念だけど、今日はなにもないぞ」
 茶化すような口調の木本に、小林もにやにや笑う。
「へへへー、はずれです。今日は新聞のネタ探しに来たんですよ」
「ここにもネタなんてないぞ。なんと言っても、俺たちは今、聖夜祭の準備で大忙しなんだから」
 木本は言うと、野坂もそれに同意する。
「そうそう。他のことにかまってる暇、ぜーんぜんないんだから」
 大きくうなずきながら、坂本が小林につめ寄った。
「おまえもたまには手伝えよ。もう、猫の手も借りたいくらいなんだから」
 小林は笑顔を引きつらせながら手をブンブン振った。
「ご、ご冗談でしょ。それよりも真面目な話、なにかネタを提供して下さいよ」
 そう言うと、小林は下唇と突き出した。
「もう学園中、どこもかしこも聖夜祭のことばっかりで、他に新聞の記事になりそうなネタなんて、全く転がってやしないんだから。これも生徒会のせいですからね。責任取って、ネタを提供お願いします」
「でもねー、そうは言っても、本当になにもないのよねぇ」
 腕を組み、考え込む順子の隣で、坂本が笑いながらシッシッと手を振る。
「分かったら帰れ、帰れ。おまえの相手してるほど、俺たちは暇じゃないんだからな。今度来る時は、逆に手土産の一つくらい持ってこいよ」
「なんだよ、坂本。冷てーなぁ。それが親友に対して取る態度か?」
 わざとらしく肩を落として溜息ついた小林は、上目使いに木本を見た。
「ねえ、会長。こんな冷たい友達持ったかわいそうな俺のお願い、一つだけきいてもらえませんか?」
 ん、と木本が微かに眉を上に動かす。
「お願い? なんだ?」
「この前、女子限定の人気投票行ったじゃないですか。あのデータ、もらえませんかね?」
「人気投票のデータ?」
 小林はにんまりと笑った。
「あれの結果って、生徒たちに公開されてませんよね? きっと、みんなも知りたがってると思うんだよなぁ。ね、いいでしょう?」
「そうだな。確かにあれなら新聞の記事になるな」
 納得した顔の野坂が言うと、順子もコクコクうなずきながら笑顔を見せる。
「志乃さんが聖母役に決まった今となっては、もういらないデータだもんね。あたしだってがんばって集計したんだし、無駄になるくらいなら、みんなに公開してもいいかも」
「でしょ、でしょー。それじゃ、いいんですかね、もらって帰っても?」
 最終確認を取るように、小林は木本に目を向けた。
 それに対して。
「それは………悪いけど、ちょっと無理だな」
 木本はそう答えたのである。
 てっきり「かまわないよ」と言うとばかり思っていたその場の全員は、みんな一様に目を見開いている。
 が、木本にしてみれば、当然のことなのである。
 だって、あの人気投票には里美がランクインしているのだ。しかも、初登場で二位という、とんでもない快挙を成し遂げている。
 そのことが全校に伝われば、きっと里美の噂で校内は持ちきりになるに決まっている。これまでよく知らなかった者にまで、里美の存在をはっきりと認識させることになる。
 そして、絶対に里美の人気は今よりも上がるのだ。それは絶対に間違いない。
 冗談じゃない、と木本は思う。そんなこと、許しておけるはずがない。
 そんなことを、いつもとは変わらない涼しい顔で思っている木本に、坂本が遠慮がちに訊いてきた。
「どうしてダメなんですか?」
「だって、あれは公表することを前提にしないで投票してもらったものだろう? それをアッサリ新聞部に渡したりしたら、生徒会の信用問題にかかわるじゃないか」
 木本は平然と答えた。
 それを聞いたみんなも、まあ確かにそれも言えるかも、といった顔で互いの目を見合わせる。
「そういうワケだ。悪いな、小林。協力してやれなくて」
「残念だけど、仕方ないっすね」
 小林はにこっと笑って見せた。
「でも、ちょっと集計データ見せてもらってもいいですか? 個人的に興味あるから。見た結果を記憶して、後で新聞記事にしようなんて姑息なことはしませんから」
「おまえがそんなことするなんて、思ってないよ」
 笑いながら、木本は以前に順子に作ってもらったランキングデータを、会長机の引き出しから持ってきた。それを小林に手渡す。
 小林はそれを喜々として受け取ると、ワクワク顔でめくり始めた。隣から、坂本も一緒になってのぞき込む。
「うっほー、愛する志乃さん、さっすがだなぁ。二位にかなりの差をつけての一位だぜ!」
「当たり前だろ? 志乃さん以外に、誰が一位になるって言うんだよ、バーカ」
 なんて二人して楽しそうに話しながら、データ用紙をめくっていく。
 その間に、野坂と順子はそれぞれの仕事に戻り、木本も仕事に戻ろうとした時、
「あ、栗原里美さんがランキングに入ってる!」
 という小林の少し驚いたような声が耳に入り、木本はピタリと足をとめた。そして振り返り、爽やかに微笑みながら小林に訊いた。
「小林、おまえ、栗原里美を知ってるのか?」
「ええ、名前だけだけど。でも、二年のランキングで二位なんて、けっこう人気のある人なんですねぇ。内田のやつ、意外と面食いだったんだ。なあ、坂本?」
「う、うん。まあ、そうだな」
 そう返事をした後、坂本が少し気まずそうに木本を見た。
「なんだ、坂本も知ってるのか? その内田ってヤツ」
 なんてすまして言ってみたものの、本当は木本、その内田というヤツのことを早く聞きたくて仕方がないのである。
 何者なんだ、そいつは! しかも、里美とどんな関係なんだ?!
 しかし、そんなあせりを見せることなく、逆に、それまで以上のすこぶる笑顔を木本は作る。
 そんな木本の笑顔を見て、坂本は一瞬言葉をつまらせた。そして、ふーっと息を吐くと、観念したように話し始めたのである。
「内田っていうのは、俺が桜ヶ丘に入学した当初、中学部からの親友なんです。ホラ、会長も聞いたことありませんか? 朝と夕方、いつも一人で学園中の花壇の手入れをしている………」
「花壇の手入れ?」
 しばらく考えてから、木本はなにかを思いついたように目を見開いた。
「内田って………ああ、あの内田か?! 通称『花園の王子サマ』? あの内田なのか?!」
「そう、あの内田です」
 坂本は軽く肩をすくめた。

 今年、桜ヶ丘学園での在籍四年目、ちょっとかわいい顔をした優しい性格の内田勝巳(16)は、学園内ではちょっとした有名人である。
 その理由はというと、それはもちろん、彼の密かなる趣味、学園中の花壇の手入れをしているところからきていることは、もはや言うまでもない。
 自分の趣味を少し恥ずかしいと思っている内田は、みんなには内緒で土いじりを行うようにしている。坂本とか、数ヶ月前から仲良くなった小林などの、一部の友人たちには話してあるが、しかし、その他の生徒には極秘の状態で自分の趣味を楽しんでいた。
 そうは言っても、男子生徒が花壇の前で毎日毎日なにかをやっている姿は、嫌でも人目につくものである。目撃した生徒が友達にそれを話す。聞いた生徒がまた別の友達に話す。そんな風に噂が噂を呼び、いつの間にか内田の密かなる趣味は、ほとんど全学園中に広まっていたのだ。
 それを知らないのは、里美のように、学園内の噂にうとい、ちょっとぼーっとした生徒くらいのものである。
 学園中の花壇をいつも一人で手入れして、季節ごとのキレイな花を咲かせてくれる男の子。しかも、顔もなかなかかわいいときている。いつの頃からか「花園の王子サマ」なんてあだ名までつけられ、女子生徒を中心に、高感度の高い男の子の一人として認識されるようになってしまっていたのだ。
 男子生徒の一部からは、「土いじりが趣味なんて変わってる」なんて声も上がらないこともないではなかった。が、そういった生徒たちも、ふとした時に花壇の美しい花々に気づいたり、内田の趣味が何年も続くのを目の当たりにしている内に、「いやぁ、なかなかできるもんじゃないよ」とか「みんなのために、一人でがんばってくれてるなんて、エライよな、あいつ」などと、内田のことを褒め称えるようになっていったのだ。
 もちろん、内田本人がそんなことを知るはずもない。
 どうやら内田は自分の趣味を内緒にしたがっている。しかも、彼はかなり内気で恥ずかしがりやならしい。
 そういったことを噂で聞いて知っている学園の生徒たちは、自分たちが内田の密かな趣味のことを知っているという事実を、本人には気づかせないようにしていた。そういう暗黙の協定を、いつの間にやらみんなで取り交わしていたのである。だから内田は、今でも自分の趣味がみんなに知られているなんて、思ってもいないのだ。
 まあ、そんなワケで、内田はかなりの知名度を学園中に誇っている。だから、もちろん、会長という仕事がら情報通である木本も、内田の存在を知っていたのである。
 その内田と里美が、ここ一、二週間、いつも二人で花壇での作業を楽しんでいるらしいと坂本は言う。
 当然、木本にしてみれば、そんなことは初耳である。
 あの内気な里美が? 男と二人っきりで? しかも毎日?!
 動転するほど驚いたが、なんとかそれを顔に出さずに踏みとどまった。気を落ち着けるため、眼鏡をはずしてハンカチで磨き始める。
「ふーん、そうだったんだ」
「あ、でも、内田が栗原さんを好きとか、栗原さんが内田を好きとか、そういうワケじゃないんです。ただ二人で花壇の作業しているだけで。内田だって、親切な先輩が手伝ってくれてるって言っていただけで………」
 慌てて坂本がそう言うと、小林がにやにや笑いながら言った。
「えー、そんなことないんじゃねーの? だって内田、その話をしてくれた時、すっごく嬉しそうだったじゃないか。あれは絶対に恋する男の顔だと思うけどなー」
 即座に坂本が、小林の腹にエルボーをくらわせた。
「イタッ! いきなりなにすんだよ!」
「うるさいな! おまえはちょっと黙ってろ!」
 腹を押さえて抗議する小林を、坂本はギンツとにらみつけた。それから急いで木本に目を戻す。
「と、とにかく、ただそれだけのことなんです。黙っていてすみません。でも、会長が心配するようなことは、絶対にないと思いますから!」
 あせりまくってそう言う坂本に、木本はにっこり笑顔を向けた。
「別に気にしてなんてないぞ? 里美がどういう行動を取ろうと、それは里美の自由だからな。それを俺がすべて知っておく必要もないだろうし。おまえもそう気にする必要なんてないから」
「は、はあ」
 恐縮するような坂本の隣で、小林が驚きの声を上げる。
「あれ、会長と栗原里美さんって知り合いなんですか?」
「俺たち、家が隣同士の幼なじみなんだ」
 木本の答えを聞いて、小林は目を白黒させた。
「ええーっ、そうだったんですか?」
「そうだよ! ほんっと、おまえは余計なことをベラベラしゃべりやがって。そんな口はこうしてやる!」
 坂本が小林の右口端を思いっきりつねって引っ張る。小林は悲鳴をあげた。
「だ、だって仕方ないだろ、知らなかったんだから。いてて、もう離せよ、坂本っ! ハンサムな顔が台無しになるっ!」
「また余計な減らず口をたたきやがって! こっちもこうしてやる!」
 坂本はそう言って、今つねっている小林の口端、その反対側の口端をもつねった。そして、小林の顔をびろーんと横に広げる。
「イテテテテ、も、もう降参! ごめんなさいっ!」
「いや、許さねー」
 そんな小林と坂本との愉快なやり取りを見ながら、楽しそうに木本は言った。
「ははは。坂本、もうその辺にしといてやれよ」
「うぃーっす」
 坂本は素直に小林の顔から手を離す。
「それじゃ、俺はそろそろ仕事に戻る。小林は適当にゆっくりしていってくれ。ただ、さっきも言ったように、そのランキングデータ、見てくのはかまわないけど、記事にだけはするなよ」
「り、了解しましたー」
 赤くなった両頬を、しょぼくれた顔でさすりながら返事をする小林を見て、楽しそうに笑いながら木本は会長机に戻った。そして、引き出しから色々な資料を取り出し、それを熱心にチェックするフリをする。
 しかし、正直それどころではない。
 頭の中は、里美と内田の関係のことでいっぱいになっていた。
 いつも仲良くお花とたわむれているだとぉ?! しかも、二人っきりで?! それって一体どういうことなんだ!
 だいたい、どうやって二人が接点を持ったのか、それすら木本には予想がつかない。
 ま、冷静に考えれば、内田が花壇の手入れをしているところを見かけた里美が、興味を持って話しかけたのだろう、くらいのことは思いつくのだろうが、動転しまくっている木本には、そんなことさえ思いつけない。
 あの、おとなしくて内気で、どちらかと言えば人見知りの里美が、男と二人だけで毎日一定の時間をを過ごしているなんて、それはどういう意味を持っているんだ、と木本は考える。
 もしかして、里美は内田のことが好きなのだろうか。
 そう考えると、なんだか頭がくらくらしてきた。
 内田のことは、噂で聞いて木本もよく知っている。真面目でおとなしく、とてもいいヤツだということだ。そもそも、あの坂本が親友として認めているのだから、それだけでも内田というヤツがいい人間であることがよく分かる。
 どうやら、とても似た者同士であるらしい里美と内田。それで互いに惹かれ合ったのだろうか。もしかして、すでに付き合っているとか? ええっ、そんなことって!
 自分の考えに驚いたあまり、木本は無意識にガタンと大きな音をたてて立ち上がった。
 生徒会役員たちの目が、いっせいに木本に集まる。そして、不思議そうに自分たちの会長を見つめた。 「あ、す、すまん。気にしないでくれ」
 引きつった笑顔を浮かべ、急いで木本は椅子に腰を下ろした。そんな木本を見て首をかしげた役員たちは、しかし、山のようにある作業の方に、すぐにまた気を戻す。
 木本は舌打ちしたいような気分になった。そして、落ちつけ落ちつけと自分に言い聞かせる。
 とにかく、ここしばらく里美は朝早くに登校し、夕方遅くにしか帰宅しなかった理由は分かった。内田と一緒に、花壇の手入れとやらをやっていたらしい。
 では、なぜ里美はそんなことをしているのか。これまで里美が園芸に興味を持っているなんて話、聞いたこともない。
 もう、本当に、なにがなんだか分からない。
 すでに無表情すら作ることができず、わずかではあるが眉間にシワを寄せ、猛烈に考え込んでいた木本は、だから野坂に呼ばれていることにも気づかなかった。
 何度読んでも返事をしない木本の肩を、怪訝そうな顔をした野坂がポンと叩く。
「どうした?」
 ハッとして木本は顔を上げた。
「え、あ……?」
「どうしたんだよ、何度も呼んだのに返事もしないで。なにかあったのか?」
 自分をのぞき込むようにして見る野坂に、木本はなんとか笑顔を向けた。
「い、いや、なんでもない。ちょっと進捗を頭の中で確認してただけ。それより、そっちこそどうした?」
「おまえにお客さんだぞ」
「客?」
 木本が首をかしげた途端、野坂の後ろから一人の少年がヒョイと顔を出した。
「初めまして、木本さん。僕、中学部の生徒会長をしている小泉っていいます」
 明るくハキハキそう言うと、その小泉という少年はペコリと頭を下げた。くせっ毛の柔らかそうな髪が、ふわりと揺れる。
 そして、顔を上げた笑顔の小泉を見て、生徒会室内の所々から、ホォという感嘆の声が上がった。木本でさえ、一瞬ではあったが小泉に見とれてしまったのである。
 それくらい、この小泉という少年は超が五つ付くくらいの美少年だった。
 色は白く、瞳の色は日本人には珍しいごく薄い茶色で、まるでガラス玉でできているかのようにキラキラと光っている。少しクセのある髪は、やはり瞳の色と同じく薄い茶色で、これがもし染めていないのであれば、何代か前に外国人の血が混じっていることは間違いないように思われる。成長過程なのか、背はそう高くなく体つきもしなやかで、男というよりは、むしろ女と言った方が納得できるくらいの、とても中性的な感じのする少年である。
 そんな小泉にほんの一瞬見とれはしたものの、すぐに木本はいつもの涼しげな微笑を浮かべた。
「高等部生徒会長の木本だ。よろしく」
 そう言って出した木本の右手を、小泉は嬉しそうに握り返した。
「――――で、今日はどういった用件でここに?」
「はい、実は二つほどお願いがあってきました」
 物怖じせず、ハキハキと答えるその様子に、木本は感心の目を向けた。見た目とは違い、どうやらしっかりした性格ならしい。副会長などを連れず、単身で高等部に乗り込んできた辺りでも、それがうかがえる。  そんなことを思っている木本の前に、小泉は脇に抱えていた分厚い二冊のファイルを重ねて置いた。
「一つ目はこれ、中学部生徒からの嘆願書です。実は高等部の聖夜祭に、中学部生徒も参加させて欲しいんです」
 木本の目を真っ直ぐに見ながら、小泉ははっきりと躊躇せずにそう言う。そして、自分が美少年であることを自覚しているのか、ニコッとかわいらしく笑った。
 目の前に置かれたファイルの中身を二、三枚確認すると、こちらも高等部生徒たちを魅了する知的で涼しげな余裕の笑顔を浮かべて言った。
「この嘆願書、ずい分がんばって集めたんだな。八百人分くらいはあるか?」
「ええ。慶田志乃さんの聖母役が決まったことを知った日から、全中学部生徒に働きかけて書いてもらいました。もちろん、みんな進んで書いてくれました。誰だって、慶田さんの聖母姿は見たいですから」
「そっか、なるほどね」
 小泉からのこのお願い、木本にしてみれば予想範囲のお願いである。
 そもそも、これまで中学部から聖夜祭の参加要請がなかったことを、ずっと不思議に思っていたくらいなのだ。大学部や周辺の高校からは、志乃の聖母役が決定した直後から、相次いで同じ依頼が殺到にした。しかし、中学部からはなにも言ってこないので、興味ないのだろうか、と首をかしげていたのである。
 それが……なるほど、生徒たちからの嘆願書を集めていたからだったのか。
 これはなかなか効果的である。木本にしても、そこまでしてくれた中学部の熱意を、ありがたいと思ってしまう。
 この小泉、顔の割りになかなか切れるヤツなんだなぁ、と木本は心の中で感心した。
 しかし、だからと言って、中学部を聖夜祭に参加させることはできない。
「悪いな、小泉。中学部からだけでなく、大学部や他校からも、参加したいとの依頼が来ているんだ。でも、そんなにたくさんの人数が聖夜祭に参加できるワケないだろう? 体育館の収容人数には限りがあるからな」
 そこまで言うと、木本はいったん言葉を切って小泉の様子を観察した。小泉は、いたって真面目な顔をして木本の話を聞いている。
「だから、嘆願書まで集めたのに申し訳ないけど、中学部の参加を許すワケにはいかないんだ。ホント、悪いな」
「そこをなんとかなりませんか?」
 媚びるような目で、小泉はそれに食い下がる。
 しかし、木本はキッパリと言った。
「無理だ」
 周りいる生徒会役員たちは、息をこらして二人のやり取りを見守っている。
 しばらく、ジッと木本の顔を見つめていた小泉は、やがてニコリと笑った。
「………分かりました。実は、そう言われるだろうとは思っていたんです。でも、中学部の生徒たちのために、まあ、できる限りのことはしないといけないと思って。まあ、僕も一応生徒会長だから。でも、ここまでやって断られたんだから、これでみんなも納得してくれると思います」
「すまんな、小泉」
「いいえ、それはこちらの都合ですから。なんとかみんなを説得してみますよ」
 笑顔でそう言う小泉に対する木本の評価が、ぐんぐん上がっていく。どうやらこの小泉、顔だけで生徒会選挙を勝ち抜いたわけではないらしい。言うこととやることの理屈は合っているし、そのやり方も合理的だ。
 将来が楽しみだな、なんて思いながら木本は言った。
「それで、もう一つの理由って?」
 途端に小泉がポッと顔を赤らめる。
「ええ、実は、僕にとってはこっちがメインなんですけど………」
 そして、もじもじしながらチラリと上目使いに木本を見た。
「その………木本さんって彼女とかいないんですよね?」
 いきなりそんなことを聞かれて、ちょっと木本は面食らう。
「うん、まあ、いないけど?」
 聞いた小泉は顔をパァッと輝かせた。
 友達の女の子からでも、俺との仲を取り持つように頼まれたのかな、なんてことを木本は思う。ま、そういうことは、高等部内でもよくあることなのだ。
 同じことを思ったのか、側にいた野坂もニヤニヤ笑っている。
「で、それがなにか?」
 木本が促すと、小泉は相変わらず赤い顔のまま言った。
「僕、木本さんに会いたかったんです。なんて言うか………その、憧れてて。だって、木本さんはかっこいいし頭もいいし、生徒会長としての手腕も尊敬できるし……だから、僕と付き合ってくれませんか?」
「――――――は?」
「僕、木本さんのこと愛しちゃってるんです! 木本さんに告白するために、僕は今日ここに来たんです!」
 さらに赤くなった両頬を手で押さえ、小泉はモジモジしながら乙女チックに潤んだ目でウットリと木本を見た。
 目を点にしたまま、木本は椅子から転げ落ちた。


     つづく





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