その日の放課後、生徒会室は異様な緊張感と騒々しさに包まれていた。
「おーい、掃除は終わったか?!」
「はい、完璧です! お茶の用意もできてます!」
「お茶うけのお菓子はどうした? 確か、おとといOBが持ってきてくれたクッキーがあっただろ?」
「あれ、ほとんど全部食べちゃいましたよ?」
「ええーっ! だったら今すぐ、なにか買ってこい!」
時刻は三時四十五分。あと十五分もすれば、世紀の美少女、慶田志乃が生徒会室にやってくるのだ。それを待ち受ける生徒会役員たちが浮き足立ち、緊張しまくるのも、まあ、仕方ないと言えた。
志乃を迎えるにあたって、はりきって指揮をとっているのは副会長の野坂である。少し離れたところでは、そんな野坂を苦笑しながら見つめる木本と順子の姿がある。
「ったくもう、はりきっちゃって」
呆れたよう顔で野坂を見ている順子に、木本は言った。
「まあ、仕方ないさ。なんと言っても、あの志乃さんが生徒会室に来るんだから」
「それにしても、洋介ったらハリキリすぎ。あたしというモノがありながら、なによ!」
腕を組み、頬を膨らましながらも、でも本気で怒っているワケではない順子を見て、木本は小さく笑う。
「許してやれよ。嬉しくて心臓バクバクさせてるのは、なにも野坂だけじゃないんだから」
「とか言っちゃって、木本くんは平然としてるじゃない。志乃さんに興味ないの?」
訊かれた木本は、目を見開いて驚いてみせる。
「まさか。俺だってみんなと同じ、ドキドキしまくりだよ」
「本当かしら? そうは見えないけど? ………でも、まあ、気持ちは分かるけどね。女のあたしでさえ、なんだか待ちこががれてソワソワしちゃうもの」
順子だけではない。他の女子役員だって、志乃と至近距離で会え、もしかすると話しをするチャンスがあるかもしれないと思えば、やはりジッとしてはいられない気分になってしまうのだ。
それくらい、桜ヶ丘学園内における志乃の人気はすごい。いや、学園内だけではない。志乃の登下校時間には、学校の門の前に他校生は押し寄せるし、彼女を手にいれようとスカウトに躍起になる芸能事務所も後を絶たないくらいだ。
はずした眼鏡の曇りをハンカチで拭きながら、木本はちょっと真面目な顔をした。
「まあ、浮かれてばかりもいられないんだけどね。志乃さんにはなにがなんでも、聖母役の出演を承諾してもらわなきゃならないからな」
「交渉は木本くんがした方がいいわ。洋介なんかに任せたら、あっさり断られちゃって、しかも、そのまま簡単に引き下がっちゃうに決まってるんだから。相手が男ならそんなこともないだろうけど、志乃さんじゃ、ね」
他の役員たちと一緒に浮かれまくっている野坂を、順子はコバカにしたような白い目で見ながら言う。そして、自分の隣に立つ、眼鏡をはずした木本の顔をチラリと見た。
「ねえ、いつも思うんだけど、コンタクトにしたら? その方が、絶対かっこいいと思うけど。ま、いつもの眼鏡姿も、いかにも知的に見えてステキだけど」
「あらら? いいのか、他の男のことをそんなに褒めて。野坂が聞いたら泣くぞ?」
笑いながらキレイになった眼鏡をかけ直し、木本がにやにやしながらそう言うと、順子は軽く肩をすくめた。
「あたしが木本くん褒めたくらいで、洋介が気にするもんですか。心配しなくても、そんなヤワな関係じゃありませんよーだ」
べーと舌を出す順子に、木本が下唇を突き出す。
「今度はノロケか。独り者の俺の前で、ちょっと配慮がなさすぎるんじゃない?」
「よく言うわ。ずっと一人のお姫様を守り続けてるくせに」
「お姫様?」
木本はちょっと考えるような顔をした後、ああ、と納得したように声をあげた。
「里美のことか。確かに、里美は俺にとって特別な存在だよ。でも、妹みたいなものだから」
「本当にそうなの? 実は好きだったりなんかして。ねえ、誰にも言わないから、あたしにだけは本当のことを教えてよ」
ワクワクした顔で詰め寄ってくる順子に、木本は驚いて目を見開いた。
「俺が里美を?!」
そして、今度は楽しそうに笑う。
「おいおい、カンベンしてくれよ。そんなこと、考えてみたこともなかったよ。面白いこと考えるなぁ、順ちゃんは」
「なんだ、そうなの?」
順子はつまらなそうな顔をする。
「あたしはてっきり、木本くんは里美ちゃんのことが好きなんだとばかり思ってた」
「ありえないな、それは。里美は俺にとって、単なる幼なじみだよ。もちろん、大切な存在であることには間違いないけどな」
木本がさらりとそう答えると、順子は「ふう〜ん」と言いつつも、不納得な顔を見せた。
桜ヶ丘が誇る秀才生徒会長木本真二と、その幼なじみである栗原里美の関係を、学園の者なら誰でも知っている。いや、知っていた、と言うべきだろうか。
中学部の頃の二人は、それはもう有名だった。
そもそも、顔良し頭良し性格良しの木本である。入学当初から、数いる新入生の中でもピカイチに輝いていた。だから当然、女の子たちはキャーキャー黄色い声を上げていたのであるが、当の木本はそれらに対して素っ気ない。周りで騒ぐ女の子を気にする様子もなく、たった一人のあまりパッとしない女の子をにだけ、特別な優しさを見せていた。
その、あまりパッとしない女の子というのが、里美である。
とにかく里美は、地味な生徒だった。いつもオドオドしていて陰気な感じさえもする。顔は、まあ、かなりかわいい方だったかもしれないが、性格の暗さで、それは完全に打ち消されていた。
そんな里美を、今年の新入生の中で最有望株の木本がひたすら守っている。これを快く思わない女の子がいても、それは当然と言えた。
入学して半年ほどの間、里美はよく上級生の女の子たちに呼び出され、文句を言われたり脅されたりした。しかし、そのたびに、どこからか話を聞きつけた木本が現れ、里美をかばうように前に立つのである。
「もう、やめて下さい、こんなこと」
気まずい顔をしてひるむ女生徒たちに、木本は悲しい顔を見せる。
「あなたたちみたいなキレイな人たちがこんなことをするなんて、俺、なんだか悲しくなってしまうんです。キレイな人には、心もキレイでいて欲しい」
そして、少し甘えたような目をして彼女たちを見た。
「こんなこと、もう二度としないでくれますか? 俺のために、お願いします」
そんなことを言われては、先輩女生徒たちも「うん」と言わざるを得ない。それを聞いた木本は、彼女たちに極上の笑顔を見せた。
「うわぁ、さすがはおねー様方。俺、憧れちゃうなぁ。とてもステキです。な、里美、おまえもそう思うだろ? おまえもさ、いつもくよくよしてばかりいないで、こんな先輩方みたいになれるように努力しなくちゃ!」
これでイチコロである。
里美をイジメていたことなどすっかり忘れ、先輩女生徒たちはルンルン気分でその場を後にした。しかもその後、里美をかわいがってくれるようになったりもしたのである。
そんな事が何回か続き、それが噂として校内に広がる内に、もう誰も里美にちょっかい出すものはいなくなった。女生徒だけでなく、男子生徒も同様である。
だって、里美に手を出すと、必ず木本が出てくるのだ。
できれば木本を敵に回したくないと誰もが思っている。というよりは、賢くリーダーシップのとれる木本のカリスマ性に惹きつけられ、少しでもお近づきになりたいと思う生徒が大半だったのだから。
そうこうしている内に、里美も学校に慣れ、仲のいい友達もでき、先輩からも(木本のおかげで)かわいがられ、少しずつ性格も明るくなっていった。
だから、木本がしゃかりきになって里美を守るという場面も、少しずつだが減ってきたのである。
そして、一年、二年と学園生活が続き、二人が高等部に進学する頃には、木本個人の敏腕生徒会長としての知名度がずば抜けて上がったせいもあり、すっかりみんなの記憶の中から二人の関係は忘れ去られてしまっていた。
そうは言っても、やはり今でも木本は里美の保護者なのだ。
定期試験の前には必ず勉強を教えてやるし、相談事にもちゃんと親身になって乗ってやる。みんなの目に触れるところで守る必要がなくなった、というだけの話なのだ。
そんないきさつのすべてを、順子はよく知っている。なんと言っても木本とは、中学部の生徒会役員を、一年生の頃から一緒にやってきた仲なのだから。
そして、ずっとずーっと、木本は里美のことを好きに違いない、と順子は思っていたのだ。でも………。
「あたしのカン、はずれたのかなぁ」
さっき順子が里美への気持ちを訊いた時、木本は本気で驚いていたようだった。あれは多分、演技ではないと思う。
しかし、里美が木本を好きなことは、疑いようもない。時々二人が一緒にいる時に見せる、木本を見るあの里美の熱い目。
そりゃそうだ。
知的でクール、それに、弱点がないんじゃないかと思われるほどの頼れる男前、それが木本である。そんな木本に優しく保護され、幼い頃からずっと側にいたのだ。これで惚れるなっていう方が無理ではないか。
(なにをやらせても上手なクセに、そういうとこ、木本くんは鈍感なのよねぇ)
里美ちゃんもかわいそうに、なんて順子がこっそり心の中で呟いた時である。ガチャリと生徒会室のドアが開いた。
「失礼します」
その優しく温かみのある澄んだ声を聞いた途端、それまでざわついていた生徒会室内が、一瞬にしてシーンとなった。そして、その場にいた誰もの目が、ドア付近に立つ一人の少女に釘付けになってしまったのである。
最初に我に返ったのは木本である。
「すみません、志乃さん。わざわざ足を運んでいただいて」
言いながら木本が前に進み出ると、その少女、慶田志乃はこの世のすべてを魅了できそうな優しく美しい笑みを見せた。
「いいのよ、気にしないで」
その微笑みを見て、生徒会役員たちから感嘆の息がほぅっとこぼれる。
「桜ヶ丘大学に行くつもりだから、本格的に受験するワケでもないし。部活を引退してからは、どちらかと言うと暇をもてあまし気味なの」
そう言って、志乃は木本から促された先にある席に、トンと腰を下ろした。
それを見た野坂が、紅茶とクッキーを出すように、アイコンタクトで一年生役員に慌てて指示を出す。緊張でカチコチになった一年生がお茶とお菓子を運ぶと、それを受け取った志乃はにっこり笑って言った。
「ありがとう。わぁ、いい香りね」
ティーカップから立ち昇る湯気からの香りを鼻で吸いながら、志乃が嬉しそうな顔をする。
「それに、このカップも素敵」
「お茶にカップ、両方とも賓客用です。志乃さんのために特別に用意させていただきましたぁ。わざわざ来てくれた志乃さんへの、生徒会からの感謝の気持ちでーす!」
はりきってそう言う野坂にも、志乃は惜しみなく笑顔をふりそそぐ。
「まあ、ありがとう。でも、ごめんなさいね。そんなに気を使わせて」
「とっ、とんでもない!」
野坂は顔を真っ赤にし、デレデレと頭をかく。そんな自分の彼氏を順子が軽くにらみつけるが、それにも野坂は気づかない。
木本はそんな野坂と順子を見て苦笑すると、机を挟んだ志乃の向かいの椅子に座った。
志乃は飲んでいたお茶を口元からはずす。
「それで、今日あたしがここに呼ばれた理由はなんなの?」
志乃の大きくて澄んだ目が木本を見つめる。
ただそれだけで、なんだか吸い込まれそうな感覚に襲われて、いつもは冷静沈着、ちょっとやそっとのことじゃ動じない木本も、さすがに頬を赤らめた。
まったく、神様というやつは罪作りなことをしてくれる。こんな人を作り上げるなんて。
コホンと木本は咳払いを一つした。
「実は、志乃さんにお願いがあるんです。その話を聞いてもらいたくて、わざわざ来ていただいたんですよ」
「お願い?」
志乃が小首を傾げると、長くて軽くウェーブのかかった髪がふわりと揺れて、それがまた、なんとも言えず美しい。
「あたしにできることだったら、なんでもお手伝いするけど? ほら、生徒会の皆さんには、夏の大会の時にお世話になったことだし。それで、なにをすればいいの?」
志乃のその言葉に、木本だけでなく、生徒会の全員が心の中でガッツポーズをする。
「そう言ってもらえると、本当に助かります」
木本はにっこりと笑った。そして、一瞬、チラリと入り口のドアを見る。
「実はお願いというのは、来月の聖夜祭のことなんです。ぜひ、今年の聖母役を引き受けてもらいたくて」
「えーっ、聖母役?! …………そ、それは…えと、どうしよう……」
それまでの笑顔とはうって変わって、志乃が困った顔をみせた。それを見て、生徒会役員たちは不安そうに互いに顔を見合わせる。
しかし、木本は至って冷静である。
「やっぱり、人前に出るのは、あまり好きじゃありませんか?」
そう言われ、目線を落として思案にくれていた志乃が、チラリと木本を見た。
「人前に出るのが好きじゃない、というか、あまり人からキレイキレイ言われるのが好きじゃないだけなんだけど………それよりも、聖夜祭って確か、クリスマス・イブに行われるのよね? その日はちょっと予定が………」
今だ、坂本。今が最高のタイミングだぞ! 今すぐアイツを連れてここに来たら、後で頭よしよしやってあげるぞ!
そんなことを思いながら、木本が再度ドアに目を向けた時である。
ガチャリという音とともに、そのドアが勢いよく開いた。そして。
「ただ今戻りましたーっ!」
坂本の元気な声。その後ろから、
「ちぃーっす。新聞部でーっす!」
坂本に負けずとも劣らぬ元気な声とともに、背が高くて体格のいい、なかなかの男前な少年が、にこにこ笑顔で生徒会室に入ってきた。新聞部一年の小林である。
エラいぞ、坂本。頭よしよし決定だ、と木本は密かにほくそえむ。
そして、小林を見た途端、さっきまで困った顔をしていた志乃が、驚いたような声を上げた。
「こ、小林くん?! どうしてここに?!」
同じように、小林も志乃を見て目を丸くする。
「あれー? 志乃さんこそ、こんな所でなにやってんだ?」
そう言いながら、生徒会室のほぼ中央に座る志乃の側に移動しようとする小林に、木本が声をかけた。
「悪い、小林。今ちょっと大切な話をしてるんだ。だから、もう少しその辺で待っててくれるか?」
「大切な話?」
小林は問うような目で木本を見た。
「それは全然かまいませんけど。俺は遊びに来ただけだし。でも、いいんですか、俺がここにいて。マズイようなら、外で待ってますけど?」
「いや、いてくれてかまわないよ。おまえに隠したところで、どうせすぐに筒抜けになる話だから」
木本がにやりと笑いながら小林にそう言うと、それを聞いていた志乃が、少し恥ずかしそうに頬を赤らめた。
この小林という、見るからに明るくて元気そうな男前は、桜ヶ丘高等部でもかなり有名な生徒の内の一人である。その理由は、もちろん、顔がなかなかのハンサムくんである、というだけではない。
桜ヶ丘学園高等部の生徒は、そのほとんどが中学部からの持ち上がりである。それだけに、高等部からの編入生受け入れ人数はかなり少ない。しかし、人気がある学校なので、受験希望者の数は多いのだ。
そんなわけで、高等部に編入するための試験というのは、これはもう全国でもトップレベルと言われるほどの超難関なのは有名な話で、それを見事合格し、桜ヶ丘の生徒となった数少ない超秀才児の内の一人が、この小林なのである。
これだけでも、小林が有名人となるに充分なのであるが、さらに他にも、彼が有名人になった理由がある。
女子バスケット部における夏の県大会進出の際、特別応援団作りの最初の発起人が、この小林だったのだ。なぜ彼がそんなことをしたのかというと、理由は簡単。学園のアイドル的美少女である慶田志乃に一目惚れし、その魅力にメロメロになってしまったからだという、単純明快な話。
そして、さらにその時に色々なことがあって、まあ……その、ぶっちゃけた話、小林と志乃は二歳の年の差を越えて、いわゆるそーゆー仲にしっくり落ちついてしまったのである。
そういう意味では、世界一の幸せ者なのだ、この小林という男は。
しかし、そのことは、一部の人間を除いて校内のトップシークレットとされている。
だって、そんなことを公表したりした日には、もう小林の命がいくつあっても足りやしない。中学部、高等部、大学部、さらには教師陣にまでいる志乃の崇拝者たちの恨みを買い、ひどい目に遭わされることは火を見るより明らかなのだから。
そんな彼らの秘密の交際を、それがスタートした当初から、生徒会は報告を受けて知っていた。なにかの時には、交際の隠蔽工作に協力して欲しいと頼まれたのである。
二人の交際がバレたら、学園中が大騒ぎになり、大暴動が起こる可能性もある。生徒会としては、そんなことを放っておくワケにもいかない。
だから、快く彼らへの協力を承諾したのである。
そんなワケで、生徒会一同と小林とは、かなり親しい間柄であると言えるものになっていた。
「実はな、来月の聖夜祭での聖母役を引き受けてくれるよう、志乃さんにお願いしていたところだったんだ」
木本がそう言うと、小林はキョトンとした顔をした。
「聖夜祭? なんすか、それ?」
「ああ、そうか。小林は知らないか」
高等部からの編入生である小林は、持ち上がりの生徒に比べると、学園の年中行事に疎いところがある。それに気づいた木本が坂本に言った。
「坂本、説明してやってくれる?」
指名を受けた坂本が、笑顔で大きくうなずいた。そして、小林を見る。
「聖夜祭っていうのは、高等部で毎年十二月に行われる、まあ、簡単に言うとクリスマス会のことなんだ」
「へー、そんなものがあるんだ。で、その聖母役っていうのは?」
「聖夜祭の目玉だよ。高等部で一番人気のある女子生徒に聖母マリアに扮してもらって、キャンドルサービスの最初の火の灯し役をしてもらうってワケ」
しかし、ここしばらく、一番人気の女子生徒が聖母役を引き受けてくれたという記録はない。そんな女の子は、聖夜祭なんかに参加せず、彼氏と楽しいクリスマスを過ごしているのだ。
だいたい、去年も一昨年も、一番人気は志乃である。そして、その志乃からも、ずっと聖母役を断られ続けているのだが、坂本はそれを小林に説明することを省略した。聖夜祭に対し、わざわざ悪い印象を持たせる必要はないのである。
そんな坂本の説明に、野坂が少し付け加える。
「聖母の衣装ってのはぁ、これがけっこう金かけてたりなんかして、ほんとーにキレイなんだ。志乃さんだったら、きっと誰よりも似合うと思うんだけどなー。電気が消えて、キャンドルだけの灯りの中に浮かびあがる姿と言えば、それはもう絶品だぜ! もし、それを志乃だんがやってくれたら………もう、まばゆいばかりの美しさだろうなぁ………」
言いながらそれを想像したのか、野坂がデレ〜とした顔をする。その足を思いっきり踏みつけながら、順子が笑顔で小林に言った。順子の足元では、踏まれた足を押さえて、痛みに泣きそうになりながら野坂がぴょんぴょん飛び跳ねている。
「ほら、もうすぐ志乃さんも高等部卒業でしょう? これが志乃さんの聖母役を見ることのできるラストチャンスなの。だから、ぜひとも引き受けてもらいたいっていうのが、生徒会の意向なのよね。学園のみんなも、それを切望していると思うんだなぁ」
隣で木本が大きくうなずく。
「それで、志乃さんに生徒会室に来てもらったんだ。聖母役の依頼のためにね。でも………」
そこまで言うと少し間をあけて、わざとらしいほどに木本はがっくりと肩を落としてみせた。
「どうやら志乃さん、都合が悪いらしんだ」
そして、大きな溜息をついた。その場にいた生徒会役員全員が、まるで示し合わせたかのように、悲しい顔して大きくうなだれる。
「え? 志乃さん、そうなのか? 都合が悪いって、なんで?」
不思議そうに自分に問いかける小林に、志乃は困った顔をみせた。
「だ、だって、聖夜祭ってクリスマス・イブの夕方にあるのよ? その日は……ホラ、だって………」
なにかを訴えるような目で、志乃は小林を見る。それを受けて、小林も軽く口をへの字に曲げた。
「イブってことは二十四日か。そっかぁ、なるほどね」
奥では志乃が、コクコクと何度もうなずいている。
腕を組み、うーんとなにかを考え込んでいた小林が、ぼそりと呟くように言った。
「でも、俺、志乃さんの聖母姿、見たいなぁ」
木本が密かににやりと笑った。
志乃は驚いたように目を丸くする。
「え、でも、だって小林くん………」
なにか言いかけた志乃を、小林の言葉がさえぎる。
「だってさ、きっと想像もできないくらいキレイな志乃さんが見れると思うんだ。そりゃ、志乃さんはそのままでも世界一の美人だけど、でもなぁ、聖母の衣装なんて滅多に着れるもんでもないだろうし………。それを着た志乃さんって、一体どんなことになっちゃうんだろ?」
夢心地にそんなことを言った後、小林は媚びるような目をして志乃を見た。
「なあ、志乃さん、ダメか? 俺、見たいなぁ、志乃さんのマリア。すっごくステキだと思うんだけど」
そんな小林の言葉に、志乃は頬を赤く染める。
「……………そんなに見たいの?」
「見たい、見たい! すごーく見たい!」
無邪気に笑顔でそう言う小林。
それを見ていた志乃が、しばらくして小さく溜息をついた。
「……………分かったわ。聖母役、引き受けることにする」
その途端、生徒会室内が大歓喜の声であふれかえった。
はい、お疲れ様、と木本は満足そうに、小林を見てにっこり微笑んだ。
補強策、大成功である。
志乃が退室した後、そうは見えないが何気に上機嫌な木本のところに、小林がにやにやしながらやって来た。
「会長」
「ああ、小林か。約束の菓子、そこにあるヤツ好きに喰ってっていいぞ」
志乃のために用意された菓子類の残りを、木本が視線で指し示す。それを見て、小林がちょっとすねたような顔をした。
「それって、志乃さんの残りものじゃないですか」
「嫌なら喰わなくていいぞ? 残り物って言っても口をつけたワケでもないし、かなりの高級品だからな、それ。置いとけば、生徒会の誰かが喜んで食べるだろ」
横目で自分を見ながら微かに笑う木本に、小林は大げさに肩をすくめて見せた。
「はいはい、ありがたくいただきます。そんなことより、会長?」
「なんだ?」
「俺のこと、利用したでしょう?」
クッキーの入った小さなセロファン袋を指で破りながら、小林はまたもやにやにや笑った。
「初めから、俺に志乃さん説得させるつもりで、今日ここに呼んだんでしょ?」
「やっぱりバレたか」
悪びれる風もなく、木本が笑顔を見せた。それに対し、小林もへへへと笑う。
「ま、俺も志乃さんの聖母役、本当に見てみたかったからいいけど。でも、この貸しは高くつきますよー? なんてったって、二人きりで過ごす初めてのクリスマス・イブを、生徒会に譲ってあげたんですからね」
「あのなー」
ちょっと怒ったように、木本は片方の眉をつりあげる。
「そういうノロケっぽいこと、おまえは言わない方がいいぞ? 相手が志乃さんなだけに、おまえのノロケは聞いた人間に殺意をいだかせるんだから」
「すみませーん、俺、幸せ者で」
満面の笑顔でそう言う小林を見て、苦笑しながら木本は言った。
「借りの件だけと、それは今すぐ返せるぞ」
「へー、なんです?」
興味深々に自分を見ながらクッキーを食べる小林に、木本は人の良さそうな顔を見せた。
「聖夜祭の聖母役に志乃さんが決定したこと、新聞の記事にしていいぞ。明日にでも、号外を出せば? かなりの売り上げが見込めることは間違いない。どうだ、素晴らしい借りの返し方だろ?」
言いながら、木本は自分の特等席、生徒会長席に腰を下ろす。そして、どうだ? という目で小林を見た。
その視線を受けた小林が、目を細めて口をすぼめる。
「またぁ」
そして、皮肉っぽく笑った。
「うまいこと言って。本当は聖夜祭のこと、新聞部使って宣伝したいだけなんでしょ? まったく、やることが全部計算づくなんだから」
「嫌なら別にいいんだぞ? 自分たちで宣伝してもいいんだから」
頬杖をつき、木本は余裕の表情で下から小林を見上げる。
小林は慌てて首を振った。
「いえいえ、とってもありがたいです。すぐにでも部室に戻り、新聞を作らせていただきます」
「そうか。喜んでもらえて、俺も嬉しい」
木本は満足そうに、にっこりと笑った。
とりあえず、すべては順調、うまくいったのである。
つづく
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