途中で野坂、順子のカップルと別れて木本が家に帰りついたのは、夕方の六時を少し回ったくらいだった。
真っ暗な家に入ると、すぐに電気をつける。そして、二階にある自分の部屋に入ると、さっさと着替えをすませ、またすぐに部屋を出た。
向かう先はキッチン。今から夕食の仕度をしなければならないのだ。
この4LDK一戸建ての家で木本が一人暮らしするようになって、もうすぐ二年になろうとしている。
いや、正確に言うと一人暮らしではない。時々は父親も帰ってくるし、四つ年上で大学の寮に入っている兄も、たまには顔を見せてくれる。
しかし、一人暮らしと言ってもおかしくないほど、一年のほとんどを、木本はこの家で一人だけで生活していた。
「さてと、今日はなにを作るかな」
冷蔵庫の中身を物色しながら、木本がそう呟いた時である。
ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。誰だろうと思いながらインターフォンの受話器を取る。そして、木本が「はい?」と声をかけると、そこから女の子の声が聞こえてきた。
「あたしよ、真ちゃん」
聞きなれたその声に、木本はホッと声を和らげる。
「ちょっと待って。今、そっちに行くから」
木本は玄関に向かうと、内鍵をはずしてドアを開けた。そこには、少し小柄のかわいらしい少女の姿がある。
「里美、どうした?」
「うん、電気がついたから、真ちゃん帰って来たのかなぁ、って」
その少女、里美は少しはにかんだ笑顔を見せながら、のんびり穏やかに言った。そして、手に持ついくつかのタッパーが載ったトレイを、軽く上に持ち上げる。
「お母さんがね、夕食たくさん作りすぎたから、真ちゃんに持って行けって。ご飯からなにから、ぜーんぶ持ってきたんだけど、もしかして、もう用意すませちゃった?」
不安そうに大きな目をパチパチさせながら自分を見上げる里美に、木本は優しく微笑んだ。
「いや、これからやろうと思ってたところだったんだ。嬉しいな、すごく助かるよ」
それを聞いて、里美は嬉しそうな顔を見せる。そして、今度は上目づかいに木本を見ながら、遠慮がちに言った。
「そ、そのぉ、あたしの分も持ってきたんだけど、一緒に食べていい?」
「もちろん。さ、入って」
木本が笑顔で答えると、里美は顔をパッと輝かせ、頬を少し赤らめながら木本家の玄関をくぐった。
木本真二と、その隣に住む栗原里美は、同い年の幼なじみである。母親同士の年も近く、ずっと仲が良かったため、赤ちゃんの頃からよく互いの家を行き来する仲だった。
「お隣の里美ちゃんは、なんてカワイイんだろう。ボク、里美ちゃんのことが大好きなんだ」
まだ幼稚園児だった木本少年は、顔をにこにこさせながら、よく母親にそう言っていたものである。
小さくて、ふわふわしてて、おとなしくて、いつも不安そうに自分の後ろをついて歩く里美ちゃん。おめめなんかすっごく大きくて、まるでお人形さんみたい。
木本がそんなことを話すたびに、母親はいつも楽しそうに、そして、なぜか少しせつない顔をして言った。
「真ちゃん、女の子はとっても弱いものだから、いつも男の子が守ってあげないといけないのよ。真ちゃんにできるかな? お姫様を守る騎士に、真ちゃんはなれる?」
「うん、ボクなるよ! 里美ちゃんを守る! ボク、絶対に里美ちゃんを守るから!」
両手を握りしめ、真剣な顔でそんなことを言う幼い息子見て、少女のように可憐で美しい彼の母親は、いつも嬉しそうに微笑んだ。
木本はそんな母親の笑顔を見るのが大好きで、いつも母親に笑っていてもらいたくて、よくこの話をしていたことを覚えている。
そして、その約束通り、木本はいつでもどんな時でも、あらゆることから里美のことを守ってきた。
おとなしく、引っ込み思案で内向的、さらにはトロくてドジなところもある里美は、幼稚園児の頃からよく近所の悪ガキにいじめられていた。泣かされてピーピー言いながら、よく木本の後ろに逃げてきた。
そんな里美をかばって悪ガキ共を追っ払い、木本はいつも泣いている里美を慰めた。
「もう大丈夫だよ。だから、泣かないで」
「うん。ありがとう、真ちゃん」
しかし、いくら追い払っても、それではイジメは終わらない。悪ガキどもは里美をいじめようと、隙を狙ってはやってくる。
「これじゃ、ダメだ!」
だから、木本少年は考えた。そもそも、暴力は好きではない。力に力で対抗するには限度があるし、人数的に不利なのは目に見えている。
幼い頃から、目を見張るほど賢かった木本である。色々と考えた末、彼はある行動を起こした。
なんと、悪ガキ共と仲良くなり、同じグループの一員になったのである。そして、頭脳のキレと持ち前の統率力でもって彼らのリーダーにのしあがり、いじめる対象だった里美を、守るべき存在としてみんなに認識させた。
それ以後、幼稚園内で里美をいじめる子供は一人もいなくなった。
しかし、小学生になると、また友達も変わる。
そこでもやはり、里美はよく男の子にいじめられ………というよりは、からかわれて泣いてばかりいたのだが、その時に木本が取った行動は、こういうものだった。
「世の中には、ごはんも満足に食べられないで辛い思いをしている子供がたくさんいるって、君たち知ってる?」
里美をからかっていじめていた悪ガキ共は、いきなり間に入ってきた木本にこんなことを言われて、ポカーンと動きをとめる。そんな彼らに、木本は淡々と言うのだ。
「そんなくだらないことをするくらいだったらさぁ、もっと他にやれることがあるんじゃない? そういうことに、もっと体力を使ってみたら?」
初めはとまどっていたいじめっ子たちも、木本のこの生意気な物言いに腹を立てた。そして、彼らがなにか言い返そうとした時、木本はせつなそうな顔をして、呟くように言うのである。
「飢えて死んじゃう赤ちゃんも、たくさんいるらしいよ? かわいそうに………。それに比べると、ボクたちはとっても幸せだね。おなかをすかすこともなく、みんなでこうして仲良く遊んでいられるんだから」
そして、無邪気な笑顔を振りまくのだ。
ここまでされると、いくら頭の悪い悪ガキ連中も、さすがになにも言い返せなくなる。煙にまかれたような顔をして、すごすごと退散していった。
更に木本には、もう一つの作戦があった。
真面目な優等生であり、先生からの信頼も厚い木本ではあったが、決して堅物だったワケではない。クラスの悪ガキ共が里美をいじめる以外の悪さをしても、それは見て見ぬフリをした。その代わり、彼らが少しでも良い行いをした時は、それがどんなに些細なことであっても、必ず先生に報告した。
当然、悪ガキ共は先生に褒められる。いつも怒られてばかりいるので、それをとても嬉しく思う悪ガキ共である。そして、どうして褒められたかの理由を知った彼らは、木本に感謝し、仲間として受け入れ、挙句の果てには尊敬の念まで抱くようになった。
こうなると、もう話は簡単である。
もう誰も木本の言うことに逆らわない。木本のかわいがっている里美をいじめるなんてことは言語道断! クラスのリーダーはいつも決まって木本だったし、小学校六年間を通じて、ずっとクラス委員長をも務め上げたほどである。
学校でのそんなエピソードを、木本は家に帰ると、よく母親に話して聞かせた。どこか寂しげな表情を時々浮かべる母親。そんな母親が、木本の話しを聞く時は、いつも楽しそうに明るく微笑んだ。それが嬉しくて、木本はよく母親に学校でのことを話した。
大好きだった母親。
あまり体が丈夫ではなかった母親が、簡単な風邪をこじらせて肺炎になり、はかなくこの世を去ったのは、木本がやっと小学校六年生になったばかりの頃である。
葬儀の時、木本は泣けなかった。母親が死んでしまった事実を受け入れることができず、どうしても泣けなかった。兄の隣に正座してギュッと口を堅く結び、歯を食いしばって一点を見続けた。
だから突然、握りしめていた手を誰かに触れられた時、夢から覚めたようにハッとしたのだ。気づくと、隣に里美がいた。
大きな目から大粒の涙を流し、かわいい顔をぐしゃぐしゃにして、里美は泣きながら言った。
「真ちゃん……グスッ、あたしが………あたしが真ちゃんのお母さん代わりになるから……だから、うぅっ……泣かないで……うえーん」
「………あのな、里美。泣いてるのはおまえだろ? 俺は泣いてなんかいな………」
い、と言った途端、木本の目からポロリと涙がこぼれた。
一粒こぼれたらとまらなくなった。そのまま二人で肩を寄せ合い、ギュッと手を握ったまま、大声を張り上げて泣いた。
大好きだった母親。
「女の子はとっても弱いものだから、いつも男の子が守ってあげないといけないのよ。真ちゃんにできるかな? お姫様を守る騎士に、真ちゃんはなれる?」
「うん、なるよ! ボクが里美ちゃんを守る! 絶対に守るから!」
幼い頃に交わした母親との約束。それは今も木本の中に、しっかりと刻み込まれている。なにがあっても守るべき、母親からの遺言として。
母親が亡くなって間もなく、木本は里美に言った。
「一緒に桜ヶ丘学園の中学部に入学しよう」
それを聞いて、里美は驚いたように目を丸くした。
「桜ヶ丘学園? どうして? あたし、公立の中学でいいけど?」
「里美は勉強が苦手だろ? だから、大学までエスカレーター式で上がれる桜ヶ丘に入っていた方がいいよ。一度の受験ですむしね。評判もいい学校だし。どうかな?」
「うーん、でも、合格できるかな? あたしバカだし」
「だから、ね? がんばって勉強しよう? 俺がこれから受験まで、毎日勉強教えあげるから」
里美が途端に目を輝かせた。
「真ちゃんが教えてくれるの?! そっかぁ、嬉しいなぁ………でも、どうせだったら、毎日遊んで一緒にいられる方がいいなぁ」
のんびり口調でそう言う里美を、諭すように木本は言う。
「勉強しなきゃ、このままじゃ里美は桜ヶ丘に合格できないよ? 公立の中学に行ったら、絶対に高校は俺と離ればなれになる」
優等生で成績優秀な木本と里美では、こう言ってはなんだが月とスッポン、成績に差がありすぎて、どう逆立ちしたって同じ高校に入学することは不可能だ。
だからこそ、木本は里美を自分と一緒に桜ヶ丘学園中学部に入学させたかった。そうしなければ、側にいなければ、守ってやることなんてできやしない。
「それでもいいのか? 俺と違う高校になっても?」
里美は顔を蒼白にして、首をブンブン振った。
「それは嫌! 真ちゃんと同じ学校に行きたいっ! 絶対に同じ学校に行くっ!」
必死な顔してそう言う里美を見て、木本は満足そうに微笑んだ。
「じゃ、勉強がんばれるな?」
「うん、がんばれる。あたし、がんばる!」
そうして、猛勉強の日々が始まった。
里美の桜ヶ丘学園中学部受験を、彼女の両親は大喜びで承諾した。頭のデキのあまり良くない我が娘が、大学までエスカレーター式で上がれる桜ヶ丘学園に入学してくれるのならば、もう嬉しい以外のなにものでもない。毎日、懸命に勉強する二人のことを、おやつ出したり褒め言葉の大安売りしたりして、ひたすら応援してくれたのである。
県下でもトップレベルの進学校である桜ヶ丘学園ではあるが、一番競争率が激しいのは高等部への編入である。とは言え、中学部入学もバカにできるものではなく、やはりかなりのレベルが求められる。
大丈夫だろうか、と不安に思っていた木本ではあるが、里美はなんとか、無事に桜ヶ丘入試に合格することができた。木本が合格したことは、もはや言うまでもない。しかも、全受験者の中でトップ合格を果たしていた。
「里美はやればできるんだよ。今まではサボってたから、いつも成績が良くなかったんだ。元々、里美は頭のいい子なんだよ」
木本がそう言うと、里美は顔を赤らめて嬉しそうに木本を見つめた。
そんなこんなで、二人は仲良く桜ヶ丘学園に入学し、中学部での三年間を無事に終え、晴れて高等部の生徒となったのである。
その後、里美も心を入れ替えたらしく、それなりに勉強もがんばり、成績も中程度のところをウロウロできるようになっている。
里美が持って来てくれたタッパーの中身を、電子レンジでチンしたり、ナベで温めたりして用意をテキパキ済ませた木本は、それらをダイニングテーブルにならべ、自分も席に着いた。その向かいに里美も座る。
そして、二人とも手を合わせて「いただきまーす!」と食事を始めた。
「いつ食べても、おばさんの手料理は本当に美味しいんだよな」
言いながら、木本は嬉しそうに肉ジャガに箸をつける。
「特に、この肉ジャガは最高だよ」
「あ、それ、あたしも作るの手伝ったのよ」
慌ててそう言う里美に、木本が少し笑いを含んだ声で言う。
「手伝ったって、なにしたんだ?」
「え?………えーと、そのぉ…へへ、本当は火加減見てただけだったりして」
恥ずかしそうに笑う里美を見て、木本はクスリと笑う。
「どおりで、ちょうどいい火の通り方だと思った。このジャガイモなんて、ホクホク加減が最高だよ」
言いながら木本が美味しそうにジャガイモをぱくっと食べた。それを見て、里美はちょっと情けない顔をする。
「あまり褒められると、なんだか嫌味言われている気分。だって真ちゃんってば、なんだって上手にできるんだもの。お料理だって上手だし、この家だって、いつ来てもキチンと整頓されてるし。とても男の子の一人暮らししてる家とは思えないわ」
「俺は機能的なのが好きだから、片付いてないと嫌なんだ。ただの性格だよ。それに、料理が上手くなったのは、生活のため仕方なくって感じだし。自分一人しかいないんだから、メシくらい作れないとどうにもならないだろ?」
なんてことないように木本は言ったが、それを聞いて、里美はちょっと複雑な顔をした。
「………おじさん、最近帰ってきてないね。今度はいつ帰って来るの?」
「さあ、知らない」
黙々とご飯を食べながら、木本はさらりと答える。が、里美が質問をした瞬間から、木本の周りを冷たい空気の壁ができた。
里美はそれに気づいたが、あえて質問を続けようとした。
「で、でもさ、真ちゃん………」
「やめよう、オヤジの話は。せっかくのメシがマズくなる。それより、ホラ、冷めちゃうぞ? 早く食べよう」
そう言ってにっこり笑う木本を前に、里美はなにか言いたそうな顔をしながらも、これ以上なにも言えずに食事へと目を落とした。
肩を落とす里美の様子に木本は気づいた。が、それには気づかないフリをして明るく笑った。
「それにしても、本当に美味しいよ、この肉ジャガ。今度、里美んちのおばさんに、作り方を教わりに行こうかな?」
父親の話はしたくない。木本は父親のことを嫌っていた。
木本の父親は、外国向けの品物を積んだ大型貨物船の船長をしている。一年のほとんどを海の上や海外の港で過ごしていて、帰ってくるのは数ヶ月に一度。戻ってくると、少し長めの休みを取って、そしてまた海へと出て行く。その繰り返しだ。
物心ついた時からずっとそういう生活だったから、父親があまり家にいないことを、木本が疑問に思うことはなかった。そんなもんだと思っていた。
滅多に会えなかったけど、たまに会えた時の父親は申し分なく優しかったし、よく一緒に遊んでくれた。
共に過ごす母親ほどにではないにしろ、木本は父親が好きだった。
そんな木本の父親に対する感情が一変したのは、母親の死を迎えたことがきっかけである。
母親の葬儀に、父親の姿はなかった。
その時の木本は小学校六年生である。仕事のために仕方がなかったということは、ちゃんと頭で理解できていた。しかし、心が理解できなかった。
ふとした時に見せていた、どこか寂しそうな母親の顔。
きっと、父親が家を空けてばかりいたからだ。本当は父親に、いつも側にいて欲しかったに違いない。
だからこそ、母親は自分に言い聞かせてきたのだ。女の子を守るように、と。
本当は、自分が守ってもらいたかったに違いない。
おとなしくて頼りない、どうしても放っておけない妹のような存在の里美。だから木本は、自分はどんあことがあっても、絶対に里美を守り続けようと心に誓ったのだ。
桜ヶ丘中学部に入学した時、学生寮に入るように父親に進言されたが、木本はそれを断った。寮なんかに入っては、いつも里美を守ってあげることができなくなる。だから、四歳年上の兄に頭を下げ、自分が寮に入らなくてもいいように、兄の口から父親に頼んでもらった。弟の面倒をちゃんと見る、と、父親に言ってもらった。
それに対して父親は、心配そうな素振りを見せながらも、息子二人を信頼し、木本が家から学校に通うことを承諾したのである。
二人だけの生活は、そりゃもう、最初は大変だった。なんと言っても、兄弟二人とも家事なんてやったことがないのである。でも、なんとかがんばった。
そして、いつの間にか家事にも慣れ、木本が高等部進学、兄が少し離れたところにある大学に合格して寮に入ったのと同時に、ほぼ今の生活スタイルができあがったのだ。
時々しか家に帰ってこない父親。
それはもう、木本にとってはありがたい以外のなにものでもない。できれば顔を合わせたくなかったし、生活資金さえ出してくれていれば、生活にはなんの不都合もなかったのである。
自分のことは、なんでも自分でできるようになっていたのだから。
夕食を終えた木本と里美は、二人でキッチンの流しの前に立ち、仲良く食器洗いをし始めた。木本が食器の汚れをスポンジで取りのぞき、それを受け取った里美が水でキレイに洗い流す。
単純で面白くもない作業だけれど、里美にとってはそうではない。こうして木本と隣同士に立てるだけで、もう嬉しくて胸がドキドキしてしまうのだ。
頭が良くて頼りがいがあって優しくて、顔だってかっこいい幼なじみの真ちゃん。
好きになったのはいつのことか。そんなこと、あまりにも昔のことすぎて覚えていない。と言うよりは、物心ついた時には、すでに木本のことが好きだった。
いつもいつも守ってもらってきた。
いじめっ子たちからかばい、引っ込み思案の里美が友達を作ることに、いつも木本は協力してくれた。木本の友達が、みんな里美の友達になった。
まるで物語の騎士のように自分を守ってくれ続ける真ちゃん。
でも、里美は知っている。木本が自分のことを妹のようにしか思ってくれていないことを。そして、木本が自分をいつも大切にしてくれるのは、彼の母親の言葉があってこそのことだということを。
木本の母親のことを、里美はもちろんよく覚えている。とてもキレイで、優しくて、どこかはかなげな感じの人だった。自分の息子たち同様、里美のこともよくかわいがってくれた。
「里美ちゃんみたいなかわいい娘、わたしも欲しかったなぁ」
春の日の陽だまりのように温かく微笑みながら、木本の母親はよくそう言った。そして、その後、木本に向かって必ずこう言うのだ。
「いい、真ちゃん。里美ちゃんは女の子でしょう? 男の子はね、女の子を守ってあげなくちゃいけないの。男の子の力が強いのはそのためなのよ。弱い女の子を守るために、神様は男の子に強い力を授けて下さったの。分かる?」
木本は胸を張ってそれに答える。
「うん、分かってる。ボク、ちゃんと里美ちゃんのことを守るから!」
幼い頃は、それを横で聞いて単純に嬉しかったものである。
でも、今はちょっと複雑だ。
それがなければ、きっと木本は自分なんかに見向きもしてくれなかったに違いない。そう思うと、ちょっと悲しくなってしまう。
そんなことを思っている里美に、木本が言った。
「明日から、またちょっと帰りが遅くなりそうなんだ」
「生徒会の仕事?」
「そう。ホラ、もうすぐ聖夜祭だろ? だから、それの準備でちょっと、な」
「ふうーん。そっか、大変だね」
また会える時間が少なくなる、なんてことを里美が思っていると、木本がなにかを思い出すようにして言った。
「そう言えば、里美は去年の聖夜祭、参加してたよな?」
「うん。ホラ、あたし暇だから、家にいたってなにもすることないし」
本当のことを言うと、里美が去年の聖夜祭に参加した理由は、そんなことではない。生徒会役員の木本が参加したからだ。だから、里美も参加した。
でも、そんなこと、木本本人には言えるはずがない。
「つまらなかっただろ?」
洗い終わった食器を、今度は布で拭きながら何気なく木本が言った。
「俺のことは気にしないで、本当のこと言っていいんだぞ?」
少し笑いを含んだような声の木本に、里美は困ったような顔をする。正直、その通りだった。
「で、でも、キャンドルサービスはキレイだったよ! 真っ暗な体育館の中に、たくさんのろうそくの灯りがともって。なんだか、すごく幻想的で!」
必死にそう言いつくろう里美を見て、木本が優しく笑った。
「優しいな、里美は。でも、去年のあれ、生徒会役員だった俺が言うのもなんだけど、本当につまらなかった。参加者の人数が少なすぎて、全然盛り上がらなかったし。でも」
そこで言葉を切って、木本が不敵に笑った。
「今年は違う。絶対に盛り上がるものにする。ここだけの話、いいか、まだ誰にも言っちゃダメだぞ?」
二人しかいない家の中。それでも声を潜めて楽しそうな顔をする木本に、里美はうなずいてみせた。
「実はな、今年の聖母役、志乃さんにお願いしようと思ってるんだ」
「えぇっ?! 志乃さんって、あの慶田志乃さん?! それ、本当なの!」
里美は目を見開いて驚いた。
慶田志乃と言えば、この桜ヶ丘学園に知らないものは一人もいない、と言えるほどの美少女である。いつもはボンヤリしていて、あまり学校の噂話などに興味を持たない里美でさえも、志乃のことは知っている。女である里美の目からしても、つい見惚れてしまうほどの美しさなのだから。
里美の驚きぶりを見て、食器を拭く手をテキパキ動かしながら、木本は楽しそうに話を続ける。
「まだ本人の承諾は受けてないんだけど、もし受けてもらえれば、きっと今年の聖夜祭は成功する。そう思わないか?」
「そ、それはそうよ! 絶対に成功するに決まってる!」
ヘタをすると、高等部どころか、学園の全生徒さえも集まってきかねない。
「だから里美、今年の聖夜祭も参加した方がいいぞ。きっと、桜ヶ丘の歴史に残る聖夜祭になるからな」
「うん、絶対に参加する。そっか、それで真ちゃん、これから忙しくなるのね」
「まあね。あ、でも、学期末試験の前は、いつもの通りちゃんと勉強みてあげるから。俺が側にいて、里美に落第点なんて取らせるワケにはいかないからな」
「よろしくお願いします」
ペコリと下げた里美の頭を、木本がポンポンと軽く叩いた。
それを嬉しく思いながらも、まるっきり子供扱いされているようで、ちょっぴり悲しくなる里美である。しかし、それを顔には出さずに里美は笑顔を見せた。
「聖夜祭、がんばってね。真ちゃんだったら、きっとうまくやれるに決まってる」
「ああ。………さてと、それじゃ、全部洗い終わったし、タッパー返しに里美んちに行こうかな。おばさんにお礼も言いたいし」
「ホント?! うわぁ、ウチのお母さんってば真ちゃんの大ファンだから、久しぶりに顔見れて喜ぶと思うよ」
「よし、じゃあ行くか」
「うん」
二人はタッバーを半分ずつ持つと、隣にある里美の家に向かった。
歩きながら、自分のすぐ隣にいる木本の端整な横顔を、里美はこっそりと盗み見る。いつ見ても、どんな角度から見ても、やはり木本はかっこいい。
子供扱いされてしまうし、恋愛対象としてなんか見てももらえない。でも、こんな風に隣を歩けるだけで、それだけでも幸せだと、里美はそう思った。
これ以上の贅沢を、自分なんかが望んではいけないんだ、なんてことを思いながら。
つづく
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