桜ヶ丘交響曲第1番「天使」



      7


「あー、もう、うまくいかねーなぁ!」
 眉をつり上げ必死になってミシンと格闘する小林に、隣のテーブルで同じようにミシンをかけていた坂本が、バカにしたように声をかけた。
「なんだよ、小林。おまえ、意外と不器用なのな」
「うるせーな、今話しかけるんじゃねーよ! あ、ホラ、また失敗しちゃったじゃないか!」
 縫っていた細い布をミシンからはずすと、不恰好に曲がってしまった縫い目を小林はほどき始めた。
 その隣では、坂本が鼻歌交じりにリズムよくミシンを動かしていく。
 ここは高等部の家庭科室。
 その日小林は、授業が終わるとウキウキしながら新聞部の部室にやって来た。カメラを首から下げ、メモ帳を手に持つと、心を躍らせて志乃のいる体育館に向かおうとしていたのである。
 ついに明日は女子バスケット部の準決勝戦。チームの仕上がり具合と明日の試合に対する意気込みを、女子バスケット部の面々――――――目的は志乃だったが―――――にインタビューするつもりだった。
 これは新聞部としての正式な活動である。これなら志乃にも文句言われないだろうと、小林はもう胸を躍らせて楽しみにしていたのだ。
 もう丸三日、志乃の顔を見ていない。会いたくて会いたくて気が狂いそうだったけど、色々と忙しくて、なかなか会いに行けずにいた。
 応援団の練習もあったし、昨日なんかは、スポンサーを快くかって出てくれた商店街のおじさんおばさんたちに、生徒会長木本や坂本と一緒に、挨拶を兼ねてお礼を言いに行ったりしたのだ。
「いやぁ、志乃ちゃんのためだったら、こんなことお安い御用だぜ」
 おじさんたちは口々にそう言い、
「てっちゃんに頼まれちゃ、イヤとは言えないもんね」
 おばさんたちは気持ちのいい笑顔を見せてくれた。
「サンキュー、おばちゃん、ホント、助かったよ」
「イヤだよ、てっちゃんたら、そんなお礼なんて水臭い」
 明るくおばさんたちと話しをする坂本を横目に、小林は木本の耳元でささやいた。
「坂本のやつ、なんであんなにおばちゃん連中に人気あるんっすか?」
「ああ、小林は知らなかったのか?」
 ちらりと小林を見てから木本は言った。
「坂本はさ、オフクロさん小さい時に亡くしてるんだ。だからあいつにとって、商店街のおばちゃん全員がオフクロさんみたいなもんなんだよ。この通りにある店のおばちゃんたちにとって、坂本はみんな共通の息子なんだ」
「へえ、そうだったんだ」
 まあ、そんな感じで、行く先々のお店でコロッケもらったり駄菓子もらったりジュースもらったり、ついでに応援団で使うハチマキやハッピを作る布ももらったりと、両手いっぱいにお土産持って学校に戻った時には、もうかなり遅い時間になってしまった。
 それでも急いで体育館に行ってみたけれど、女子バスケット部の練習はとっくの昔に終わっていて、体育館は消灯されて真っ暗だった。これで丸三日間、小林は志乃の顔を見ていないことになる。
 だから、もう今日こそはっ、今日こそは志乃に絶対会うという意気込みと共に、小林は朝からずっとずっとずーっと、放課後になるのを楽しみに待っていたのである。
「それじゃ、ちょっと取材に行ってきまーす」
 必要な道具をすべて持ち、部室内にいる他の新聞部員たちに手を振って小林がドアを開けた時である。すごい勢いで走ってきた坂本に、小林は腕をつかまれた。
「良かった、小林。まだここにいたか。よし、行くぞ!」
 そして、そのまま小林の腕を引っ張り、どこかに連れて行こうとする。
「おい、ち、ちょっと待てよ?!」
 小林は足を踏ん張ると、坂本の手を振り払った。
「いきなり来てなんだよ?! 俺は今から志乃さんとこに取材に………」
「そんなの他の部員に代わってもらえよ。志乃さんに取材って言ったら、みんな喜んで代わってくれるよ。ね、いいですよね、戸田先輩?」
 開いたドアの隙間から顔だけ中に入れて坂本が言うと、今期新聞部部長の戸田は満面の笑みをみせた。
「おう、まかせとけ!」
 そして、ひらひら手を振る。
「行ってこい、小林。後のことは心配するな。俺がちゃーんと志乃さんに取材しといてやる。ついでに握手もしてもらってくる」
「えぇ〜、そんなぁ………」
 情けない顔する小林からカメラやメモ帳を剥ぎ取ると、坂本は小林の手をつかんで一目散に駆け出した。
 そして、連れてこられた場所が、ここ、家庭科室だったのである。
「手芸部に頼んだハチマキとハッピなんだけど、どうも今日中に出来上がりそうにないんだ。でも、それは困るだろ? なんてったって、明日使うんだからさ。それで俺たちが手芸部の応援に駆けつけたってわけ」
「だからって、なんで俺が?!」
 不満たらたらに小林が言うと、坂本は眉をつり上げた。
「なに言ってんだよ、おまえは応援団の発起人だろ? これくらい手伝わないでどうする! 俺だって、生徒会代表で手伝いに回されたんだからな!」
 そんなことをこそこそ話しながら、二人は家庭科室のドアをくぐった。
「まあ、よく来てくれたわね」
 ミシンを使う手をとめて出迎えてくれたのは、手芸部部長の瀬川芳子である。涼しげな顔立ちの美人だった。
「それじゃ時間もないことだし、早速手伝ってもらいましょうか」
 二人に割り当てられたのは、ミシンを使ってのハチマキ縫いである。さすがにハッピは難しいので、手芸部員たちに全部任せることになった。
 しかし、やってみると、ミシンかけってものはなかなか難しい。上手くまっすぐに縫えず、すぐに縫い目がガタガタになってしまう。
 失敗した縫い目を糸切りばさみで切りながら、必死になって縫い目をほどいている小林の前に、芳子がキャンディーやらクッキーやらを差し出した。
「苦戦してるみたいね? ちょっと休憩しない? 坂本くんも、ね?」
「わあーい、おやつだおやつだ」
 大喜びで坂本がやって来る。
「悪かったわね、二人とも。本当は手芸部だけでなんとかなるはずだったんだけど」
 そう言いながら、芳子はクッキーの包みを開ける。
「今日になって急に二人の部員が学校を欠席したものだから。一人は病気、もう一人は身内に不幸があったんだって。それで間に合わなくなっちゃったのよ」
「気にしないで下さいよ。急に仕事頼んだこっちも悪かったんだし」
 申しわけなさそうな顔の芳子に、小林が笑顔でそう言った。坂本もクッキー頬張りながらうんうんうなずく。
「そうですよ。こんな美味しいクッキー食べられて、俺たちホント幸せ」
「でも、生徒会からバイト代も出ていることだし、契約は契約だもんね。木本くんにも、あたしが悪いことしたって言っていたって、よろしく言っておいてくれる?」
「それは気にしなくていいですよ」
 クッキーを食べ終わり、今度はキャンディーを物色していた坂本が言った。
「木本会長から伝言です。俺たち二人が働いた分、バイト代から差っ引くとのことでした」
 聞いた途端、芳子は不機嫌な顔になった。
「………さすが木本くん、ちゃっかりしてるわね。そうとなったら、こんな油なんて売っていられないわ。あなたちには差っ引かれるバイト代以上の働きをしてもらわなきゃね。さ、休憩終わり、働いて!」
「ひー!!」
 顔つきの変わった芳子ににらまれながら、二人は急いでミシンとの格闘を再開したのである。
 しかし、作業開始から三十分、一時間と経つ内に、最初はたどたどしかった小林の手つきも、なかなかリズミカルに動くようになっていった。もともと器用な方だし、コツをつかんだのか、小林の横にあるカゴの中には、次々とできあがったハチマキが投げ込まれていく。
 もともとミシンがけには慣れている様子の坂本もそれは同じで、作業開始から二時間半、六時少し前にはすべてのハチマキ縫いが終了していたのである。
「ふー、終わった終わった」
 肩をトントン叩きながら小林が言うと、隣の坂本も首をこきこき鳴らした。
「思ったより、早く終わったな」
 できあがったハチマキを見て、感慨深そうに言う。
 そして、二人で芳子のところに行き、作業終了の報告をした。
「お疲れ様。二人とも、よくがんばってくれたわね。もう帰っていいわよ」
 笑顔の芳子に小林が聞く。
「瀬川さんたちはまだ終わらないんですか? なんか俺たちに手伝えることがあれば……」
「ううん、いいのよ。あたしたちの方も、あと一時間くらいで終わると思うから。ハチマキはそこに置いといて。ハッピと一緒にあとで生徒会に持っていくから。木本くんにそう言っといてくれる?」
「了解しました」
 坂本が敬礼する。
「それじゃ、すいません。俺たちお先に失礼します」
 二人はそう言って頭を下げると家庭科室を出た。そうやって、やっとのことでミシン地獄から解放されたのである。
「やってみると、なかなか面白いもんだな、ああいうの」
 小林がにこにこして言うと、坂本が細めた横目で見て笑った。
「よく言うよ。最初はぶーぶー文句ばっかり言ってたくせに」
「仕方ないだろ? 生まれて初めてやったんだから、上手くできないのは当たり前。でも、かなり上達したぜ? おまえより上手くなったかも」
「バカ言ってんじゃないっつーの。俺を追い越そうなんて百年早いぜ」
 そんなバカ話をした後、生徒会室に戻ると言って手を振る坂本と別れた小林は、全速力で体育館に行ってみた。しかし、いつもより早く練習を終了させた女子バスケット部員がそこにいるはずもなく、小林はがっくりと肩を落としたのである。
「あーあ、これで丸四日間、志乃さんの顔見てないなぁ。俺、寂しくて泣いちゃいそう」
 しかし、今日の作業は応援団のためのハチマキ作り。それはつまり、女子バスケット部のため、しいて言えば志乃のためだったわけである。
 そう考えると、ま、仕方ないか、と小林は明るく思った。どちらにしろ、明日は絶対に志乃に会えるのだ。そう考えると、この寂しさも明日を盛り上げるためのスパイスみたいなものだと思えてしまう。
 念のため新聞部の部室に鍵がかかっていることを確認すると、小林は自転車置き場に向かった。そして愛用の自転車にまたがると、意気揚々と学校を後にしたのである。
 明日のことを考えると、もう気分はウキウキ、嬉しくて楽しくて踊り出したくなってしまう。みんなで協力し、みんなでがんばって作った応援団。志乃は喜んでくれるだろうか? 明日の試合、気分良くプレーする助けになるだろうか?
 そんなことを思いながら、家までの道のり約三十分、小林が自転車で走り始めてすぐのことである。
 前方から男女の言い争うような声が聞こえてきた。
「なんだなんだ、痴話喧嘩かぁ? そんなの道端でやるなっつーの」
 呟きながらペダルを漕いでいると、その男女の姿が遠目に見えてきた。よく見ると、女の着ている服は桜ヶ丘高等部の夏服、セーラー服である。そして男は、どうみてもスーツ姿のサラリーマンだ。そのサラリーマンが、嫌がる女子高生を、無理にどこかに引っ張っていこうとしている様子がうかがえる。
「うわっ、おいおい、痴話喧嘩じゃなくて犯罪が行われてるのか?!」
 本当にそうなら、あの女子高生を助けなければと思った小林である。
 そして、更に彼らに近づいた時、小林の目は驚きに大きく見開かれた。サラリーマンにからまれている女子高生、あれはどう見ても愛しの志乃ではないか。
 考えるより先に、小林は次の行動に出ていた。
 腰を浮かせてペダルを思いっきり漕ぎ、自転車を最大限に加速させると、そのままサラリーマンに激突したのである。
「う、うわぁっ!」
 サラリーマンはブザマに声を上げ、軽く二・三メートルは吹っ飛んだ。
「こ、小林くん?!」
 驚いて目を白黒させている志乃の前に自転車をつけると、小林は短く言った。
「乗って!」
 志乃は急いで自転車の後ろに座った。それを確認すると、小林は地面を蹴って自転車を走らせた。
「スピード出すよ。落ちないようにしっかりつかまって!」
 言われたまま、志乃は小林の腰に腕をまわし、ギュッと強くつかまった。小林は必死にペダルを漕ぐ
 走り始めて五分ほど経った時、後ろから志乃が不安そうに言った。
「ね、ねえ、小林くん。さっきのあれ、大丈夫かしら? なんだかすごい勢いで吹っ飛んでたけど、死んじゃったりしてないかな?」
「死んだっていいよ! 志乃さんにあんなことしてさ!」
「で、で、でも、それはちょっとマズくない?」
 顔を青ざめる志乃を振り返って、小林は笑いながら言った。
「大丈夫。頭から地面に激突してないのはちゃんと確認した。せいぜい全身打撲だろ?」
「そ、そう、良かった」
 その志乃の言い方や雰囲気があまりに微妙なので、小林はキーッと自転車のブレーキを握った。そして、焦った顔で言う。
「も、もしかして、知り合いだったとか? 俺、マズイことしちゃった?!」
 志乃は自転車の後ろから降りると、にっこり笑って言った。
「平気よ。一応は知り合いだけど、やってもらってあたしもスッキリしたわ。あの人のこと、実は嫌いなの」
 そして、ぺこりと頭を下げる。
「助けてくれてありがとう」
 小林が、足が宙に浮くほど舞い上がったのは、言うまでもない。久しぶりに見た志乃の顔は、やっぱりまぶしいほどキレイで美しくて、しかもにっこり笑いかけてくれたりするもんだから、ミシンがけの疲れなんか、あっと言う間に吹っ飛んでしまった。
「家まで送ってくよ!」
 はりきってそう言うと、志乃は少し考える素振りをみせた。
「う…ん、でも、電車の方が早いと思うけど」
「駅に行ったら、またアイツに会うかもしれないぜ? それはちょっとマズイだろ?」
「そうねぇ………それじゃ、お言葉に甘えて、家まで送ってもらおうかな?」
「やったーっ!」
 小林は元気よく叫ぶと、自分も自転車を降りた。
 そうして、二人は少しずつ暗さを増していく夕暮れの中を、寄り添うようにして歩き出したのである。



     つづく




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