桜ヶ丘交響曲第1番「天使」



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 女子バスケット部特別応援団結成から四日。
 放課後の第二グランドでは、応援団員たちの練習する声が毎日のように聞こえている。ここぞとはかりに協力を申し出てきた吹奏楽部も、音楽室で応援テーマ曲の練習真っ盛りである。
 にわかに学園中が、これまでになく活気づいていた。
 そもそも桜ヶ丘学園は、どちらかと言えば学力重視の学園である。その流れからか、文化系部活動の実績にはそれなりに誇れるものを持っているものの、運動系部活動はというと、これまでにたいした実績もなく、大会ごとに苦汁を飲んでいるのが現状だった。
 ハッキリ言ってしまえば、もう誰も運動系には期待していない状態が、ここ数年続いていたのである。
 そんな中での今回の女子バスケット部の県大会ベスト4入りは、まさに学園にとって大快挙ものであり、昨日などは、学園理事までもがわざわざ高等部に足を運び、女子バスケット部と応援団員に労いの声をかけたほどだった。
 七十歳を越す髪の薄い、しかし顎鬚だけはもっさり蓄えた学園理事は、にこにこしながら全女子バスケット部員と握手した後、最後にキャプテンである志乃の手を握ってこう言った。
「いやぁ、志乃ちゃん。久しぶりだね。元気だったかい?」
「はい。今日はわざわざありがとうございます」
「いやいや、わしも本当だったら毎日でも志乃ちゃんの顔を見にやってきたいところなんじゃが、なかなかそうもいかなくてな。しかし、さすが志乃ちゃんじゃ。器量良しなだけじゃなく、運動神経もいいとは! わしがもうちょっと若かったら嫁にもらいたいところじゃよ、カッカッカッ」
 もちろん、志乃の中学部入学当時からその美貌は理事の耳にも届いていて、彼自らがファンクラブ会員に名を連ねていることは、もはや学園では有名な話である。
「あのエロオヤジ、話している間ずっと志乃さんから手を離さなかったんだぜ」
 案内役として理事に連れ添って歩いた木本が、後でみんなに言ったことである。
 その後、理事は応援団練習場所にも顔を出し、そこでもニッコニコ顔でひと演説ぶった後、超ご満悦で学園を後にしたのである。試合当日、自分も必ず差し入れを持って応援にかけつけることを約束して。
 そんなこともあって、桜ヶ丘学園はもう、中学部、高等部、大学部合わせてのお祭り騒ぎな賑わいを見せていたのである。


 そしてついに、準決勝試合を明日の土曜日控えた今日。

 体育館では女子バスケット部の面々が猛特訓に励んでいた。学園中の人間が応援してくれている中、彼女たちの覇気も否応なしに上がりまくり、コート内は練習とは思えないほどの熱気を帯びたものになっている。
 そんな中、背が高く、ちょっと太りすぎと思える巨漢の男子学生が、志乃の元を訪れていた。応援団長および慶田志乃ファンクラブ会長の尾崎である。
 口をへの字に曲げ、人を萎縮させる鋭い顔の尾崎は、志乃の姿をみつけた途端、それまでとは打って変わってデレ〜としたニコニコ顔になった。
「おおーい、志乃ぉ!」
 ドスのきいた声を張り上げながら尾崎は手をぶんぶん振る。それに気付いた志乃が、練習の手を休めて笑顔で尾崎に歩み寄った。
「尾崎くん、来てくれたの?」
「おう、明日はいよいよ試合だからよ。調子はどうかなと思って」
「もうバッチリよ。気合入りまくり。これも応援団とか他のみんなが応援してくれるおかげね。どうもありがとう」
 そう言って志乃が微笑むと、尾崎はテレくさそうに顔を真っ赤にして頭をかいた。
「い、いやあ、俺は少しでも志乃のためになればと思って」
 志乃と尾崎とは、桜ヶ丘入学以前、小学校からの仲である。
 小学生の頃からお人形のようにかわいかった志乃に、身も心も奪われたガキ大将尾崎少年は、ある日、野良犬に追いかけられていた志乃を助けて以来、あることを決意することになる。
「よおーし、俺が志乃を守ってやる!」
 美少女志乃がクラスの少年たちにイジメられる姿を、尾崎少年は何度も見かけたことがある。髪を引っ張られたり、スカートをめくられたり、言葉でからかわれたりと、その内容はたいしたことなかったし、イジメる少年たちにしてみても、志乃を好きだからこその行為だったのである。
 しかし、志乃を守る、という闘志に燃えた柔道黒帯の尾崎少年は、その決意をして以後、そういった少年たちを片っ端からぶん投げまくった。気分はすでに、美しい姫君を守る精悍で凛々しい騎士である。
 そして勿論、騎士である(つもりの)尾崎少年は、決して姫君に好きだと言い寄るような大それたことをすることもなく、ただひたすら姫のために悪者をぶん投げまくることに徹していたのである。
 尾崎が桜ヶ丘に入学したのも、当然、志乃を追ってのことだ。どこまでも志乃を守り続けるつもりでいた。  ファンクラブを作ったのも、そのためである。
 志乃に想いを寄せ、どこまでも志乃に尽くす。もちろん、その想いを志乃に告げるなど言語道断。ただひたすら大好きな志乃に忠誠を近い、陰ながら働く。それがファンクラブに入る時に言わされる誓い文句になっている。ファンクラブというよりは、むしろ親衛隊に近いものかもしれない。
 そして志乃はと言うと、尾崎やファンクラブの存在を、迷惑どころか、むしろありがたく思っていた。
 もともとキレイだと言われるのは好きじゃない志乃の、その美しい顔だけを目的に近づいてくる人間や、あまりにもひどいストーカー行為を行う迷惑な男たちを、ファンクラブの人間たちは片っ端から追い払ってくれる。
 志乃にとってファンクラブとは、まさに救いの神、とも言える存在だったのである。
「応援団と言えば、生徒会も完全バックアップ体制にあるんでしょう? 驚いたわ、なんだかありがた過ぎて、明日の試合にプレッシャーがかかっちゃう」
「生徒会のことなんか、気にすることないさ。今期の生徒会長、あれはなかなかの切れ者だからな。夏休み明けの体育祭の準備に忙しい中、単なる親切心から応援団に協力するなんてことはありえない。きっと、なにか下心があるんだ」
 口端を少しつり上げて尾崎は笑う。
「下心?」
「志乃になんか頼みごとでもあるんだろ。まあ、それだけってわけでもないだろうけど」
「っていうと?」
「うん、まあ俺もそうなんだけど、今回のこと、小林に乗せられた部分が大きいんだよ」
 思わぬところで小林の名前を聞いて、志乃はドキッとした。
「こ、小林? 小林って、あの新聞部の?」
 尾崎は笑いながらうなずいた。
「あいつさ、それまで全く面識のなかった俺ところに突然やって来て、いきなり頭を下げるんだよ。志乃さんと女子バスケット部員が気持ちよくプレーできるように、特別応援団を作りたい。ぜひファンクラブの人たちにも協力して欲しい、協力して下さい、ってさ」
「……………」
「そんで、俺に応援団長になってくれって。俺ほど応援団長にふさわしい人は他にいないから、なんて言ってなぁ、何度も頭を下げられたもんだから、つい俺もウンって言っちゃったんだ。ま、俺は志乃のためになることなら、別にやることに異存はないんだけど」
「へ、へえ、そうだったの」
「生徒会のやつらは伝統的にお祭り好きだし、やつらも小林に乗せられた形でもって、バカ騒ぎしたいだけなんだと思うぜ」
 尾崎の話しを聞いて、志乃はちょっと驚いた。尾崎が応援団の団長になったいきさつなんて、知らなかったのである。てっきり、尾崎が自分から名乗りを上げたものとばかり思っていた。
 まさか小林が頼みに行っていたなんて。しかも。
「何度も頭を下げて……」
 思わず呟いた志乃の声を、自分に話しかけられたと勘違いした尾崎が、笑いながら大きくうなずいた。
「そうなんだよ。そんなことよりも、ファンクラブ会長の俺に小林が会いに来たこと自体に、俺はすごく驚いたんだ。あいつ、ファンクラブには悪い印象持ってただろうし。話聞くまでは、文句のひとつでも言いに来たのかと思ってさ」
「文句? どうして小林くんがファンクラブに悪い印象なんて持つの?」
「そりゃそうだよ。だってあいつ、ファンクラブの人間たちに散々嫌な目に合わされてたからさ」
 志乃は驚きのあまり、飛び上がりそうになった。
「な、なんで? どうして?!」
「小林ってさ、編入してから毎日のように志乃のこと追い掛け回してるだろ?」
「ええ」
「そりゃファンクラブの標的にもなるさ、あれだけアカラサマにやれば。俺だってやつのことは良く思っていなかったし、実際に手は出してないけど、他のヤツラが小林にちょっかい出すのは許してた。聞いた話では、けっこうやられてたみたいだぜ? 脅迫状から始まって、直接の脅しとか、靴を切り刻まれたりとか、教科書に落書きされたりとか、物隠されたりとか、他にも色々」
「そ、そんな、ひどい!」
 ショックと怒りのあまり、志乃は尾崎にくってかかった。
「どうしてそんなこと許したりするの?! かわいそうじゃない!」
 しかし、尾崎は平然と言う。
「だって、こんなこと、今までにも何度もあったことじゃないか? うるさく付きまとうヤローどもを追い払ってくれて、助かるわって、志乃も言ってただろ?」
「そ、それは………」
 確かに尾崎の言う通りだ。これまでにも、しつこいくらい志乃に付きまとってきた人間は、ファンクラブによって追い払われてきていた。そして、志乃はそれに感謝していたのだ。
 黙りこんでしまった志乃を見て、尾崎がニヤッと笑った。
「まあ、そんなに気にするな。小林だってやられっぱなしじゃなかったし。脅しをかけて、返り討ちにあったヤツもいたくらいだ。体デカいしな、意外と強いみたいだぞ、あいつ」
「そ、そう………」
 ちょっとホッとした志乃である。
「小林くん、そんな目に合っても、それでもあたしのところに毎日来てたのね」
「そうなんだよ。あいつ、ファンクラブのイジメにまったくへこたれなくてな。いい根性してるよ。そろそろ志乃に本心聞いて、本当に迷惑がってるようだったら、俺から直接ガツンと言ってやろうと思ってたところだったんだ。そんなところで、今回の応援団結成の話しが来たってわけ」
「小林くん、ファンクラブの人たちとは上手くやれてるの?」
「そりゃあ、もう!」
 細めの尾崎が目を見開いて、さも楽しそうに言う。
「すっかり馴染んじゃってさあ、学年も関係なく、もう昔からの友達みたいに仲良くやってるよ。知ってるか、志乃。あいつ、かなりいいヤツだぜ? 俺も気に入っちゃってさぁ、小林といると、なんだかすげぇ楽しいんだ」
「え、ええ、小林くんが悪い人じゃないのは……一応、知ってる」
 尾崎を気にして、志乃はかなり控え目に答えた。小林がいい人だなんてことは、とっくの昔から知っている。
「それじゃ、すっかり仲良しなのね?」
「ああ。多分、小林が応援団に俺たちからめてきたのだって、こうなることを計算してのことだと思う。ファンクラブとの確執をとっぱらうためって言うか、まあ、そんなとこ」
「珍しいわね、尾崎くんがのせられるなんて」
 含み笑いで志乃が言うと、尾崎は頭をかいて笑った。
「まあな。でも、志乃が小林のこと迷惑してるって言うんだったら、ボコボコにしてでも追い払うぜ。それとこれとは話が別だからな。どうする?」
「いえ、それはしなくていい」
 考えるより先に、言葉が出ていた。そんな志乃を、尾崎がじーっと細い目で見ている。
「だ、だって、ホラ、応援団作ってくれたりしてくれたし、これといって被害があるわけでもないから……その、なんていうか………」
 手に持ったボールを無意味にくるくる回しながら、志乃はあせって言葉を探した。しかし、なかなかいい言葉が見つからない。
「と、とにかく、小林くんのことは放っといてもらってかまわないわ。ファンクラブの人たちにも、そう言っといてくれる?」
 しどろもどろにそう言うと、志乃はちらりと尾崎の様子をうかがい見た。尾崎はなにかを感じた風もなく、ただ「分かった」とだけ言った。
 それからしばらく話した後、
「じゃあな、明日がんぱれよ!」
と、尾崎は言って、来た時と同じようにのっしのっしと大きな体を揺らしながら体育館から出て行ったのである。
 尾崎が帰っていった後、志乃は複雑な気分を抱えて練習に戻った。
 知らなかったことがたくさんあった。
 応援団結成の時、小林が頭を下げて尾崎に団長になってくれと頼んだこと。この三ヶ月間、小林が自分のファンクラブにイジメられていたこと。いつの間にか、小林が学園中に友達の輪を広げていること。
 どれを取ってみても、驚くことばかりだ。
 ヒマワリをくれた時の、小林の明るい笑顔が思い浮かぶ。
 あの日から四日、小林は志乃の前に現れていない。追い掛け回すのはやめてくれ、と、そう言ったのは志乃自身である。当然と言えば当然かもしれいけど、しかし、こうもアッサリ引き下がられると、なんだか肩透かしをくらったような気持ちになる。
「やっぱり小林くんは、その程度にしかあたしのこと好きじゃなかったってことなのね」
 そう思っていたのだ。
 そして、そのことを寂しく思っている自分にも、志乃は気付いていた。
「新聞部でーす。取材、お願いしまーす」
 今日の放課後、頬を少し赤らめてやってきた笑顔の新聞部員は、小林ではなかった。振り向いた先にあった顔が小林ではないことに気付いた時、どんなに志乃がガッカリしたことか。
 もしかすると、小林に避けられているのかもしれない、と志乃は思った。まあ、あんなこと言ったのだから、仕方のないことかもしれないが。
 小林からもらったヒマワリは、今でも志乃の部屋の中で元気に咲き続けている。それを見るたびに、志乃の胸はなぜか切なく高鳴るのだ。
 明日の試合にそなえ、いつもより練習が早めに終わり、着替えをすませた志乃は部室とグランドの間を行ったり来たりしていた。
 応援団の練習声はまだ聞こえている。あの中に、小林がいるはずだ。
 小林の言う「好き」を、信じないことに志乃は決めていた。顔がキレイだから好き。そんなこと言う男に、ロクなヤツはいないと思う。だからきっと、小林もロクなヤツではない。
 そう思っているのに、心とは裏腹に、足が勝手に応援団のいる第二グランドに行きたがる。ひと目でいいから顔を見たいと、ワガママを言う。
 志乃はパンと自分の頬を軽く叩いた。そして、二・三度頭をぶんぶん振ると、重い足を引きずって、なんとか学校を出たのである。
 しかし、歩き出してはみたものの、やはり志乃の心は暗く沈んでいた。明日は試合なんだからシャキッとしなきゃ、と、そう自分に言い聞かせるが、そう簡単に気持ちが切り替わるものではない。
 冷たいお茶でも飲んだら気分がスッキリするかと思い、志乃が道端にある自販機に近寄った時である。先に自販機の前に立っていたサラリーマン風のスーツを着た男が、志乃の方を振り向いた。
「あれ?」
 サラリーマンはまじまじと志乃を見た後、パァッと顔を輝かせた。
「志乃ちゃんじゃない?」
 志乃はその場に凍りついた。
 その男は、志乃がこの世で一番会いたくないと思っていた男だった。



     つづく




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