そして昼休み。
指定した茂みの中、芝生の上に腰を下ろした志乃は、ホッとしたように一息ついた。
その美しさと素晴らしいプロポーション、それに抜群のバスケットセンスにより、志乃は四六時中、人の注目を浴びている。それはかなり精神的に疲れることで、志乃はたまにここに来ては、一人の時間を楽しむことにしている。
学園内で唯一志乃が一息つける場所。それがここ、中庭の噴水の側にある楠の裏の茂みの中だった。ほんの小さなスペース。ここにいる時だけは、人に見られる心配はない。
いつも一緒に弁当を食べる幸には、用があると言って食事もせずに志乃はここに来た。小林が来る気配は、今のところない。きっと、食事をすませてから来るつもりだろう。
志乃は芝生の上に横になると、そっと目を閉じた。
微かに流れるように吹く風は、夏の暑さを忘れさせてくれる。それがとても心地よくて、いつの間にか志乃は眠っていた。
さて、それより、ほんの少し前のこと。
午前の授業の終わりを告げるチャイムを聞いた小林は、急いで机の上の教科書やノートをカバンにつめこむと、喜び勇んで志乃との約束の場所に向かおうとしたのである。
そんな小林を、坂本が呼び止める。
「おーい、小林。メシ食わねーの?」
「悪ぃ、俺ちょっと用事があるんだよ。先に食っといて」
「あれ〜、なんか怪しいぞ。どこ行くんだよ、教えろ、コラ!」
小林の首を腕で押さえつけ、拳で頭をぐりぐりしながら坂本はニヤリと笑う。そんな坂本の腕から笑顔で逃れた小林は、両手を会わせて頭を下げた。
「ごめんっ、ちょっと言えないんだ」
「ちぇっ、つれねーなぁ。まあ、いいや。行ってこい」
「おう」
そして、急いで教室を出ようとした小林の目に、窓から見下ろした所にある花壇のヒマワリが、やけに鮮やかに飛び込んできた。
「そうかぁ、夏だもんな。夏の花と言えば、やっぱりヒマワリだよな」
そうやって、ぶつぶつ言いながら考え込んでいる小林を見て、坂本が首をかしげる。
「どうしたんだよ。早く行かなくていいのか?」
「うん、そうなんだけどさ。………なあ、坂本、あそこの花壇のヒマワリってさ、やっぱり用務員のおじさんかなんかが育ててんの?」
「ああ、あれ? あれは俺の友達が育ててんだ。趣味が園芸ってヤツでさ。あれだけじゃないぜ。他にも学校中の花壇の植物は、みんなそいつが育ててんだ。ちなみに男だよ」
小林が目を見開いた。
「男ぉ?」
「うん。でも、いいヤツだぜ。中学部の頃から、そいつとはずっと友達なんだ」
「ふうーん」
男で趣味が園芸で、学校中の花壇の世話をしてるなんて変わったヤツがいるもんだ、と小林は思った。
「ま、いいや。悪いんだけどさ、そいつ紹介してくれる? ちょっと頼みがあるんだ」
「別にいいけど………でも、なんで?」
首を傾げる坂本に、小林はニヤリと笑ってみせた。
どれくらい眠ったのだろうか。
気持ちよく居眠りしていた志乃は、誰かに呼ばれた声を聞き、うっすらと目を開いた。そして、驚いて寝かせていた体をがばっと起こした。
自分の周り一面、ヒマワリが敷きつめられていたのである。そして、自分のすぐ横には小林の姿があった。
「おっはよー、志乃さん。ごめんな、ガマンできなくなって起こしちゃった」
「こ、小林くん! な、なに、これ?!」
あ然としながら、志乃は自分の周りのヒマワリを指さした。その目を点にした志乃を見て、小林は楽しそうに笑う。
「ヒマワリだよ」
「それくらい見れば分かるわよ! どうしたの、これ。まさか学校の花壇から盗んできたの?!」
「まさか。ちゃんと育ててるヤツに許可取ってもらってきたんだ」
「ど、どうしてまた、こんなにたくさん………」
言いながら、志乃は一本のヒマワリを手に取ってみた。志乃の顔ほどもある、大きな大きなヒマワリ。一本手にしただけで、かなりの重量感がある。
志乃の問う視線を受けて、小林は言った。
「うん、俺さ、やっぱ男だからあんまり花とか興味ないんだけど、でも、ヒマワリだけは昔から好きなんだ」
「どうして?」
「だってヒマワリってさ、この夏のくそ暑い中、こんなにでっかい花をつけて一生懸命元気に咲いてるだろ? 見てるだけで、なんか元気でてくる気がするんだ。ヒマワリもがんばってるんだから、俺もがんばらなきゃ、なんてさ」
言いながら笑う小林の笑顔が、相変わらず明るく元気でまぶしくて、一瞬、志乃は目を細めた。太陽を向いて咲き誇るヒマワリと小林のイメージが重なる。
「そう………なんだかヒマワリって、小林くんみたいね」
そう言うと、今度は少しテレくさそうに小林は笑った。
年下のくせに志乃に敬語を使わない、生意気なことを言う。でも、やっぱり小林はまだ十五歳の少年で、そんな小林が時々見せる歳相応の無邪気な顔が、志乃は好きだった。たった今、好きになった。
そんなことを思っていた志乃に、
「俺、志乃さんのことが好きだから、だから俺が一番大好きなヒマワリをプレゼントしたかったんだ。好きな人ができたらヒマワリをプレゼントするって、俺決めてたから。喜んでくれたかな?」
なんて、小林が急に志乃の目の前に顔を近づけたものだから、つい志乃は顔を真っ赤にしてしまったのである。
「う、うん、ありがと」
慌てて志乃は持っていたヒマワリで顔を隠した。自分が赤くなっているのが分かる。その顔を小林に見られたくない。
「ね、ねえ、あたし、ずいぶん長いこと寝てた?」
誤魔化しついでにそう聞くと、小林は敷きつめていたヒマワリを一本一本集めながら嬉しそうに言った。
「うん、すごく気持ち良さそうに寝てたから、起こすのがかわいそうになっちゃって。おかげで志乃さんのかわいい寝顔を、たっぷり堪能させていただけました」
「そ、そう………」
恥ずかしくて余計に顔を赤くした志乃である。よだれとか垂らしてなかっただろうか、と情けない顔して考える。思いっきり無防備な姿を小林に見られてしまった。
「すぐに起こしてくれてよかったのに」
「そうしようと思ったんだけどさ、本当に気持ち良さそうに寝てたから。まるで、本物の天使みたいだった。あんまりキレイでかわいいもんだから、つい襲ってしまいたくになっちゃったよ」
「ええっ?!」
顔を青ざめた志乃を安心させるように、小林は言った。
「もちろん、そんなことはしてないけどね。俺って紳士だからさ」
エラそうに胸を張る。
志乃はホッと胸を撫で下ろしてから、くすっと笑った。
小林と話しをしていると、なんだかとても楽しくなる。
二学年も下のくせに背が高く体も大きくて、口調もタメ口で年上の志乃を敬う態度を見せなければ、「かわいい」とか生意気なことも言う。でも、なぜだか憎めない。
なんでかなぁ、と志乃は思う。
この学園に来てまだ三ヶ月、小林はあっと言う間に学園の有名人になった。難しい編入試験に合格したこと、女の子にモテるその顔立ち、それに、人目をはばからず志乃を好きだと言って追いかけ回す日常と、どれを取っても有名人となるには十分な理由である。
でも、一番の理由は、そのどれでもないんじゃないかと志乃は思った。
小林が有名人で人気者になった最大の理由は、その明るさに違いない。小林といると、ただそれだけですごく楽しくなる。生き生きとした彼の元気や活力を、一緒にいると分けてもらえるような、そんな気がする。
あの人と友達になりたい。そう思わせる魅力が小林にはある。
小林だって人間だ。それなりに悩みとか苦労とかあるだろう。でも、そんなことを微塵も感じさせない明るく元気な小林って、なんだかすごいなぁと志乃は思った。
「小林くんて、えらいのね」
思わずそう口走ってしまった志乃に、小林は目を丸くする。
「えー、俺が? そんなこと言われたの、生まれて初めてだ」
「そう?」
「能天気とかお調子者とかは、よく言われるけどね。でも、志乃さんにそう言ってもらえて、俺、嬉しいな。もう死んでもいい。だって俺、志乃さんのことが大好きなんだから」
そう言って、本当に嬉しそうな顔をするもんだから、志乃がここに小林を呼び出した本来の目的、もう自分を追い掛け回すのはやめてくれ、なんてことは、どうにも言えなくなってしまったのである。この小林の笑顔を、自分が壊してしまうのが嫌だった。
それでも、どうしても言わなければならないこともある。
「あのね、小林くん」
「ん―――?」
拾い集めたヒマワリを両手いっぱいに抱えた小林が、そのヒマワリの隙間から顔を出す。
「なんだい?」
「あたしのことキレイだって言うの、もうやめてくれない。そう言われるの、好きじゃないの」
「ええー?! どうして?」
驚きのあまり手に持ったヒマワリを落としそうになりながら、小林は叫んだ。
しーっ、と志乃は口の前に指を一本立てる。
「静かにして。他の人にここにいることがバレちゃう」
「ご、ごめん。でも、なんで?」
「それは……その、と、とにかく、やめてくれる?」
少し考えてから、小林はキッパリ言った。
「無理」
「え?」
その意外な答えに、志乃は目をパチパチさせる。
「む、無理って………でも」
「だって、無理なものは無理だよ。志乃さんはキレイだ。俺が今まで出会った人間の中で一番キレイだ。そんなキレイな人を前にして、キレイって言うなって言われても、そんなの無理だよ」
「でも、あたしが嫌だって言ってるんだから、やめてくれてもいいじゃない」
ちょっとムッとして志乃は小林をにらんだ。
しかし、小林はへっちゃらだ。
「もし約束したとしても、志乃さん見たら無意識に言ってるよ、キレイだって。それくらい志乃さんはキレイなんだ。俺、志乃さん見てるだけで、すっごく幸せになれるんだ」
そう言うと、抱え持っていたヒマワリの束を、小林は志乃にはいと手渡した。そして、首に掛けていたカメラを構えてパシャリと一枚写真を撮る。
「それってすゴイことだと思うぜ? キレイだってことは、ただそれだけで価値のあることなんだ。俺はそう思うぜ?」
そして、また一枚写真を撮ろうとカメラをのぞいた小林は、レンズ越しに見える志乃の浮かない顔に気付いた。
「志乃さん?」
そして、カメラを下ろす。
「どうした?」
二人の間に短い沈黙が流れた。
その沈黙を破り、志乃が辛そうな顔で口を開く。
「小林くんは……小林くんはあたしのキレイな顔が好きなんだ」
「う、うん」
深刻そうに揺れる志乃の瞳に一瞬答えるのを躊躇しながら、小林はうないた。
「きっとみんなもそうだと思うよ」
「だとすると、もしあたしがキレイじゃなかったら、みんなあたしのことなんて好きじゃなかったことね?」
「そ、それは――――」
もちろん、小林はそんなつもりで言ったんじゃない。
「違うよ、志乃さん、そうじゃなくて。俺が言いたかったのは、その………」
なんと言ったらいいのか、自分の思っていることが的確に志乃に伝わるか。それを小林が考えあぐねいていると、立ち上がった志乃がヒマワリをぎゅっと抱きしめながら言った。
「ヒマワリ、ありがとう。すごく嬉しかった。でも、もうこんなことしないで。切られちゃってかわいそうだから」
機嫌の悪そうな志乃の声。
「う、うん。分かった」
「それから、あたしのこと追い掛け回すのも、もうやめて。正直言って迷惑なの。それじゃ、さよなら」
「し、志乃さん。ちょっと待って」
伸ばした小林の手をすり抜けて、志乃は走り去った。振り返る素振りさえも見せることなく。
小林はあ然とするばかりである。ついさっきまで、すごくいい雰囲気だった。志乃があんなに小林に微笑みかけてくれたことなんて、今までない。
それなのに、これはどういうことだ。
「さよなら?」
その言葉の意味を、首を傾げて考える。そして、顔を引きつらせて自分自身に問うた。
「もしかして俺、フラれちゃったわけ?」
ショックのあまり、小林はその場に立ちすくんだ。
つづく
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