桜ヶ丘交響曲第1番「天使」


      3


 当然のごとく、小林の新聞は桜ヶ丘学園内で大反響を呼んだ。
 部活の朝練に来る生徒のことを考慮して、小林は朝の七時半に校門の前に立ち、新聞の販売を始めた。そうしたらもう、売れる売れる。噂を聞きつけた中学部や大学部の生徒たちまでも押し寄せて、気がつくと、一時間も経たない内に刷った五百部の新聞すべて、売り切れてしまったのだ。
 お客の中には、数人の教師もまざっていたくらいである。
 恐るべき志乃の人気である。
「再販しないの?!」
「今のところ予定してないんだよね」
 新聞を買えなかった生徒たちに取り囲まれながら、小林は申しわけなさそうに言った。
「ええー、そんなぁ。もう一部も残ってないのか? 頼むから売ってくれよ!」
「友達に見せてもらってくださいよ」
「あたしだって自分のが欲しい! ねえ、再販が決まったら、すぐに知らせてね」
 そんな有頂天になってしまいそうな生徒たちの声の中、小林は新聞販売で手に入れた金を部室の金庫に入れ、急いで志乃の教室へと向かったのである。
 今朝は新聞販売をしていたため、始業のチャイムが鳴るまでに、もうあまり時間が残っていない。それでも小林は、毎朝の日課となっている志乃のご機嫌伺いを、サボるつもりは毛頭なかった。それどころか、今日はいつもよりも会いたい気持ちが数段大きい。
 あの新聞を見て、志乃は喜んでくれただろうか?
 早朝からずっと校門の前にいたのだから、そこで志乃に会えると思っていた。しかし、新聞購入希望者たちに取り囲まれていた小林は、残念ながら志乃の登校に気付くことはできなかったのである。
 それにしても、新聞は売れに売れた。こんなことなら、7百部くらい刷っておくべきだったかもしれない。  嬉しくてスキップしたくなりそうな自分を抑え、小林は志乃の教室へと足を急がせた。


 志乃の教室の前は、それはもうすごい人だかりであふれ返っていた。
 学園のアイドルである志乃の教室の前は、普段でもそれなりの見学者でにぎわっている。しかし、今日のそれは尋常ではない。
 もちろん、小林の新聞効果である。
「いったい、なんだって言うのよ」
 廊下から自分を見つめる何十個もの目から送られる視線に辟易しながら、志乃は幸に困惑の目を向けた。
「朝からみんな、どうしたっていうの?!」
 生まれてこのかた、人々の視線には慣れている志乃である。いつ、どこで、なにをしていても、志乃は誰かから見つめられて生きてきた。憧れと尊望の目を向けられてきた。
 しかし、今日のこれはなんだ!
 困り果てた志乃に、幸が驚いた顔をして詰め寄った。
「志乃、まさかあんた、新聞のこと知らないの?!」
「新聞? なによ、それ」
 あーあ、と幸は呆れた顔をする。
「これじゃ、小林くんも報われないわね」
「小林? あの子がなにかやったの?!」
「ホラ、これ。見てごらん」
 差し出された新聞を、志乃は受け取って広げてみた。
「あ」
 そして、思わず声を上げたのである。
 そこには、自分の全身が映るカラー写真があった。その横には、女子バスケット部の県大会ベスト4入りを称賛する記事が、それこそ紙面からはみ出さんばかりに書かれてある。
「ね、すごいでしょう? こんなの見たら、誰だってすぐに本人に会いたくなるわよ。どう、納得できた?」
「う、うん………」
 新聞の紙面に釘付けになったまま、志乃は頷いた。
 書かれてある記事。そこには昨日の試合の様子が事細かに書かれており、その内容はきわめて正確だ。かなり熱心に試合を取材したということが、この記事を読めば分かる。
 写真の下、それと記事の末尾に記された担当記者の名前を見て、志乃は少しだけ顔をしかめた。
「彼、本気みたいよ」
 幸が誰のことを言いたいことか、分かっていながら志乃はとぼけてみせた。
「彼って?」
「またぁ、とぼけちゃって。この新聞作った人のことよ」
 そして、幸は「担当記者 小林」の部分を指差してみせた。
「小林くん、昨日はずいぶん遅くまで残って、この新聞作り上げたみたいよ。少しでも早く学園のみんなにバスケ部の勝利を知らせるんだって、志乃さんに喜んでもらうんだって。愛の力は偉大ねー」
「……………」
 しかし、それにはなにも答えず、志乃は黙り込んだ。
 そんな志乃を横目でチラリと見てから、幸は言った。
「あんまり無視するとかわいそうよ。好きなのよ、小林くんは。志乃のこと。本気で」
 その声を聞きながら、志乃は自分の席に座ると机にうつぶせた。そして考える。
 確かに、小林はいつも志乃のことを好きだと言う。言うだけでなく、行動でもそれを示してくれる。
 でも、それがどこまで本気なのか、志乃には分からない。
 もしも、それがゲームのようなものだったら………。
 その他大勢いる、志乃のファンと同じ程度の気持ちだったら………。
 小林は志乃のことを、キレイだキレイだと褒めちぎるけど、もしかすると、小林が好きなの志乃の顔だけなのかもしれない。人間としての志乃については、特になんとも思っていない可能性だってある。
 志乃が小林を好きになった途端、
「え? いや、そんなつもりじゃなかったのに。志乃さんのキレイな顔を学校で見れるだけで、俺は十分です」
なんて、アッサリ引かれてしまうかもしれない。
 自分の顔だけを目的に近づいてくる男を、志乃は信用しないことにしている。もう、あの時と同じ想いをするのは嫌だから。
 小林は言う。会うたびごとに志乃のことをキレイだと言う。だから、小林を絶対に好きにならないと志乃は決めた。素っ気ない態度を取り続けてきた。
 それなのに、小林はちょくちょく志乃の前に現れては、今回の新聞のように志乃の喜ぶようなことをしてくれる。毎朝欠かさず教室に顔を出し、好きだといい続けてくれる。
 志乃がどんなに冷たい態度をとっても、小林は笑顔を崩さない。明るく元気に、志乃を好きだと言って笑う。
 幸はそんな小林をかわいそうだと言うけれど………。
「かわいそうなのは、あたしの方よ」
 自分だって、それなりに色々考えているのだ。
 志乃は幸に聞こえないように、小さくため息をついた。
 その時、教室の前の人だかりの中に、大きなざわめきが起こった。
 志乃が顔を上げると、そこにはみんなから頭をくしゃくしゃに撫でられたり、「よくやった」「いい写真撮ったなぁ」などと褒められて、嬉しそうに顔を上気させる小林の姿があった。
 どうやらみんな、小林を新聞製作の功労者として、志乃に会うための道を開け、前に通してくれたらしい。もみくちゃになりながらも、小林はなんとかドアの前までやってきて、元気良く志乃に手を振った。
「志乃さーん、新聞見てくれたー?」
 まるで、主人に褒めてもらいたくて尻尾をぶんぶん振る仔犬のように、目をキラキラさせる小林の姿がそこにある。
 どうしようか迷っていた志乃の肩を、幸がポンッと叩いた。
「行ってあげれば?」
 見ると、小林を取り囲む他の生徒たちも、志乃が小林のところに来て、なにか声をかけることを期待した目でこっちを見ている。
 観念したように大きく息を吐くと、志乃はしぶしぶ立ち上がった。
「おはよう、志乃さん。今日も相変わらずキレイ! 昨日よりもっとキレイだ!」
「………それはどうも」
「ほら、これ志乃さんの分の新聞。本当は校門の前で渡すつもりだったけど、会えなかったからさ」
 手渡された新聞を広げ、志乃は再びそれに目を通した。
 確かに、何度見てもいい写真である。記事も、念入りに取材して丁寧に作ったことがよく分かる、素晴らしいものだ。
「素敵な新聞を作ってくれて、どうもありがとう。女子バスケット部を代表してお礼を言うわ」
 志乃がそう言うと、小林の顔がぱあっと輝いた。
「新聞さ、五百部刷ったんだけど、朝だけで完売しちゃったんだ。これも全部志乃さんのおかげだよ」
「あたしの? 違うでしょう? 小林くんの作った新聞のデキがいいからじゃない?」
「いーや、違うね。すべては志乃さんの美しさのおかげだよ。それ以外に、新聞があんなに売れた理由はない!」
 にこにこ顔でそういう小林の傍らで、志乃は複雑な顔をして黙り込んだ。
 キレイとか、美しいとか言われるのは好きじゃない。そう言われるたびに、胸がズキンと痛む。
「小林くん、あのね、あたし……」
「うんーーー?」
 言いかけた口を志乃は閉じた。込み入った話しをするには、ここはちょっとギャラリーが多すぎる。
 自分たちを好奇の目で見つめる周囲の生徒たちに聞こえないよう、志乃は小声でささやいた。
「中庭の噴水のそばにある大きな楠の裏に、どこからも死角になっている茂みがあるの。昼休み、そこに来てくれる?」
 それを聞いた小林の顔が嬉しそうに輝く。
「うん……うん、絶対に行くよ!」
 ちょどその時、HR開始を知らせるチャイムが鳴った。それと同時に、志乃のクラス担任、田中が教室に姿を現す。
「おまえら、早く自分の教室に戻れー! 遅刻にされちまうぞ。ほら、早く!」
 うるさいハエを追い払うように、出席簿をぶんぶん振りながら田中は言う。不満そうな顔をしながらも、生徒たちは足早に自分たちの教室へと戻っていった。もちろん、小林もである。
 ドアのそばにいた志乃は、急いで自分の席につこうとして、田中に呼び止められた。
「慶田、あの写真最高だな! 俺もあの新聞買ったんだけどさ、いやー、本当にいいよ」
「………あ、ありがとうございます」
「俺もおまえのファンクラブに入ろうかなぁ。う〜む」
 それには苦笑いしただけで、志乃はなにも答えなかった。
 この田中という二十代後半の若い教師、実は桜ヶ丘学園のOBなのである。今も昔も変わらずに、桜ヶ丘の生徒にはミーハーな人間が多いようだ、と志乃は心の中でため息をついた。
 そして、昼休みになったら小林に言おうとしていることを考える。
 会うたびに「キレイだ」と言うのは、もうやめて欲しい。そう言われると、志乃の胸は辛く痛むのだ。そして、もう自分につきまとうのはやめて欲しいと、志乃は小林に言うつもりでいた。これ以上、心を乱されたくはない。
 信じて好きになって、また傷つくのは嫌だった。
 傷つくくらいなら、誰も好きになんてならず、学園のアイドルとしてみんなからチヤホヤされているだけの方がいい。

 そのことを、ハッキリと小林に言ってやるつもりだった。


     つづく




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