創立四十五年を誇る私立桜ヶ丘学園の高等部生徒会室は、東校舎の一階のほぼ中央、演劇部と地学部の部室の間に挟まれた位置にある。生徒会を構成する生徒会長、副会長、会計、その他執行部員たちは、いずれも校内ではそれなりに有名、かつ人気のある生徒ばかりであり、また、クセのある生徒であるとも言えた。
今年の四月、桜ヶ丘に編入してきたばかりの小林に、学園のアイドル慶田志乃のことを教えてくれた坂本は、生徒会に所属していた。
その坂本を訪ねて、小林は元気良く生徒会室のドアを開けた。
「ちわーっす、新聞部でーす」
「よおっ」
せんべい片手に椅子に座ったままの坂本は、反対側の手を軽く上げて、笑顔で小林を迎え入れた。
「どうした? 菓子でもあさりにきたか?」
「ばーか、違うよ」
「小林くん、ずいぶん遅い時間まで残ってるわね。なにか大きな事件でもあった?」
「それとも、また志乃さんのおっかけか?」
新聞のネタ集めにチョロチョロ生徒会に顔を出す小林は、すでに生徒会では顔なじみになっている。小林の姿を見た途端、数人の生徒会役員たちが集まってきた。
「あはは、当たらずとも遠からず」
屈託のない笑顔でそう言うと、小林は手に丸め持った紙を坂本に差し出した。
「たった今、できあがったばかりの新聞持ってきたんだ。明日の朝から販売予定なんだけど、その前に、いつもお世話になっている生徒会の皆さんに見せてあげようと思ってさ」
その言葉を聞いて、仕事に励んでいた他の役員たちまで、小林と坂本の回りに集まってくる。
「なんだ、やけに自信満々だな?」
生徒会長である木本もその一人で、ジュースを小林に渡しながらニヤニヤ笑った。
「それほどの力作か?」
「まあ、見てやって下さいよ。自分で言うのもなんだけど、なかなかのデキなんですよ、これが」
「よし、そこまで言うなら、見てやるか。坂本、開けろ」
「はーい」
坂本は、くるくると丸められていた新聞を、机の上で大きく開いた。
「おおっ!」
それを見た生徒会のみんなから、感嘆の声が上がる。
それは、紙面の半分以上の大きさで印刷された、慶田志乃の写真を見たことによるものだった。
「今日は女子バスケ県大会の準々決勝だったんですよ。そこで撮った写真なんですけど、どうです? 美しいでしょう?!」
小林は自慢げに胸を張る。
確かに、志乃の全身を写したそれは、なかなか見事な写真だった。ジャンプした志乃の手からボールが放たれたその瞬間を、絶妙のタイミングで捉えている。この世のものとは思えない美貌、すらりと伸びたカモシカのような足。揺れる長い髪。どこを見ても、ひとつの粗も見つからないほど、限りなく美しい。しかも、珍しくカラーである。
その写真の下には、撮影者として小林の名前が記されていて、「天使」という題名がつけられていた。
「この時の志乃さんのシュートで、桜ヶ丘は勝利を決めることができたんです。ね、最高でしょう?!」
小林の言葉に、生徒会役員たちはうんうん頷く。しかし、その目はまだ新聞写真に見とれたままだ。
「いやー、すごいな小林。お前の愛がこめられたショットだな」
ばんっと坂本が小林の背中をたたく。
「だろ? これぞまさに愛の力」
「臆面もなく、よくもそんなことが言えるよな。恥ずかしくないか? でも、確かにこの写真はすごい」
木本も感心したように言う。
「この新聞、そうとう売り上げが上がるぞ」
「それを見越して、チョット無理して一面だけカラーでがんばったんですよ」
「校門前で売ってみろ。きっと他校生も買ってくれるぞ。志乃さんのおっかけ、ほぼ毎日門の前でたむろしてるからな」
「この新聞、生徒会にだろ。俺も個人的に一部欲しいなぁ」
「あたしもー」
それに対して、小林はにっこり笑いながらもキッパリと言った。
「それはダメ! 明日、金出して買って下さいね」
ちぇーっと、みんなからガッカリした声を上がる。
「苦労して作ったんだから、売り上げに協力して下さいよ」
明るく小林が言うと、木本が笑顔で頷いた。
「俺は買うよ。新聞部の売り上げに協力するのは癪だけど、でも、これは永久保存版にしなきゃな。売り切れないように、俺の分ちゃんと取っといてくれよ」
「はーい、毎度ありー」
小林がとぼけた声でそう言うと、その場にいたみんなが笑った。
「でもよ小林、気をつけたほうがいいぞ?」
ちょっと考えるような顔をして、坂本が言った。
「なにが?」
「おまえはさ、この学園にきてあっと言う間に人気者になったけど、でも、おまえのこと良く思っていないヤツラもいるからさ。ね、会長?」
坂本の言葉を受けて、木本も頷く。
「おまえの志乃さんに対するおっかけは、もうこの学園では有名だからな。彼女はあれほどの超がつく人気者だ。おまえのこと、気に食わないって人間も、たくさんいるんだよ。生徒会にも、おまえが志乃さんの周りをウロチョロしないように、厳重に注意してくれっていう投書、時々だけど舞い込んでくるくらいだからな」
「まあ、大抵のヤツはやっかみ程度だろうけど、中には危ないヤツもいるかもしれないし」
「そんなこと気にしてたら、志乃さんのこと好きになんてなれませんよ」
小林はケロリとした顔で言った。
「相手を選んで好きになれるわけでもないし。好きになった以上は、相手にも自分のこと好きになってもらえるよう、全力を尽くさなきゃ。でも、ご忠告は感謝します」
そして、ペコリと頭を下げる。
「ま、がんばれや。俺はおまえのこと応援するからな!」
坂本がそう言うと、ニヤリとした顔で小林は言った。
「でも、もし俺が志乃さんファンに殺されでもした場合、線香の一本くらいは上げにきてくれよな。でないと、化けて出てやるゾ」
「あー、行ってやる行ってやる」
「あたし、香典もつけるわ」
「香典はいいから、志乃さんの髪の毛一本もらってきて、棺桶の前に供えて下さいね」
「志乃さんの消しゴムのカスでもいいか?」
「消しゴムのカスか………ま、それもオッケー」
ちょっと暗くなりかけた雰囲気が吹っ飛び、みんなで楽しく笑った。
この生徒会にも、志乃の熱狂的なファンはたくさんいる。坂本にしたって、中学部の頃からのファンだし、この学園の人間のほとんどが、志乃のファンなのだ。しかし、そんなファンたちでさえ、小林のことを応援したくなるような、そんな魅力が小林にはある。
その時、木本がパンパンと手を叩いた。
「はーい、もう六時になるぞ。今日の仕事はここまで。みんな片付けするぞー!」
「俺も新聞部に戻るかな?」
そう言って、座っていた椅子から腰を上げた小林に、坂本が言った。
「あれ、おまえはまだ帰らないの?」
「俺はまだ新聞の印刷が残ってるんだ。今日中に五百部は刷るつもりだから」
「五百で足りるのか?」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ」
「ははは、じゃあ俺は先に帰るわ」
「おうっ、明日教室でな」
そうやって坂本に別れを告げると、小林は急いで部室へと戻った。部室に近づくにつれて、新聞を印刷する輪転機の音が大きくなる。それとは別に、一面だけはカラーにするため、パソコンとプリンターも稼動中のはずだ。用紙とインク代に金がかかるが、でも、そうするだけの価値はあると小林は思う。部長や副部長も承諾してくれた。
さて、どれくらい印刷し終わったかな、と部室のドアを開けた小林は驚いて飛び上がった。もうすでに、みんな帰ってしまっているはずの部室に、人影があったのだ。
それは前部長、山科幸だった。
「部長!」
「だから、もう部長じゃないって」
苦笑交じりの笑顔で幸は言う。その手には、印刷ホヤホヤの小林の新聞がある。
「どうしたんですか、こんなに遅い時間に」
小林が聞くと、幸は肩をすくめた。
「学校に忘れ物しちゃって、それを取りにきたの。そしたら輪転機の動く音が聞こえたから、まだ誰か部室に残っているのかなって、様子を見にきたわけ。それよりも、これ、いいわね」
手にした新聞に目を落とすと、幸は言った。
小林がにかっと笑う。
「自信作っす」
「記事も小林くんが書いたの?」
「部長に頭下げてお願いしたんです」
「へえー、一面の記事書かせてもらえるなんて、出世したわね。それだけ戸田くんもあなたを信用してるってことね」
戸田というのは、現新聞部部長である。桜ヶ丘において、新聞部は小額の部費しか生徒会に回してもらえない。なぜかというと、新聞の売り上げによりそれをカバーできるからだ。
しかし、ということは、新聞の売り上げが十分でないと、かなり苦しい経済状態なわけで、部員たちは必死になっておもしろい新聞を作ろうとする。当然、一面の記事となれば、かなりの質を要求されるわけで、一年生の記事が一面を飾るなんてことは、ほとんどと言っていいほどないのだ。
「信用されてるかは分からないけど、その記事は褒めてもらえました」
よほど嬉しかったのか、小林はちょっと赤くなりながら、テレ隠しに鼻をこすりながら言った。
そんな小林を見て、幸は不思議そうに首をかしげる。
「小林くんてさ、どうして志乃の前ではあんな風に態度が大きいの? 普段のあなたを見ていると、今みたいに素直でかわいい普通の男の子なのに。もしかして、あれは作戦?」
「もちろんです!」
と元気良く言った後、小林は恥ずかしそうに頭をかいた。
「と言いたいところなんですけど、実は違うんです。俺、志乃さんの前だと必死になりすぎちゃって、自分を装う余裕なんてないんですよ。つまり、テンパッてるわけで、まあ言ってみれば、素の俺が出てるっていうか。そんなわけです。本当はもっとスマートにやりたいんだけど、とても無理みたいで」
「へえ、驚いた。ハタから見てると、余裕しゃくしゃくに見えてたけど」
「とんでもない。志乃さんのそばにいるだけで、もう心臓ばっくんばっくんしっぱなしですよ。嬉しくて楽しくて幸せで」
「それだけ志乃のことが好きってことか」
「そーゆーことです」
小林は大きく笑顔でうなずいた。
そういう小林の態度を見て、幸はホッとしたように眉を下げた。小林の志乃を思う気持ちが本気かどうか、幸にも今までよく分からなかったのだ。でも、それがハッキリ分かった。
「あたし、小林くんを応援するからね。なにかあったら言ってちょうだい、なんでも協力するから」
「本当ですか。うわー、嬉しいなぁ。でも、できる限り自分でがんぱるつもりです。がんばれると思うし」
「たいした自信ね?」
「自信過剰に自分の力を過大評価することで、俺は本来の力以上のものを発揮できるタイプなもんで。豚もおだてりゃ木に登る、の典型です。あれ? ちょっと例えがおかしかったかな?」
腕を組んで考える小林を見て、くすりと幸は笑った。
「ま、とにかくがんばってね。あたしはこれで帰るわ。小林くんもあまり遅くならないようにね」
「はい、オッケーです。お疲れ様でしたー」
小林の気持ちのいい笑顔に見送られて部室を出た幸は、廊下を歩きながら考えた。あの小林という子と話していると、それだけで楽しい気持ちになれる。なんだか元気になれる。
確かに小林は顔だってかっこいい。性格だって悪くないし、頭がいいことは編入試験突破が証明してくれている。
でも、小林が短期間で高等部の人気者になったのは、きっとあの明るさのせいだ、と幸は思った。話しているだけで、なぜだかとても楽しくなり、元気までもらえたような気がしてくる。
あの子なら、大丈夫かもしれない。
小林ならば、志乃の過去の傷を癒してくれて、志乃を元気にしてくれるかもしれない。
そんなことを思いながら、幸は学校を後にした。
つづく
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