「ねえ、志乃、また来てるわよ」
「……………」
クラスメートであり、親友でもある西村幸の声を聞くと、慶田志乃はさもうんざりしたように、廊下の方に目を向けた。そこには、首からさげたカメラを片手に持ち、空いてるほうの手を志乃に向かってブンブン振り回す男子生徒の姿がある。
志乃は眉をしかめて席を立つと、その男子生徒のそばに歩み寄った。
「小林くん、あなたまた来たの?」
「こんにちは、志乃さん。今日も相変わらずキレイだね。朝からもう、俺、幸せいっぱい! それに、俺の名前を覚えてくれたなんで、感激のあまり涙が出る」
そう言って、ニコニコ笑っている男子生徒の名前は小林茂。桜ヶ丘学園高等部、新聞部に所属している一年生である。
「なに言ってるのよ。三ヶ月も毎日欠かさず写真を撮りにくる相手の名前なんて、嫌でも覚えちゃうに決まってるでしょう?!」
志乃は言いながら小林をにらみつけた。しかし、小林は気にもとめずにニコニコしている。
「やったね。それで名前を覚えてもらえたんだったら、毎日ここに来ている甲斐があったってもんだ」
「いいかげん、やめなさいよ!」
「いやだよ。だって俺、志乃さんのことが好きなんだから。好きな人に毎日会いたいと思うのは当然だろう?」
「だったら、男子バスケット部にでも入部したらどう? あなたみたいに背が高くて体力ありそうな人、弱小男子バスケ部ならきっと大歓迎よ。放課後も、ずっと女子バスケ部の隣で練習できるじゃない」
「やだよ、そんなの。そりゃ俺は、頭も良ければ顔だって良いし、運動神経だって抜群だ。でも、絶対にお断り。だって男子バスケ部に入ったりしたら、他の志乃さんのファンと同じになるじゃないか」
放課後の体育館は、バレーボール部とバスケット部で半スペースずつ使用されている。その半スペースを、男子と女子でまた二分して使っているのだ。
桜ヶ丘学園高等部の男子バスケット部は、異常に部員数が多い。それは、その部員たちのほとんどが、志乃のそばにいたいという不純な理由で入部しているからに他ならない。
なものだから、男子部員だちは真面目に練習もせず、いつも隣のコートの志乃に見とれてばかりいる。チームが弱小なのは当然である。
小林はカメラのレンズで志乃をのぞきながら言った。
「志乃さんさぁ、今年の男子バスケ部の新入部員の名前、もう全部覚えた?」
「いえ、さすがに全部はまだ…」
「っていうか、ほとんど覚えてないだろう?」
図星をつかれて、志乃は言葉につまった。
それじゃなくても、女子バスケット部員だって、志乃に憧れる女子生徒が押し寄せ、かなりの人数がいるのだ。男子のほうまでとても手がまわらない。
「そ、それがどうしたって言うのよ!」
少しムッとしたように志乃が言うと、小林はニヤリと笑った。
「つまり、男子バスケ部に入って清く正しく美しく練習に励むより、カメラ持って追っかけ回すようが、よっぽど志乃さんに覚えてもらえるってわけ」
そう言って、小林はパシャリとカメラのシャッターをきった。
「とにかく俺、絶対に志乃さんに俺のことを好きにならせてみせる。それまで、毎日この教室にくるから、そこんとこヨロシク!」
「勝手にしなさい! あたしは絶対、あなたなんか好きにならないから!!」
自信満々の小林を、志乃は憎々しげににらんだ後、プイと教室の奥へと戻っていった。そんな志乃と入れ違いに、今度は幸が小林に寄ってきて話しかけた。
「はーい。今日もフラれたの、色男くん?」
親しげにポンと小林の肩をたたく。
「あ、部長! おはようございます!」
声をかけられた小林は、にっこり笑って頭を下げる。そんな小林を見て、幸は笑いながら首を横に振った。
「もう部長じゃないわよ。あたしは今月頭の文化祭で、無事にお役御免で部を引退したんだから」
桜ヶ丘において、文化系の部活に所属する三年生は、たいてい六月の文化祭終了と同時に引退する。運動部の場合はもう少し長く、夏の最後の大会での敗北が、引退への引導を渡すことになるのだ。
高等部の誇る才女である、黒ぶち眼鏡をかけた西村幸は、つい数週間前まで新聞部の部長だった。つまり、小林とは深い意味での先輩後輩関係を持っているのである。
「それより、どう? 志乃は落とせそうなの?」
幸は楽しそうに小林の顔をのぞきこんだ。それに対し、小林はくったくのない笑顔を見せる。
「ははは、いやぁ、難しいですね。毎日毎日フラれっぱなしですよ」
「でも、あきらめないんでしょ?」
「当然。絶対に落としてみせますよ」
教室の奥で自分の席に座る志乃を、うっとりと見ながら小林は言う。
「だって、他にいないでしょう? あんなにキレイな人。志乃さんに好きになってもらえるんだったら、俺はどんなことでもがんばれます!」
臆面もなくそんなことを言う小林を、満足そうに見ながら幸は言った。
「がんばってね、小林くん。新聞部の名誉にかけて志乃を落とすのよ。分かった? これは元部長命令よ!」
「了解しました!」
軍隊のような敬礼を、小林は幸にしてみせた。それを見て幸は吹き出して笑う。小林も一緒に笑った。
そんな二人を横目でみながら、志乃はいささか不機嫌だった。なにを楽しそうに話しているのだろう、と思う。あたしの悪口でも言ってるのかしら?
とにかく、いつでも幸と小林は仲がいい。同じ部活の先輩後輩だったのだから、当たり前と言えば当たり前だけれど、志乃にしてみればおもしろくない。だって、自分がこんなに迷惑しているのに、幸はどうやら小林を応援しているフシがある。
「それって、どう考えても、親友であるあたしに対する裏切りじゃないの」
周りの人間に聞こえないよう、志乃は小声でブツブツ呟いた。中学部の頃からの親友で、あたしの気持ちを知っているはずのくせに、と、こっそり腹を立てていると、ちょうど幸がやってきて、志乃の前の席に腰をおろした。そして、一時間目の授業の準備を始める。
ふと廊下に目をやると、小林は自分の教室に戻ったのか、もう姿は見えなかった。
「なに話していたの?」
カバンの中から英語の教科書を出そうとしていた幸の背中に、志乃はボソッと呟いた。幸が不思議そうな顔をして振り返る。
「は? なにか言った?」
「なに話していたの? 二人で、楽しそうに」
「あらあら」
幸は愉快そうに志乃の顔をのそきこむ。
「もしかして志乃、ヤキモチやいてんの?」
「バッ、バカなこと言わないでよ! あたしは、また二人があたしの悪口でも言ってるんじゃないかって…」
「志乃の悪口言うような人間、この地球上に一人だっているはずないでしょう?」
そう言って、幸は志乃の額を軽くつついた。
「志乃はキレイで優しくて、バスケットだって上手だし。成績は……まあ、あんまり良くないけど、でも、そんなことどうでもいいと思えるくらい、本当にキレイなんだから。あんたがほほ笑みかけるだけで、いったい何人の人間が幸せ気分になると思ってんの? 少なくとも、男なら誰だって腑抜けにしてしまうくらいの力があるんだから」
今だって、同じクラスにいる何人のクラスメートたちが、こっそり志乃を盗み見ていることか。
しかし、志乃は納得できない様子で頬をプウとふくらませた。
「じゃあ、なに話してたのよ?」
「別にー。元部長と新入部員の会話」
そう言うと、幸は椅子を置き換えて、後ろ向きに座りなおした。
「実際、小林くんのおかげで我が新聞部は安泰よ。あの子、ああ見えても責任感強いし、面白い記事書いてくれるし、面倒見もいいし、来年の部長は小林くんに決まったようなものね」
「その点に関しては、幸が羨ましいわ。あたしのところなんて…」
「志乃のこと、おねーさまぁ、とか言いたいタイプの子ばかり入部してくるんでしょ?」
「そうなのよね」
志乃はため息をついた。
今いる部員の中に、本当にバスケットが好きで入部した部員が何人いるのか。それを考えただけで志乃は頭痛がしてきてしまう。
「来年、何人の部員が残ってくれるのか不安よ、まったく」
「夏が終わって志乃が部活を引退したら、みんな辞めちゃうんじゃない? そしてさ、きっとその子たち、今度はあんたのファンクラブに入るのよ、きっと」
「嫌なこと言わないでよ。冗談になってないんだから」
そして、また志乃はため息をつく。考えれば考えるほど、心配になってくる。
「あーあ、どうなるのかしら、女子バスケット部の未来は」
「でも、今年はすごいじゃない。いつも地区大会どまりなのに、今年は県大会でベスト8まで残ってるんでしょう?」
「まあね」
ちょっと得意そうに志乃が言う。
「あと三回勝ったら、全国大会に行けるのよ」
「まあ、がんばってちょうだい。小林くんがはりきって取材に行くと思うから、きちんと対応してやってよね」
幸がニンマリと笑う。
志乃は露骨にいやーな顔をした。
小林………彼がなにを考えているのか、志乃にはさっぱり理解できなかった。
四月からの三ヵ月間、小林はほとんど毎日志乃のクラスにやってきては、好きだ好きだと言い続けているのである。そして、愛の言葉をささやきながら、やたらと写真をとりまくるのだ。
もしかして、ちょっと頭がおかしいんじゃないか、なんて思ったこともあるが、多分それはありえない。桜ヶ丘高等部の編入試験の難しさは、この辺りでは有名である。その試験を突破してきたのだから、バカではないことは間違いない。
「あの子すごいのよ。この学校にきて数ヶ月しかたってないのに、もうかなりの人気者になったみたい。中学部からの見学者も、あとを絶たないんだって」
前に幸が言っていたことを、志乃は思い出す。
なんでも、「カッコよくて、頭がよくて、優しくて、おもしろいから」なのだそうだ。
確かに顔は整っていると志乃も思う。それに、背が高くて体格がしっかりしているから、とても高校一年生には見えない。
でも、志乃にしてみれば、小林なんて二学年も先輩である自分に対して敬語も使えない、礼儀知らずの無礼者でしかないのである。そして小林が、幸や他の先輩にはちゃんと敬語で話しているのを、志乃は知っているのだ。
いったい、どういうつもりなんだろう、と志乃は頭を悩ませる。自分のことをからかっているのだろうか?
学園のアイドル的存在である志乃は、今までにだってたくさんの男子生徒たちから告白されたり、追い回されたりしたことがある。でも彼らは、ちゃんと志乃に対して敬意を払い、志乃のことをものすごーく好きだという気持ちを、行動で表してくれていた。優しく大切にしてくれた。
でも、小林は違う。
志乃に対して馴れ馴れしくて、ずーずーしく、敬う気持ちなど微塵も見せない。
これで志乃を嫌いだと言うのなら、その行動の意味も分かるが、小林が言うにはその逆で、とても志乃のことが好きなのだそうだ。
だったら、もっとそれらしい態度を取ればいいのに、と志乃は思わずにはいられない。現時点で、小林に対する志乃の印象は、かなり悪いのだ。
本当に、まったく、どういうつもりなんだろう?
志乃には小林がさっぱり理解できなかった。
つづく
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