付き合って二年になる孝一とあたしが火花を散らしてにらみ合ってから、もうかれこれ三十分くらいになる。
「もう、いいかげんにしてよ!」
「いいかげんにしてよ、じゃないだろう?! だって、浮気したんだぞ! いいかげんになんてできるか!」
「だから、浮気じゃないって言ってるじゃない!」
そう、あたしたちはずっと、浮気したとかしないとかの話でケンカしているのだ。正直、もうウンザリ。
あたしは大きな溜息をついてから、孝一に言った。
「もういいわ。今の孝一になにを言っても無駄よ。あたし、帰る」
「あああっ、ち、ちょっと待てよ、加世!」
追いすがる孝一を無視して、あたしは公園の滑り台の前から立ち去った。
あたしは平和主義者だ。だから、どんなことであれ争いは嫌い。しかもそれが、意味のないものの場合は尚更だ。
今のケンカの場合、二人の内のどちらかが考えを譲らない場合、問題が解決することはない。あたしには譲るつもりはない。孝一も多分同じだろう。だから、このケンカに意味はない。意味もないのにダラダラ口ゲンカしたって、そんなのは時間の無駄としか思えない。
そう、だからあたしは、孝一を置いてけぼりにして、早々に公園を離れたのだ。せっかくの放課後、孝一とケンカするくらいなら、他にやりたいことがたくさんある。
あたしと孝一が付き合い始めたのは、高校一年の二学期からだ。同じクラスだったあたしたちは、席が隣になったことで仲良くなった。気が合ったし、他に好きな人もいなかったし、孝一の顔があたしの好みのタイプだったから、告白された時、あたしは一も二もなくウンとうなずいたのだ。
家に帰ってから寝るまでの間に、何度孝一から携帯に電話があったことだろう。ずっと無視してたけど、その内ウザッたくなったあたしは、途中で携帯の電源を切ってしまった。
まったく、どうして電話までしてきてケンカの続きをしたいのか、あたしには理解できない。
翌日、同じクラスの友人である好美にその話をしたら、ちょっと笑われてしまった。
「ふふふ、加世ちゃんって相変わらず淡白よねー。そのまま孝一くん、公園に放ったらかしにしてきちゃったんだ」
「だってさぁ、うるさいし、しつこいし、付き合ってられないわよ」
あたしは腕を組んで眉をしかめた。
「だいたい、言ってることがおかしいのよ! 中学の時に同じ部活で仲良しだった子と、数年ぶりにばったり出くわし、それでお茶して昔話に花を咲かせたら浮気? そりゃ相手は異性だったかもしれないけど、でも、それは浮気とは言わないでしょう?!」
「そうねぇ………」
少し考えてから好美が言った。
「人によるんじゃない? あたしだって、彼氏が他の女の子とお茶してたって話を聞いたりしたら、事情が分かっていても気になるもん。どんな子なのか、どんな関係だったのか、かわいい子なのかとか、問い詰めちゃうかもしれない」
瞳が大きく色白で、いかにもフワフワした女の子って感じの好美が、少し恥ずかしそうに頬を染めた。
好美には、彼女にすごくお似合いのアイドル系顔の彼氏がいる。好美みたいにかわいい子から、そんな風に嫉妬されたりすると、彼氏もうれしいだろうなぁ、と考える。
でも、あたしには好美のような真似はできない。だって、ガラじゃないし。
あたしはどちらかと言うと、元気いっぱい快活少女だ。好美の真似をしたところで、気持ち悪いし嫌がられるだけに決まってる。
それが分かっているから、あたしはあまり嫉妬しないし、相手からされるのも嫌がる。
でも、本当に嫉妬しないかと言うと、そんなことはない。あたしだって人並みに嫉妬くらいする。でも、いつもガマンする。さっきも言ったようにガラじゃないし、それに、ちょっとカッコ悪い気がするから。
それはさておき、昨日のことがあったから、今日はずっと学校でも孝一のことを無視している。
都合のいいことに、今年あたしと孝一は別々のクラス。休み時間のたびに孝一がうちのクラスの前をウロウロしているけど、あたしはそれに気付かないフリ。
だって、話すとまたケンカになるに決まってる。
あたしは孝一とケンカはしたくない。だって、あたしは孝一のことが好きなんだから。ケンカするくらいなら話さないほうがマシだと思う。
「でもさぁ」
あたしがそんなことを考えていると、好美が相変わらずかわいい顔してにこっと笑った。
「加世ちゃんと孝一くん、付き合って二年にもなるのに、すっごく仲がいいよね。じゃなきゃ、浮気したとかしないとかでケンカなんてしないもの」
「それはどうかな?」
苦笑いしながら、あたしは言った。
「なんて言うかさ、やっぱり二年も付き合ってると、相手のことがたいてい分かるって言うか、デートして行く場所もパターン化してるし………つまり、マンネリなわけ」
言いながらあたしは肩をすくめた。
「でも、ケンカだけはよくするの。あたしがクラスの男の子と楽しく話しているのを見たりすると、すぐ機嫌が悪くなるのよね」
「愛されてる証拠じゃない」
好美が目を輝かせる。
「いいなぁ、そういう情熱的なの、あたし大好き。あたしの彼なんてさ、もう、全然ヤキモチなんて焼いてくれないよ? あたしが彼のことを好きだってことに、完全に自信を持ってるみたい」
ほぅっと溜息をつく好美に、あたしは言った。
「でも、その通りなんでしょう? 好美は彼氏のことが大好きで、それを彼氏も分かってくれてるってことじゃないの?」
「それはそうなんだけどさぁ、でも、ヤキモチ焼いてもらいたいんだもん!」
好美は両手を握りしめて、力んで言う。
「ヤキモチ焼いてもらえると、ああ、愛されてるんだなぁって思えて、すっごく嬉しいんだもんっ! 幸せなんだもん!」
「そういうモンかなぁ」
「そういうモンだって! いいなぁ、加世ちゃんの彼氏。こう言ってはなんだけど、昨日のケンカの話、あたしにはラブラブな二人がイチャついてるだけにしか思えないよ。ご馳走様って感じ!」
温厚な好美には珍しく、少し怒ったような口調だ。
「うーむ」
腕を組んであたしは考えた。はっきり言って、あたしには好美の言っていることが、よく理解できない。
好き同士の二人がいて、お互いにそのことがよく分かっていて、いつも仲良しで、それになんの問題があるっていうんだろう? ヤキモチなんて焼いたりして、いや、焼くのは仕方がない。でも、わざわざそれを相手に伝えたところで、意味がないんじゃない?
だって、相手も自分のことを好きだってことが分かっているんだから、自分の中の醜い部分、そう、わざわざ嫉妬したりすることを見せる必要なんて、どこにもないと思う。
あたしがそう言うと、好美は一呼吸おいて、ちょっと悲しい顔で言った。
「でもね、加世ちゃん、人って心変わりするんだよ。いつまで好きでいてくれるか、分からないじゃない。今日は自分のことを好きでいてくれていても、明日はどうか分からない」
「それはそうだけど………」
「もしかすると、たった今この瞬間に、新しい恋の相手と出会ってるかもしれないよ? そうじゃないことを確かめるために、まだ自分のことを好きでいてくれていることを確かめるために、嫉妬してもらいたいの」
「……………」
「嫉妬したりされたりって、とても大切だと思う。加世ちゃんだって、今はウザイとか言ってるけど、急に孝一くんがヤキモチ焼かなくなったら、不安になると思うよ?」
ちょっと想像してみてから、あたしは答えた。
「それは………そうかもしれない。でも、孝一の場合、ちょっとしつこすぎる!」
「そして加世ちゃんは淡白すぎるのよ。あたしは孝一くんの気持ちがよく分かるなぁ。孝一くん、加世ちゃんのことが本当に好きなのね」
好美の話を聞いて、あたしはかなり考えさせられた。
これまであたしは、嫉妬することを悪いこと、恥ずかしいことだと思っていた。だって、嫉妬するってことは、つまり相手のことを疑うってことで、それは信じてないってことになると思っていたから。
でも、どうも違っていたみたい。
恋人同士が嫉妬し合うってことは、それなりに大切なコミュニケーションの一つならしい。うーん、難しい。
ふと廊下に目を向けると、そこには相変わらずソワソワしながら、あたしの教室の前をウロウロしている孝一の姿がある。
今日は一日中、ずっと孝一のことを無視していた。ちょっと、かわいそうだったかもしれない。
あたしは立ち上がると、孝一に近寄った。すぐに孝一はあたしに気付く。
「か、加世!」
なんだかゲッソリしてしまった孝一の顔を見て、あたしの胸はズキンと痛んだ。
「あの……俺、俺さ…」
「あのね、孝一」
多分、謝ろうとしていた孝一の口を、あたしは自分の言葉でさえぎった。
「今日、一緒に帰ろう?」
途端に孝一に顔が明るく輝いた。
「うん……うんっ!」
泣き出してしまうんじゃないかと思えるほど喜んで、孝一は何度もうなずいた。そんな姿を見て、あたしの心は温かくなる。孝一のことを好きだなぁ、と、あらためて実感させられる。
放課後、約束通りあたしと孝一は一緒に下校し、昨日ケンカした公園へと来た。もう一度、ちゃんと話し合おうと思ったから。昨日は一方的にあたしの方から話を打ち切ってしまって、今考えると、孝一に対してなんて失礼なことをしてしまったんだと反省する。
半歩前を歩いていたあたしは、くるりと孝一の方に向きを変えた。
「あのね、孝一。昨日のケンカのことなんだけど………」
そこまで言って、あたしはもう一度自分の頭の中を整理した。自分がなにを思っているのか、なにを孝一に伝いたいのかを、頭の中で整理し直す。
あたしは自分の気持ちや考えを言葉にするのが、あまり得意じゃない。なんとなくだけど考えがまとまって、あたしはやっと口を開いた。
「やっぱりあれは浮気じゃないと思う。でも、孝一の怒る気持ちは分かるようになった。だから、あたしはもう孝一のこと怒ってないよ」
息つく間もなくそう言うと、あたしはじっと孝一を見た。孝一は、なんだか複雑な顔をしている。あたしの言いたいこと、うまく伝わってないのかもしれない。
だから言った。
「あたしは孝一のことを信じてる。孝一はどう? あたしのこと、信じてる? それとも、信じてないから、あんな風に怒ったりするの?」
「違う。俺は加世のこと信じてる。っていうか、信じたい。だって、加世のことが好きだから」
なんだか少し怒っているような孝一の顔と口調。
「でも、そうさせてくれないのは加世じゃないか」
「失礼ね、あたしがなにしたっていうのよ」
「昨日の浮気の件だってそうだし」
「ちょっと待ってよ。どうして昨日の浮気の件で、あたしが孝一を信じさせてあげてないってことになるワケ?!」
せっかく仲直りしようと思ってあたしの方が折れたのに、やっぱりダメだ。あたしは怒りを募らせて怒鳴るように言った。。
「だって、中学の時に同じ部だった女の子と二人だけでお茶したのは、孝一の方じゃないの!!」
そう、孝一が言うところの「浮気」をしたのは、あたしじゃない。孝一の方だ。
あたしと孝一は、いつも一緒に下校する。でも先日、たまたまあたしが委員会で遅くなった時、先に帰ったはずの孝一が喫茶店で女の子と一緒にいるのを見た。
そんなのを見たら、さすがにあたしだって気になる。だから、昨日の放課後、そのことを孝一に聞いてみた。そしたら、相手は中学の時に同じ部だった女の子だと孝一は言う。何年か振りで会ったから、つい懐かしくなって昔話に花が咲いた、っていうようなことを聞かされた。
あたしとしては、それだけ聞ければ充分だった。だって、孝一のことを信じているし、それに、久しぶりに会った子と話しが弾んでしまうのは、仕方がないって思うから。
そりゃ、いい気持ちはしない。でも、こんなことでヤキモチ焼くなんて、なんだかみっともない気がした。
「そっか、良かったね」
だからニッコリ笑顔でそう言うと、急に孝一が怒り始めた。
「なんで怒らないんだよ! 俺、おまえ以外の女の子とお茶したんだぞ? しかも、二人っきりで。普通、怒るだろ?!」
「だ、だって、仕方ないじゃない」
「仕方ない、じゃないだろう! 俺が浮気して怒らないなんて、おまえ本当に俺のことが好きなのか?!」
「なにワケの分からないこと言ってんのよ! そんなの浮気じゃないじゃない!」
「だって、女の子と二人っきりだぞ?!」
「もう、いいかげんにしてよ!!」
そして、あたしは怒り、孝一をこの公園に残して一人で先に帰ったのだ。
つまり孝一は、あたしが孝一のことを怒らなかったことに怒っているというワケ。
眉をつり上げるあたしを見て、孝一は唇をとがらせた。
「だって、俺、加世にヤキモチ焼いて欲しかったんだ」
すねたようにそう言うと、足元に落ちていた小石を蹴った。
「俺さ、俺は加世が他の男と話しをするだけで、すっごくイヤなんだ。本当は小さな箱にでも入れて、いつも俺のポケットに加世を入れておきたいくらいだよ。でも、加世は違うだろ? 俺がどんなに他の女の子と仲良くしてても、気にもしてくないっていうか……」
「そ、そんなことないわよ! あたしだって気にするわ! でも、孝一のこと信じてるし」
「俺だって、加世のこと信じてるよ。それでもやっぱり加世が他の男と仲良くしてたら不安になるし、俺が他の女の子と仲良くしてて文句の一つも言われなければ、悲しくなるし切なくもなる。本当に俺のこと好きなのか、疑いたくもなる」
そう言って、孝一は本当に悲しそうな顔をする。
「俺、加世にヤキモチ焼いて欲しかったんだ………」
「……孝一……」
昨日までのあたしだったら、孝一が今いったことを理解できなかったかもしれない。でも、今日学校で好美に教えてもらった。ヤキモチを焼いてもらうことで、相手が自分を好きでいてくれることを確認したいという気持ち。
そしてあたしは意識することなく、孝一から頻繁にヤキモチを焼いてもらうことで、自分に対する孝一の愛情を確かめることができてきたのだ。
そのことに、ずっと気付かずにいた。大好きな孝一が他の女の子と二人っきりで話をしても、そう不安にならずにすむのは、きっとそのおかげだ。
そう思うと、なんだかジーンと胸が熱くなってきた。孝一からの愛情を、今ほど深く感じたことはない。
「あのね、孝一。あたしだってヤキモチくらい焼くよ?」
喜んでくれるかと思った孝一の顔が、それまでよりも暗くなる。
「それは、相手が俺だからヤキモチ焼かなかったってことが言いたいの?」
「違う、違う!」
あたしは慌てて首を振った。
「そうじゃなくって、孝一が他の女の子と仲良くしてると、あたしだってヤキモチ焼いてるってこと。ただ、口や態度に出さないだけで」
「そ、それホント?!」
嬉しそうな顔をする孝一に、あたしはうなずいた。
「でも、ヤキモチ焼くのなんてカッコ悪いし、なんだか恥ずかしいし、それに、下手したら嫌われるんじゃないかって思って、今までガマンしてたの」
多分あたしの顔は真っ赤になっていると思う。思っていることを素直に言うことになれてないから、すごく恥ずかしく感じる。でも、ここまできたら最後まで言うしかない。
「だから、あたしがガマンしているのに、どうして孝一はガマンしてくれないんだろうって、いつもイライラしてた。本当はあたしだってヤキモチ焼いてた。嫉妬してた」
そしてあたしは、それまで反らしていた目を孝一にまっすぐ向けた。
「だってあたし、孝一のことが好きだから、大好きだから」
黙ってあたしの話しを聞いていた孝一が、急に自分の口を片手でふさぐように抑えた。そして、目をパチパチさせる。
「ど、どうしたの?」
不思議に思って聞くと、くぐもった孝一の返事が聞こえた。
「ヤバイ。マジでヤバイ。嬉しすぎて、顔のニヤケがとまらない」
そう言ったかと思うと、いきなりあたしに抱きついてきた。
「加世、好き。大好き。俺、世界一の幸せ者だ!」
「ち、ちょっと、孝一!」
公園には、遊んでいる子供やその保護者がたくさんいる。
「やめてよ、こんなところで!」
「やめない。知ってるだろ? 俺はガマンしない主義」
そして今度は、あたしの両脇に手を滑りこませて体を持ち上げると、高い高いの状態でくるくる回り始めた。
「わーい、わーい! 俺、加世が大好きだ!」
大声で叫びながらあたしを回し続ける。
そんな孝一の嬉しそうな顔を見ていると、なんだかあたしまで嬉しくなってきて、気がつくと一緒になって叫んでいた。
「あたしも! あたしも孝一のことが好きー!」
あたしたちはバカみたいに、しばらくその場で叫びながら回り続けた。
周囲にいる子供や保護者たちに、パンツ見られまくっていることにも気付かないほど、あたしは楽しく満ち足りていて、幸せだった。
公園からあたしの家まで送ってもらっている時、孝一が言った。
「今度からガマンしないで、ヤキモチやいてることちゃんと俺に教えてくれる?」
あたしはちょっと考えてから答えた。
「これって性格だからうまくできるかどうか分からないけど、でも、がんばってみる」
「へへっ、もう最高!」
「孝一も、もう少しガマンして、ヤキモチ焼いても焼いてないフリしてくれる?」
そう言うと、今後は孝一がちょっと考えてから答えた。
「俺の場合も性格だからなぁ。うまくできるか分からないけど、努力してみます。加世に嫌われたくないもんな」
「ふふ、最高ね!」
そしてあたしと孝一は夕日の中で手をつなぎ、まるで付き合い始めたばかりのカップルのように、肩を寄せ合って歩いた。
マンネリ化していたあたしたちの関係に、新しい風が吹いた日の出来事だった。
おわり
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