明日から中間試験が始まる。
あたしは勉強があまり好きじゃない。っていうか、嫌いだ。
でも、だからと言って勉強しないわけにもいかない。だって、中学生の時と違って、高校では悪い点を取ると追試を受けなきゃならないし、その追試でまた悪い点を取った場合、ヘタすると留年ってなことにもなりかねないんだもん。
あたしは夕食を食べ終わった後、さっさとお風呂もすませると、イヤイヤながらに勉強机の前で教科書を開いた。
明日の試験科目は英語と化学。うわっ、どちらも苦手科目だ!
特に化学は最悪だ。授業を聞いているだけで、いつも眠くなってしまう。あのわけの分からない原子記号やらなにやらを耳にするだけで、あたしは目がトローンとしてきちゃうのだ。
やっぱり、化学じゃなくて地学を選択しておけばよかったかなって、いつも後悔する。
どの教科を選択するかを記入する用紙は、思い起こせば数ヶ月前、一年生の二学期になってすぐに配られた。
「かおり、理科の選択教科なにするか決めた? 社会はあたし、日本史にするって決めてるんだけど。理科はどうしようかなー」
高校に入学したての初めてのクラスで、席が隣になったことで話をし、すごく気が合ったから友達になった美紀が、悩んだ顔をして聞いてきた。
「物理だけは絶対に選ばないことは確定なんだけど、もう一教科はどうしよう」
「あたしも社会は日本史。でも理科はねー。ホント、どうしよう」
あたしの通う高校は、一応普通科しかない進学校だけど、ランクはそう高い方じゃない。正直言って、どこの大学に行こうかなんて、全然考えてなかった。だからもちろん、二年生でどの教科を選択するかなんてことも、全く考えていなかったってわけ。
「どうしようかな。化学と生物と地学と物理。この中から2つ選ぶわけだよね」
悩むフリをしながら、あたしはチラリと教室の前の方で友達と話している男子生徒たちに目線を向けた。その中に、あたしの好きな人がいる。
その人の名前は山下大樹。いつも元気いっぱいで明るく楽しい山下くんは、クラスの人気者だ。
山下くんは、なにを選択するのかな?
どちらかと言うと地味でおとなしめのあたしは、今まで山下くんとほとんど話をしたことがない。それでもいい。同じクラスにいて、山下くんの姿を見ていられるだけで、あたしはとても幸せだ。
でも、そんなあたしのささやかな幸せも、来年になってクラスが分かれると奪われてしまう。そりゃ今年のうちに山下くんと仲のいい友達になっていれば、来年クラスが分かれても平気なんだろうけど、多分、いや、絶対にそれは無理だ。
来年も山下くんと同じクラスになりたい。
選択教科が同じ場合、二年生でのクラス替えで同じクラスになる確率は、非常に高い。
「山下くん、どの教科を選択するんだろうね」
あたしの気持ちを知っている美紀が、耳元でささやいた。
「それが分かればね、同じのを選択するんだけどねー」
「あたし、何気なく聞いてきてあげようか」
地味なあたしと友達なわりに、美紀は広い交友関係を持つ、気さくで人好きのするタイプだ。当然、山下くんとも普通程度に話しができる。
「え、で、でも…」
「まかせといてって」
美紀はあたしの肩をポンとたたくと、その足で山下くんのところに行った。そして、彼の選んだ教科が物理と化学だという情報を入手してくれたのである。
あたしは化学と生物を選択することにした。いくら山下くんが選ぶからといって、さすがに物理は選択できなかった。だって、本当に物理は中学の頃から苦手だったから。
そんなわけで、あたしは化学を選んだ。それで今、こんなに苦労をしているというわけだ。
「あー、もうサッパリ分かんない」
化学の教科書とノートを交互にながめてから、あたしは大きくため息をつく。
選択教科がすべて同じである美紀とは、二年生になった今年も、晴れて同じクラスになることができた。これは嬉しい。
でも、残念ながら、山下くんとは同じクラスになれなかった。
後で知ったんだけど、山下くんは日本史ではなく世界史を選択していたそうだ。それに数学も、あたしは微分・積分を選択したけど、山下くんは幾何・解析を選択していたらしい。
確かに、これじゃあ同じクラスになれなかったのは当たり前だ。
二年生になって最初の日、配られたクラス編成のプリントを見て、あたしはすごくガッカリした。
でも、そんなあたしを神様は見捨てなかった。
選択教科の授業の時、2つ、ないしは3つのクラスの同じ教科を選択した生徒が、1つの教室に集まって一緒に授業を受ける。クラス編成は数学の選択教科を重点において行われたため、同じクラスいる生徒でも、社会や理科の選択教科が同じではないからだ。
そして、あたしと山下くんは、化学の授業の時にだけ同じクラスにまとまり、一緒に授業を受けることができるようになった。
ああ、本当によかった。神様ありがとう!
そんなわけで、あたしはいつも化学の授業を楽しみに待っている。あたしが化学が苦手なのは、眠くなってしまうこともあるけれど、授業なんかそっちのけで山下くんに見とれているのが最大の理由だと思う。
おかげで、ホラ、この通り。試験前に苦労しなきゃならないわけだ。
「あーあ、でもがんばらなきゃ。ひどい点とって、みんなの前で公表されたりでもしたら、山下くんの前で恥かいちゃう」
それだけは嫌だ。
あたしは必死になって勉強を続けた。
翌日。
英語のテストが終わり、あたしは美紀と二人、化学のテストを受けるために教室移動をした。
教室に入った途端、あたしの目はすぐに山下くんを探し始める。
山下くんはすぐに見つかった。
当然だ、だってあたしの目には、山下くんの周りに光り輝くオーラが見えるんだから。山下くんは相変わらず、今日も明るく楽しそうにしている。
試験直前の教科書チェックをすることもなく、あたしが山下くんに見とれていると、始業のチャイムが鳴って試験監督教師が入ってきた。
「はーい、みんな出席番号順に、男女一列ずつ交互になって席につけー! クラス番号の若い方から順番になー」
男女一列ずつ交互? カンニング防止だろうか。
あたしは順番を数えて、自分が座るべき席に腰をおろした。
そこで、ビックリ!!!
あ、あ、あたしの隣に山下くんが座ってる! なんてこと!!
ああ、神様ホントにありがとうございます。
でも感激している暇もなく、すぐにテスト用紙が配られて試験が始まった。
さすがのあたしも、試験中は山下くんに見とれることなく試験に集中した。さっさと問題を解いて、残った時間でゆっくりと山下くんに見とれようって魂胆もある。
あたしは必死になって問題を解き続けた。
しかし、やっぱり化学は難しい。
頭をかきながら奮闘していると、足になにかが当たる感触がして、ふとあたしは机の下を見た。そこにあったのは……。
(消しゴム?)
あたしは落ちていた消しゴムを拾い上げた。
誰かが落としちゃったの?
そして、試験監督にカンニングと間違えられないよう、視線だけでキョロキョロ周りを見回した。そこで、なんと山下くんと目が合ってしまったのである。
も、もしかして、この消しゴムって山下くんのなの?!
山下くんは片手を少し挙げて、「それは俺の消しゴムだ」ってことをゼスチャーであたしに知らせようとしている。
あたしはドキドキしながら試験監督の目を盗み、山下くんにそっと消しゴムを手渡した。山下くんは声に出さずに口の動きだけで「ありがとう」と言ってくれた。そして、また真剣な顔でテスト用紙に向かう。
もうあたしの胸は、ドキドキを通り越してバックンバックン大騒ぎし始めた。
その後、あたしが試験に集中できなかったことは言うまでもない。
そうこうしている間に、あっと言う間に試験時間は終わってしまった。
試験終了のチャイムが鳴っても、あたしは複雑な気分でなかなか席を立ち上がれなかった。山下くんと関わりがもてた喜びと、試験問題が全く解けなかったショックとで。
「あー、落第点だったらどうしよう………」
ぼそりと呟いたあたしの肩を、誰かがポンとたたいた。さえない顔で振り向いたあたしの前に、なんと山下くんの明るい顔。
「さっきはありがとうな」
「え、あ、ううん」
「ホント、助かったよ」
突然のことに、あたしはまともな口がきけない。
そして、真っ赤になって硬直するあたしに爽やかな笑顔を見せてくれた山下くんは、さっそうと自分のクラスへと戻っていったのである。
立ち去る山下くんの後ろ姿を、ぼーっと見つめるだけのあたし。
「どうしたの、かおり。早く教室に帰ろう」
美紀がわざわざ席まで迎えに来てくれたけど、あたしは動き出すことができない。
そんなあたしの顔を、美紀は不思議そうにのぞき込んだ。
「ねえ、どうしたの?」
夢から覚めたようにガバッと立ち上がると、あたしは勢いよく美紀に抱きついた。
「あたし……あたし嬉しい! 生まれてきてよかったぁ!」
「ちょ、ちょっと!」
急にあたしに抱きしめられて、美紀は慌てふためいている。しかし今のあたしには、美紀に事情を説明する余裕はない。
わけが分からずに慌てている美紀の様子を気にする暇もなく、あたしは喜びに浮かれまくった。
落とした消しゴムを拾ってあげて、ありがとうと言われただけ。
たったそれだけのことなのに………。
化学を選択してよかった。
心からあたしはそう思った。
そして、こんな簡単なことで幸せになれる自分自身を、あたしはカワイイと思った。
おわり
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