昼休みの終りを告げるチャイムの予鈴は、とっくの昔に鳴っていた。
本鈴が鳴るのも、もう目の前。
トイレから出たあたしは、猛ダッシュで教室へと向かっていた。
次の授業は数学。教師は嫌味で意地悪なオールドミスの佐々木。遅れると、どんな皮肉を言われるか分かったもんじゃない。
昨日、数学の授業に五秒遅れたクラスメートは、その時間ずっと集中攻撃を受けて、あの佐々木のババァに難しい問題を当てられまくっていた。
ヤバイ、あたしは数学が苦手だ。
中学の頃からそうだったけど、高校に入ってそれに拍車がかかった。
みんなの前で恥をかかされるなんて冗談じゃない!
だからもう、本気で焦っていたあたしは、なんの注意も払わずに廊下の曲がり角を駆け抜けた。その途端、出会い頭に誰かと思いっきりぶつかってしまう。
強い衝撃を受けたあたしの体は、思いっきり床の上にしりもちをついた。
「あいったたたたたっ」
顔をしかめながら上を見上げる。
そこには、同じクラスの早川くんの顔があった。
早川くんは、なんとも言えない不可解な顔をしたまま、あたしを見ながら固まっていた。
「?」
あたしはちょっとムッとした。
そりゃ、前方不注意で突っ走ったのはあたしが悪いけど、女の子が転んでるのよ? 起き上がるのに手くらい貸すのが礼儀でしょーが。
キッとあたしがにらみつけると、早川くんの顔がボッと赤くなった。
なんなのよ、この反応は?
とか思いながら顔をしかめていたあたしは、そこでやっとあることに気づいた。
あたしはしりもちついたまま足を開脚している。制服のプリーツスカートはめちゃ短い。つまりあたしは、見てくれと言わんばかりに早川くんに向かってパンツさらけ出していたのだ。
「きゃあぁぁ〜っ!」
叫びながら、あたしは足を閉じてスカートを抑えた。固まっていた早川くんも、まるで金縛りが溶けたように、赤い顔をあたしから背けた。
「みっ、見てないから」
そして、目を反らしたままボソリと言った。
んなワケねーだろう?!
あたしがなにか言おうと口を開きかけた時、本鈴のチャイムが鳴り始めた。廊下を歩いてくる佐々木ババァの姿が遠くに見える。
「マズイ。急ごう、星野さん」
早川くんに助け起こされ、あたしは立ち上がった。そして走り出し、なんとかあたしたちはチャイムが鳴り終わる前に教室に滑り込むことができた。
かなりギリギリだったけど、なんとかセーフ。
そのまま、あたしは早川くんと目を合わすことなく、そそくさと自分の席についた。
その数学授業中、あたしはさっきのことを思い出して、もう恥ずかしくて顔をずっと真っ赤にしっぱなしだった。
だって、見られたのだ。
パンツを。
しかも、男の子に。
あああ、もう死んでしまいたい。
ガックリ肩を落としながら、あたしは廊下側の一番前の席に座る早川くんに視線を向けた。
早川くんと言えば、「真面目」の代名詞のような人っていうのがあたしの印象だ。品行方正でおとなしく、クラスでも全然目立たないタイプの男の子。
三年のクラス替えから三ヶ月経つけど、話したのは今日が初めてかもしれない。
そんな男の子にパンツを見られてしまうなんて!
顔を真っ赤にし、あたしを凝視したまま固まってしまった彼の顔を思い出すだけで、もう顔から火をふいてしまいそうになってしまう。
しかも、今日のあたしったら、とんでもないパンツをはいているのよ。
お母さんが、駅前のデパートバーゲンで買ってきた、三枚八百九十円の綿パンツ。しかも、あろうことかクマのプリントつき。
いつものわたしなら、こんなパンツは絶対にはかない。
「せっかく買ってあげたのに、全然パンツはいてくれないのね。もう今度から、絶対になにも買ってあげないから!」
などと、お母さんがすねた声して言うもんだから、風呂上り、仕方なくクマパンツに足を通したんだけれど、まさか、それを人に見られることになるなんて………。
はぁ〜。
ホントにもう、溜息しか出ない。
せめてもの救いは、今日が生理日じゃなかったことくらい。生理パンツからはみ出たナプキンを見られたりしていたら、もう、死ぬしかなかったと思う。
それにしても。
早川くん、このこと友達とかに言わないかしら?
言わなさそう………ではある。他人に余計なことをベラベラくっちゃべるタイプには見えないもの。
でも、やっぱり気になる。
あたしは何度も早川くんの後頭部に目をやった。授業なんて、まったく聞いてやしなかった。
だから、佐々木のババァから問題をあてられた時、答えるどころか問題の箇所さえも分からず、慌てまくってクラスメートからの失笑を買った。
チラリと早川くんを見ると、彼は笑っていなかった。
ただ、少し頬を赤らめ、なんとも言えない困ったような顔であたしを見ていた。
ドキン、と胸が鳴った。
それからというもの、あたしは早川くんを見るたびに赤面してしまう。
パンツを見られたことによる恥ずかしさが、そのたびにあたしの脳裏に甦るから。
ああ、せめて別のクラスならよかったのに。そしたら、毎日顔を合わせなくてすんだのに。
そんなことを思っても仕方ない。だって、現にあたしたちは同じクラスなのだから。これはどうすることもできない。
ならばせめて、彼の姿があたしの視界に入らないように、自主的に努力すればいい。
それは分かっているのに………。
どうしてだか、あたしはいつも教室の中に早川くんの姿を探してしまう。いつも視線で彼を追ってしまう。
そして、胸がドキドキと高鳴るのだ。その音は、頭の中にも響いてくる。早川くんのことが、気になって気になってしかたがない。
これってやっぱり「恋」ですか?!
そんなバカなと思いつつ、でも、それ以外にこの胸の高鳴りを説明できないじゃないの! 教室の中、いつも早川くんを視線で追う理由が見つからないじゃないの!
はぁ〜。
あたしは大きな溜息をついた。
パンツを見られたことがきっかけで、恋に落ちてしまうなんて………。
あの時以来、あたしと早川くんは会話をしていない。
でも、目が合えば、お互いに頬を赤く染める。そして、どちらからともなく静かに視線を反らすのだ。
好きです。
なんて言ったら、早川くんはビックリするだろうなぁ。思いっきり引かれてしまうかもしれない。
でも、いいじゃないの。
だって、パンツ見られてんだから。
しかも、クマさんプリントのパンツを。
フラれたって、パンツ見られる以上に恥ずかしいなんてこと、ないと思わない?
だからあたしは、告白することに決めた。
あたしは行動力がある方だ。ついでにセッカチだったりなんかする。
思い立ったが吉日。こうなったらもう、今日中に告白しよう。
あたしの告白を聞いて、早川くんはどんな顔をするかなぁ。
色んなパターンが考えられるけど、それを想像していると、なんだか楽しい気分になってきた。思わず顔がニヤけてしまう。
放課後、あたしは早川くんの席の前まで行くと、にっこり笑顔で彼に話しかけた。
「ちょっと話があるんだけど、ここじゃなんだから一緒に来てくれない?」
「あ? ……うん、いいけど、なに?」
途惑った顔を早川くんが見せる。
「まあまあ、いいからちょっと来てよ」
笑顔でそう言ったあたしが歩き始めると、慌てたように早川くんが後を追ってきた。
さあ、吉とでるか凶とでるか。
パンツの神様、あなたのせいですよ?
あたしが彼を好きになったのは、あなたのせいなんです。ええ、間違いなく。
だから、せめてうまくいくように応援くらいして下さいね?
そんなことを思いながら、あたしは人気のない場所を探して廊下を歩いた。後ろから聞こえてくる早川くんの足音が、なんとも心地よくあたしの耳に響く。
ああ、もう面倒臭い。早く告白しちゃいたい。
そう思ったあたしは、いきなりその場で足をとめると、くるりと早川くんの方に振り返った。
驚いた顔の早川くんに、最高級の笑顔を見せる。
「好きなの。あたしと付き合って」
さて、早川くんの返事は?
それは、皆さんのご想像におまかせします。
おわり
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