いい人の恋



 一ヶ月前から始めたバイト先の喫茶店で、俺は恋に落ちた。
 相手は同じ年、高校一年生の咲子ちゃん。半年前から、ここの喫茶店でバイトしているらしい。
「ほら、佑介くん、あのテーブル空いたわよ。カップ下げてきて」
「はい」
「レジ行って。お客さん待ってるわよ」
「はーい」
 テキパキした姉御肌の咲子ちゃんに、俺はいつもこき使われている。でも、嫌な気分じゃない。嫌どころか、嬉しいくらいだ。
 肩より少し長いくらいの茶色の髪をアップしている咲子ちゃんは、元気ハツラツ、明るく快活な女の子だ。顔形も嫌味なく整っていて、彼女の屈託のない太陽のような笑顔を見ていると、それだけで俺は幸せな気分になってしまう。
 それくらい、俺は咲子ちゃんが好きだ。
 でも、咲子ちゃんには彼氏がいる。
 これまた、同じ喫茶店でバイトしている、二才年上の木戸先輩だ。
 木戸先輩のことは、バイトで顔を合わせる前からよく知っていた。いや、顔見知りってワケじゃないけど、学校の噂とかで聞いたりしてたから。
 そう、俺と木戸先輩は同じ高校なのだ。女子高に通っている咲子ちゃんと違い、俺らの学校は男女共学。
 男の俺から見ても、木戸先輩はカッコイイ。学校でもかなりの人気者だ。背は高いし、顔だって、キリッとしていて頼れる感じの男前だったりする。
 バイト中、客が少なくて暇な時とか、先輩と咲子ちゃんは二人並んでフロアの隅に立ち、楽しそうにコソコソ話に花を咲かせていたりする。それはもう本当に仲良さそうで、それを横目で見ている俺はというと、悲しい気持ち半分、咲子ちゃんが幸せそうで嬉しい気持ち半分の、とっても複雑な気持ちになる。
 俺は平凡な男だ。
 顔だって良くも悪くもないし、性格だって、特別に明るく元気なワケでもなければ、暗くて陰気なワケでもない。たまにちょっと仲良くなったクラスの女の子たちから、
「佑介くんて、すっごくいい人よねー。優しいし、思いやりもあるし」
 みたいなことを言われることがあるけど、それって褒め言葉か?
 友達の健吾は言う。
「いい人って言うのはさー、恋愛対象としては見てもらえない一番のタイプなんだよなー。いい人で終わっちゃうっていうかさ。男の俺に言わせてもらえば、佑介みたいないいヤツっていうのは、親友として一番信頼できるタイプだけどね。俺、おまえのこと大好きだもん」
 にっこり笑顔の健吾の前で、俺は大きな溜息をついた。
 男にそんなこと言われてもなぁ。ま、嬉しくないワケじゃないけど、なんだか余計に悲しくもある。
 でも、いいんだ、それで。
 俺はこんな男だ。これ以上でも、これ以下でもない。
 臆病者だから、告白するなんてことも考えたこともない。同じバイト仲間として仲良くしてもらえて、そばで咲子ちゃんの笑顔を見ていられれば、それだけで満足だ。
 それに、俺が告白したところで、いいことなんてなにもない。咲子ちゃんだって迷惑だろうし、先輩だっていい気分じゃないだろう。
 それに俺だって、気まずくてバイトを辞めなきゃならなくなると思う。フラられた後も一緒に働き続ける勇気なんて、俺にはないから。
 そんなことを思っていると、また咲子ちゃんから声がかかった。
「佑介くん、あのテーブルのお客さんにお冷持って行ってくれる?」
「了解でーす」
 俺は咲子ちゃんに命じられるがまま、フロア中を走り回る。もちろん、咲子ちゃんだってサボッてはいない。気が利くし働き者の彼女は、多分、俺以上にお客さんと厨房の間を行ったり来たりしている。
 バイトに入って一ヶ月。かなり仕事にも慣れてきたけど、でも、まだまだな俺。
 早くキッチリと仕事を覚えて、咲子ちゃんや他の先輩バイト仲間たちの仕事を軽減させてあげたい。
 そんな気持ちで、俺は日々バイトに励んでいるのだ。


 ある日の学校の放課後、俺は帰り道で木戸先輩を見かけた。
 女の子と一緒だった。制服から見て、相手の女の子は俺と同じ学校の生徒だ。
 一緒に歩いていた健吾が顔をニヤニヤさせた。
「あれー、木戸先輩と一緒に歩いてるの、俺らと同級の吉田さんじゃないか?」
「健吾、あの人のこと知ってるのか?」
 そう訊く俺に、健吾が驚いた顔をする。
「知ってるもなにも、一年で一番カワイイって評判の人じゃないか。佑介、知らないのか?」
「うーん、俺、そういうことにウトイからなぁ」
 頭をかきながら俺が言うと、健吾は肩をすくめた。
「ま、おまえはそうだよなー。いいか、吉田さんはなぁ、大手銀行の頭取の一人娘で超お金持ちなんだぜ。陰で呼ばれているあだ名は、なんと『ご令嬢』だぞ。ごくたまにだけど、黒塗りの車がお迎えにくるくらいなんだから」
「へえー、そうなんだ」
「金持ちな上に顔までカワイイなんて、世の中には恵まれてる人間もいるもんだよな。木戸先輩、吉田さんと付き合ってんのかなぁ? 羨ましいなー」
 木戸先輩と咲子ちゃんの交際は、俺の学校では知られていない。バイト先の喫茶店で俺と同じ学校なのは木戸先輩だけだし、俺だって、そんなことを人にベラベラしゃべたりはしない。
 でも。
 もし本当だったらどうしよう。
 もし、木戸先輩が本当にあの吉田さんという人と付き合っているのだとしたら、どうしよう。だって、先輩は咲子ちゃんと付き合っているはずなのに。
 それって、もしかして二股ってことか?
 考えていると、なんだか俺の胸は悪い意味でドキドキしてきた。
 咲子ちゃんの………咲子ちゃんの立場は?
「どうした、佑介。青い顔してさ? あ、もしかして、おまえって吉田さんのことが好きだったとか?!」
 黙り込んだ俺を、健吾が心配そうにのぞきこむ。そして、ポンッと肩を叩いた。
「落ち込む気持ちも分かるけど、相手は高嶺の花だ。それに、相手があの木戸先輩だったら尚更だよ。ここは男らしく、キッパリスッパリあきらめよーじゃないか」
「いや、違うよ。そうじゃなくって…」
 俺の否定の言葉に耳を貸さず、健吾は話し続ける。
「いやいや、心配するな。俺だって同じ気持ちだ。ああ、愛しの吉田さん! でも、ここは男らしく黙って失恋の痛みをのりこえようぜ! な?」
「………もういいよ。好きに言ってくれ」
 否定する気も失せた俺は、がっくり肩を落としてそう言った。
 ホント、こいつはいつも楽しそうでウラヤマシイ。
 しかし、今は健吾のことなんてどうでもいい。木戸先輩と吉田さんの関係の方が、俺とって今一番の関心ごとだ。
 俺はとても複雑な気分で、吉田さんに寄り添って歩く木戸先輩の後ろ姿を目で追い続けた。

 その日のバイトは、シフトの都合上、フロア担当は俺と木戸先輩だけという、なんとも俺にとって穏やかならぬ状態で始まった。
 が、そんなことを気にしている暇もなく、いつもよりフロア担当が少ないだけに、ずっと忙しくてバタバタする時間が続いた。客がひと段落し、俺がやっと一息入れることができたのは、夜の九時を過ぎてからだった。
 客入りの少ないまま、俺と木戸先輩の勤務時間が終了する十時になり、珍しく俺たち二人は同時にフロア引き上げを店長に許された。
 忙しい時には、どちらか片方が三十分から一時間くらいの残業を命じられることなんて、そう珍しいことじゃない。
 そんなワケで、幸か不幸か、帰り支度をするための更衣室で、俺と先輩は二人きりになってしまったのだ。
「いっやー、今日は疲れたなぁ」
「そ、そうっすね」
 制服を着替えながら俺に話しかけてくる先輩に、俺はギクシャクした態度で返事をしてしまう。
「交代要員も予定より遅れて来たし、ホント、自給八百五十円じゃ割りに合わないよな」
「そ、そうっすね」
「店長も口うるせーしなぁ。これで咲子でもいれば話は違うんだけど、アイツ、今日は休みの日だったし」
 咲子ちゃんの名前が出た途端、俺の体がビクッとはねた。
 そんな挙動不審な俺の態度に、先輩が気づかないはずがない。
 しばらくジーッと俺を見つめてから、先輩は言った。
「どうしたんだよ、佑介。おまえ、なんだかちょっと変だぞ?」
 気使うような心配そうな目で俺を見る先輩。ああ、なんだか居たたまれない。
「どうした? 悩みごとか? 俺でよかったら、なんでも相談にのるぜ?」
 ニカッと笑う先輩は、本当にカッコよくて頼もしくて、そんでもって、とってもいい人そうで………とても二股している人とは思えない。
 そうだ、きっとなにか理由があるんだ。
 吉田さんと仲良く歩いていたのには、なにか理由があるに違いない。それを聞きもせずに勝手に疑ってかかるなんて、俺はなんて嫌なヤツなんだ。
 すみません、木戸先輩!
 俺は真っ直ぐに先輩をみつめ、意を決して言った。
「先輩、今日の学校の帰り、俺らと同級の吉田さんって子と一緒にいませんでした?」
 途端に、先輩がピタリと動きを止めた。
 そして、顔を青ざめさせる。
 俺がドキドキしながら黙って返事を待っていると、先輩は大きな溜息をついた。
「………そっか、佑介は同じ学校だもんな。そーか、見られてたんだ」
 もう一度溜息をつくと、先輩は俺に手を合わせて頭を下げた。
「頼むっ、咲子には黙っててくれ!」
 え、それってやっぱり、木戸先輩は吉田さんと付き合ってことなのか?
「そ、それじゃやっぱり、先輩は吉田さんと…」
「親父からの命令なんだ」
 心底困り果てたような顔でそう言った後、先輩は俺に訊いてきた。
「佑介さぁ、あの子の父親のことって知ってる?」
「え、あ、はい。少しですけど。なんでも、大手銀行の頭取だとか」
「うん、その銀行、俺の親父の勤める会社の大口取引先なんだよ。で、親父からの命令で、あの子と付き合えって。なんでも、学校で見て、俺のこと気に入ったらしくて、親父経由で交際の申し込みがあったってワケ。正直、俺も本当に困ってるんだ」
 話を聞いていて、俺は茫然としてしまった。
 そんなことって、マンガや小説の世界だけのことだと思っていたから。
 でも、ということは、つまり。
「それじゃ、やっぱり先輩は吉田さんと付き合ってるんですか?!」
「………うん。あ、でも、勘違いするなよ。俺は咲子が好きなんだ。あの子も悪い子じゃないしカワイイ子ではあるけど、やっぱり俺は咲子が好きなんだ。ま、だからこそ困ってるんだけどな」
 落ち込む先輩を見ていて、俺は先輩が心から困っていることが分かった。それに、それだけ咲子ちゃんを大切に思っているということも。
「先輩、これからどうするつもりなんですか? このままずっと二人に内緒で、二股かけ続ける気じゃないんでしょう?」
「でも、俺からあの子に断りを入れることはできないだろ? だから、あの子が俺のことを嫌いになるように仕向けるつもりでいるんだ。聞くところによると、俺に一目惚れしたらしいからな。俺が思っていたような理想の王子サマなんかじゃなく、性格は悪いし頭も悪い、食事のマナーとかもメチャクチャだ、みたいなところを見せれば、すぐに熱も冷めると思うんだ。実は、すでに作戦は実行中。でも、もうちょっと時間がかかりそうだけど」
「そうだったんですか………」
 少し考えて俺は言った。
「咲子ちゃんは、このことを知らないんですよね?」
「うーん、なかなか言い出せなくてな」
 ボソリと言った先輩からは、いつもの自信満々、頼れる男の面影はない。それくらい、今回のことで悩んでいるし、咲子ちゃんのことを想っているということだろう。
 やっぱり先輩はいい人だ。
 そう思ったから俺は言った。
「早く言った方がよくないですか。他の人の口から耳に入ったら、かえって話がこじれると思いますよ? 先輩からちゃんと説明すれば、きっと咲子ちゃんは分かってくれますよ」
 先輩を元気づけるように俺が笑顔を見せると、先輩も久しぶりに小さく笑顔を見せてくれた。
「うん、そうだよな。佑介の言うとおりだよな。よし、俺、がんばって咲子に話すわ」
 そう言うと、先輩は荷物を取り出すとロッカーのドアを閉めた。そして、俺にちょっとテレくさいような顔を向けた。
「なんか、相談にのるつもりが、逆に相談にのってもらうことになって、すまなかったな」
「そ、そんな! 俺なんて、相談なんてたいしたこと…」
「いや、本当に助かったよ。おまえって、すげーいいヤツだな。サンキュ」
 温かい笑顔の先輩を前に、俺は恥ずかしくてちょっと赤くなった。
 そして、先輩が軽く手を振って更衣室から出て行くと、俺はにこにこ笑顔で着替えを始めた。
 先輩がいい人で良かった。故意に二股かけて楽しむようなヤツじゃなくて良かった。
 あの先輩と一緒にいれば、きっと咲子ちゃんは幸せだ。
 そう思うと、俺は寂しく思う反面、嬉しくもあった。



 そんなことがあった日の約一週間後。
 その日は日曜日のいいお天気で、大きな駅前にあるウチの喫茶店は、昼少し前くらいから大勢の客でごった返していた。
 当然、働く俺たちは大忙し。フロア担当のバイトは四人も出勤してたけど、それでも追いつかないくらいの仕事量に追われてしまう。
 それでも、やっと三時頃から客足が少なくなってきて、俺たちバイトは様子を見ながら順番に休憩を取っていいことになった。
 しかし、客っていうのは、来る時には示し合わせたように一気に押しかけてくるくせに、来ない時にはとことん来ないもんだ。
 それまでの忙しさによる疲れと、退屈になったことにより襲いかかってきた眠気から、俺が必死になってあくびをガマンしていると、控え室から木戸先輩が出てきた。
 やった! 次はやっと俺の休憩時間だ。
「次、休憩行かせてもらいまーす」
 にこにこ顔でそう言った俺は、すれ違った時にチラリと見た木戸先輩の表情に、ふと首をかしげた。
 なんだか苦しそうな顔。痛そうというか、なんというか………うん、悲壮な顔とでも言うのかな。そんな顔を先輩はしてた気がする。
 不思議に思いながらも、短い十五分の休憩時間を有効に使うため、急いで控え室に飛び込んだ俺の目に、咲子ちゃんの姿が飛び込んできた。
「あ…れ? 咲子ちゃん休憩中だったの? ゴメン、俺、少し早く来すぎちゃったかなぁ」
 申し訳なさそうにそう言うと、咲子ちゃんが笑顔で首を振った。
「ううん、大丈夫よ。あたしの休憩時間、もうすぐ終わるから」
 その笑顔はとても不自然で、無理して作っているのが一目瞭然の笑顔だった。よく見ると、咲子ちゃんの目は薄っすらと赤い。
 俺はすぐに気付いた。
 さっきすれ違った時の木戸先輩の顔、咲子ちゃんの今の様子。
 先輩、あのことを咲子ちゃんに話したんだ。
 そして。
 想像するに、話はこじれてしまっているに違いない。でなければ、先輩があんなに辛そうな顔をしていたワケがない。いつも元気な咲子ちゃんが、目を赤くして作り笑顔なんかするワケがない。
 なんとかしてあげたい。
 そう思いはするけど、でも、どうすればいいんだろう。
 しばらく考えてから、俺は咲子ちゃんの隣にパイプ椅子を持ってきて座り、ちょっと大げさに溜息をついた。
「咲子ちゃんさぁ、ちょっと俺の話を聞いてくれない? 俺、金曜日にすっげー悲しいことがあってさぁ」
 興味を引いたような顔をして、咲子ちゃんが俺を見た。
「どうしたの?」
 よし、ガンバレ、俺。
 ここが腕のみせどころだぞ、と俺は自分に心の中でカツを入れる。
「実はさ、俺、すっごい好きだった子に告白して、フラれちゃったんだ。あーあ、もう、死にたい」
 ガックリ肩を落として顔を両手で覆うと、咲子ちゃんが慌ててこう言った。
「死にないなんて、バカなこと言っちゃダメよ! ………ねえ、どうしてフラれちゃったの?」
「なんかさ、好きな人がいるんだって。で、その相手っていうのが俺の学校の三年の先輩なんだけど、顔は学校でも一番っていうくらいカッコイイやつなんだ。でも、性格がすっごく悪くてさ。学校はサボッてばかりだし、先生にも反抗してばかり。友達に借りた金も全然返さないような、そんなヤツなんだよね」
 俺の話を聞いていた咲子ちゃんが、驚いた顔をする。
「その佑介くんの告白した彼女って、そういう男が好きなの? だって、サイテーじゃない、そいつ。佑介くんよりそんな男の方がいいだなんて、あたしには信じられないわ」
 怒ったような口調の咲子ちゃんにうなずいて同意してから、俺はまた大きな溜息をついた。
「でも、やっぱりその先輩の方がいいんだって。性格なんてどうでもいい、顔のかっこいい男が好きなの、なんて彼女にはっきり言われちゃったよ」
「やだ、その彼女もサイテーじゃない! 佑介くん、その彼女にフラれて、返ってよかったわよ。そんなことを言う子と付き合ったって、なんにもいいことないに決まってるもの!」
 両手をぎゅっと握りしめ、一生懸命にそう言ってくれる咲子ちゃん。やっぱり、本当にいい子だと思う。
「そうかもれないな。………でも、俺も似たようなモンかも。俺も彼女の性格とか知らなくて、顔のかわいさに一目惚れして告白したから」
 そう言って、肩をすくめて笑ってみせると、咲子ちゃんも笑った。
 俺は頭の後ろで腕を組むと、天井を見ながら言った。
「ま、自業自得ってとこだな。俺も今度誰かを好きになる時は、顔とかじゃなくて相手の性格とかで好きになろう。咲子ちゃんと木戸先輩の関係目指して!」
「あ、あたしたち?!」
 ビックリしたような顔の咲子ちゃんに、俺は笑顔で言った。
「だって、咲子ちゃんは先輩の顔が好きで付き合ってるんじゃないんだろ? そりゃ、先輩は顔だってかっこいいけど、性格だってすっごくいいもんな。男らしいし、優しいし、信頼もできれば信用もできる」
「………そうね、顔で好きになったんじゃないな。一緒にここで働くようになって知り合って、性格もよく分かってきて、付き合いだしたのはそれからだもの」
 そう言ったものの、咲子ちゃんは複雑な顔をしてる。
 きっと、色々なことを考えているんだろう。
 さっき聞かされたばかりの先輩と吉田さんとの関係についてや、これまでの自分たちの付き合いや相手に対する想いとか、そんなことを、一生懸命に考えているに違いない。
 そんな思案顔の咲子ちゃんに気づかないフリして、俺はしゃべり続ける。
「先輩はさ、学校でもすっごく人気あるよ。さっき言ったみたいに誰にでも優しいし、文化祭の時とかリーダーシップとってくれて頼りになるし。いつも明るくて元気だし………咲子ちゃんはいい彼氏見つけたよな」
「そうかな? そう思う?」
 俺を上目使いに見ながら、さり気なく訊いてきた咲子ちゃんに、もちろん俺は大きくうなずいてみせた。
「そりゃそうだよ! だって二人、本当に仲がいいじゃないか。この前さ、帰りが一緒になった時に先輩が言ってたよ。俺は咲子のことがすごく大切だ、って」
「ホ、ホント?」
 少し嬉しそうに咲子ちゃんは頬を赤らめる。
「ホント、ホント。ホラ、先輩ってかっこいいから学校でもモテモテなんだけど、咲子ちゃんのことが誰よりも好きだから、気持ちは嬉しいけど、正直言って他の女の子なんて迷惑なだけだ、とか言ってたよ。ノロケられちゃったよ、俺」
「………そ、そうなんだ……」
「いい関係だね、咲子ちゃんと先輩。まさに理想のカップルだよ」
 咲子ちゃんの顔に、温かい笑みが広がった。
 それを見て、俺は安心する。もう大丈夫だろうと思う。
「さて、と。フラれ話も聞いてもらえてスッキリしたから、俺、外のコンビニに行っておにぎりでも買って来るかな。そう言えば、さっき先輩とすれ違った時、なんだが悲観にくれたような顔してたけど、どうしたんだろう?」
 ひとり言のようにそう俺が呟くと、ガタンと音をたてて咲子ちゃんが即座に立ち上がった。
「あ、あたし、そろそろフロアに戻るね。ちょっと長く休憩取りすぎちゃった。店長に叱られちゃう」
「あ、ごめん。俺が変な話したばっかりに」
「ううん、いいのよ。それより、佑介くんも元気出してね。きっとその内、佑介くんのよさを分かってくれる女の子が見つかるわよ。だって、佑介くんって本当にいい人だもの。元気だして! じゃ」
 そう言うと、咲子ちゃんは慌てて更衣室を出て行った。前半についた俺のウソと、後半の心からの言葉を信じて。
 きっと、木戸先輩のところに仲直りしに行ったんだろうな。
 ちょっぴり複雑な気持ちを胸に抱きかかえながら、俺はまたパイプ椅子に腰をおろした。
 俺は咲子ちゃんが好きだから、だから咲子ちゃんにはいつも笑っていて欲しい。彼女が笑っていると、俺も本当に幸せな気持ちになれる。
 でも、俺には無理だ。咲子ちゃんをいつも笑顔でいさせてあげることなんて、俺にはできない。
 それができるのは、きっと木戸先輩だけだ。
 木戸先輩なら、きっといつでも咲子ちゃんを笑顔にしてあげられる。吉田さんとのことも、その内ちゃんとうまく解決するだろう。
 だから、せめて二人が仲直りするキッカケを俺が作ってあげたかった。
「これでよかったんだよな?」
 自分自身に問うように、俺は小さく呟いた。
 そしてもう一度、しばらくしてから、俺はまた呟いた。
「いい人ってのも、なかなか辛いもんだよな……」
 そしたら、なんだか胸が痛くなって、すごく苦しくなって、涙が出そうになってきた。
 俺だって、ホントに咲子ちゃんが好きだった。
 自分が抱えているこの胸の痛みから、そのことを今さらながらに痛感する。
 大好きな咲子ちゃん。
 好きな人にはいつも笑っていて欲しいから、それが俺にとっても幸せなことだから、だからやっぱり、俺のしたことは間違っていなかったと思う。
 でも。
 次に誰か好きになった時は、自分自身の手でその人を幸せにしてあげたい。その子の笑顔を保ってあげたい。
 それができる強い男になりたい。



 そんなことを考えながら、俺はコンビニに向かうため、裏口のドアを静かに開けた。
 失恋の痛みに胸を焦がしつつ、俺はフロアに戻る時のため、歩きながら笑顔を作る練習をした。




      おわり



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