「豆腐屋」          K.Sサマ:著



 昭和30年代。  スーパーがまだまだ少なかったので、多くの食料品を売る店が 商店街に軒を並べていた。
 肉屋や八百屋は結構あったが、豆腐屋はそう多くはなかったら しい。
 ただ食品を仕入れて売るだけとは違って、豆腐は「仕込む」過 程があるからだと思われる。

 豆腐屋の一日は早い。豆腐屋の店主は朝早く起きて豆腐を作っ ている。その日に作った豆腐は近所の人ができたて直後に買い にきて、その日に売り切るのである。
 けどこう言った「作ったその日に消費される」店のほうが品質 のいいおいしい豆腐がいつでも食べられるのである。そう考え てみると貯蔵の技術が進んでいない時代だからこそ味わえる一 種の贅沢なのかもしれない。

 群馬のとある地方都市にある商店街。この商店街にも豆腐屋は あり、近隣の地区からも買いに来ている。
 もっともここの店は豆腐屋としては規模が大きいほうで、店で 売る分のほかに、自転車で隣地区まで赴いて販売しているので ある。
 特に群馬などの地方になると家から商店街までが離れているこ とが多く、毎日商店街まで足を運ぶのに困難な家庭のために移 動販売を行っていることろがあった。もちろん行商もその頃は 結構あったのである。
 この店の豆腐はおいしいということからどの家庭でも豆腐の自 転車による販売を心待ちにしているのである。
では普通の店での販売はというと、こちらのほうもかなり繁盛 しているのである。
 豆腐や油揚げといった商品のほかに、この店では「卯の花」も 無料で提供しているのである。
 「卯の花」といってもぴんと来ないかもしれないが、いわば豆 腐の絞りかすの「おから」のことである。今では家畜のえさや 産業廃棄物扱いで焼却されることが多いが、当時は食品として 重宝されていた。
 今はスーパーなどで「卯の花和え」や「卯の花炒め」が和風惣 菜として売られていることがあるが、この頃は一般家庭でも作 られていた。
 なにしろ無料で手に入る上栄養が豊富で調理も比較的手軽だと いうことで昔はどの家庭でもそれぞれの味付けで調理されてい た。
 しかもこの時代は戦後の混乱期からやっと抜けた頃で、家計が 苦しい家庭も結構あったので、この様な安価で手軽な料理はも てはやされていたのも当然だといえる。
 またこの店では切り売りした際に生じた切れ端や販売途中で崩 れた豆腐を安く売っていたのである。これは物が豊富にある今 ではそのまま処分されるのが普通だが当時はそれでも喜んで買 う人が多いのである。
 確かに料理によっては切れ端でも崩れていても問題ないものも 多い。客は難がある分安く買えるし、店にとっても食べられる 商品を捨てることもなくなる。
 これらのことから、生活があまり豊かでない家庭でも栄養のあ る豆腐製品を食すことが出来たのである。
よく考えてみると今と比べて昭和30年代は暮らしがあまり良 くないけれど、工夫や知恵で何とか毎日過ごしていけたのだな と思う。

 現在では豆腐は工業化され、機械で作られパック詰めされた豆 腐がスーパーで売られるようになり、確かに安く便利になった 。
 けど豆腐屋が丹精込めて作られた「手作り」豆腐の味も捨てが たい。
 食文化の高級志向とともに豆腐職人の作る豆腐も見直されて来 ている事は現代人にとってある意味嬉しい事なのかもしれない 。


【完】




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K.Sさのサイト様での小説寄贈企画によりいただいた作品です。
昭和30年代お商店が題材になっております。
思わず懐古主義者になってしまいそうな素敵作品をありがとうございました。


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