《サクラサク……
このはな、このはな、ふきょうのか……
君そこにあれば、
寂しからずや 棕櫚(しゅろ)の下 》
大学入試に、めでたく合格した夜。
貴之から、お祝いのメッセージカードが届いた。
「……なぁに、コレ」
意味不明な内容に、思わず首を傾げる。
不思議に思って、彼の携帯に電話すると、
『オレもよく知らないんだよなぁ』
などと、ずいぶんいい加減な答えが返ってきた。
洋菓子屋さんを営んでいる貴之のおじいさんが、葉子の合格を祝って、詠んでくれたらしい。
『えーと……此の花は梅で、木の花は桜。不香の花ってのは雪のことで……それから、棕櫚の
花言葉は‘勝利’なんだって』
「……へぇ」
『つまり‘おめでとう’って意味だと思うけど。 聞きかじりだから、よく分かんないや』
「はぁ。……それはどうも。おじいちゃんにヨロシク言っといて」
『了解〜。じゃあ、明日また学校で!』
たったそれだけ伝えただけで、貴之からの電話はぷつりと途切れた。
電波をオフにする寸前――
『合格おめでと』
と、彼の声がぼそりと聞えて。
葉子はお礼を言うヒマすら与えてもらえなかった。
じんと胸が熱くなる。
(ありがとう。貴之のおかげだよ……!)
携帯を抱きしめ、彼女は、そう呟くので精一杯だった。
《君そこにあれば、寂しからずや――》
∞∞∞∞∞∞
「バレンタインッ?!」
葉子はぎょっとして、その場に硬直した。
クラス中が、ざわざわと色めきたっている。
つい先日までピリピリした緊迫感が漂っていたというのに、受験戦争が終わりに近づくに
つれ、教室の雰囲気は、緩やかに温もりを増しつつある。
まだ試験が残っている生徒もいるものの、クラスのほとんどは厳しい冬から開放され、次
のイベントへと動き出しているようだった。
「……バ、バレンタイン・デー。すっかり忘れてた。そんな時期だっけ?」
葉子が引きつった笑みでそう言うと、隣りで千里(ちさと)が、学生カバンを抱えたまま
くすりと笑った。
「そう言うと思った! 葉子って、今までずっと受験一色だったものね。チョコのこと考え
るより、単語のひとつも覚えたいって感じだったし……。この際だから、貴之くんに張り切
って盛大な贈り物をしてみたら?」
「う、うん。そうだよね。……貴之にはいつもお世話になりっぱなしだったんだもの」
そう思ったとたん、プレッシャーがどっと押し寄せてきた。
葉子が受験に集中している間、彼はいつもそばにいてくれた。
毎日手渡してくれるクッキーに、どれだけ励まされたか、今でも感謝し仕切れない。
だが――!!
貴之の家は、隠すまでもなく、代々続く老舗の洋菓子屋さんだ。
つまり、お菓子のプロフェッショナル――!
ほかの女の子たちみたいに、《手作りチョコで彼のハートをゲット〜!》なんて、気軽に
考えられるはずがない。
(ヤバイ……どうしようっ!)
バレンタイン・デーまであと何日だっけ?
考えるたびに冷や汗が出てきて、葉子は蒼白して額を押さえた。
よく思い出してみると――
今まで貴之にちゃんとしたプレゼントをしたことがない。
去年のバレンタイン・デーは、その辺のイベントショップで適当なチョコを買って渡してい
たし、誕生日だって……何を贈ったのだか、いまいち記憶に残ってないぐらいだ。
(なんか服でも買ってあげたっけ? ……私って、結構いい加減だなぁ)
考えるたびに焦りが脳内を侵食し、絶句してしまう。
「彼が1番喜ぶモノが良いんじゃない?」
バレンタイン特集を掲載した流行の雑誌を広げ、千里がページの一部を指し示した。
そんな彼女を尻目に、葉子が落胆した瞳を揺らす。
……彼が1番喜ぶモノ?
「そんなの、分かんない」
「あんた、ホントに貴之くんの彼女?」
「――ぐさっ」
うぅ。
なんだか、とことんドツボにはまっているような気がする。
貴之がもらって1番嬉しいモノってなに?
なにを贈れば、最高の笑顔を返してくれる?
サッパリ思いつかない自分自身がどんどん情けなくなってきて、葉子は大きなため息をつ
いて、肩を落としてしまった。
∞∞∞∞∞∞
「え〜、オレの欲しいもの? 別にないよ」
学校の帰り道。
葉子のさりげない質問に、貴之はあっさりと即答した。
「そんなコトないでしょ。何かあるでしょ?」
「んー。あるとすれば、外国製の生チョコとか? 新発売の調理器具とか?」
「……そ、それは」
なんだか愛が足りないって気がして、贈るこっちが嬉しくない。
当然、彼のリクエストは、即却下だ。
「なになに、オレに何かくれるの?」
「……そのつもりだったけど」
「バレンタインだろ。いつものセールチョコでいいよ。お前、手作りキライだし」
――む。
そんな風に言われると、なおさら闘争心が頭をもたげてくる。
少し歩を早め、くるりときびすを返した葉子は、貴之の正面に立って、彼をぎっと見据えた。
「私、頑張ってみる!」
「は?」
「今から貴之のおじいちゃんトコ行ってもいい? 美味しい手作りチョコ・ケーキの作り方、
習うことにするっ」
「……本気?」
「うん、楽しみにしててね!」
「――」
にっこり笑ってガッツポーズまでする葉子に驚き、彼はそれ以上なにも言えなくなって、
黙りこくった。
∞∞∞∞∞∞∞∞
小麦粉、砂糖、卵、バター、
バニラ・エッセンスに、ほんの少しのリキュール酒――
簡単なレシピを書いたメモを見ながら、葉子はズキズキと頭痛がしてきた。
「む、難しい〜!」
彼女のムリなお願いにもかかわらず、貴之のおじいちゃんはイヤな顔ひとつせず、快諾して
くれた。
毎日、学校帰りに貴之の店に寄る。
そして、絶えずオーブンとにらめっこしては、ケーキ作りに励む彼女を、心から応援してく
れている。
貴之は、というと……そんな彼女を見てもなにも言わず、ただ無言で見守ってくれているの
が、ありがたい。
「よし、頑張るぞっ」
バレンタインデーまで、あとわずか――
成果は上々!
腕前はバッチリ上達している!
さらに上手くなりますように、と願いを込めると、やる気も俄然パワーアップしてきた……
ように思えたのだが。
ここにきて、思わぬ問題が浮上してきた。
――つまり、体重の増加だ。
「ウソ!」
自宅のヘルス・メーターに足を乗せ、葉子は、ショックで言葉を失った。
「私。……ふ、太った?」
両手で顔を覆って、その場にしゃがみこむ。
(なんで〜? 貴之は毎日お菓子作ってるのに、全然太ってないじゃないっ。それに、今まで
何度も彼のクッキー食べてるけど、今まで体重が増えたことなんて、一度もないのにっ。どう
してよ〜)
とたんに、目の前が真っ暗になった。
脳裏の奥に痛みが走り、思考力すら失くしてしまう。
(で、でもっ。今さらケーキ作りをやめるワケにはいかないわよ。貴之に美味しいお菓子を食
べさせるって宣言しちゃったんだもの……!)
スタイルなんか気にしてる場合じゃない。
――でも気になる!
(うーむ……最終手段は、やっぱアレ?)
朝は苦手なんだけどなぁ、と嘆きつつ、意を決した葉子は、心もとないため息をついて、体
重計から離れた。
∞∞∞∞∞∞∞
「おはよー! いってきます!」
ばたん、と玄関の扉を開き、ジャージのジッパーを力いっぱい引き上げた。
苦肉の策で考案したのは、――ジョギングだ。
ひやりと冷たい朝もやの中、白い息を吐きながら、外へと飛び出していく。
(食べたーい、でも、痩せたーい! ……って感じだよぉ!)
自分自身に呆れつつ、規則的な呼吸を繰り返して、周辺をひと回りした。
こんな早朝に起きているのは、彼女ぐらいだ。
自宅から近所の公園へ。
少し距離を伸ばして、学校近くまで走り出した。
くるりとUターンし、敷地の広い公共運動場まで来た、その時だ――
葉子は、ふと足を止めた。
「……あれ?」
通りの向こうから、自分と同じように走っている人がいた。
ネイビーカラーの上下ジャージに身を包み、白くぼやけた景色に溶け込むように、緩やかな
息を吐いて近づいてくる。
「!」
徐々に縮まる距離に心臓を高鳴らせ、じっと相手を凝視していると。
ふと、相手が顔を上げた。
「! うっそ……っ」
「え?! 葉子?」
「貴之! なにしてるの、こんなトコで」
「そっちこそ……っ」
互いに茫然とし、呆気に取られて見つめ合う。と、貴之が驚いた顔で、被っていたフードを
取り払った。
「……ダイエットか」
「ぐっ」
今さら否定もできません、って!
しくしく泣きたい気分を堪えながら、彼女は挑むような視線を彼に送ってしまった。
早朝の、閑散とした運動公園の端っこで。
ベンチに座った二人は、同じ方向を向いたまま、無言になった。
むっと口を尖らせた葉子が、責める表情を貴之に向ける。
「ずっるーい! いつから走ってたの? 私に黙ってダイエットなんかして、許せないっ」
「別に黙ってたワケじゃないよ。それに、ダイエットじゃない。3年になって部活が終わった
から、体がなまって……体力作りに走ってるだけだ」
「ということは、夏からずっと? 毎日?」
葉子が驚いて尋ねると、彼はこくりと頷いて、肯定した。
……全然知らなかった!
彼女が受験の追い込みで忙しくなった頃、貴之は部活を引退して、ヒマをもてあましていた
のだ。
早朝からジョギングをして、自宅に戻り、その後お店の厨房でお菓子を作って、彼女に渡し
てくれていた。
そんなことすら、当たり前のように感じていた自分が情けなくなる。
「ごめんね、ちっとも知らなかった! 今さらだけど、私が合格できたのって、ホントに貴之
のおかげなんだね」
ありがとう、と……改まった姿勢でかしこまり、頭を下げると、彼は「なにを今さら」と、
苦笑した。
「それよりさ。どうなってんの、お菓子作りの方」
「どど、どうって――頑張ってるわよ、ちゃんと!」
気合を入れた面持ちで、ぎくりと顔を上げる。と、貴之が困ったように肩をすくめた。
「そうじゃなくて……前にも言ったけど、ムリしなくていいってコト。オレ、お前がくれるモ
ノなら何でも嬉しいし。そこまで頑張らなくてもいいんじゃないの?」
「なにそれ! まるで、私の作るケーキはマズイ、って決め付けてるみたい、失礼よ?」
「違うよ。オレは、ただ」
「じゃあ、何も言わないで」
「!」
ぎょっとした貴之が、双眸を開く。
負けん気の強い葉子をまた怒らせてしまった、と後悔の念を抱いていると、そんな彼を尻
目に、葉子ががたりと立ち上がった。
体温が上昇し、吐く息がなおさらに白い。
頬を紅潮させ、彼女は眉毛を吊り上げてきびすを返した。
「私だって、貴之に何かしてあげたいんだもの。いつもしてもらうばっかりで……お礼がした
いのに、何も思いつかなくて……っ。こんなコトぐらいしか出来ないんだものっ」
「葉子!」
慌てた彼が、動揺を押し隠して立ち上がった。
が、気がついた時には、葉子はずっと遠くに走り去っていて――貴之が泣きそうな顔をして
いるのに、彼女はまったく気付かずにいた。
∞∞∞∞∞∞∞
――ついに、運命の時がきた!
聖バレンタイン・デー。
世の中の女の子たちが、大義名分を立てて、おおっぴらに告白できる、最大のチャンス到
来だ。
もちろん、葉子自身、十分すぎる気合を持って、学校の校門前に立っていた。
「……!」
しばらくして、貴之が遠くの通りから姿を現した。
葉子の姿を見つけ、一瞬、息を飲んだ彼が、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
葉子が胸に抱えているのは、大きなリボンのついた四角い箱だ。
中身は、言わなくても分かる。
バレンタイン用に作った、まるいホールケーキ。
貴之のために作ったのだと……そう伝えるのが恥ずかしくて、迷い顔で突っ立っていると、
彼の方が口の端を曲げて、そっと両手を伸ばしてきた。
「ホントに作ったのか」
「うん。……が、頑張ってみた!」
「――ありがと」
はにかんだような、優しい声が上から落ちる。
「昼休み。あとで、一緒に食べよ」
と、声を掛けられて、葉子の胸いっぱいに喜びが広がった。
――ようやく、肩の荷が下りた、と実感する。
貴之の手が、ぽんっと頭の上に乗って、
「すっごい嬉しいよ」
そんな風に満面の笑みを浮かべた彼を仰ぎ見て。
彼女の心の中には、やり遂げた達成感が、胸いっぱいに広がっていた。
∞∞∞∞∞∞
昼休みの屋上で。
両膝を抱えた葉子は、背中をまるめて子供のようにうずくまった。
ひっくひっく、と泣きじゃくりながら、止まらない涙をブラウスで拭う。
――悪夢の、絶頂だ。
予想外に、ケーキはサイアクに不味かった。
(前に試作品を作った時は、上手くいったのに〜。なんで肝心な時に失敗しちゃうの?!)
泣きたいどころの話じゃない。
この場に穴掘って、地中深くまで沈んでしまいたいぐらい、落ち込んでしまう。
だが、何より1番悲しいのは――
そのケーキを、貴之が「美味い!」と言って、食べてくれたことだ。
「ヘタな慰めなんか、いらないわよ。はっきりマズイって言ってよ!」
そう言い放ち、そっぽを向いた葉子は、さっきからずっと俯いたままだ。
困ったように覗き込んだ彼の視線から、逃げるように顔をそむけて口を尖らせている。
「……あのさぁ。本当にうまいよ、コレ」
「お世辞はいらないってば。バカにしてもいいのよ?」
「ウソじゃないよ」
そう呟いた貴之が、ケーキを抱えたまま立ち上がった。
くるりと場所を移動して葉子の前に回りこみ、前屈みになって視線を絡ませる。
「どうぞ。食べてみて」
ブラスチックのフォークにぐさりとケーキを刺し、彼は葉子の口にそれを放り込んだ。
「……マズッ」
とたんに、彼女の顔が歪む。
その表情に頬を緩め、貴之は子供のように無邪気に笑った。
「オレは、葉子がくれたものなら、何でも好き」
「!」
「ガタガタに曲がった手編みのマフラーも、塩の固まりが入ったしょっぱいケーキも、涙が出
そうなぐらい、すごく好き」
「……っ……!」
その言葉を聞いて、なおさら涙が溢れてくる。
(――思い出した……! 私が、手作りギライになったワケ)
貴之にふさわしい品が出来ないからだ。
何をやってもヘタクソで、
何を作ってもうまくいかない。
もっともっと、彼には素敵なものが似合うはずなのに、それが出来ないのが悔しくて、彼女
はいつもどこかで諦めてしまっていた。
「オレが何を好きかとか、何が似合うかとか、……そんなのは、オレが決めることだ」
貴之が、少しむっとしたように葉子を見据えた。
「お前が勝手に判断するなよ。オレがこれでいい、って言ったら、ホントにそれでいいんだよ」
「――!」
そう呟いた彼が、平気な顔でぱくぱくとケーキを口に運ぶ。
そのうちお腹をこわすんじゃないかと、本気で心配になってくる。
「……おなか痛くなるわよ」
「ならないよ。――なってもいいよ」
だから泣くな、と困惑の色を浮かせて、貴之がフォークをくわえたまま、彼女を見つめた。
「おいしい。マジで!」
「……っ」
気がつくと、葉子は両手を伸ばして、彼に抱きついていた。
子供のようにしがみついて、ひと目もはばからずにわんわんと泣きじゃくる。
そんな彼女を抱きとめて、貴之がなだめるように髪を撫でた。
「オレが、どれだけお前を好きか。……葉子には、きっと分からないだろうなぁ」
独り言にも似た囁きが、すとんと耳元に落ちる。
彼女はただ、頷くことしか出来なかった。
(ちゃんと頑張って、いつか、美味しいケーキを作ってあげるっ。……貴之の作るお菓子には
負けるかもしれないけど)
見上げると、空に、浮き雲――
ふわふわ甘い、
砂糖菓子みたいな明日が見えた……気がした。
―終―
**********************************************
きゃ〜、続編いただいちゃいました。
本編同様、やっぱり貴之くんはイイ人ですね。
そして、葉子ちゃん。健気な努力が素晴らしいです。
わたしもお料理得意な方ではないので、なんだかすごく
葉子ちゃんに感情移入しちゃいました。
タイトル通りの甘いお話、本当にありがとうございました。
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