いつも待ち合わせに使っている駅の側にあるコンビにの前で、立川加奈子はイライラしながら、なかなか来ない相手を待っていた。仏頂面で携帯電話の画面を見てみると、すでに約束の時間を15分も過ぎている。
「まったくもう、いつもこれなんだから!」
小声でつぶやきながら、加奈子は携帯電話を洋服のポケットにねじ込んだ。
付き合って1年になる加賀利彦と加奈子が交際を始めたのは、加奈子が高校二年生、利彦が3年生の春のことだった。友達の紹介で知り合ったのは、更にそれから2ヵ月前。
顔はそれなりにかわいい加奈子ではあったが、真面目で、どちらかと言えばおとなしい性格である。だから、それまで男の子と付き合った経験はなかった。
利彦を紹介された時だって、本当は別の女の子を紹介するつもりだった友達の真美から、
「それがさ、彼氏ができたから行けないって、急にそんなこと言うのよ。でも、紹介するって約束しちゃったし、誰か連れていかないわけにはいかないの。ね、あたしを助けると思って、お願い!」
なんて、頭を下げられてお願いされたものだから、仕方なくピンチヒッターとして紹介の場へ足を運んだのである。
そこで会ったのが、利彦だった。
「うっわ〜、きみカワイイね。断然、俺の好み!」
顔を合わせた途端、紹介もされる前に利彦はにこにこして言った。
それからというもの、もう毎日毎日ラブコールの嵐。それが2ヵ月も続いたものだから、ついに加奈子も根負けしてしまったというわけだ。
「あれからもう、一年も経つのね」
そう呟いた時、片手を上げた利彦が、軽快な足取りで加奈子の前に現れた。
「ごめんごめん、待った?」
明るい笑顔の利彦に、加奈子はわざとらしく頬を膨らませてみせる。
「遅いよ、利彦。もう、帰ろうかと思ったところだったのよ!」
「じゃ、ぎりぎりセーフだな、よかった」
悪びれることもなくそういう利彦を、ギロリと加奈子はにらんだ。そして、ちぇっと心の中で舌打ちをする。
付き合って一年、大変だった受験を乗り越えて、今や利彦は一流大学の学生である。それとくらべて、加奈子は今年こそが受験勉強の正念場だ。予備校に行ったりなんだりと色々忙しいし、学校も離れてしまったので、利彦と会える機会は去年とくらべるとかなり減った。利彦にしても、大学のサークル活動やらアルバイトやらで、それなりに忙しくやっている。
だから、たまに二人の空いている時間が重なった時にできるデートを、加奈子は心から楽しみにしているのだ。
そう、この一年の間に、すっかり加奈子は利彦のことが好きになっていた。
それなのに。
加奈子がこれ程楽しみにしているデートに、利彦はいつも遅れてくる。
ふうーっと加奈子は大きなため息をついた。
「どうしたんだよ、加奈子。まだ怒ってるの?」
困ったような顔をして自分を覗き込む利彦を見て、加奈子はしみじみ思う。
やっぱり利彦ってカッコイイ。
二人が付き合うきっかけを作ってくれた真美にも聞いたことがある。利彦は学校でもかなり女の子に人気があると。顔がよければ背だって高い。性格だって明るく楽しいし、気も使えるタイプなので誰からも好かれる。
大学生になって、そんな利彦のかっこよさには、ますます磨きがかかってきた。髪形にしたって服装にしたって、高校生だった頃にくらべると一段とおしゃれになった。
きっと、大学でもモテているのだろうと加奈子は思う。
一年前、あれ程加奈子に熱烈アプローチしていた利彦が、今ではデートのたびに遅刻する。そのたびに、加奈子は怒った顔で利彦に文句を言うのだが、本当は怒っているのではなかった。
不安だったのだ。
もしかしたら利彦は、もうあの頃ほどは自分のことが好きではないのかも、とそんなことを考えてしまう。
そして加奈子は。あの頃とはくらべものにならない程、利彦のことを好きになっているのだ。
確かに利彦は、会うたびに「好き」だの「愛してる」だの、そういった言葉だけは欠かさずに言ってくれる。でもそれは、出会った時からずっとそうで、あまりにも重みがなくて軽すぎる。言ってみれば、挨拶のようなものだ。
利彦の本当の気持ちが知りたい。でも、聞けない。もし利彦の答えが、自分が望んでいるものとは反対のものだったら。それを考えると、加奈子は怖くて聞けなかった。ずっと聞けずにいた。
「なー、どうしたんだよー?」
利彦が心配そうに加奈子に声をかけるが、モンモンと考えことをしている加奈子には、その声が聞こえない。
だから、突然利彦が腰をかがめてキスしてきた時には、本当に、心臓が止まるほど驚いたのだ。
「きゃっ、な、なに?!」
飛び上がって利彦から距離をとり、両手で口を押さえるまん丸目玉の加奈子を見て、利彦が笑った。
「あ、今の顔、すっごくかわいい!」
顔を真っ赤にした加奈子は、キョロキョロと周囲を見回した。場所は駅前。ものすごく人通りの多い場所である。キスくらい今まで何度もしたことはあるが、それは勿論、人の見ていないところである。
「い、いきなりなにするのよ! こ、こんな……みんな見てるじゃない!」
「だってー」
利彦はすねた顔をして唇を突き出す。
「加奈子、全然かまってくれないんだもん。俺、寂しくなっちゃってさー」
その言葉に、胸をキュンとさせた加奈子を、利彦が抱きしめた。
「俺、加奈子にはいつも俺だけを見ていて欲しいんだ」
「…利彦……」
あまりにも嬉しい利彦の言葉に、加奈子は今までの悩みをすべて忘れそうになる。
しかし。
加奈子はきゅっと唇を引き締めると、利彦の体を突き放した。
「加奈子?」
「信じない」
「え?」
突然の加奈子からの言葉に、利彦は目をぱちぱちさせる。
「なんだよ、いったいどうし…」
「あたし、もう利彦の言うことなんか信じない。だって、いつも口ばっかりなんだもの」
「どういう意味だよ、それ」
本当に意味が分からずに、利彦は聞いた。
「だって…」
一瞬、加奈子はためらって言葉をとめた。が、すぐに決意したようなまっすぐな目で利彦を見た
。
「だって利彦ったら、言うことに行動が伴っていんだもの。デートの時にはいつも遅れるし、それでなくても会える時間が減ったのに、アルバイト始めたりサークルに入ったり」
そして、加奈子は言った。
「もしかして……もしかして利彦は、もうあたしのことなんて好きじゃないんじゃない?」
その言葉に、利彦は心底驚いて飛び上がった。
「な、なんてこと言うんだよ、加奈子。俺が加奈子のこと好きじゃないだって? そんなこと、あるわけないじゃないか?」
好きで好きで、ずっと好きで、初めて会った時に一目ぼれしてから、ずっと利彦は加奈子のことが好きだった。やっと交際OKの返事をもらえた時は、もう天にも昇る心地だったのである。
「俺は加奈子のことが好きだ。いつも言ってるじゃないか」
「だったら、どうしてデートに遅れてくるの? あたし…あたしはいつも利彦に会えるのが楽しみで、おしゃれだって念入りにするし、待ちきれなくて早目に家を出てくるのに!」
「加奈子………」
「利彦はどんどんカッコよくなっていって、大学生になってあたしの知らない友達も増えて……大学にはキレイな女の人もいっぱいいるんだろうなとか考えたり、もしかして、他に好きな人ができたんじゃないかとか……あたしはすごく不安になって、でも怖くて聞けなくて……」
自分の思いをぶちまける加奈子を見ながら、利彦は無意識に自分の胸の上に手をおいた。
なんだか胸がムズムズする。
それが、「ときめき」という言葉で表されるものだということに気づいた利彦は、思わず頬を赤らめた。
好きで好きで大好きで、なんとか交際してもらえることにはなったけど、一年間の交際で、加奈子も自分のことを好きになってくれたと思えるようにはなったけど、でも利彦は不安だったのだ。
加奈子はあまり、自分の気持ちを言ってくれない。
「好きだ」
と利彦が言えば、
「あたしもよ」
とは言ってくれる。でも、絶対に自分からは言ってくれない。
キスしようと素振りをみせると、黙って目を閉じて受け入れてくれる。でも、絶対に自分からはしてきてくれない。
虚勢をはって、いつも平然と明るく加奈子と接していたけど、本当は利彦だって、いつも不安だったのだ。
それが、今日初めて、加奈子が自分の気持ちを言ってくれた。しかもその内容は、利彦を舞い上がらせるのに充分なほど、喜ばしいものだったのだ。
どんなにガマンしようとしても、つい顔の筋肉が緩んでしまう。心に羽が生たかのように、ふわふわウキウキがとまらない。
「加奈子、愛してるよ!」
もう辛抱しきれずに、浮かれまくった利彦は加奈子を抱きしめた。
「や、離してよ! こんなことじゃ、もうごまかされないんだから!」
加奈子はもがいて自分を抱く利彦の腕から逃れようとするが、利彦は離さない。
「俺さ…」
加奈子の柔らかい髪に顔をうずめて、利彦は言った。
「俺さ、本当はいつも、時間より早く待ち合わせ場所に来てたんだ」
「………え?」
「俺のことを待ってくれている加奈子を、こっそり見てた。そんで、幸せ気分を味わってた。だって、そうだろう? 加奈子は俺のことを、俺だけのことを待ってくれているんだぜ? きっと、考えているのも俺のことだけだ。そんな嬉しいことってないだろう?」
「そ、それ本当なの?」
利彦は静かにうなずく。
「サークルに入ったのは、加奈子が予備校に行ったり、勉強が忙しくて会えない時、あまりにも寂しくて辛かったから、それをごまかすために入ったんだ。アルバイトをしているのは、来年、加奈子が大学生になったら、二人でいっぱい色々なことして遊ぼうと思って、そのための軍資金集めのため。俺、本当に加奈子が好きだから、加奈子のためならどんなことでもガマンするし、加奈子のためならどんなことでもできるんだ」
「と、利彦……」
利彦の胸にうずめていた顔を、加奈子はゆっくり上に向けた。そこには、加奈子を見つめる利彦の、優しくて穏やかな顔がある。
その顔が、あまりにも素敵で、かっこよくて、大好きで、なんだかすごく幸せすぎて、加奈子はその長いまつ毛をそっと伏せた。
「ごめんなさい」
加奈子は呟くように言った。
「あたし、自分のことばかり考えてた。利彦の気持ちなんて、利彦がどんなことを考えているかなんて、全然考えてなかった。ごめんね、利彦。ごめんなさい」
「いいだよ」
優しく利彦は笑う。
「俺こそ、加奈子の気持ちを考えてなさすぎた。でも、よかった。今日加奈子の気持ちが聞けて。俺、心から加奈子のことが好きだよ」
「あたしも……あたしも利彦のことが好き。大好き」
そう言って加奈子がまた顔を上げると、利彦が奇妙な顔をして、眉にしわを寄せている。
「ど、どうしたの? あたし、変なこと言った?」
「いや、そうじゃなくて…」
利彦ははーっと息を吐いた。
「もう、たまらなく加奈子にキスしたくなったんだけど、それを必死でガマンしてるんだ。だって、こんな所でキスしたら、加奈子怒るだろ?」
そう言う利彦が、本当に辛そうな引きつった顔をしているものだから、思わず加奈子は吹き出した。
「も、もう、利彦ったら」
そして、クスクス笑う。
「こら、笑うなよ。ホント、大変なんだから」
そんな情けない顔の利彦の耳元で、加奈子はささやいた。
「じゃあ早く、どこかキスできる所に行こう?」
利彦の顔がぱっと輝く。そして、加奈子をヒョイと脇に抱え持つと、そのまま一目散に走り出した。
どこか、二人だけになれる場所を探して。
二人はキスできる場所をうまく探せただろうか? 世界一幸せな今の利彦にならば、きっと見つけられるだろう。
そして今頃、世界一甘いキスを交わしているにちがいない………。
おわり
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